227 沖田さんの選択

 二月の上旬。

 安静とはほど遠く、勝手に部屋を抜け出すばかりだった沖田さんがようやく復帰した。

 さっそく復帰祝いをかねて甘味屋へ誘うも、忙しいみたいで断られた。

 それならばと日を改めて誘うも、タイミングが合わず、気づけばおよそ半月が経過してしまった。


 そんな中、迎えた今日二十三日は山南さんの命日で、仕事が一段落ついた土方さんと一緒に昼過ぎに屯所を出た。

 向かう場所は、山南さんのお墓がある光縁寺。

 本当は沖田さんも誘いたかったけれど、朝、出て行ったきり戻っていないらしく、結局会えずじまいだった。




 日差しは昨日より暖かく、所々で見かける色づいた桜の蕾は、あと数日もすればいたるところで満開を迎えそうだった。

 光縁寺の山門をくぐり墓石が立つ場所へ向かえば、微かに咳き込む音が聞こえた。

 他にも誰か来ているのかと見てみれば、丁度手を合わせているのは沖田さんだった。


「沖田さんも来てたんですね」

「うん、今日は敬助さんの命日ですからね。土方さんの悪行の数々を報告してました」

「おまっ、総司!」


 そんないつものやり取りをしてから、私たちも沖田さんの隣で一緒に手を合わせる。

 山南さんの切腹から丁度二年。相変わらず色々なことがあるし、なかなかみんな仲良くとはいかないけれど。こうして私が私らしく生きていられるのは、山南さんがキッカケをくれたからだと改めて感謝した。

 不意に、隣からコホンと咳の音が聞こえて顔を上げれば、土方さんが訝しむように沖田さんを見ていた。


「まだ治んねぇのか?」

「たまたま出ただけですよ。咳一つで心配してくれるなんて、明日は雪ですか」

「馬鹿野郎」


 少し賑やかにお参りを終え光縁寺を出ると、沖田さんが早々にどこかへ行こうとした。

 慌てて引き止め、今日も復帰祝いを兼ねた甘味屋に誘ってみるけれど、何だか適当な理由で遠回しに断られた。

 思えば近頃ずっとこんな調子だけれど、もしかして私、避けられている!?


「総司。近頃何か変だぞ」

「変とは失礼ですね〜。今日は良順先生がご馳走してくれる予定なんで、お腹を空かせておきたいだけですよ」


 そう言い置いて去っていく背中を追うように、土方さんも歩き出す。すぐさま私もあとを追えば、次第に歩調が速まった。

 それでもついていけば、沖田さんは振り向くことなく、土方さんに向かって不機嫌な声を投げかけた。


「何でついて来るんです?」

「お前が逃げるからだ」

「逃げてませんよ。そっちが勝手に追いかけ……ああ、追いかけっこがしたいんですか?」

「は?」


 仕方がないですね〜、と沖田さんが突然走り出すもんだから、その気はないのにつられて私たちまで走り出す。

 正直、直線なら沖田さんが相手といえど負ける気はしない。

 さっそく土方さんを置いて距離を詰めれば、逃げ切れないとふんだのか、脇道へと逃げ込まれた。あげく右へ左へと器用に方向転換されるせいで、思うように距離を縮められずにいれば、いつの間にか土方さんの姿も見えなくなっていた。


 しばらく走ったところで沖田さんが咳をした。

 僅かにスピードが落ちた次の瞬間、前方の岐路に土方さんが現れて、沖田さんは一瞬迷った様子を見せながらも一つ手前の横道に飛び込む。

 けれど……どうやらそこは袋小路になっていて、突き当りに立つ一本の早咲きの桜の木の前で、諦めたように満開の花を見上げていた。


 乱れた呼吸を整えながら合流した土方さんと近づけば、沖田さんが膝に両手をついて咳込みだした。

 咄嗟に駆け寄り背中をさするけれど、“走ってむせた”にしては、不自然なほど激しく背中を揺らしている。


 単に風邪がぶり返しただけならそれでいい。長引く咳も、拗らせてしまっただけならそれで……そうでなければ困る。

 余計な不安を振り払い、さらに激しさを増す背中をさすり続けるけれど、突然、触るなとでもいうようにドンッと押し飛ばされた。

 咄嗟に土方さんに支えられながら見ていたのは、自身の口元に片手をあてがう沖田さんの姿。直後、不穏な音を残して静まると、曲線を描く背中の向こうでゆっくりと手が離れた。その手のひらには、真っ赤な花びらが舞い落ちたみたいに、ごく少量の血がついていた――


「総司!?」

「沖田さん……?」


 嘘。何で……。

 一瞬で不快な音を刻む鼓動が煩い。目眩がする。

 黙って手のひらを見つめていた沖田さんが、懐から取り出した手拭いで拭き取りいつもの笑顔で振り返った。


「二人とも、なんて顔してるんです?」


 そんなの、こっちが訊きたい。

 何で笑っているの? 何で笑っていられるの?


