170 報告と勧誘

 四月七日。

 この日、元号が元治から慶応に変わった。去年は禁門の変があったり何かと情勢が不安定で、そういった災いを断ち切るための改元らしい。

 慶応は何年あるのだろう。次はいよいよ明治だったっけ?

 ちゃんと勉強しておくべきだった……って、落ち込んだところでない知識は引っ張り出しようがないから、私は私にできることを精一杯しよう。




 昨日は試衛館を飛び出した藤堂さんだけれど、土方さんとの間にわだかまりが残ることもなくいつも通りで、今日は隊士募集のため斎藤さんと二人で朝から出かけている。

 私は土方さんの護衛兼お供を仰せつかって待機していれば、お昼過ぎ、日野宿の名主であり土方さんの義兄でもある佐藤彦五郎さんがやって来た。


 およそ二年ぶりの再会となる二人はさっそく花を咲かせるように盛り上がり、半年前に会った私のことも覚えていてくれたらしく、同じ様に気さくに話しかけてくれる。

 本当は邪魔をしないよう席を外したいところだけれど、おそらく山南さんの話もするだろうから、知らん顔で図々しく同席していた。


 金銭的にも多大な援助をしてくれている彦五郎さんに、新選組の様子をある程度報告し終えた土方さんが懐から一通の文を取り出せば、部屋の空気ががらりと変わった。

 文は沖田さんが書いたもので、受け取るなり目を通していく彦五郎さんの顔が、読み進めるにつれ険しくなるのがわかった。

 そして、文から顔を上げた彦五郎さんに向かって土方さんは居住まいを正し、それまでとは打って変わって丁寧な言葉で告げる。


「去る、二月二十三日。旧屯所である前川邸にて、新選組総長、山南敬助が切腹いたしました」

「戦死、ではないんだな……」

「……はい」


 切腹の理由、介錯は沖田さんが努めたことなどを話せば、いつの間にか部屋には西日が差し込んでいた。

 また明日も来る、と言って宿へ戻る彦五郎さんを二人で玄関先まで見送ると、姿が見えなくなったところで土方さんの片手がポンっと私の頭に乗っかった。


「ありがとな」


 そう言い置いて、部屋へと戻って行くのだった。




 連日訪れる彦五郎さんとともに、天然理心流三代目であり近藤さんの養父でもある周斎先生のところへ挨拶に行ったりもした。

 相変わらず、お酒と女性が好きなのかな……という様子だったけれど、山南さんのことを告げれば悲しそうな顔をするのだった。


 他にも、沖田林太郎おきた りんたろうさんという人が、おみつさんという妻を伴い土方さんを訪ねて来たりもした。

 おみつさんは沖田さんの実のお姉さんで、義兄にあたる林太郎さんは新徴組しんちょうぐみに所属し、天然理心流の門下生でもあるという。

 新徴組とは江戸市中の警護をしている組織で、簡単に言ってしまうと江戸の新選組みたいなものらしい。

 そんな林太郎さんと土方さんが話を始めれば、縁側へ出たおみつさんが私を手招きした。


「総司の様子を聞かせてもらえないかしら?」

「私でよければ……」


 おみつさんの微笑みに誘われ縁側に腰掛け足を垂らせば、隣でおみつさんは綺麗に正座をする。

 色々と思うところはあるけれど、どうせ男の格好をしているのだからこれでいいし……と邪念を無理やり追いやった。


 おみつさんと沖田さんは年が九つほど離れていて、間にはもう一人キンという女性がいるらしい。

 両親は沖田さんが幼い頃に他界してしまい、当時十四才だったおみつさんが林太郎さんと結婚して沖田家の家督を継いでもらい、まだ幼い沖田さんを両親に変わり育てたのだという。

