208 鬼の手を焼く隊士
六月の末。
広島に残っている山崎さんと吉村さんから、第二次長州征討の戦況報告が届いた。
私達が
出兵を拒否した芸州藩に代わり、彦根藩と高田藩らが強力して攻めるはずが足並み揃わず壊滅、大敗走したと。その後、幕府陸軍である幕府歩兵隊と紀州藩によって膠着状態を保つも、総じて戦意の低い幕府軍の不甲斐なさに、書状を持つ土方さんの手は今にもぐしゃぐしゃにしてしまいそうなほど震えていた。
そして、圧倒的な兵力差を埋めているのは武器のようで、長州側の銃は飛距離、命中精度、どれをとっても違いは明らかなのだとか。
そんな中、屯所では金策に脱走と、二つもの法度を破った隊士が連れ戻され切腹となった。
情勢が情勢だけに、そんなことをしている場合ではないと伊東さんが主張するも、そんな情勢だからこそ引き締める必要がある、と土方さんは言っていた。
どちらが正解かなんてわからないけれど、相反する二人の考え方は激しく衝突することはなくとも、事あるごとにその違いを浮き彫りにしている気がした。
朝餉を終え、稽古場へ向かうまでの穏やかな小休止。
開け放った障子の向こうでは太陽の光が燦々と降り注いでいて、今日も暑くなりそうだ、と文机の側で土方さんに背を向けると、後ろにも届くよう顔の前で大きく団扇で仰ぐ。
しばらくして、書状を畳む音がした。
「三浦なんだが……どう思う?」
「どう……とは? 何かあったんですか?」
手を止めることなく聞き返せば、土方さんが小さなため息をつくのがわかった。
主に近藤さんの側で身の回りの世話をしている三浦啓之助くんは、元々は父親である佐久間
けれどもあれから一年以上が経った今、そんなことなどすでに忘れてしまったかのごとく、義母からの過剰な仕送りに物言わせ隊士らを侍らせては殿様気取りで、最近は諸士調役兼監察の
穏便に済ませようと帰藩を促すも全く応じず、一回目の広島行きに芦屋さんを行かせ二人を引き離し、その間に心を入れ替えてくれないかと僅かばかり期待をしていたともいうけれど……。
穏便? 期待?
普段の土方さんからは想像もつかないような言葉が飛び出した。
「土方さんがお説教すれば、すぐに改めるんじゃないですか?」
三浦くんは私よりも年下だ。土方さんがちょーっとお灸を据えてあげるだけで大人しくなるような気がするけれど……大きなため息をついた様子から察するに、どうやらそんな簡単な話ではないらしい。
近藤さんの前では態度が全く違うのか、近藤さんは三浦くんを可愛がっているうえに、義母からは新選組宛にこっそり援助が送られていることもあって、他の隊士らに比べると扱いが難しいのだという。
「まさか、お金の問題ですか?」
「……だけじゃねぇ。あれでも
今、だけって言った……。多かれ少なかれ、やっぱりそこが問題なのかと振り返りじーっと見つめたら、思い切り睨み返された。
「お前の飯代はどこから出てる? 明日から水だけで過ごすか?」
「……遠慮させていただきます」
どこもかしこも財政難な今、新選組の懐事情も例外ではない。
そもそも余裕があるのなら、時々商家からお金を借りたりしないからね……。
とにかく、本人もそういった事情をよく理解しているのか、近頃は稽古すらまともに顔も出さず、調子に乗っているような態度に頭を悩ませているらしい。
つい先日も、脱走隊士の切腹があったばかりだというのに……。
「土方さん、そのうちハゲますよ」
「まだそんな年じゃねぇ」
「じゃあ、本物の角が生えてくるかも……」
「俺に角が生える原因は、三浦よりお前が先な気がするが……」
「そ、そんなことないですよ!」
たぶん、きっと? 自信はないけれど!
