169 藤堂さんに再会
今回の江戸滞在中も、試衛館でお世話になることになっている。
翌日、土方さんに叩き起こされると、広間にて遅めの朝餉をいただいた。
食べ終わる頃にはやっと頭も働き出し、隣で食後のお茶に手を伸ばす土方さんに気になったことを訊いてみる。
「斎藤さんと伊東さんはどうしたんですか?」
「伊東さんなら朝イチで自宅へ戻ったぞ。斎藤は途中まで見送りに行ったが、その後は知らん」
「さっそくの里帰りですか?」
「言ってなかったか。母君が大病を患ったらしい」
どうやら京を出立する少し前、江戸に残してきた奥さんから伊東さん宛に、“母親が病気だからすぐに帰ってきて欲しい”という文が届いたらしい。
ちょうど隊士募集のために江戸へ下ることが決定していた時期で、そういうことならば、と伊東さんも今回のメンバーに組み込んだのだと。
そんな理由があったのなら、心配で早く帰りたいと思うのが普通だろう。旅の間、伊東さんの歩くペースがやけに早かったのはそういうことだったのか、と納得すると同時に、伊東さんが一緒じゃなければ今回の旅ももっと楽だったのに……なんてどこかで思っていた自分を少し反省した。
昨日までの旅の疲れを癒やすべく、今日一日は特に予定もなく、各々のんびり過ごそうとなっている。
広間を出ようと立ち上がれば、パタパタと廊下を駆ける足音が近づいてきて、障子を開けると同時にぽすんっと小さな何かが私の足元に飛びついた。
「ハウ!」
そう言って、しがみついたまま見上げてくる小さな女の子と目線の高さを合わせるようにしゃがみ込めば、無邪気な笑顔につられて私も微笑んだ。
「おたまちゃん! 久しぶりだね、元気にしてた?」
「うん! ハウ、あしょぼ!」
おたまちゃんは近藤さんの愛娘だ。
前回からおよそ半年ぶりの再会だけれど、覚えていてくれたのが嬉しくて頷くも、おたまちゃんは私の後ろを見上げながら固まってしまった。
おたまちゃんのどこか怯えた視線を辿って振り返れば、そこに立っていたのは土方さんだった。
「もしかして、おたまか? しばらく見ねぇうちに大きくなったな」
土方さんが嬉しそうに笑顔で告げるも、おたまちゃんは若干顔を強張らせたまま、不安そうに片手で私の袖を捕まえた。
ああ、そうか。二人が最後に会ったのはおたまちゃんがまだ赤ちゃんの頃だろうから、きっとおたまちゃんの方は覚えていないんだ。
どうやら土方さんも気づいたらしく、すぐさま私の隣にしゃがみ込み笑顔を浮かべたまま小さな頭を優しくポンポンと撫でる。
「いくつになった?」
「……よ、よっつ」
恐る恐る答えるおたまちゃんが、空いた片手で一生懸命四本の指を立てて見せれば、今度は人差し指だけを土方さんへと向けながら、掴んでいた私の袖をくいくいっと引っ張った。
「ハウ、このおじしゃん、だぁれ?」
ま、まぁ……そうだよね……。二回り以上も離れていたらそりゃ、ね……。
若干顔を引きつらせる土方さんに変わり、ここは私が答えてあげることにする。
「おたまちゃんの父上と一緒にお仕事をしている、土方さんだよ」
「ひぃかたしゃん?」
うん、言いにくいよね。
こてんと首を傾げて一生懸命発音する姿はあまりにも可愛くて、思わずぎゅーっと抱きしめながらもう少し言いやすい呼び名を提案する。
「えっとね、としぞーおじさんかな」
「おじ……って、おまっ。馬鹿野郎っ!」
背後から飛んできた突っ込みに、おたまちゃんを抱きしめたまま首だけで振り返る。
「じゃあ、鬼の副長にしときますか?」
「そうじゃねぇだろうが!」
「そんな鬼みたいに怖い顔してたら、おたまちゃんが怖がりますよ?」
「誰が鬼だっ!」
面白いのでくだらない攻防を続けていれば、土方さんをじーっと見つめていたおたまちゃんが小首を傾げた。
