187 境内での調練

 昼餉を終えのんびりと外廊下を歩いていれば、先を歩く島田さんの大きな背中が見えた。

 身体が大きな島田魁しまだ かいさんは、相撲が強く“力さん”なんてあだ名がついているけれど、甘いものが大好きで、去年の冬には糸が引くほど甘いお汁粉を作って食べさせてくれた。

 甘過ぎて食べられない! とみんなは言っていたけれど、私としては是非ともまたお裾分けに預かりたいと思っている。


 そんな島田さんは、先月内々で祝言をあげたばかりの新婚ほやほやだ。あんなにも甘いお汁粉が大好きだから、きっと新婚生活も甘々に違いない……なんて勝手な妄想をしながら歩いていると、突然、近くで花火でも打ち上げたのかと思うほどの大きな音がした。


 そういえば、今日は九日だっけ。

 市街戦や室内戦の多い新選組は、刀や槍を使った訓練も当然しているけれど、去年の禁門の変以降、大砲や銃を使った訓練にも随分と力を入れるようになった。

 その調練の日が月に六回、四と九のつく日にここ西本願寺の境内で行われていて、まいどまいど遠慮なく空砲をぶっ放している。


 空砲とはいえ大きな音がするし、大砲なんかは音だけでなく振動も伝わるので、この間は屋根瓦の一部が落っこちた……。

 西本願寺側は相当迷惑しているらしく、おちおちお経も上げていられない! と言ったかどうかはわからないけれど、さすがに我慢の限界だったのかわざわざ会津藩に苦情を入れたらしい。


