183 鬼の役目
六月も下旬にさしかかり、江戸での募集に応じて入ってきた新入隊士たちの京での生活も、そろそろ二ヶ月半が経つ。
隊務や稽古に励む姿はどこか初々しくもあり、まさに新人という言葉がぴったりだけれど、徐々にここでの生活にも慣れてきたようで、上洛直後に比べれば随分と余裕も見え始めた。
とはいえ、慣れや余裕が必ずしも良い方向へ運ぶとは限らなくて、二名の隊士が商家の女性と密通してしまったらしい。
当然ながら近藤さんや土方さんは激怒、士道不覚悟の法度にも触れるとした。
いつものように伊東さんが寛大な処置を提案し、一度は近藤さんも頷きかけたけれど……土方さんがそれを覆した。
結局、両名は局中法度に則り、新入隊士らの前で切腹させられたのだった。
新選組にいる以上、局中法度は絶対だ。誰もがそれを承知でここにいる。
けれど、新しく入ってきた隊士たちはどこかで甘く見ていたのかもしれない。本当に切腹させられるのか……と青ざめていたから。
人が増えれば増えるほど色々な人が集まってくるし、その分、統率を図るのも容易ではなくなる。
だからこそ、土方さんはいつも以上に鬼を演じているようにも見えた。
同時に、損な役回りだな……とも思うのだった。
巡察を終えて帰ってくると、外廊下の一角に数名の隊士が立っていて、待ち構えていたかのように声をかけられた。
「琴月先生」
で、出た。先生……。
近頃、役職名や先生をつけて呼ぶことを徹底しているみたいだけれど、はっきり言って慣れないし落ちつかない。
「えっと……先生ってやめてもらえませんか?」
「では、琴月助勤」
「あ、いや……それもちょっと……」
今まで通りでいいのに。
けれどもそんな私の願いは聞き入れてもらえそうになく、組を受け持ってはいないので組長は違うし……などとブツブツ言いながら困ったように首を傾げる隊士の横で、もう一人が気を取り直すように口を開く。
「琴月先生」
「え? あ……はい、何でしょう……」
もう、私とわかれば何でもいいや。
諦める私の前で、隊士が若干恐縮しながら話し出す。
どうやら部屋を占める人数が多過ぎて、ただでさえ暑い京の夏がさらに暑く、困っているのだという。
このままでは健康な人まで体調を崩してしまいそうで、早急に何とかして欲しいのだと。
西本願寺へ引っ越してきた当初は随分と広く感じたけれど、再び江戸で大規模な募集もしたし、最近になって大坂を中心に活動していた隊士たちも引き上げてきた。
訊けば、この暑い中一人一畳分ほどのスペースしかないのだという。
「ですので……その旨を、琴月先生の方から副長にお伝えして頂けないでしょうか……」
「……私から?」
当事者が直接訴える方がいいような気がするけれど、隊士たちは妙に口籠り、俯きがちにぼそぼそとこぼす。
「……直接意見するのは恐れ多いと言うか……。その、万が一にも切腹を言い渡されでもしたら困るので……」
ああ、なるほど。つまり、土方さんに直接意見するのは怖い、ということらしい。
確かに睨んだ顔なんて本当に怖いしね、鬼の副長だなんてあだ名がついちゃうくらいだけれど。
いくら何でもそんなことで切腹を言い渡したりはしないのに……と思わず吹き出しそうになるも、先日の切腹を見たばかりでやけに怯えている様子。
どうやら鬼を演じている甲斐はあったらしい。
というわけで、土方さんへの伝言を預かることにした。
松本先生や南部先生のおかげで病人が激減したばかりなのに、再び寝込む隊士が増えては困るしね!
部屋へ戻ると、土方さんは団扇片手に書状を読んでいた。
その隣に座ってさっきの話を伝えてみれば、パタパタと扇いでいた手がぴたりと止まる。
暑くて虫の居所でも悪かった……?
半ば条件反射でおでこを隠して身構えれば、土方さんはゆっくりと私に視線を移すなり大きなため息をついた。
「あのなぁ……。お前は俺を何だと思ってんだ?」
「それはもちろん、お……」
「……あ?」
ほら、急に目付きが鋭くなったし!
このまま続きを口にしようものなら、ただじゃ済まない気がする!
「えーっと、今日も暑いですねっ!」
「ああ、暑いな。お前の小せえ頭じゃ、直前の会話が蒸発しちまうくらいにあちぃな」
「あのー、今、さらっとバカにしましたよね?」
「何だ、じゃあ覚えてるのか? どうせ覚えてねぇんだろう? あちぃからな」
「なっ、覚えてますよっ!」
って、まんまと引っかかってしまった気がする!