「としぞーおにしゃん?」
どうやら“鬼”という単語と名前がくっついてしまったらしい。
思わず吹き出せば、私のせいだと睨まれた。それを見たおたまちゃんが、土方さんを指差しながら私に訴える。
「ハウ、おにしゃん! としぞーおにしゃん!」
「うん、鬼さんだね! よし、じゃあ、この鬼さんと鬼ごっこしよっか!」
そんな私の無茶振りに、土方さんは仕方ねぇな、と苦笑して開き直った。
「おーら、鬼だぞっ! 捕まえて食っちまうぞー!」
「おたまちゃん、逃げるよー!」
小さな手を引いて廊下を走れば、途端に嬉しそうな甲高い悲鳴をあげる幼子のあとを、何だかんだで優しい顔の鬼の副長が追いかけるのだった。
おたまちゃんの気の済むまで遊んでいれば、太陽は西に傾き始めていた。さすがに疲れてしまったのか、側で膝をついた私に抱きつくなりあっという間に眠ってしまった。
そんな私たちを、ひょいと後ろから覗き込んだ土方さんが小さな声で言う。
「寝ちまったか」
「そうみたいです」
同じく小さな声で告げれば土方さんが布団を敷いてくれて、その上におたまちゃんを起こさないようそっと寝かせた。
休憩ついでにしばらく穏やかな寝顔を見下ろしていれば、玄関の方から懐かしい声が聞こえ、おつねさんの案内のもと部屋へとやって来た。
「藤堂さん!」
懐かしさに思わず大きい声を出してしまえば、すかさず土方さんに睨まれる。
慌てて両手で口元を抑えるも、状況を理解したらしい藤堂さんがおかしそうに笑いながら小声で言う。
「二人とも久しぶり。春は……相変わらずだね」
何が相変わらずなのかわからないけれど、このままでは喋れそうにないのでここはおつねさんにお任せすることにした。
さっそく三人で私たちにあてがわれている部屋へ行けば、斎藤さんも帰って来ていたらしく、庭先で一人木刀を振っていた。一言二言、藤堂さんと言葉を交わしながら部屋へ上がれば、私を見てニヤリとする。
「随分と賑やかだったな。一緒に昼寝しなくていいのか?」
「なっ、子供じゃないですし!」
というより、そんなに前から戻っていたのなら、斎藤さんも一緒に遊べばよかったのに。
でも……斎藤さんが鬼ごっこする姿? 想像がつかな過ぎて逆に怖いかもしれない……。
改めてみんなで藤堂さんの無事と再会の喜びを分かち合い、広くなった屯所の話などで盛り上がる。
しばらくして、藤堂さんの正面に座っている土方さんが神妙な面持ちで腕を組み直せば、それまでの和やかな空気が一転、みんなの顔から笑みが消え、何も知らない藤堂さんでさえ訝しみながらも黙って土方さんの言葉を待った。
そして、一度だけ長く目を伏せた土方さんが、ゆっくりと瞼を上げて口を開く。
「平助」
「何?」
「山南さんが、切腹した」
「……は? 待って。言ってる意味がわからないんだけど」
そう言って、鋭い視線を返すも土方さんは再び同じ台詞を口にする。
今度は……嘘でしょ? そう言いたげな顔で斎藤さんと私の顔を順に見るけれど、縋るような期待を揃って裏切れば、藤堂さんは途端に顔を歪ませそっぽを向いた。
土方さんが何一つ隠すことなく山南さんのことを伝えるその間、藤堂さんの両手は、爪が食い込むほど強く握られたままだった。
最後まで黙って聞いていた藤堂さんは、土方さんの顔も見ず独り言のように問いかけた。
「オレたちはさ、何のために京へ行ったの。仲間を失うために行ったわけじゃないでしょ……」
「当たり前だ」
「だったら何で山南さんが死ぬの……。戦ったわけでもなく切腹って、何それ……」
藤堂さんの声は怒りと悲しみをごちゃ混ぜにしたように、ただただ小さく震えていた。
そうして僅かに訪れた沈黙を、顔を上げた藤堂さんの吐き捨てるような言葉が打ち破る。
「局中法度なんて作らなきゃよかったのに」
