184 慶応元年、七夕

 七月の上旬。

 晴れの日が続くこの日は藤堂さん率いる八番組と一緒に巡察に出たけれど、普段とは違うおかしな町の光景に目を奪われ、気づけば藤堂さんが私の顔を覗き込んでいた。


「春、大口開けてどうしたの?」

「あれ……何ですか?」


 そんなつもりはなかったけれど、口が開いていたとしても仕方がないと思う。

 だって、空に向かって竹が生えているんだもの!

 そりゃあ竹だしね、天高く成長もするだろうけれど、問題はそこではなく生えている場所! 屋根から生えているのだけれど!?


「何って、今日は七夕だよ」


 そういえば七月七日だ!

 確かに短冊や飾りがついていて七夕の笹竹みたいだけれど……なぜ屋根の上に?

 それも一軒だけではなく、たくさんの家の屋根から天高く笹竹が生えている……。


 藤堂さん曰く、六日の夕方にはこうして笹竹を飾るらしく、江戸でも当たり前の光景なんだとか。

 記憶が失いせいだね……とどこか悲しげな顔で勝手に納得されると、去年も同じような光景が広がっていたんだけどね、とも付け加えられた。

 去年の今頃は禁門の変など色々あったし、あの頃の私は後悔に囚われ下ばかり向いていたから、気がつかなかったのかもしれない。




 特に大きな問題もなく午前中の巡察を終えると、屯所へ戻るなり藤堂さんに太鼓楼へ連れて行かれた。

 そして、そこから見える外の景色に思わず呟いた。


「あっちこっちの屋根から生えてる……」


 何がって、もちろん笹竹が……。

 地上から見た光景にも驚いたけれど、こうして高いところから見る景色は衝撃的だけれど壮観だった。


「生えてる……って、アンタってホント面白い」


 屋根の上の物干し台なんかにくくりつけているだけだと、藤堂さんは笑いながら言うけれど。

 目線が上がった分、なおさら生えているようにしか見えないし!

 なんならもう、人工の竹林だよ!


 笑われつつも風に揺れる笹竹を眺めていれば、近くの通りを笹竹売りが通った。

 待ってて、と言い残して藤堂さんは出て行ってしまったけれど、しばらくして、購入してきたのであろう笹竹を手に太鼓楼の下へ戻ってきた。


「春、降りてきて。せっかくだしオレらもコレ飾るよ」

「はいっ!」


 急いで太鼓楼を降り二人で広間へ向かえば、短冊や色紙、筆を用意してさっそく飾り付けに取りかかる。

 時刻は丁度お昼時。昼餉を食べに来た隊士や、隊務の空き時間に立ち寄った隊士たちも手伝ってくれたおかげで、あっという間に完成した。

 笹竹を飾る前に道具の片づけをしようとしたら、藤堂さんに止められた。


「待って。春はまだ書いてないでしょ? はい、コレ」


 そう言って手渡されたのは、短冊と筆だった。

 あえて書かなかったのに……どうやらバレていたらしい。仕方なく受け取るも、つい本音がこぼれる。


「筆って、書きづらくないですか?」

「書きづらいって……筆以外に何かあるの?」

「えっ、あー……ないですね。たぶん……」


 シャープペンとかボールペンなんて、ここでは当然見たことがない。

 適当に誤魔化しながら何とか書きあげれば、藤堂さんが覗き込むなり首を傾げた。


「みん、な……仲……」

「見ないでくださいっ!」


 “みんな仲良くできますように”


