188 吉報とおまじない
昨日、大坂城に滞在していた大樹公が上洛した。
新選組もその警護などで少し忙しかったけれど、一夜明けた今日の私は非番だったので、ゆっくりと朝餉をとってから広間を出た。
九月の中旬。
旧暦と新暦ではズレがあるうえに、今年は閏月を挟んだので一年が一ヶ月も多い。
外廊下から見える外の木々は随分と色づいていて、朝晩の冷え込みも日に日に増している。おそらく、新暦に直せばもう十一月頃だと思う。
吹き抜けた風の冷たさに肩を竦ませれば、からからと落ち葉が転がる先から出勤してくる原田さんの姿が見えた。
「おっ、春か。丁度いい所に。あのな……その……」
側へやって来るなり何か言いかけるも、はっきりとしないその態度はいつもの原田さんらしくない。
何かあったのかとつい急かしてしまえば、実はな……と観念したように呟いた。
「できたかもしれねえ……」
「……へ? 何ができたんですか?」
「いや、だからその……ガキがな、できた。まさの腹――」
「あ、赤ちゃんですか!?」
「お、おう」
これは朝から嬉しい報せ!
照れたように頭の後ろに手を当てる原田さんに、肌寒さなんて吹っ飛ばすほどのお祝いの言葉を告げれば、やっぱりおまさちゃん本人にも直接伝えたくなる。
丁度非番だし、今日はおまさちゃんに会いに行くことにした。
原田さんとおまさちゃんが住む家は、屯所から近いところにある。
お昼を過ぎてからゆっくりと訊ねれば、おまさちゃんが笑顔で出迎えてくれた。
「原田さんから聞いたよ! おめでとう!」
「うん。おおきに!」
頬を赤らめて照れるおまさちゃんは、私よりも年下だというのにもうどこか母親の顔に見える。
けれど、つわりなどもあるようで少しだけ痩せた気もする。今日はこのままお暇すると告げれば、おまさちゃんも一緒に外へ出ると言いだした。
「買い物に行くさかい、途中まで一緒に行ってええ?」
「必要な物があるなら、私が行ってくるよ?」
ゆっくり休んでて、とつけ加えるも、外にいる方が気分も紛れると言うので一緒に行くことにした。
「じゃ、荷物は全部私が持つから。それと、身体冷やさないようにちゃんと暖かい格好してね」
「なんや、旦那はんが二人になったみたいや」
そう言って照れ笑いするその姿は、普段から原田さんに大切にされているのだと容易に想像がつき、何だか私まで温かい気持ちになるのだった。
途中、お茶屋での休憩を挟みつつ、会話に花を咲かせながら必要な物を選んで買い足していく。
こんな格好をしていてもやっぱり女同士だからか、次から次へと繰り出される会話は尽きることがなかった。
「かんにん、おしゃべりに夢中になっとった。うちも持つで」
「これくらい大丈夫だよ。任せて」
両手で抱えるようにしてカゴを持ってはいるけれど、大した量は入っていない。
おまさちゃんたちの食事は屯所から三食とも運ばれているので、原田さんを満足させるほどの食材を買い込んだわけではなく、つわり中でも食べやすいという鍋に入れるための野菜や、水菓子を少し買っただけだった。ちなみに、水菓子とは果物のこと。
欲しいものは一通り調達し終え、家へ向かって歩き始めた時だった。
突然、口元を押さえたおまさちゃんが、道の端に向かいしゃがみ込む。野菜が転がるのもそっちのけで、おまさちゃんに駆け寄りその背中をさすった。
「だ、大丈夫?」
「うん。ちょい気分悪うなってもうただけ。すぐ収まるさかい……」
少しでも楽になればとその背中をさすっていれば、しばらくして、通りがかった一人の男性が散らばった野菜を拾いながら声をかけてくれた。
「どした? 気分わりいがか?」
「えっと……お腹に赤ちゃんがいて、つわりみたいです」
「おお、ほうか。けんど、おんしの奥さんなんやろう? 大事にせにゃいかんぜよ」
「え? いえ、違――」
ほら、と野菜や果物を入れたカゴをしゃがみ込んだままの私にどんと手渡した。
同時に、視界に入ったのは腰に差した刀。私を旦那だと勘違いした目の前の親切な人は、どうやら武士らしい。
ところで……。
「あの……どこかでお会いしたことありましたっけ?」
ただの寝癖か癖っ毛か、少しくるくるとした髪とその顔立ちは、どこかで見たような気がするのだけれど。
「ほうか? わし……わいは薩摩ん藩士じゃっどん、おんしを見ったぁ初めてじゃ思うど?」
何やら急に捲し立てるも、さっきより顔色が良くなったおまさちゃんが不思議そうに口を挟んだ。
「……薩摩? さっきまで土佐のお国言葉使うとった思うんやけど……」
