178 納得がいくまで

 翌朝、土方さんは珍しく二日酔いだった。まぁ、あれだけ飲めばね……。

 昨日は確かに許可を得たけれど、さっそく今日試してもし眠ってしまったら迷惑だと思うから、数日後、月が変わってから試したいと相談した。


「何の話だ?」

「……え?」


 まさか、飲み過ぎて覚えていない……? せっかく説得したのに!?

 ……いや、そんなはずはない。

 だって……。


「あの話は、土方さんが酔っ払う前にしたから覚えているはずです」

「チッ。覚えてやがったか」


 なっ! 誤魔化す気だったのか!

 悪びれもせず話を続ける土方さんは、私の提案に渋々ながらも承諾、それに合わせて翌月の隊務も調整してくれることになった。


「ありがとうございますっ!」

「うるせぇ、大声だすな。頭に響く……」

「二日酔いなんて珍しいですね」


 うっせ……と頭を押さえながら睨まれた。

 人が変わったかと思うほどだったし、もしかしたら、飲んでからの記憶は本当にないんじゃないかな?

 昨夜の様子を思い出しながら巡察の支度を終え、襖に手をかけた時だった。


「そういや、琴づ……」

「……何ですか?」


 振り返り様に首を傾げれば、土方さんは眉間に深い皺を寄せ、突然唸り出し頭の後ろをガシガシと掻き出した。

 どうしたのかと訊ねるも、唸るだけで返事はない。

 ちょっとした悪戯心が芽生え、昨夜からかわれた仕返しをしてみることにした。


「あんなにムキになってたわりには、結局呼び方は前のままなんですね?」


 まぁ、名字や名前がどうこうより、呼び慣れたものを変えるって案外難しいけれどね。

 昨夜のやり取りを思い出したのか、予想通りすぐさま睨み返された。


「あ? 何の話だ。……記憶にねぇな」

「え……もしかして、本当に覚えてないんですか?」


 仕返しが不発に終わったせいか、なぜか寂しい気持ちが込み上げてくるけれど、何かと葛藤するように再び唸り頭を掻き出す土方さんの突然の怒鳴り声が、全部どこかへ押しやった。


「ああ、うるせぇ! とっとと巡察行ってきやがれ!」

「い、行ってきますっ!」


 これ以上無駄に怒鳴られるのは勘弁願いたいので、慌てて部屋を飛び出した。

 そして、大事な話は酔う前にしておいて正解だった……と思いながら玄関へ向かうのだった。




 今日の巡察は沖田さんと一緒だった。

 並んで歩きながら見上げる空は、厚い雲に覆われ暗くどんよりとしていて、何だか気分まで沈みそうになる。

 せめて話題くらいは明るいものを……と隣の沖田さんを見上げれば、江戸での出来事を思い出した。


「そういえば、江戸でおみつさんと林太郎りんたろうさんにお会いしました」


 おみつさんは沖田さんの実のお姉さんで、林太郎さんはその旦那さんだ。

 元気にしてましたか? とどこか懐かしそうな顔の問いに頷けば、話題は自然と沖田さんの幼少の頃の話になる。

 おみつさんが話していたように、ご両親は沖田さんが幼い頃に他界してしまい、僅か十才ほどで試衛館の内弟子になったという。


「口減らし、ですね〜」


 何でもないことのように沖田さんはそう言った。

 確かに、おみつさんに長男が誕生した頃だとは聞いたけれど……。

 いつの間にか俯いていたらしく、気がつけば沖田さんが覗き込んでいた。


「口減らしなんてよくあることじゃないですか〜」

「そうかもしれませんが……」


 ――あの子には随分と寂しい思いをさせてしまったの……――


 そう話していたおみつさんの、後悔と寂しさの浮かんだ顔を思い出せば、沖田さんが少し慌てたように付け加える。


「ああ、勘違いしないでくださいね。僕は姉さんたちを恨んだりしていませんよ。むしろ、捨てずにそこまで育ててくれたうえに試衛館に預けてくれたこと、感謝しているんです」


 それでも、幼い頃から剣の才能があったがゆえに、それを妬むかのような心無い扱いを受けることも少なくなかったという。

 誰にも守ってもらえないなら自分で守るしかない、馬鹿にした奴らを見返してやる、と必死に稽古をしたのだとも。


「あの頃の僕は、強くなるしかなかったんです。強くなることでしか、自分を守ることも認めることもできなかった」


 そして近藤さんは、そんな沖田さんを気にかけ、本当の弟のように接して可愛がってくれたのだという。

 だからこそ、沖田さんにとって近藤さんは兄であり、父でもあり、それ以上の存在なのだとも。


「気がついたら、自分のためじゃなく近藤さんのため、この人のために強くなろうって、そう思ってたんです」


 最後にそう締めくくった沖田さんの顔は、迷いなんてどこにもなく、晴れ晴れとしていた。






 それから数日が経過し、月も変わり六月……ではなく、なぜかもう一度五月がやって来た。


「土方さん……五月は終わったばかりなのに、何でまた五月なんですか……」

「ただの五月じゃねぇ。閏五月だ。今年は閏年だからな」


 閏年と言えば、四年に一度やって来る二月が一日増える年のことだけれど、ここは旧暦、太陰太陽暦。

 旧暦には閏月というものがあり、およそ三年に一度丸々一ヶ月増えるという。つまり、一年が十三ヶ月になるその年を、閏年と呼ぶらしい。


 得をしたようなしていないような?

