209 慶応二年、七夕

 七月の上旬。

 日中は相変わらず暑いけれど、夕方ともなればヒグラシや秋の虫の音が混じるようになり、朝晩は日に日に過ごしやすくなりつつある。


 よく晴れたこの日も、朝から沖田さん率いる一番組に同行しての巡察を終え屯所へと戻れば、途中に通りがかった境内の方から、私たちを呼ぶ子供たちの声が聞こえた。

 見れば、集まって何かをしているらしい子供たちが、笑顔で手を振ったり手招きをしている。


「総司兄ちゃん!」

「春兄ちゃんも! こっちで一緒にやらへん?」


 屯所はもうすぐそこだけれど、帰営中とはいえ一応はまだ隊務中。巡察隊を置いて向かって行きそうになる沖田さんを捕まえつつ、少しだけ待っててね、と子供たちに言い置いた。

 不満そうな沖田さんを引きずり一度屯所へ戻ってから、再び揃って屯所を出る。すぐさま子供たちのもとへ行けば、近くには笹竹があり、色とりどりの紙で笹飾りを作っているところだった。


「明日は七夕やん? そやさかい、兄ちゃんたちも一緒にやろ?」


 子供たちの笑顔は太陽に負けないくらい眩しくて、沖田さんと揃って頷き合い、差し出された色紙を受け取った。




 お馴染みの吹き流しや網、提灯なんかを作って笹竹に飾り付けていけば、そろばんや硯、スイカを模した張りぼてなんかも飾ってあることに気がついた。

 そろばんや帳面は商売繁盛、筆や硯は習字の上達、スイカは豊作にひょうたんは無病息災と、それぞれちゃんと意味があるらしい。


「網は何かわかりますか?」


 丁度網を飾り付けていたからか、私の手元を指差しながら沖田さんが訊いてきた。


「網ですし……大漁を祈願とかですか?」

「お〜、正解です。じゃあ、これは?」


 そう言って、沖田さんは手にしていた吹き流しを顔の横で揺らしてみせた。

 そういえば、似たようなのがこいのぼりの一番上にもあったっけ。ただの飾り程度という認識で、意味を考えたことはなかったけれど。


 訊けば、吹き流しには魔除けの意味があるという。

 そして、七夕の吹き流しは魔除けともう一つ、織姫の織り糸を表していて、機織はたおりが上手になりますようにという願いが込められているらしい。


紙衣かみこも同じような感じで、裁縫の上達と着るものに困らないようにという意味があるんですよ」

「なるほど」


 七夕は幼いころからなじみのある行事なのに、まだまだ知らないこともあるんだなぁと思っていれば、よしよしと頭を撫でられた。

 きっと、大八車に轢かれて記憶がないせいだと思っているに違いない。

 沖田さんめ……。




 たくさんの笹飾りで装飾された立派な笹竹が完成すると、子供たちの満足そうな笑顔に別れを告げた。

 屯所へつけば、去年、笹竹を括りつけた柱を見上げて立つ永倉さんの後ろ姿があり、その足元には大きな笹竹もある。

 私たちに気づいた永倉さんが、ゆっくりと振り返った。


「おう、やっと帰ってきたか」

「この笹竹どうしたんですか?」

「去年楽しそうにやってただろう? 今年もやるかと思ってな、笹竹売りを見かけたから買ってみたんだ」


 すでに色紙や短冊も用意してくれているらしく、外廊下の一角に座り込み、さっそくみんなで作業に取り掛かった。

 まずは短冊からとなり筆を取れば、沖田さんが覗き込み悪戯っぽく訊いてくる。


「少しは上達しましたか〜?」

「もちろんです!」


 去年の七夕で書き方がおかしいと笑われて以来、時々絵草紙を読むようにしていたしね!