土方さんは何も答えなかった。同意することもなければ反論の一つもせず、ただ真っ直ぐに藤堂さんの視線を受け止めている。
そんな土方さんの態度に、藤堂さんはばつが悪そうに顔を背けた。
「ごめん、言い過ぎた」
「いや、いい」
「ちょっと頭冷やしてくる……」
そう言い置いて、藤堂さんは一人部屋を出て行った。
このまま放ってはおけなくて斎藤さんと一つ頷き合うと、ここは任せて藤堂さんのあとを追った。
目的地なんてなさそうな足取りのすぐ後ろをついて歩けば、しばらくして、藤堂さんが振り向くことなく問いかけてきた。
「何でついてきたの」
「……すみません。迷惑でしたか?」
「別に。あんな風に噛み付くしか出来ないガキを、放っておけなかったんでしょ?」
アンタってホントお人好し、とどこか呆れながら話すも、そのまま土方さんとのやり取りを思い出すように語りだす。
新選組に局中法度が必要なことも、そこに例外があってはいけないこともわかっているのだと。
ただ、突然の訃報についカッとなって、あんなことを言ってしまったのだと。
「試衛館からの仲間がいなくなるなんてさ、考えたこともなかったから……」
「身近な人の死なんて、誰も考えないです。考えたくなんかないです」
「総司さんも、辛かっただろうね……」
「……はい。でも、山南さんの最後の頼みだからって、精一杯勤め上げてました」
そうなんだ……と短い返事をする藤堂さんが、突然、山南さんと伊東さんの仲を訊いてきた。
伊東さんの勉強会にはいつも最前列で参加していたし、沖田さんが少しだけ拗ねてしまうくらい、よく二人で話をしている姿も見かけたっけ。
だから、とても仲がよかったと伝えれば、やっぱりね……と藤堂さんは妙に納得した様子で続きを口にする。
「山南さんの思想はさ、どこか伊東さんと似てると思ったんだ。怪我をしてから屯所にいることが増えたし、いい話し相手にもなるんじゃないかって、そう思ったんだけどね……」
「だから伊東さんを……?」
「……うん」
そう言って頷くも、山南さんの脱走は伊東さんの思想に感化され過ぎてしまい、悩み苦しんだ末の行動だったとしたら……と酷く苦しそうに自分を責め始めた。
真相なんて、きっと山南さん本人にしかわからない。それでも、山南さんが自分で選んだ道であることに変わりはないし、誰かが苦しむ姿なんて望んではいないと思う。だから、すかさず否定しようとするも、突然歩みを止めた藤堂さんに遮られた。
「オレもさ、山南さんや伊東さんの考えに近いんだ。だから、……悪い、何でもない。忘れて」
「藤堂さ――」
「帰ろう。土方さんにもちゃんと謝らなきゃいけないしね」
それまでと一転、藤堂さんは苦笑を浮かべると、質問を投げかける余地など与えないかのごとく素早く踵を返した。
もの凄くはぐらかされたような気がするし、胸の奥は妙にモヤモヤするけれど……。そのまま歩き出す背中は今問いかけたところで答えてくれそうにないから、再び追いかけながら違う言葉を投げかける。
「藤堂さん。無理に訊こうとは思いません。でもいつか、話してもいいと思える時が来たら教えて欲しいです。藤堂さんの考えていることや悩んでいることを……」
山南さんの力になれなかった私が言えた立場じゃないけれど、一人で抱え込んだまま悩んで欲しくはないから。
はぁ、と呆れたようにため息をついた藤堂さんが、立ち止まったかと思えばくるりと振り返る。夕日を受け少し赤い顔に笑顔を浮かべながら、私の頭をポンポンと撫でた。
「アンタってホント面白い。……っていうかお人好し?」
そう言って、おかしそうに笑うのだった。
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