 別に嘘を書いたつもりはないけれど、何だか恥ずかしい。伊東さんにも、事ある毎に突っ込まれるくらいだし……。

 そのうえやっぱり書きづらくて字も汚いから、胸の前で隠すように持っていたら藤堂さんが訊いてきた。


「変わった書き方するね。もしかして春、読み書き苦手?」

「……はい」


 この時代の書き言葉は、私の時代とは違って独特でわかりづらい。おまけに筆も使いづらい。

 とはいえ、この時代の識字率はかなり高いので、いい年をして読み書きができないのはちょっと恥ずかしい。

 苦笑して誤魔化せば、視界の上から現れた手に持っていたはずの短冊を引っ張られ、手からするりと抜けていった。

 短冊を追うように上向けば、視線の先で笑っていたのは沖田さんだった。


「本当だ。面白い書き方ですね〜」


 そうは言っても、私にとってはこれが普通だ。

 思わず反論しそうになるも、どうやら七夕の短冊に書く内容も私の時代とは少し違うらしく、手習いや和歌など芸事の上達を願うものなんだとか。

 

「まぁ、織姫と彦星の伝説にあやかって、出会いを願ったりもするらしいですけどね~? ああ、せっかくだから春くんも願ってみますか?」


 それじゃあ、と短冊をもう一枚取ると、横からは藤堂さん上からは沖田さんの食い入るような視線を感じながら書いてみた。


「できました!」


 短冊を持ち上げ披露すると、二人は揃って吹き出した。


「てっきり出会いを願うのかと思ったけど、確かに、今の春にはそっちの方がいいかもね」

「これは、本格的に手習いもみてあげないといけませんね〜」


 “読み書きが上達しますように”


 どうやら意味は通じたものの、若干複雑な気分になる。

 このままでは何だか悔しいから……。


「じゃあ、次はそれっぽい言葉で書いてみます!」


 気合い十分で新しい短冊に手を伸ばすも、藤堂さんはすっと短冊を遠くにどかし、沖田さんにはさっと筆を取り上げられた。


「出会いなんて願うようなものじゃないでしょ」

「そうですよ〜。願わなくとも、すでに出会ってるかもしれませんよ~」


 ……うん? 二人は何か勘違いをしている?

 出会いを願うとは一言も言っていないのだけれど。

 まぁ、どうせ上手く書ける気がしないしいいか……と、すでに片づけ始める二人を見ながら思うのだった。




 出来上がった笹竹は、勝手に屋根に生やしたら西本願寺の人に何を言われるかわからないし、そもそも作り的に無理そうだったので、仕方なく軒下の柱にくくりつけた。

 むしろ、私的にはこっちの方が馴染み深い。


 この日の夕餉は、そんな笹竹を眺めながら七夕らしく素麺を食べた。

 土方さんはお偉いさん方と会合らしく、近藤さんと共に出たきりまだ帰ってきていない。

 寝支度を終えても部屋は静かなままなので、もう遅いし今日はこのまま帰ってこないのかもしれない。


 いつも通りに敷いた二組の布団の一方に潜り込むも、今日に限ってなかなか眠りにつけなかった。

 夜風にあたって気分転換でもしようと部屋を出れば、せっかくの七夕なので、昼間飾った笹竹越しに天の川が見える外廊下の一角に腰を下ろした。


 昼間はそれなりに賑やかな屯所も、すでに寝ている隊士もいるから随分と静かで虫の音がよく聞こえる。

 今宵、上弦の月はすでに沈んでしまったけれど、その代わりとばかりに星がよく見える。余計な灯りがなく空気も澄んでいるからか、漆黒の空には大小無数の星が川を作っていた。

 あまりの綺麗さに思わず感嘆の声を漏らせば、不意に、強い風が吹き抜けていった。昼間とは打って変わって少し涼しくて、葉擦れの音に合わせて浴衣の上から両腕を擦った。


 七月の上旬。新暦に直せばおそらく八月……閏月を挟んだばかりだから、九月間近の八月かもしれない。

 けれど、コンクリートの建物もなければ大地はアスファルトに覆われてもいない。もちろん、温暖化も進んでいない。

 日中は暑いけれど、ここ最近の朝晩は随分と涼しさを感じるくらいだ。


 昼間、飾り付けをしていた時はあんなにワクワクしていたのに。

 今だって、頭上にはこんなにも凄い天の川が広がっているのに。

 夜だから? 少し涼しいから?

 ……一人、だから?