 そんな生活を数年続けるも、やがてキンさんもお嫁に行きおみつさんにも長男が誕生した。そして、まだ十才ほどだった沖田さんは、この頃に試衛館の内弟子になったらしい。


「だから、あの子には随分と寂しい思いをさせてしまったの……」


 そう話すおみつさんの顔には、どこか後悔の色が滲んでいるようにも見えた。

 家族が増え、沖田さんも成長するにつれ当然食いぶちはかさむ一方で……いわゆる口減らしの意味もあったのかもしれない。



 沖田さんの年齢的にきっとご両親の顔も覚えていないだろうし、そんなに小さなうちから家族とも離れて暮らしていただなんて、そんな過去を聞くのは初めてで少しだけ驚いた。

 けれど、私から見ればまだ子供と言える年齢だったおみつさんだって、きっと想像を遥かに越える苦労をしたはずで……。部外者の私が言うのもおかしいけれど、沖田さんを見て“寂しそう”と思ったことはない。

 だから……。


「いつも冗談を言ってみんなを和ませたり、近所の子供たちと遊んだり。あっ、時々、土方さんをわざと怒らせたりなんかもして、私が知っている沖田さんはいつも生き生きとしていて楽しそうです」

「……そう」


 どこかほっとしたように微笑むおみつさんとは、そのあとも沖田さんの話題で盛り上がった。

 盛り上がりついでに稽古の時の豹変ぶりを何とかできないかと相談すれば、相変わらずね、と笑顔ではぐらかされた。それはつまり、何ともできない、ということだろうか……。

 けれど、遠く離れて暮らすおみつさんが安心できるのなら、まぁよしとしよう。

 土方さんと林太郎さんの話もひと段落し、そろそろお暇するとなったその時、突然おみつさんが居住まいを正した。


「話を聞く限り、総司は随分と琴月さんに心を許しているようだから……。これからも、どうか総司のことを宜しくお願いします」


 そう言って、丁寧に頭を下げるおみつさんに、こちらこそっ! と私も慌てて頭を下げるのだった。






 翌日、江戸での隊士募集を斎藤さんと藤堂さんに任せ、土方さんのお供を仰せつかっている私は一緒に日野へ行くことになった。

 彦五郎さんも一緒なので歩いて行くのかと思いきや、なんと馬で行くらしい。二人がテキパキと準備を始める中、睨まれるのを覚悟で土方さんに告げてみる。


「あのー……。私、一人で馬に乗れないんですが……」

「知ってる。仕方ねぇから一緒に乗れ」


 そう言えば、山南さんを追えと言った時も、私が馬に乗れないことを知りながら馬で行けと言っていたんだっけ。

 あの時も沖田さんと二人乗りをしたけれど、歩きと大して変わらないくらい遅いスピードだった。

 だから今回もゆっくり行くのかと、支度を終え馬上の人となった土方さんが差し出す手を握れば、あっという間に引き上げられ後ろに座らされる。


「しっかり捕まっとけ」


 そう言うと、いきなり馬を走らせた。

 って、ええ!? 危うく落ちそうになり咄嗟に背中に縋りつくも、僅かに振り返った土方さんがにやりとする。


「振り落とされねぇよう、しっかり腕回せ」

「へ!? ちょ、ええっ!?」


 まともに返事をする間もなく、馬はさらにスピードを上げる。

 抱きつくようで恥ずかしいなんて思いは一瞬で消し飛び、振り落とされまいとお腹に腕を回して必死にしがみつけば、土方さんが微かに笑った気がした。

 お、鬼かっ!




 振り落とされることなく、何とか無事に日野の彦五郎さん宅である日野宿本陣へついた。

 彦五郎さんの家には土方さんの帰郷を聞いた人たちが集まり、富澤さんや捨助さんの姿もある。お互い元気な様子に喜び合うも、近況報告の最後は当然山南さんのことだった。

 みんなの悲しむ顔に、あれだけ泣いた私も同じように込み上げるものがあるけれど、同時に思うのは、山南さんはこんなにもたくさんの人に慕われていたのだなぁということだった。悲しいけれど、それが少し嬉しかった。