 学生だったら夏休みが一ヶ月も遠のいて大打撃!

 ……と思ったけれど、この時代に夏休みというものはないらしいので、あまり関係ないのかもしれない。

 閏月生まれの人は誕生日が三年に一度しかない!

 ……と思ったけれど、この時代はお正月にみんな一斉に年を取るし、やっぱり関係ないのかもしれない。

 そもそも閏月がどこに挿入されるかは、その年によって変わるらしい。


 そんなことより……。

 せっかく許可を得られたのだから、また誤魔化されたり気が変わってしまう前に試そうと、居住まいを正した。

 口にしていいのは、土方さんの結末のみという約束だ。成功して欲しいし何としても伝えたいけれど、それは同時に、死刑宣告をするようなもの。

 けれど、本人が知っているのなら回避することも可能になるはずだから……。


 うるさい心臓を落ちつかせるように深呼吸を一つして、震える身体を押さえつけながら土方さんの顔を見る。

 まるで次の行動を阻むかのごとく頭が痛み、息ができず、恐怖に包まれる。

 こんなものに負けたくない! と全身で抗いながら声にならない声を紡いでいく。


「土方、さん……はっ、……北海、ど……ッ!!」






 暗く深い海の底なんて漂ったことはないけれど、浮上するのは困難だと思えるほど、身体も意識も重かった。

 それでも、唇から伝う温かな感触にゆっくりと瞼を開ければ、どういうわけか、土方さんの指が私の唇に触れているという状況だった。


「気づいたか。何とか水だけでも飲ませてやれないかと思ってな」


 唇が少し湿っていることに気づき、土方さんの指が触れていた理由がわかった。

 けれどそんなことより、こんな風に目覚めたということは失敗だったのだろう……。詳細を訊ねようとしたけれど、思うように声が出なかった。

 すぐさま抱き起こされると、白湯が入っているという湯呑も差し出され、土方さんの手に支えられながらゆっくりと喉を潤せば、ようやく声も出るようになった。


「何日……眠って、ましたか……」

「四日眠ってた」


 ……よ、四日!?

 試したのは閏五月の一日。今日はもう五日だという。

 眠るたびにおよそ一日ずつ増えていくものだとばかり思っていたけれど、まさか倍数?


「この調子だと、次は八日間か?」

「可能性は高いですが、やってみないことには何とも……」

「まさか、まだやるのか?」


 随分と驚いた様子で訊いてくるけれど、当然です、と頷けば怒鳴られた。


「馬鹿か! 八日だぞ!? 死ぬ気か!?」

「死ぬつもりなんてないです。それに、目的はあくまでも伝えることであって、眠ることじゃないです」


 じっと見つめて訴えれば、チッと諦めたような舌打ちが返ってくるとともに、新たな約束事が追加された。

 再び失敗して八日間眠った場合、その次は十六日の可能性が極めて高くなるので、そうなったらもう許可はできないと。


 少なくともあと一回はチャンスがあることに安堵しながら残りの白湯を飲もうとすれば、襖が突然開き沖田さんが入ってきた。


「春くん? やっと目が覚めたんですね! ずっと起きないから心配してたんですよ。でもちょうど良かった、アレを作って来たんです」


 そう言って軽く湯呑を掲げる姿に、アレが何なのかすぐさま想像がついた。

 沖田さんは土方さんを押し退けると、私の身体を支えながら湯呑を口元にあてがい、ゆっくりと自家製経口保水液を飲ませてくれる。


「そこの鬼みたいに怖〜い顔の人が指でちまちま飲ませてたんで、昨日も僕が飲ませようとしたんですよ? 口移しでね」


 く、口移し!?

 思わず含んだものを吹き出しそうになれば、沖田さんは大きく肩を落として言う。


「止められましたけど」


 いや、そこは止められて当然だろう。残念がる理由がわからない。

 命の危険が迫っていたのならまだしも、おそらく、まだそこまでの状態ではなかったと思うし。

 次の瞬間、横へ押し退けられていた土方さんが声を荒らげた。


「当たり前だろうがっ! 深く眠ってたんだ、上手く飲めずに溺れ死んだら洒落にならねぇだろう!」

「それは、まぁそうですけど〜」


 二人はそんな言い合いを始めるけれど、陸にいながら溺れ死ぬのは嫌なので、止めてくれた土方さんに感謝するのだった。

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