「総司、お前――」

「ん〜、咳で喉が切れちゃったんですかね〜?」


 ……違う。決して量は多くないけれど、明らかにそういう出血じゃなかった。


「……いつからだ」

「まぁ、あれだけ全力で走れば咳も出ますよね〜」

「総司」

「二人がしつこく追いかけてくるか――」

「総司っ!!」


 ひときわ大きな声が響くと、冗談です、と沖田さんは諦めたように小さなため息をついた。

 目の前をはらりと花びらが舞い散れば、柔らかな結髪の先を、風に揺らして微笑んでいる。


「たぶん、労咳ろうがいです」


 重い言葉とは裏腹に、その声は酷く軽くて明るくて……まるで他人事みたいだった。

 掛けるべき言葉が見つからなかった。そもそも私が何を言ったって、今さら全部言い訳にしかならない。


 落としてしまった視線の先では、爪が食い込むほど強く握られた土方さんの拳が見えた。

 今までの私の言動から、土方さんも沖田さんが何かしらの病で亡くなることに気づいている。それが“労咳”だとは思っていなかったとしても……確信したのだと思う。


 ただ未来から来ただけの私には、時間を戻すことも病気を治すことも出来ない。

 沖田さんのことは、私の数少ない知識の内の一つで、発症を防ぐことくらいは出来るはずだった。

 それなのに、また何も出来なかった……。


「ごめん、なさい……」


 どれだけ責められ罵られたとしても、やっぱりそれ以外の言葉が見つからない。

 ちゃんと顔を見るべく無理やり視線を上げれば、沖田さんが驚いた顔をした。


「どうして春くんが泣くんです?」

「……え」


 泣いてなんか……。私に泣く資格なんてない。泣きたいのは、沖田さんの方なのに……。

 おもむろに伸びてきた沖田さんの手は、頬に触れる直前でためらうように動きを止め、そのまま元の位置へと戻っていった。


「春くんがそんなに泣いたら、僕が泣けないじゃないですか」

「ご、ごめんなさい」


 慌てて拭うけれど、あとからあとから溢れてくる涙は全然止まらない。

 それでも必死に拭い続ければ、沖田さんが困ったように微笑んだ。


「そろそろ、良順先生が屯所へ来る頃です。二人も一緒に帰りますか?」


 そう誘う顔は、笑顔なのにどこか諦めたように悲しげで、ただ黙って頷くことしか出来なかった。




 道中、沖田さんはいつも以上に饒舌だった。

 身体に異変を感じ始めたのは去年。冬が始まる頃だったらしい。

 こっそり良順先生の診察を受けると肺に微かな異常が認められ、この時はまだ労咳と断定されたわけではないけれど、長生きしたければ早めに養生することを勧められたという。

 けれど、沖田さんはそれを受け入れないばかりか、誰にも言わないよう頼み込んだらしい。そして、病状が悪化した場合には、即刻近藤さんや土方さんにも報告するという条件つきで認めてもらったとも。