土方さんの勝ち誇ったような視線から逃れつつ、“お”から始まる代わりの言葉を探していれば、呆れ声とともに団扇を押しつけられた。
「くだらねぇ事につき合ってたら、余計に暑くなったじゃねぇか。罰として扇げ」
「罰って何ですか、罰って……」
「嫌なら“お”の続きを訊問してやってもいいんだが」
再びにやりとするその顔に、思わず文句が口をつきそうになるけれど……これ以上話を蒸し返すのは少々分が悪い。
仕方がないのでその場で反転すると、自分と後ろの土方さんに風がいくよう大きく扇いだ。
普通に扇げ、と言われるかと思いきや、どうやら納得したらしく、書状の続きに目を通しながら呟いた。
「流石に、あいつらも何とかしてやらねぇとなぁ……」
鬼だ何だと恐れられているけれど、こう見えて土方さんは、面倒見がよくて細かいところまで気配りができる人だ。
だから、本当ならもっと慕われる上司になっていてもおかしくないのに。
「鬼のふりなんて、やめちゃえばいいじゃないですか」
そんな言葉が口をつくも、土方さんは小さく吹き出した。
「あいつらには近藤さんの背中を追ってもらわなきゃなんねぇからな。俺は、後ろで追い立てるくらいが丁度良いんだよ」
どこか冗談めかしてそう言うけれど、やっぱり損な役回りだと思うのだった。
翌日、土方さんはさっそく西本願寺側に掛け合ったらしい。
隊士たちの不満をこれ以上は抑えきれそうにないので、阿弥陀堂を五十畳ほど貸して欲しい、と。
何だか暗に、貸してもらえなければ暴れるかもしれない、と言っているような気がしなくもないけれど……。
とはいえ、阿弥陀堂は本堂だ。ただでさえ煙たがられている新選組に貸してくれるとは思えない。
西本願寺を屯所にすると決めた時のように、やっぱり強引に話をしてきたのかと思いきや、かなりの低姿勢で、それはそれは丁寧にお願いに上がったらしい。
逆にそれが怖かったのかどうかはわからないけれど、北集会所の使用していない板敷部分に畳を敷き、壁も一部取り払い風通しを良くするという代替え案を出され、それを了承したらしい。
しかも、工事はさっそく明朝から始めてくれるとも。
「腰の低い土方さんが、よっぽど怖かったんですね……」
したり顔で西本願寺へのお礼状を書く土方さんに告げれば、馬鹿野郎! とデコピンが飛んでくるのだった。
翌日、巡察を終えて戻ってくると、屯所が少しだけ広くなっていた。
約束通り、北集会所の使用していない板敷部分に畳が敷かれ、風通しをよくするため壁の一部も取り払われていた。
昨日の今日でここまでしてくれた西本願寺側も凄いけれど、そうさせた土方さんもある意味さすがというべきか……。
いや、腰の低い土方さんがよっぽど恐ろしかったに違いない。鬼の副長、恐るべし……。
そんなことを思いながら、新しく敷かれた畳から綺麗な赤に染まった空へと視線を移す。
先月閏月を挟んだばかりなので、新暦に直せばおそらくもう八月、夏真っ盛り。
各部屋の襖や障子を開け放ち、できる限り風通しをよくしてはいるものの、日没も近いというのにまだ暑い。
手拭いを取り出し額に浮かんだ汗を拭いていれば、うなじの辺りに柔らかな風を感じた。
「暑いですね」
驚いて振り返れば、そこに立っていたのは扇子を手にした伊東さんだった。
音も気配もなく背後に立たれたらヒヤッとする!
いくら暑いからって、そんなヒヤリは嬉しくないから!
そんな心の訴えを知ってか知らずか、伊東さんは僅かに汗を滲ませながらも爽やかな微笑みを浮かべたまま、いまだ緩やかに私を扇いでいる。
「えっと……何か用でしょうか?」
特に用がないのであれば、あまり長居はしたくない。
伊東さんは扇いでいた手を止めると、新しく作られた隊士たちの部屋を見渡した。
「昨日の今日で仕上げさせるとは、流石、我ら新選組を束ねる副長は違いますね。ここまでしてくれた西本願寺には、感謝しかありませんが」
もっと穏便に事を進めたら良いものを……とため息をこぼす横顔が、視線を戻すことなく再びゆっくりと口を開く。
「琴月君は、先日の隊士らの処罰をどう感じましたか?」
「……どう、とは?」
「彼らのしたことは、確かに士道に反するでしょう。しかし、あれではただの見せしめです」
多くの隊士たちの前で切腹させられていたし、確かにそう見えるかもしれない。いや、実際そうなのだと思う。法度を破ればこうなるのだと。
伊東さんは、何も答えない私を視界の真ん中に捉えると、少し寂しげに微笑んだ。
「遠いですね」
「……え?」
「みんな仲良く、とは程遠い」
それは……そうかもしれないけれど……。
どんなに剣客集団だと恐れられても、所詮、新選組は烏合の衆。いくら注意を促したって、迷惑をかけてしまう人がいなくならないのも事実だ。
規律と恐怖で抑えつけるばかりが正しいとは思えないけれど、土方さんのやり方が全て間違っているとも思えない。
厳しい罰が待っているとわかっていれば、それが抑止力になるのもまた事実だから。
昼間の騒々しい蝉の合唱とは違い、この時間はヒグラシが大半を占めている。そんな中、己を主張するように鳴く昼間の蝉の声は、一際目立っている。
土方さんと伊東さん。二人の考え方の違いは、このまま少しずつその差を浮き彫りにしていくのだろうか……。
ただ真っ直ぐに伊東さんを見つめれば、思わず開いた口から勝手に言葉がこぼれた。
「嫌なら、新選組を辞めたらいいと思います」
いずれこの人は新選組を二分してしまう。そんなことをする前に出て行ったらいい。
近藤さんの暗殺を企み逆に暗殺なんてされてしまう前に、出て行ってしまえばいい。
伊東さんのことは好きじゃないけれど、何も死んで欲しいとまでは思わないから……。
パチンと扇子を閉じる音に、しまった……と我に返った。
伊東さんは私を見下ろしたまま、眉尻を下げ寂しげに微笑んでいた。
「嫌われてしまったかな」
「い、いえ。すみませんっ! 出過ぎたことを言いました」
慌てて深く大きく頭を下げるも、その顔を再び見上げることもせず、伊東さんの視線と懸命に鳴く蝉の声、それらから逃げるようにその場をあとにするのだった。
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