207 祇園御霊会と矢場
六月。
気がつけばいつのまにか晴天の日ばかりが続いていて、抜けるような青い空の端には入道雲が顔を出している。
降り注ぐ日光の容赦のなさと至るところから聞こえてくる蝉の合唱は、梅雨が明けたことを教えてくれていた。
そんな中、第二次長州征討がついに開始された。
幕府の再三にわたる要求にも応じず、五月の終わりを期限とした最後通告さえも無視したことで、第二次長州征討は不可避となっていたのだ。
幕府軍は当初、芸州口、石州口、大島口、小倉口、萩口の五箇所から攻める計画を立てていたけれど、萩口を担当するはずだった薩摩藩が早い段階から出兵拒否を表明、これによって萩口への攻撃を断念、残る四方面から攻めることとなった。
そんな薩摩藩の参加拒否に追従する藩も多く、禁門の変では互いに味方として戦ったはずの会津と薩摩の仲も、今となっては一触即発といってもいいほど最悪な状態になっている。
そうして迎えた六月七日。ついに大島口で戦端が開かれたのだった。
一方、京では
新選組は今回も長州征討へ呼ばれていないので、
たくさんの人で賑わう中、沖田さんに腕をしっかりと掴まれて歩く斎藤さんが、若干鬱陶しそうに口を開いた。
「沖田、いい加減離れろ」
「え〜。だって一くん、こっそり居なくなろうとか考えてませんか〜?」
「問題ないだろう」
「駄目ですよ〜。祭りは大勢いた方が楽しいんですから」
更に腕を引く沖田さんに対して斎藤さんは素っ気ない態度や言葉を返すけれど、その口元はほころび、本気で嫌がっているようには見えない。
そうして甘味が売っている店に着くと、みんなで手頃なお団子を注文した。ふと、おはぎを巡って“負けろ”“負けない”などと、にやにやしながらやり取りをする店主と客が目に入った。
そんな私の視界を遮るように、藤堂さんが覗き込んでくる。
「じーっと見てるけど、長州おはぎも食べたいの?」
「長州おはぎ?」
確かに美味しそう……って、おはぎより、やり取りの方が気になって見ていただけなのに!
ところで、長州おはぎって? 普通のおはぎと何が違うのか訊いてみれば、みんなが不思議そうな顔で私を見た。
「甘味が好きなくせに知らんのか」
「アンタってホント面白い」
「春くんはいつも団子か大福ですからね〜」
「お、沖田さんだっていつもお団子じゃないですか!」
咄嗟に反論するも、藤堂さんが笑いながら説明してくれる。
長州おはぎとは、お盆の上におはぎ三つを三角形に並べ、その向こうにお箸を横一文字に置いたもので、その形は長州藩藩主毛利家の家紋“一文字三星”を表しているらしい。
おはぎはずばり城下町である萩を意味していて、売り値は石高三十六万石から取って三十六文。買う時には客が“負けてくれ”と言い、店側は“負けられん”と言うのがお決まりなのだとも。一銭と一戦をかけて、“長州は一戦も負けない”ということを意味しているらしい。
さすがは長州贔屓の町……。
「最初の長州征討の頃にかなり流行ったんだけど……知らなかったんだね」
そう言うと、藤堂さんは慰めるかのようにぽんぽんと私の頭を撫でるのだった。
お団子を食べ終えると、それぞれ目につくお店にふらりと立ち寄りながら、みんなでぶらぶらと歩いた。
ふと、お祭り定番の射的なのか、
……って。
「弓!?」
思わず足を止め、声まで上げれば沖田さんが言う。
「
「やば?」
どうやら弓を使った射的で、見事
江戸の方では
射的なんてコルク銃しか知らないし、弓なんて触ったことすらないけれど……面白そうなので挑戦してみたい。
私が頷くより先に藤堂さんがみんなに勝負を持ち掛ければ、斎藤さんが不思議なことを確認する。
「それは、
「当然」
ただの的あてに純粋も何もない気がするけれど……なんて考えている間に、ただ当てて景品をもらうだけではつまらないからと、なぜか外した人は当てた人の言うことを何でも一つきく、というおまけがついた。
弓を持つのは初めてだと反論するも、三人は取り合ってくれない。
「誰でも最初は初めてですよ〜」
そりゃそうだろう。
「春は勝てる勝負しかしないんだっけ?」
そんなことはないけれど!
「諦めろ」
……。
ああ、もう!
「わかりました!」
こうなったら目にもの見せてやる! 目指せビギナーズラック!