 それからというもの、多少の不調は隠して過ごし、ここまで誰にも気がつかれることはなかったのだと。

 悔しいけれど、私も気がつかなかった……。


「あ〜あ。さっきのも一人の時だったら、このままなかったことにしたんですけどね〜」


 そう言って沖田さんは冗談めかすけれど、そんなの全然笑えない。

 そして気がついた。


「だから時々、咳を堪えようとしていたんですか?」

「うん。春くんの心配性が悪化しちゃいますからね〜」


 けれどもすぐに、冗談です、と笑みを引っ込めた。


「僕が労咳だと知ったら、春くんだけじゃなくて、みんなしてじっとしてろって言うでしょう?」

「当たり前だろうが」

「それじゃ、僕が新選組ここにいる意味がないじゃないですか」


 そう、言い切るのだった。




 屯所へ戻り三人で沖田さんの部屋で待てば、良順先生はすぐにやって来た。

 みんなまとめてご飯へ行こうと誘ってくれるけれど、返事代わりに沖田さんが血のついた手拭いを取り出して見せれば、その顔が強ばった。


「……とうとう吐いたのか」

「さっき、二人の目の前で」


 その血が何なのか、どこからの出血なのか伝えてもいないのに会話が成立した。帰り道で沖田さんが話していたことは、やっぱり本当のことだった。

 全部いつもの冗談であって欲しい……そう期待していなかったと言えば嘘になる。

 だって良順先生は……。


「ただの風邪だって言ったじゃないですか……」

「……そうだな」


 責めるような口調になってしまったにもかかわらず、良順先生は言い訳一つしなかった。

 その代わり、真っ直ぐ見つめ返してくる。


「だが、隠し事はお互い様だろう」

「……そう、ですね」


 良順先生は私が女であることを知っていて、黙ってもくれている。

 だからそれは、怒っているでも呆れているでもなく、ただ真実を述べているだけだった。




 近藤さんも交えて話をすることが決まると、沖田さんがまたしても渋りだした。

 あれこれ理由を述べてはいるけれど、そのどれもが、病気を隠して今まで通りの生活をしたいというものだった。

 この時代、労咳は不治の病で死病とも言われている。どうしたって、これまでと同じ生活を送ることは難しくなる。


「総司、荷物まとめて帰れ」

「一度新選組を離れて養生するのがいい」


 土方さんも良順先生も、当然のごとく療養を促し始めた。

 治すことはおろか、発症すら防げなかった今の私に出来ることも、きっと、これ以上悪化しないよう療養を勧めることしか残っていない。

 だから一緒になって説得にあたるけれど、見るからにイライラを募らせた沖田さんは、突然、三対一の状況を一瞬で覆すほどの怒りをあらわにした。


「ああ、うるさいっ! どいつもこいつもみんなして!」


 いつもにこやかな沖田さんの初めて見る剣幕に、私も良順先生も黙った。言葉を失った……という方が正しいかもしれない。

 そして、唯一驚かなかった土方さんだけが再び口を開こうとすれば、沖田さんは一瞬でその距離を詰め、見下ろす形で掴みかかった。


「そこの二人はともかく、何あんたまで甘っちょろいこと言ってるんですか! が聞いて呆れるんですよ! 僕は一番組の組長です! 僕の代わりはいないことくらい、あんたが一番わかっているはずでしょう!? たった一度血を吐いたのが何だっていうんですか! 僕はまだ充分動けます! 切り捨てるのは、動けなくなったその時でも遅くはないんです! つべこべ言わず、鬼なら鬼らしく、最後まで新選組の剣として戦って死ねって言えばいいんですよ!!」

「黙って聞いてりゃベラベラと……ふざけんなっ! 何が切り捨てるだ、俺はお前に生きて欲し――ッ!」


 負けじと反撃に出た土方さんの言葉は、骨と骨のぶつかる鈍い音に遮られた。

 傾いた身体をゆっくりと起こすと、切れた口の端を手の甲で拭いながら沖田さんを睨み付ける。


「てめぇ……何しやが……っ!」


 再び言葉が途切れたのは、沖田さんが抜刀したからだった。

 その切っ先は、一つの迷いもなく土方さんの顔へと向けられている。


「勝負しましょう。土方さんが勝てば療養でも何でも大人しく言うことをきいてあげます。その代わり、僕が勝ったらみんなには黙っていてください。まだ充分役に立てることを、嫌ってほど教えてあげますよ」

「馬鹿なこと言ってんじゃねぇ」

「馬鹿はあなたです。何が“生きて欲しい”ですか。今さら鬼を辞めるだなんて、僕は許さないですよ」


 そう告げた沖田さんの顔は、今にも泣き出しそうなほど悲しげだった。

 誰も動けず何も言えない中、再び沖田さんの声が静かに響く。


「一緒に近藤さんを大名にするって約束、忘れたんですか?」

「……忘れちゃいねぇよ」


 土方さんがチッと舌打ちをしてそっぽを向けば、沖田さんは少しだけ嬉しそうに笑った。

 そして、刀を納めるなり畳に手をついた。


「命の期限が見えたくらいで、約束を反故にしないでください。僕は動けます。動けなくなるまでは、ここに置いてください。……願わくば、新選組の剣のまま死なせてください。お願いします」


 沖田さんは、深く深く頭を下げた。

 沖田さんの想いがわからないわけじゃない。

 けれど、わざわざ命を縮める選択なんてして欲しくない。

 欲しくないけれど、私も良順先生も声を発することが出来ないまま、わかった……と土方さんが頷いてしまった。


 何となく、こうなる予感はしていた。

 目の前であんな本気を見せられたら、人の生き方

に軽々しく意見なんて出来ないもの。

 良順先生の表情も珍しく感情が揺らいでいたけれど、最終的には医師としてではなく、沖田さんの想いに寄り添うことを決めたみたいだった。




 障子の向こうに見える外はあんなにも春だったのに、この部屋は相変わらず殺風景過ぎる。まるで、ここだけが取り残されたみたいに感じてしまう。

 沖田さんが労咳であることは、副長の土方さんが全責任を負う代わりに、今この部屋にいる四人だけの秘密ということになったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る