 そこはかとない寂しさを吐き出すようにつきかけたため息は、突然、肩に掛かるふわりとした感触と、どこか落ち着く仄かな香りに遮られた。


「まだ起きてたのか」


 見上げるように振り返れば、そこに立っていたのは土方さんだった。


「おかえりなさい。……と、ありがとうございます」


 肩に掛けられたまだ温かい羽織の端を掴んで告げれば、土方さんは私の隣に腰を下ろした。

 会合はそのまま宴へと変わったらしく、あとは近藤さんに任せて途中で切り上げて来たのだという。


「で、こんな時間にこんな所で何やってたんだ?」

「何だか眠れなくて、星を見てました」

「そうか。七夕だったしな」

「でも七夕って、夜でももっとワクワクする夏のお祭りじゃないですか? それなのに……」


 さっきまで無性に寂しい感じだったんです、と一度は引っ込んだ朧気な疑問をぶつける前に、星を見ていた土方さんが呆れたように私を見た。


「何言ってんだ。七夕は秋の祭りだろう」

「……へ?」


 そういえば、旧暦の七月はもう秋になるんだっけ。

 七夕と言えば、本格的な暑さと夏休みを前に盛り上がる夏のお祭りというイメージだけれど……暦の違うここでは、少しずつ暑さも和らぎ、夏の終わりを感じさせる秋のお祭りになるのか……。

 どうりで寂しい感じにもなるわけだ……と納得していれば、虫の音をのせて吹く風が、さらさらと飾りごと笹竹の葉を揺らしていった。


「そろそろ部屋戻るか」

「先に戻っててください。せっかくだから、もう少しだけ見てから戻ります」


 どこかもの悲しい雰囲気が漂うものの、頭上に広がる無数の星は、七夕というのも相まって余計に輝いて見えるから。


「星なんざ珍しくもねぇだろうに」

「東京じゃ……あ、私の住んでいた所じゃ、こんなに凄い天の川は見られなかったので」

「その東京ってのは、未来の江戸だったか。星が見えねぇって、まさか、その頃には星が消えて無くなってるのか?」

「いえ、そうじゃなくて。町が明る過ぎたり空気が汚れていたりで、数えられるくらいしか見えないんです」


 驚いた様子の土方さんにわかりやすく説明したつもりだけれど、イマイチ理解できなかったのか苦笑された。


「ったく、どんな生活してたんだよ。いつも思うんだが、お前のいた時代ってのは全く想像がつかねぇや」

「う〜ん……。ここと比べたら色々と便利なんですけど、たぶん、失くしてしまったモノも多い……かもしれないです」

「何だそりゃ」


 それからまた少しの時間、特に何を話すでもなく二人で笹竹越しの天の川を見上げていると、土方さんが一枚の短冊を指差した。


「あのおかしな書き方のやつは、お前だな」


 さっきまでとは違うどこか意地悪なその顔に、私の悪戯心もつられて顔を出す。


「土方さんも、今からでも書いた方がいいんじゃないですか?」

「餓鬼じゃあるまいし、俺はいい」

「えー、芸事の上達を願うらしいので、土方さんも書いた方がいいですよ」


 何と言ったって、自作の句集を作ってしまうくらいだしね!


「おまっ……下手で悪かったなっ!」

「そんなことは言ってません」

「前に言ってたじゃねぇか!」


 ……前? ああ、梅の花がどうとか詠っていたやつだっけ。

 下手だなんて言った覚えはないけれど……。


「上手い句だとは思えない、としか言ってま――」

「一緒だ、馬鹿野郎っ!」


 かわす間もなく強烈なデコピンが飛んできたせいで、静かな夜に私の呻き声が響くのだった……。






 翌日、屋根から笹竹が生えるというちょっと変わった町の光景は、もう見られなかった。

 取り外された笹竹はどうやら川に流すらしく、川には笹竹を手にした人がたくさん来ていた。


 私の時代でそんなことはできないし、やったら色々と問題が起こって怒られてしまうけれど……。この時代ではこうするものらしく、屯所の笹竹も例に漏れず川に流されたのだった。

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