 さっそく自信満々で一気に書き上げてみるけれど、またしても沖田さんに吹き出された。


「去年とあまり変わってませんね〜」

「そんなはずは……って、ああっ!」


 “みんな仲良く出来ますように”、そう書いたのだけれど。


 確かに去年と何も変わっていない。おまけに字も汚いまま……。

 よく考えたら、絵草紙のひらがなが少し読めるようになった程度で、書く方の勉強は何一つやっていない。

 そりゃ、進歩するはずがない……。

 がっくりと落ちた肩を、永倉さんにぽんぽんと叩かれた。


「じゃあ、今度は俺が書くかな」


 そう言って、大げさに気合を入れて筆を取れば、さっき同様沖田さんが覗き込む。


「何て書くんです〜?」

「まあ、見てろって」


 永倉さんは情勢にも凄く詳しいし頭もいい。そんな人の書く文字は絵草紙と違って読める気がしないけれど、私も一緒になって覗き込む。

 細長い短冊の中央に力強く筆を下ろし、さっと書き上げた。

 そこに書かれていた文字は……。


「……酒?」

「おう。上手い酒が飲みたいだろう?」


 笑顔で同意を求めてくるけれど、もっとこう、土方さんが書くような複雑な文字の羅列を想像していただけに正直拍子抜けだ。

 しかも酒って……。


 そんな様子が伝わってしまったのか、それなら……と気を取り直した様子で再び短冊に手を伸ばせば、今一度、沖田さんも興味津々な眼差しで覗き込む。


「新八さんはこう見えて賢いですからね〜。期待してます」

「こう見えてってどういう意味だよ!」


 茶化す沖田さんに笑って突っ込むと、今度も力強く筆を走らせる。

 書き終えるなり、どうだ、と自信満々に掲げた。


「長州征討の真っ最中だからな、これしかないだろう」


 豪快に書かれていた文字は……“勝つ”。


 物言いたげな沖田さんを無視して、永倉さんはさらに言葉を続ける。


「早く呼んでくれりゃいいんだけどな。俺らはいつだっていくさに行くさ! なんちって」

「……」


 まだ立ててもいない笹竹が、風に吹かれさらさらと音を立てた気がした……。

 そんな空気を打ち消すように、永倉さんが沖田さんの背中をぽんと叩く。


「ま、いいんだよ、こんなもんで」

「駄洒落や書き方はともかく、内容は新八さんらしいですよね~」

「わかりやすくていいだろう?」

「じゃあ、僕もっと」


 そう言って永倉さんの持っていた筆を取ると、短冊も一枚取り迷いなくその中央に筆を下ろす。

 一文字目に書かれた“団”の字を見るなり、永倉さんが興奮ぎみに声を上げた。


「団結か? 総司もなかなか良い言葉を書くじゃないか」


 けれども続けて書かれた文字は“結”ではなく……。


「団子……ですね」

「団子、だな……。まぁ、総司らしいっちゃらしいか」

「あとは、こんなのどうです~?」


 そう言って、沖田さんは“大福”とか“甘味”という短冊も追加した。

 書き終えるなり再び私に筆を回すから、私も二人を真似て単語だけの短冊を作ってみる。

 そのあとは飾りを作ったり、通りがかる隊士たちも手伝ってくれたおかげであっという間に完成すると、去年同様軒下の柱に括りつけた。

 三人で飾り付けられた笹竹を見上げていれば、後ろから近藤さんと土方さんの声がした。


「おお、そういえば明日は七夕だったな」

「お前ら、今年もやってるのか」


 もちろんですよ~、と沖田さんは満面の笑みで振り返り、土方さんだけを指差した。


「外見も中身もの土方さんと違って、僕らの心はいつまでも純真無垢なままですからね~」

「邪気に満ちた顔で何言ってやがる」

「嫌だな~、妬まないでくださいよ」

「ちげぇよ!」


 やいやいと二人が言い合いを始める横で、永倉さんに勧められた近藤さんが短冊を書き始めた。

 すぐに書き終えたようで、出来たものを笹竹に括りつける時に訊いてみる。


「何て書いたんですか?」

「ん? 近頃は簡潔に書くのが流行りみたいだからな、“勤勉”と書いてみた」

「何だか近藤さんらしいですね!」

「そ、そうか?」


 どこか照れたように笑窪を作るも、気をよくしたのか上機嫌でさらに短冊をしたためた。

 追加で書いたのは、“努力”“活動”“発展”などの文字だった。


 どれもこれも近藤さんにぴったりな言葉だと思うけれど、手伝ってくれた他の隊士たちまでなぜか単語だけという短冊を書いていったせいか、笹竹でなびく短冊はどれもこれも単語で書かれたものばかりで、一見流行りのようにもみえる。

 まぁ、流行っているのはこの屯所の中だけだけれど。

 それでも……笹竹を見上げる近藤さんの横顔が余りにも嬉しそうに大きな笑窪を作っていたので、黙っておくことにした。


 しばらくして、ようやく休戦したらしい二人が側へやって来ると、笹竹を見上げるなり土方さんが私の頭を小突いた。


「お前が書いたの当ててやろうか?」

「わかるんですか?」

「あれだろ?」


 そう言って指を差した先には、“平和”と書いた短冊があった。

 あんなの書くのはお前くらいだ、と言って笑うけれど、書いた内容を当てたことよりも、この数の中から簡単に見つけてしまったことに驚いた。

 どこに飾ってあるのか、私もまだ見つけていなかったから。


「ところで、揃いも揃っておかしな書き方は、どうせお前のせいなんだろう?」

「なっ、違いますよ!」


 咄嗟に永倉さんを見つめるも、すっと視線を逸らされた。

 あげく、何食わぬ顔で話まで逸らすように筆と短冊を土方さんに差し出した。


「みんな書いたんだ。土方さんもどうだ?」

「俺はいい」


 どうやら今年も書かないらしい。

 受け取らない土方さんに代わって、沖田さんが受け取った。


「特別に僕が代わりに書いてあげますよ〜」

「待て。お前に任せたらろくなこと書かねぇだろうが!」

「酷いな〜。ぴったりの言葉を書いてあげますよ〜」


 言っても無駄だと悟ったのか、土方さんが諦めたように大きなため息をつく。

 沖田さんがにこにこしながら短冊の中央にしたためた文字は……。


「鬼……」


 さすがは沖田さん、期待を裏切らない。


「不満です? なら、“豊玉ほうぎょく”にでもしときます〜?」

「てめっ。おい、総司!」


 休戦したはずの戦が再開すると、近藤さんも永倉さんも一斉に吹き出した。

 そのうち笹竹の周りで追いかけっこが始まれば、そんな平和な光景を見守るかのように、初秋の風がそよそよと笹の葉を揺らしいていくのだった。

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