 それからしばらくは、佐藤家に滞在した。

 ここ日野にも新選組に入りたいという人たちがいて、彦五郎さんの息子であり土方さんの甥っ子にもあたる源之助げんのすけさんが、率先して取りまとめをしてくれていた。


 この源之助さん年は数えで十六だけれど、銃の扱いにも随分と慣れているらしく、庭で色々な形を披露してくれるというので彦五郎さんや土方さんとともに縁側へ出た。

 正直どれくらい凄いのか銃を扱えない私にはわからないけど、隣で一緒に見ていた土方さんが、感嘆の声を漏らすくらい凄いらしい。


「お前、源に教わったらどうだ?」

「やっぱり、そろそろ銃も撃てないとダメですか……?」


 禁門の変以降、新選組は以前より銃や大砲の調練にも力を入れるようになっている。扱い方くらいは知っておいた方がいいと思うものの、いまだ調練にも参加せず避けている……。

 そんな私の心中を察してか、土方さんが若干呆れながらも穏やかな顔で言う。


「扱い方くらいは知ってても損はねぇぞ。……にしても、源の奴は凄いな」


 腕を組み感心する土方さんが、彦五郎さんに顔を向けた。


「兄さん、期限付きで構わねぇ、源を新選組に預けてくれねぇか?」

「源を?」

「ああ。入隊希望者の取りまとめも卒なくこなしていたし、操銃も申し分ない。教授方として迎えたいんだが」


 今の新選組には源之助さんほど熟練した銃の使い手がいないので、隊士たちに教えて欲しいのだという。

 とはいえ源之助さんはこの佐藤家の長男、謂わば大事な跡取りだ。彦五郎さんが了承するとは思えない。


「いずれは私の跡を継ぎ、この日野を背負わねばならないからな……。今のうちに、見聞を広めておくのも悪くはないな」

「お、おう。だろう!?」


 問答無用で断ると思っていただけに、予想外の好感触に揃って驚いていれば、後ろの襖がスパーンと勢いよく開いた。

 一斉に振り返れば、そこにいたのはお茶を持って来てくれたらしい、彦五郎さんの奥さんであり土方さんのお姉さんでもあるおのぶさんだった。

 険しい顔で部屋へ入ってくるなり物言いたげな様子で土方さんと私にお茶を出し、最後にドンと音を立てながら彦五郎さんの前に湯呑を置いた。


「まさか、源之助を京へやるおつもりですか?」

「歳や勇さんも側にいる。悪い話ではないと思うが――」

「私は反対です!!」


 もの凄い剣幕のおのぶさんに、土方さんが若干狼狽えながら慌てて補足する。


「ね、姉さんが心配する気持ちはわかる。だから期限付きで構わねぇんだ。何なら戦には出させねぇ。源の身は俺が守ると約束する。だから――」

「歳っ! 新選組の副長ともあろう貴方が、何、甘いことを言っているんです!」

「そ、それは、その――」

「上に立つ者が率先して身内を贔屓してどうするの!?」


 強い口調で言い放つおのぶさんに圧倒され、途端に背筋をピンと伸ばす土方さんの姿はある意味新鮮だった。

 それでも、そこはやっぱり実の姉弟きょうだい。土方さんも簡単には引く気はないらしい。

 なおも言い合いを続ける二人の横で彦五郎さんがさっさと静観を決め込めば、しばらくして、おのぶさんは持っていたお盆をぎゅっと握りしめた。


「貴方が京へ行くと決めた時だって、本当は気が気ではなかったんだから! 京へ行ってからも、毎日どれだけ心配していたと思っているの!? そのうえ、源之助まで連れて行こうだなんて……私は絶対に反対よ!」


 うっすらと涙まで浮かべるおのぶさんの姿に、土方さんのさっきまでの勢いはどこへやら、急に慌てふためいた。


「わ、わかったよ。俺が悪かった。源は連れて行かねぇよ!」


 こうして、源之助さんを京へ連れて行くことは叶わなかったのだった。

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