 そんなわけで、今日はこのあと土方さんとともに壬生寺へ行くことになっている。

 今後の調練場所として使わせてもらえるよう、お願いに上がるらしい。

 使う使わないは別として、いい加減扱い方くらいは知っておいた方がいいのかな……なんて思いながら、少し境内の様子を見に行ってみることにした。




 境内では、隊士たちが掛け声に合わせて爆音を放っていた。

 その様子を少し離れたところから見ていたら、後ろから誰かに肩を叩かれた。


「こんなとこで何してんだ?」

「わっ! な、永倉さん!? 驚かさないでくださいっ!」

「すまん。そんなつもりはなかったんだが……」


 若干しゅんとした面持ちで頭の後ろを掻くけれど、何か閃いたように隊士たちの方を指差しながらにやりとした。


「たまには参加したらどうだ? 弾だけに。なんちって」


 木枯らしが、落ち葉を転がしながら吹き抜けた……。

 気を取り直して、銃を持つことを躊躇しているのだと伝えれば、なるほどな、と納得してくれた。


「確かに、春なら刀一つでどうとでもできそうだからな」

「それに……銃って遠くから相手の顔もまともに見ないまま、指先一つで命を奪えちゃうじゃないですか……。何かズルいというか嫌というか……」

「春らしいな。そこいらの奴より逞しいうえに、よっぽど武士らしい」


 そう言って、笑いながら頭を叩くように撫でられた。

 逞しいうえに武士らしい? 私の女らしさはどこへ置き忘れてきたのやら……。


「まぁ、俺も銃なんてと思っちゃいるが、こんな時世だ。やっぱり戦う術は多いに越したことはないぞ。威嚇だってできるしな」

「威嚇、射撃……?」

「ああ。それで相手が引けば、無駄な戦闘も避けられる」


 やっぱり、扱い方くらいは知っておいた方がいい気がして、このまま教えてもらうことにした。


 使うのはゲベール銃と呼ばれる小銃で、弾と火薬はともに銃口から槊杖さくじょうと呼ばれる細い鉄の棒で突き入れる。

 連射なんてできず、一発撃つごとに同じ動作を繰り返さなければいけないので、はっきり言って手間も時間もかかる。

 永倉さん曰く、命中精度もあまり良くはないらしい。


 一通り教わると、いよいよ銃を構えた。もちろん、今回実弾は入っていない。

 初めて刀を手にした時、初めて真剣を人へ向けた時のようなピリピリとした痛みが身体中を駆け巡るのを感じながら、恐る恐るその引き金を引いた――


 緊張からの開放と反動で思わずその場にへたり込むも、思いのほかあっさりと引けた自分に少し驚いた。

 それでもやっぱり、空砲であること。何より、銃口の先には誰もいないこと。それが一番大きな理由だと思う。


 その後もしばらく教えてもらい、出かける頃合いを見計らって部屋へ戻れば、ちょうど書き物を終えたらしい土方さんが、ちょっと来い、と文机に広がる紙を見るよう手招きした。