「ああ、ほりゃあ……長かこと土佐のもんと一緒におったで移ったんじゃろ」
わはは、と豪快に笑いながらくるくるの髪を掻くと、ほんならもう行くき、と背を向けた。
ろくにお礼も言っていなかったことに気づき慌ててお礼を告げれば、歩き出していた背中がぴたりと止まり、にかっと笑顔を浮かべた顔で振り向いた。
「気にせんでええ。ほれより、奥さんに鍋でも食わしちゃるとええ。その葱入れた軍鶏鍋なんて最高に美味いぜよ」
……と、今度こそ行ってしまった。
「薩摩のお侍はんやのに、土佐訛りて。おもろい人やったね」
「本当だね。でも、何だか良い人そうだった」
そんな会話で再び盛り上がりながら、無事、おまさちゃんを家まで送り届けるのだった。
おまさちゃんの家を出て屯所へ戻るその途中、同じく帰るところだと言う藤堂さんに会った。
隣に並ぶなり、藤堂さんが訊いてくる。
「そういえばさ、少しは読み書きできるようになったの?」
「え、あー、えーっと……」
やろうやろうとは思いつつ、結局まだ何もしていない。
「だと思った。はい、コレ」
そう言って、藤堂さんは懐から一冊の本を取り出し私に手渡した。
「さっき貸本屋で借りてきた。
「ありがとうございます! 屯所へ帰ったら、さっそく読んでみますね!」
いきなり上手く読める気はしないけれど……少しずつでも読めるようになればいいかな。
そんなことを思っていたら、ひらひらと、目の前を色づいた一枚の葉っぱが落ちていった。
「ねぇ、今から紅葉でも見に行かない?」
「あ、いいですね。行きたいです!」
紅葉といえば例年は十月頃が見頃だと言うけれど、今年は閏月を挟んだせいか、暦上はまだ九月だというのにあちこちの木々が色づいている。
本を懐へしまうと、紅葉が綺麗だという東福寺へ向かうのだった。
東福寺の敷地内には
不意に、風に乗ってやって来たモミジに腕を伸ばすも、するりと抜けていった。
「何してるの?」
「目の前に落ちてきたんで、つい……」
半ば条件反射だったことを隠すように、“桜の花びらが地面につくまえに取れると願い事が叶う”というおまじないを思い出したのだと説明すれば、藤堂さんの目が輝きだした。
「それって、モミジでもいいの?」
「え、あ……。うーん……どうでしょう。聞いたことないです」
「何だ、残念」
そう言って大げさに肩を落としてみせるけれど、じゃあさ、と何やら閃いたような顔をした。
「どっちが先に捕まえるか勝負しない?」
「いいですよ」
さっそく境内へ移動すると、時折落ちてくるモミジにそれぞれ狙いを定める。
すぐに勝負はつくと思ったけれど、花びらと違って落ちるスピードが早く、これが意外と難しい。始めは会話をしながらだったはずが、お互いに真剣過ぎて気づけば無言になっていた。
そして、そんな静かな戦いに幕を下ろしたのは藤堂さんだった。
「よし! オレの勝ち」
見れば、自慢げな顔で捕まえたモミジを突き出している。
地味な勝負とはいえ負けは悔しいので、もう一戦申し込めば藤堂さんが即答した。
「もうお終い」
「なっ、勝ち逃げですか!?」
「ううん。おまじない」
「へ?」
「落ちる前に掴めたらさ、いいことがあるっていうおまじない」
そんなのあったっけ? と思わず首を傾げれば、藤堂さんがしれっと言い放つ。
「オレが今作った」
思わず吹き出してしまえば、藤堂さんは手にした赤いモミジを私に差し出した。
「あげる」
「え、でも……手放したりしたら、せっかくの運気が下がっちゃいませんか?」
「いいよ。幸せのお裾分け」
たった今作ったおまじないだけれど、“幸せのお裾分け”という素敵な言葉にありがたく受け取った。
しわくちゃにならないよう本の間に挟めば、藤堂さんが満面の笑みを浮かべて言う。
「とりあえず、今年はオレの勝ちだね」
「ええっ! これって年に一回の勝負なんですか!?」
「何回もやったら有り難みがなくなるでしょ」
「そ、それはそうかもしれないですけど……」
たった今作ったばかりとはいえ勝負は勝負。仕方がない……と一応の納得はするけれど、やっぱり負けたままというのは悔しいので……。
「来年は負けませんから!」
さっそく次戦の宣戦布告をすれば笑われた。
「アンタってホント面白い。ていうか、悪いヤツには騙されないように気をつけなよ?」
「だ、大丈夫ですし!」
何でいきなりそんなこと!?
藤堂さんは反論する私の頭にぽんと手を乗せたかと思えば、ひとしきり笑ってから目尻に溜まった涙を指で拭うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます