185 加護か呪いか

 七月の中旬。

 江戸での募集に応じて入隊した隊士数名が、また脱走した。おまけに今回は、名古屋のあたりで金策までしたらしく、伊東さんと島田さんがそれぞれ数名の隊士を連れ東海道と中山道にわかれ探索へ向かった。

 それから数日が過ぎた下旬には、商人から金策をしたという隊士が斬首となった。こちらは江戸から来た隊士ではないけれど、同じ頃に京坂で行った募集で入隊した人だった。


 春以降に入隊した隊士たちは、山南さんのことを知らない。

 知らないからこそ、どこか甘く見ていたりするのかな……。


 土方さんは相変わらず容赦なく厳しい対応をしているけれど、もし厳しくしていなければ、法度を破る人はもっといるのかもしれない。

 ただ、土方さんが厳しくすればするほどいつも寛大な処罰を望む伊東さんを慕う人が増えている気がして、とことん損な役回りだと思うのだった。




 暦が変わって八月にもなると、朝晩は一層涼しさを感じるほどになり、日中の暑さも随分と和らぐ日が増えた。

 そんなある日の昼下がり、蹴上にある奴茶屋の店の人が息を切らせてやって来た。どうやら店に二名の薩摩藩士が金策の強談に来ていて、手を焼いているのだという。

 ……つまり、いつもの押し借りか?


 だいぶ人数が増えたとはいえ、昼間は出払っている隊士も多く、今すぐに動けるのは五番組組長の武田さんだった。

 武田さんが六名ほどの隊士を率いて出動することになり、手の空いていた私も一緒に向かうことになった。

 支度を整え他の隊士らと外で待っていると、最後にやって来た武田さんが私を一瞥する。


「春。倒れて私の足を引っ張ってくれるなよ」

「……はい」


 武田さんには男色の気があるらしく、あろうことかの私に好意を寄せてしまい、危うく襲われかけるということがあった。

 ギリギリのところで助けが入り未遂に終わったけれど、あれ以来、こんな風に態度が百八十度反転した。

 好意を抱かれたままというのも困るので、もちろん全然構わないのだけれど……顔を合わせるたびこうして嫌味を言われている気がして、何だかなぁ……とも思う……。




 件の奴茶屋に着くと、入り口には今か今かと到着を待つように店の人が立っていて、すぐさま武田さんが現在の様子を聞き出した。

 通報にあった通り、二人の薩摩藩士がいまだ店主にお金を要求しているらしく、部屋の位置など詳細な確認を終えた武田さんがみんなに指示を出す。


「奴らはまだ我々に気がついていない。一斉に取り囲み押さえる」


 二人に対してこちらの人数は多い。いきなり刀を持って囲まれたら、普通は抵抗することなく大人しく捕まってくれる。

 ぐずぐずして気がつかれると逃げられたりと面倒なので、全員抜刀するなり武田さんを先頭に薩摩藩士がいるという部屋へ静かに向かった。


 男たちがいるという部屋の前に立てば、中からは強気で店主に迫る声が聞こえてくる。このまま突入するのかと思いきや、武田さんは隣に立つ私に視線を寄越し、先に行けと言わんばかりに顎で襖を指し示した。

 今の今まで先陣を切っていたわりには、直前で交代って……。

 そりゃね、万が一を考えたら、心眼を持っている私が適任であることは百も承知だけれど!

 どこかもやもやした気持ちを押し殺し無言で頷くと、襖に手をかけ深呼吸を一つ。最後に大きく息を吸い込み勢いよく襖を開け放った。


「新選――」

「新選組だっ! 手向かい致す者は容赦せんと心得よ!」


 ……と、私が名乗るより先に隣の武田さんが声を発した。

 だったら自分で先陣を切ればいいのに! と心の中で愚痴りながら横目で武田さんを見た次の瞬間、男二人は動揺した様子で慌てて立ち上がり抜刀した。同時に、店主が部屋の隅へと移動し縮こまる姿も確認した。


 誰が見たって人数も装備もこちらの方が優位だというのに、大人しく捕まる気はないらしい。

 よく考えたら、浪士でもないれっきとした藩士が金策をしただなんて、汚名以外の何物でもないしね。

 互いに刃を向け合う中、緊迫した僅かな沈黙を破ったのは相手だった。男の一人が襖を蹴破り隣の部屋へ移動、同時に武田さんが叫んだ。


「春っ! そいつを追え! 絶対に逃がすなよっ!」

「はいっ!」


 すぐさま逃げた男を追えば、部屋からの逃亡を阻止するべく数名の隊士も廊下側から追う。

 男はさらに襖を蹴破り部屋を移動していくけれど、ついには最奥の部屋まで追い詰めた。

 ほぼ同時に、背後から決死の雄叫びと共に金属と金属のぶつかる高い音が聞こえた。


「今すぐ刀を納めてくださいっ!」


 新選組は殺し屋集団なんかじゃない。抵抗されない限り捕縛を基本としている。こうして相手よりも多い人数で囲むのだって、もちろん戦闘を優位にするためでもあるけれど、早々に諦めさせるためでもある。

 それでも、中には抵抗してくる人もいる。今回も私の言葉は届かなかったのか、男が大きく振りかぶった。咄嗟に刀で受け流す体制を取るけれど――


 刀同士が触れる衝撃もなければ、そもそもこの距離でなら発動するはずの心眼が働いていない。

 予想外のことに心臓が嫌な鼓動を刻みだすけれど、同時に男が間抜けな声を上げた。


「……あ?」


 見れば振り下ろした男の手から刀が消えていた。

 室内での戦闘は天井が低いので突きでの攻撃が中心となる。この男のように動転して大きく振りかぶれば、天井や鴨居にあたってしまうからだ。

 男の刀も天井に切っ先が刺さったまま……宙ぶらりんの状態だった。


 すぐに男は天井から刀を抜こうとするも、深く食い込んでしまったのかなかなか抜けない。その隙に、隊士たちが男の退路を塞ぐように取り囲む。


「諦めて投降してください」

「うるせぇ!」


 男は天井から垂れ下がった刀を諦めるも、往生際悪く脇差に手を掛けた。

 束の間の緩んだ空気は一瞬にして再び張り詰めて、素早く抜かれた白刃が私の首を目がけて横へ薙ぎ払われた、その直後。




 ――――世界が、揺れた――――




 長引かせては、こちらの誰かが斬りかかってしまうだろう。

 相手が抵抗している以上、それは決して間違いではないけれど……。


 刃を返し、男の手を目掛けて強く打ちつける。

 世界が普通に回りだせば、男の手を離れた刀が畳の上にゴトリと重い音を響かせた。


 男が取り押さえられるのを確認して振り返れば、すでに戦闘を終えたらしい武田さんが、装備を所々赤く染めた姿でこちらへと向かってくるところだった。

 その手に握る刀は折れてしまったのか短い。その向こうには、ついさっきまで武田さんと斬り結んでいたはずの男が畳を赤く染めながら、ぴくりともせず横たわっていた……。


「そいつを屯所へ連行しろ!」


 隊士たちへ指示を出す武田さんが、どこか得意げな顔で私に折れた刀を見せた。


「こちらはやむを得ず斬ったが、刀を折られるほどの相手であった。春の方は……」


 そこまで言うなりわざとらしく天井からぶら下がる刀に視線を移し、嫌味ったらしく鼻で笑った。


「間抜けな相手だったようだな」


 まぁね……そこは否定しないし、“やむを得ず”というのも責めるつもりはないけれど。

 いちいち嫌味っぽいうえに、癇に障る物言いなのは何なんだろう……。




 その場で斬殺された男と屯所へ連行された男は、取り調べの結果薩摩藩士で間違いはなく、薩摩藩邸へと送還されることになった。

 その日の夜、自身の刀の手入れを終えた土方さんが、私の刀も持ってこいと手を出した。時々こうして、私の分も一緒にやってもらっていたりする。

 主に峰打ちばかりしている私の刀は、使用頻度のわりに刃は綺麗で、むしろ峰の方に傷が多いらしい。


「こんな使い方してよく折れねぇな」


 手際良く手入れをしていきながら、土方さんはいつもそう言って不思議がる。

 刀は消耗品なので、普通に使っていたとしても激しい戦闘ともなれば今日の武田さんのように折れたりする。もの凄く強いあの沖田さんだって、池田屋の討ち入りの時には愛刀を折っている。

 反りの入ったその形状から、峰に力が加わると普通に使うよりも折れやすい……というけれど、見ての通り私の刀は折れていない。


「芹沢さんにもらったものですし、芹沢さんの加護でも付いてるんですかね?」

「呪いか何かの間違いだろ」

「ふふっ。まぁ、そうかもしれないですね」


 思わず吹き出す私につられたのか、土方さんまで一緒になって笑うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る