「何ですか? それ」

「長州征討へ向けた行軍録だ」

「行軍録? あれ……それって前にも書きませんでしたっけ?」


 確か前回の長州征討の時も、いつ呼ばれてもいいようにと作っていたはず。結局、新選組が長州へ行くことはなかったけれど。


「あれからまた人数も増えたから作り直した。だが、せっかく呼ばれても動けねぇんじゃ意味がねぇからな。調練ももっと気合い入れねぇとな」


 どうやら二度目の今回こそは、と意気込んでいるらしい。

 幕府の呼び出しに全く応じない長州を討つ、と大樹公が上洛してきたのが閏五月の末だけれど、今はもう九月。

 天子様ご自身が渋っているのか周りの公家さんたちが渋っているのか、二度目となる今回の長州征討の勅許はいまだおりていない。

 どのみち、また今回も行かないんじゃ……と心の中で思っていたら、思いっきり睨まれた……。




 予定通り壬生寺へ着くと、境内で遊んでいた子供たちに囲まれた。


「春兄ちゃん! 総司兄ちゃんは一緒やないの?」

「うん、ごめんね。今日は遊びに来たわけじゃないんだ」


 途端に不満の声が上がる中、一番小さな子がじーっと私を見ながら袖を引っ張ってきた。


「春兄ちゃん……一緒に遊ばへんの?」


 ああ……そんな悲しそうな目で訴えられたら断れないよ……。

 ゆっくりと視線を移して土方さんを見上げれば、仕方がねぇな、と笑われた。


「どうせ交渉すんのは俺だ。お前はここで待ってろ」

「はいっ!」


 目の前の小さな顔がぱあっと花開けば、つられて周りの子供たちも笑顔を取り戻す。


「ほな、今日は鬼ごっこや。春兄ちゃんが鬼やで。みんな逃げるでー」

「よ~し、いくよー! い~ち、に~い、さ~ん……」


 さっきまでの不満顔はどこへやら、笑顔の子供たちと一緒になって境内を走り回るのだった。




 すんなり交渉成立とはいかなかったのか、土方さんが出て来た頃にはすっかり夕焼け空だった。

 肝心の交渉は細かい条件や注意事項をいくつか出されたものの、無事に許可を得られたようで次回からの調練は壬生寺で行うらしい。

 名残惜しそうにする子供たちに、今度は沖田さんも連れてくることを約束し、帰宅を見届けてから私たちも帰路へついた。

 そろそろ屯所が見えてくるというところで、随分と慌てた様子で家財道具まで持って逃げる人たちとすれ違った。


「何かあったんですかね?」

「わからねぇ。とりあえず急ぐぞ」

「はい!」


 揃って駆け出すも、土方さんを置いて先についてしまった。

 なぜか屯所の周りをたくさんの武士が取り囲んでいて、すぐには中へ入れそうもない。ざっと見ても七、八十人ほどはいて、よくみれば大砲まである。

 ただならぬ雰囲気に、早く状況確認をするべく強引にでも屯所の中へ入ろうとすれば、後ろから強く腕を引かれた。


「馬鹿っ! この状況で真正面から突っ切ろうとしてんじゃねぇ! 何かあったらどうすんだ!」


 た、確かに、もの凄く殺気立っている気がするけれど……。そうはいっても、中に入らなければ状況が掴めそうにない。

 どうしたものかと考え込めば、腕を掴んでいた土方さんの手が、今度は手を握って走り出した。


「こっちだ。裏から回って入るぞ」

「え、あ……は、はい」


 って、いくら人が多いとはいえ、さすがにこの距離で迷子になったりはしないのに。

 むしろ走って来たし、手汗をかいていたらどうしようとか、何だかわけのわからない変な心配をしてしまった。


 何とか屯所の中へ入ると永倉さんがいて、土方さんがすぐさま状況を訊き出した。

 どうやら巡察中の隊士が肥後藩士四人と口論になり、そのまま屯所へ連行して来たらしい。それが気に入らなかったのか、肥後藩士が大勢押し寄せて来ている……という状況なのだと。

 伊東さんの助言もあって、連行してきた四名はすでに開放したというけれど、こうしてまだ包囲したままなのだという。


「ところで、あの……土方さん?」

「何だ?」

「これはいつまで……? さすがに屯所の中で迷子になったりはしませんが……」

「は?」


 もの凄く訝しがられるも、私が手元に視線を落とした瞬間バッと勢いよく振り解かれた。

 同時に、永倉さんが苦笑する。


「お手々繋いでご帰還とは、また随分と仲が良いな」

「ばっ、ちげぇよ! この馬鹿があの包囲網を正面突破しようとするから、裏から掻い潜るのに手を引いただけだ。鈍臭ぇからな!」

「ちょ……馬鹿とか鈍臭いとか! 鈍臭くはないですからね!? 土方さんよりも先に屯所へつきましたし!」

「そうかそうか。だが、馬鹿は否定しねぇんだな?」

「なっ……否定も何もバカじゃないですし! バカとか言う方バカだと思いますが!」

「んだとっ!」


 そんな小学生並みの攻防を始めるも、痴話喧嘩ならあとでやってくれ、と永倉さんが少し呆れたように割って入った。

 そういうのじゃないし! と揃って永倉さんを見つめるも、土方さんはわざとらしく咳払いを一つして、何事もなかったように腕を組んだ。

 切り替え早っ!


「すでに開放済みなんだろう? 同胞が連行されたのが気に食わねぇんだろうが……まぁ、それだけじゃねぇんだろうよ」


 去年の池田屋で、同じ肥後藩士の宮部鼎蔵みやべ ていぞうを殺されたから……いや、正確には自害したのだけれど、その腹いせにここぞとばかりいまだ包囲しているのだろうと言う。

 だとしたら、このままでは拉致が明きそうにない。

 勝手に押し寄せてきたのは向こうだけれど、逃げ出した近隣住民までいたし、またか……という目で見られるのはおそらく新選組の方だ。これは、早々にお引き取りを願いたいところ。

 そういや、と永倉さんが私を見た。


「覚えたての銃で威嚇射撃でもしてみたらどうだ?」

「え……私ですか!? め、命令とあらばやりますが……」


 威嚇射撃であれば空砲で充分だろうし、人へ向ける必要もない。せっかく扱い方を習ったのだから、復習を兼ねるのも悪くはない。

 何より、中途半端に終了した言い合いはもやもやしたままで、一発撃ってみればすっきりするかもしれない。

 ……というのは冗談だけれど、土方さんが笑いながらおでこを弾いてきた。


「馬鹿、本気にしてんじゃねぇ。んなことして、本当の戦にでもなったらどうすんだ」

「すまん。本気にするとは思わなかった」


 どうやら本当に冗談だったようで、永倉さんは必死に笑いを堪える顔で肩をぽんと叩いてくる。

 無駄にデコピンされたのだけれど、やっぱり一発ぶっ放しておく!?


 結局、騒ぎを聞きつけてやって来た会津藩や肥後藩の偉い人たちが説得にあたり、肥後藩士たちは大砲ごと引き上げ事なきを得たのだった。

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