先陣を切ったのは言い出しっぺの藤堂さんだった。
矢を番え、どこか幼くも整った顔の横で弓を引くその姿は、素人の私が見ても思わず息を飲んでしまうほど綺麗だ。
シュッと放たれた矢は、見事
矢場女が舞うようにして矢を集めるけれど、時折私たちへ向けられる視線もその動きも、どことなく
次いで矢を放ったのは斎藤さんだった。
弓矢を手にしてからの流れるような所作は、繊細なのに力強く、一つ一つの動きに一切の無駄がなくて斎藤さんらしい。
顔色一つ変えず当たり前のように命中させれば、矢場女の舞も視線もさらに艶を帯び、わざとらしく足をちらりと見せてきた。
沖田さんの番になると、子供のようにはしゃぐその姿は、構えも二人に比べると少々拙い印象を受ける。
すかさず矢場女が寄ってきて手ほどきしようとするけれど、沖田さんはどこかよそ行きの冷たい笑顔であしらい、直後に矢を放った。
外すと思った矢は見事
そしていよいよ大トリ、私の番になった。
三人は見事
とはいえ、弓も矢も手にするのは初めてで、見様見真似でやってみるもきっと沖田さん以上に拙かったのだろう。
見兼ねて寄ってきた矢場女が手ほどきしてくれるけれど、やたらと身体を密着させてくるのは気のせいだろうか……。
弓を持つ私の手には矢場女の手が重ねられ、もう一方の手も同様にしっかりと握られている。気がつけば、後ろから抱きつかれているような格好だった。
こうしてな……と耳元で囁かれる言葉はやけに甘ったるくて擽ったくて、何となく遊女のそれっぽい……。
「顔赤うして可愛らしい」
「あ、あの……」
「あちらの御三方も素敵やけど、あんたが一番好みや」
「は、はい?」
「当てたら裏へ行くやろう?」
そう耳元で囁やかれた瞬間、女性の今までの様子といい察しがついた。
おそらく、的に当てた景品にこの女性も含まれているのだろう。
「やっぱり知らなかったんですね〜」
そんな沖田さんの声で確信すれば、斎藤さんが言っていた“純粋な的あて”にも合点がいく。
つまり、的に当てれば女性に店裏へと連れ込まれ、外したら外したで、素敵な御三方の言いなりにならなければいけない、と。
どっちも嫌なのだけれど!
……って、矢場女の手ほどきに翻弄され、動揺する最中に矢を放ってしまった!
惜しくも矢は的から少し外れ、その瞬間、私の一人負けが確定した。がっくりとその場に崩れ落ちそうになるも、矢場女が甲斐甲斐しく私を支えるなり、おまけや、と耳元で囁き私を店裏へと促す。
直後、ようやく止めに入る気になったのか、
「こいつは返してもらう」
「矢は外れたでしょ」
「僕らのなんで、勝手なことしないでくださいね〜」
僕ら……の?
一人負けの私をどんだけパシリに使う気なのか……。とんでもなく面倒なことを要求されそうで怖すぎる!
そんなことより……。
三人分の力は思った以上に強力で、勢いを失うことなく藤堂さんを下敷きにして倒れ込み、押し倒したようにしか見えない格好になってしまった。
慌てて飛び退こうとするも、矢場女が黄色い歓声を上げながら叫んだ。
「動いたらあかんっ!」
「は、はいっ!」
つい素直に従ってしまったけれど、矢場女を見れば、両手で顔を覆いながらも指の隙間からしっかりとこちらを覗き見ている……そして呟いた。
「男同士、ええ……」
……え? ま、まさかの腐女子? 目覚めちゃった!?
この時代にもいわゆるBL好きがいたことに驚くけれど、何かのスイッチが入ったらしい矢場女改め幕末腐女子が、さらにあーしろこーしろと要求し始めた。
藤堂さんに視線を落とせば真っ赤な顔で私を見上げている。
「と、藤堂さん? もしかして男色だったんで――」
「そんなわけないでしょ!」
全力で否定しながら突然起き上がるもんだから、今度は私の方が後ろへと倒れかける。衝撃に備えるも、私の背中を支えたのは沖田さんの腕だった。
そのまま力強く引き上げられたかと思えば、立ち上がった途端なぜか後ろから抱きつかれた。
「お、沖田さん!?」
「じっとしててください」
み、耳元で喋らないでってば!
じたばたすればするほど、面白がってさらに力を込め囁いてくる。
「その人も、こういうのが見たいって言ってたじゃないですか〜?」
「だ、だからって素直に従う必要ないじゃないですか!」
「だって春くんの反応が面白いですし。それに、外した人は当てた人の言うことを何でも一つきく、でしたよね〜?」
「なっ……」
お、沖田さんめっ!
完全に楽しんでいるだろう!
抜け出そうと足掻いていると、幕末腐女子が今度は斎藤さんを指名する。
次の瞬間、思いきり腰を引き寄せられた。
「さ、斎藤さんっ!?」
「何だ?」
「何だじゃなくて!」
近い! 近すぎるから! 今度は向かい合わせで顔が見える分、余計に恥ずかしいからっ!
「的を当てた奴は外した奴を、存分にからかっていいらしいからな」
何か違う! 広義では間違っていないかもしれないけれど、みんな都合よく解釈し過ぎ!
斎藤さんの片手が頬に触れた途端、幕末腐女子が再び叫んだ。
「あかん、もう無理や! 見たいけど見られへん!」
何やら一人葛藤するも、真っ赤になった顔を完全に手で覆っている。
色々突っ込みたいのを我慢してまずは斎藤さんから抜け出すと、三人まとめて店の外へ連れ出した。
そのまますたすたと先を歩きながら、後ろをついてくる三人を振り返る。
「もう、三人の言うことはききましたからね! これ以上の要求は受けつけません!」
「仕方がないですね〜」
素直に納得した沖田さんに続いて、斎藤さんがにやりと口の端を上げた。
「景品を貰い損ねたがいいのか?」
「ああ、そういえば……。って、私はどうせ外したからもらえませんし!」
そんな会話をする中、藤堂さんが不満そうな顔で口を開いた。
「春、オレはまだ何も要求してないんだけど」
「えっ、あー……。わ、私に押し倒されたのであれでお終いです!」
「ちょ、何それ。理不尽!」
「気のせいです!」
思い出したら、何だかまた恥ずかしくなってきた……。
赤くなっているであろう顔を見られまいと歩調を早めれば、私の機嫌を損ねたと勘違いしたらしい三人が甘味をご馳走してくれると言い出した。
別に怒ってはいないけれど、せっかくだから、普段は食べないちょっと高価な甘味を要求するべく、さっそく甘味屋へと向かうのだった。
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