角が生えてくる前にとっとと稽古場へ行こうと、団扇を土方さんに押し付け逃げるように部屋をあとにした。
そのまま外廊下の角を曲がった先では、ちょうど三浦くんと数名の隊士がたむろしていた。
無言のまま避けて通るには少し嫌味っぽくて、話に夢中な隊士たちにやんわり声をかけようと思うも、少々気になる様子に思いとどまった。
どうやら三浦くんが、入手したばかりだという自身の刀の値段や価値を自慢しているけれど、同時に一人の隊士をやり玉に上げ、その隊士の持っている刀を馬鹿にし始めた。
本人は反論一つせずにこにこしているけれど、普段から稽古も隊務も三浦くんより頑張っているのを知っている。
「丈夫で良い刀を持つことも大事だと思うけど、必要なのはやっぱり、それを使いこなす技術なんじゃないのかな」
使い手が下手であれば、どんなに良い刀であっても容易く折れてしまうという……って、つい口を挟んでしまったせいで一斉に振り向かれた。
廊下を塞いでいたことに気づいたようで一気に道が開けるけれど、三浦くんだけはゆっくりと端へ移動し、柱に寄りかかるなり私を見た。
「なら、俺と手合わせしてくださいよ。何ならこいつでやり合いましょうか?」
にやりとしながら自慢の刀を引き抜く仕草をすれば、慌てて止めに入る隊士たちに向かっておかしそうに言う。
「何、慌ててんの?」
「何って、琴月先生は副長助勤だぞ。騒ぎを起こして土方副長の耳にでも入ったら……」
「助勤つったって……記憶もない、親が誰かもわからなくてもなれちゃうんだぜ? ねぇ? 琴月
「え? あー、うん、まぁ……」
以前にも、親がどうとか言われたっけ……と記憶を手繰り寄せていると、丁度井上さんが通りがかった。雰囲気からある程度察したのか、三浦くんに向かって苦笑する。
「啓之助、真面目に取り組めば相応に評価もされる。だから啓之助も――」
「失礼します」
面倒臭そうに吐き捨てた三浦くんは、最後に私をひと睨みしてから去って行った。
そのあとを、気まずそうに取り巻きの隊士たちも追いかけて行く。
「お、おい、三浦!? 待てって!」
「んだよ。文句あんのか? 俺に逆らう奴は、もうどこにも連れてってやらねえから」
「悪かったって」
今度は揃いも揃って三浦くんのご機嫌を取り始める。やり玉に上げられていた隊士でさえ、私と井上さんに一礼すると同じようにそのあとを追いかけて行った。
そんな彼らを見つめる井上さんが、小さなため息をこぼした。
「近頃はずっとあんな調子でな。啓之助自身も変わる必要があるが、周りの連中もあんな調子だからなぁ……」
余計なお世話だと思われてもほっとけなくてな、と話す井上さんは、相変わらず誰に対しても優しい。
そして、土方さんが話していたのはこういうことだったのか……と身を持って納得するのだった。
翌日、広間で土方さんと沖田さんが囲碁をし始めるから、額に汗を浮かべる二人のことも時折団扇で仰いであげながら、私も一緒になって碁盤を覗き込んだ。
詳しいルールは知らないけれど、二人のやり取りから察するに勝負は拮抗している模様。胡座で頬杖をついたり空いた手で碁石を弄んだり、どちらも自分の番になると猫のように背中を丸めて唸っている。
「どこへ置こうが結果は変わらねぇよ」
「土方さんこそ、“参りました”って僕に土下座したらどうです〜?」
そんな舌戦も交えながら交互に碁石を置いていく二人が、突然、揃って顔を上げたかと思えば私の後方を見やり、緩やかな空気を切り裂くように叫んだ。
「おいっ!」
「春くん!」
……え? と振り向くその間際。
――――世界が、揺れた――――
思わず畳に片手をついて振り返れば、そこに立っていたのは三浦くんだった。
今まさに、私目掛けて刀を振り下ろしている。
どうして? と驚きよりも先に疑問が浮かぶけれど、後ろを確認してから横へずれるようにして避ける。
直後、切っ先が碁盤の端に当たったのか、ガシャンと大きな音を立てて碁石が散らばった。
そこからはあっというまだった。
一瞬で三浦くんを遠くへ突き飛ばした沖田さんは、そのまま襟を掴んで畳に顔が擦れているのも構わず引きずり回すから、開放された直後の三浦くんの鼻頭は擦り剥け真っ赤になっていた。
私の無事を確認した土方さんも、沖田さんの側へ行くなり三浦くんの胸ぐらを掴み、鬼の形相で声を荒らげた。
「馬鹿野郎っ! 自分が何をしたかわかっているのか!?」
「……わかって、ます」
「どうしてこんなことしたんです?」
沖田さんが問えば、副長、組長に囲まれているにもかかわらず、三浦くんは私を睨みながら吐き捨てた。
「俺の腕が鈍いと……刀に見合っていないと言われたんで、試してやろうと思ったんです」
えーっと……随分と意訳、誇張されているうえに、さらっと怖いことを言われた気がする……。
土方さんが呆れたように舌打ちをして三浦くんを開放すれば、沖田さんがケラケラと大口を開けて笑い出した。
「腕が鈍いのは本当じゃないですか〜。でなきゃこの様は何なんです〜?」
「それは……」
悔しそうに顔を背けた三浦くんに向かって、土方さんが部屋へ戻れと促し囲碁もお開きとなった。
三人で散らばった碁石を拾い集めながら、沖田さんが土方さんに向かってにやりとする。
「鬼の副長が手を焼くなんて、三浦くんも罪作りですね〜」
「うるせぇ」
「まぁ、僕には関係ないんでどうでもいいですけど、大切な人たちを傷つけるなら容赦はしません。ましてや近藤さんの顔に泥を塗るようなら、問答無用で排除します」
「総司。物騒な事ばっか言ってんじゃねぇ」
「そんなことないですよ〜」
ねぇ? と笑顔で同意を求められた。
沖田さんらしいとは思うけれど、物騒であることに変わりはない。そんな沖田さんに目をつけられた日には、一人になった途端あっさりと葬られてしまう気がするのだった。
翌日、沖田さん率いる一番組との巡察を終え屯所へ戻って来ると、ご飯を食べに行こうと誘われた。
もちろん断る理由はないので二つ返事で快諾すれば、部屋で巡察用の装備を解いて再び境内へと足を運ぶ。
屯所の方を向いて沖田さんが出て来るのを待っていたら、突然、背後から誰かに抱きつかれた。
……って、こんなことをしてくるのは一人しかいない。
「沖田さん! 毎度毎度驚かそうとしないでください!」
「じゃあ、次は僕も斬りかかってみましょうか〜」
「なっ……冗談に聞こえないんでやめてください!」
「隊士の粛清だって何人もやってきましたし、僕は狙った獲物は逃しませんよ〜」
「沖田さ――」
「ところで」
私の言葉を遮った沖田さんが、笑顔のまま視線を私の後方にある屯所へとずらした。
「三浦くん、さっきからそんなところに隠れてどうしたんです? かくれんぼですか~?」
「えっ! い、いや、別にっ。通りがかっただけで……」
振り返れば、曲がり角から焦った様子の三浦くんが出てきた。
「これから春くんとご飯を食べに行くんです。よかったら三浦くんも一緒にどうです~?」
「い、いや、俺はっ……遠慮しときます!」
そう言って逃げるように走り去る背中を見送れば、沖田さんが私に視線を落とした。
「あんなに慌ててどうしたんですかね〜?」
「沖田さん、笑顔が怖いです」
もしかして、“粛清”のくだりは三浦くんを怖がらせるためにわざと……?
だとしたら、何とも沖田さんらしい。
「沖田さんに斬られると思ったんじゃないですか?」
「今日の春くんは、なかなか察しがいいですね」
「……え?」
「冗談ですよ」
うん、だから冗談に聞こえないからっ!
それから数日後、七月になると三浦くんが脱走した。
つるんでいた芦屋さんまで行方をくらませていて、どうやら揃って脱走したらしい。
象山先生の息子で幕臣の甥っ子という特殊な立場上、念の為、丁度上京しているという叔父上に相談してみたところ、
これ以上の手出しは無用……つまり、探し出して切腹なんてさせるな、という意味を含んだお金なのだろう……。
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