149 元治元年、煤払い
すっかり風邪も治り、瀬田へ行っていた隊士たちも帰って来た。
そして今日は煤払いの日。今年もあっという間だった……なんて感傷に浸っていても部屋は綺麗にならないので、さっさと掃除に取りかかる。
煤を払って箪笥の整理も始めれば、濃紺の巾着を発見した。持ち上げてみれば、以前持った時に比べてだいぶずっしりしている。
不意に、後ろから土方さんの声がした。
「お前がここへ来てからもう一年以上経つ。そろそろ受け取ってもいいんじゃねぇか?」
この巾着には、私が新選組隊士となった時からのお給金が入っている。
けれど、まだ自信を持って受け取れるほど仕事ができているとは思えない。
そんな私の心を見透かすように、土方さんが頭にポンと手を置いてくる。
「お前はよくやってる。側で見てる俺が言うんだ、少しくらいは自信持っていいぞ」
「少しくらい、ですか?」
そんな風に突然褒められたら擽ったくて、思わず茶化してしまった。
「ついこの間江戸から来た奴らだって貰ってんだ。それより前からいるお前が駄賃だけなんざ、格好がつかねぇだろう」
何だか逆に茶化された?
けれど、土方さんなりの優しさだとわかってしまったから、巾着同様、今後はありがたく受け取ることにした。
「いつまでも土方さんに自腹を切ってもらうわけにもいかないですしね!」
最後の最後まで茶化してみれば、おでこを弾かれた。
「お前一人、一生面倒見てやるくらいどうってことねぇよ」
「……なんだかまるで、お父――ッ!」
「馬鹿野郎っ!」
さっきよりも痛いデコピンが飛んで来るのだった……。
掃除を続けていると永倉さんと原田さんがやって来て、どいたどいた、と今年も畳を剥がしていく。
部屋の掃除はある程度終わったので、山南さんの手伝いへ行こうと廊下に出れば、沖田さんを発見した。
声をかけるも、私の顔を見るなり盛大なため息をつく。
「一番見つかりたくない人に見つかるなんて……僕もまだまだですね〜」
「もしかして、サボ……煤払いしないでどこか行こうとしてました?」
「まぁ、否定はしませんけど。部屋の掃除なら終わりましたし」
やっぱり!
大げさに残念がる背中を押して山南さんの部屋へ行けば、すでに伊東さんが手伝いに来ていた。
二人は攘夷や今の情勢についてにこやかに議論を交わし合っているけれど、大掃除中らしくちゃんと手も動かしているので、正直私たちの入る隙がない。
それでも隅っこで掃除を続けていれば、沖田さんが私の手を取った。
「ここは伊東さんに任せて他へ行きましょう」
「でも……」
「行きますよ」
結局、いつもの強引な沖田さんに手を引かれ、山南さんの部屋をあとにした。
廊下を歩きながらふと隣を見上げれば、沖田さんが前を向いたまま口を開く。
「近頃の敬助さんは、あんな感じですよ」
「あんな感じ……?」
「伊東さんの勉強会にも毎回顔を出してるし、二人はすっかり仲がいいんですよ〜」
そう話す沖田さんの横顔はどこか寂しげで、まるで構ってもらえず拗ねた子供みたいだった。
山南さんの部屋でお喋りをする沖田さんをよく見かけるし、二人の仲がいいのも知っている。
けれど……もしかしたら今の山南さんは、沖田さんといるより伊東さんといる時間の方が多いのかもしれない。
何だか私まで俯きかければ、さっきまでとは打って変わって沖田さんが悪戯っ子の笑みで覗き込んできた。
「それじゃ、気を取り直して奪還と行きましょうか〜」
「奪還? 山南さんを、ですか?」
「あはは。春くん、面白いこといいますね。でも違います。アレですよ、アレ」
何か企んでいるその笑顔に、奪還と聞いて浮かんだもう一つ……。
まさか、アレなのか?
「豊玉発句集です」
やっぱりか!
このままついて行った日には、絶対に面倒なことになる。
それなのに、こっそり逃げ出そうとした手はしっかり握られていて、そう簡単には離してくれそうにない。
半ば諦めの境地で引きずられていれば、前方から救世主が現れた。
時刻はそろそろお昼時。
今年は人数も増えたし、去年以上に大量のおにぎりを作るはず。
「井上さん! そろそろお昼の支度ですよね? 私たちもお手伝いしますっ!」
僕も? という視線を横から感じるけれど、この際逃げられても文句は言うまい。
句集の奪い合いに巻き込まれるよりは遥かにマシだもの!
「いや、今年は人数も増えたからな。新人に任せて来たから大丈夫だぞ」
すれ違い様に頭をポンと一撫でする井上さんは、他を手伝ってやってくれ、と私の一縷の望みを笑顔で断って行く……。
呆然と立ち尽くしていれば、沖田さんが満面の笑みで言い放つ。
「源さんもああ言ってることですし、僕の手伝いをお願いしますね?」
もう、なるようになれっ!
こういう時に限って部屋に土方さんの姿はなく、煤払いも終え綺麗だった。
沖田さんはまるで自分の部屋のように箪笥や押入れを漁り始め、綺麗になったはずの部屋を散らかしていく。
無理やり連れてこられたとはいえ、ここで一緒になって漁っては再び共犯者にされかねない。黙って部屋が散らかるその様をただ見ていれば、後ろから不機嫌な声がした。
「おい、てめぇら……」
慌てて振り向くも、その恐ろしい顔に再び視線を前へと戻せば、沖田さんは全く動じることなく部屋を散らかし続けている。
「何です〜? 捜し物してるんで邪魔しないでください」
お、沖田さんめっ! どうしてそう無駄に煽るのか。
とばっちりで私まで雷が落ちたら笑えない!
顔色を伺うように後方に立つ土方さんを見上げれば、予想に反して得意げにふんと鼻で笑った。
「諦めろ。お前らが来るなんざ予想済みだ」
なるほど。さすがは土方さん……って、ちょっと待って。
今、お前
「仕方ないですね〜。今日のところはこの辺にしておきますよ」
悪びれもせず笑顔で振り返った沖田さんは、土方さんが呼び止める声も無視して部屋を出ていった。そこに残るのは開け放たれた襖だけ……。
ため息とともに散らかった部屋を見渡した土方さんが、最後にじろりと私を見る。
「わ、私は何もしてません!」
「総司を止めなかった時点で同罪だ、同罪っ! 馬鹿野郎!」
ほら、やっぱりとばっちりだ!
とはいえ、沖田さんと似たようなことを言っているあたり、やっぱり仲がいい。なんてついクスリと笑ってしまえば、痛いデコピンが飛んでくるのだった。
お昼を挟んで二度目の部屋の掃除を終える頃には、もう他に手伝うところもほとんどないという状態だった。
人数が増えたから、去年より早く終わったのかもしれない。
また今年も胴上げをするのかな……と、去年を思い出しながら庭に面した廊下を歩いていれば、向こうから山崎さんがやって来た。
「春さん、ちょうどいいところに。ここへ座ってください」
去年のことを思い出していたせいか、このあとの展開も想像がつく。
山崎さんだって疲れているはずで、わざわざそんなことまでさせられない……と渋ってみるも、眩しいくらいの笑顔とは反対にやや強引に座らされると、山崎さんも隣に腰を下ろした。
「今年はほとんど荒れてないと思いますよ?」
両方の掌を見せながら告げれば、それなら、と山崎さんが立ち上がった。
「今年はこっちで」
背後に立ったかと思うと、そのまま肩を揉み始めた。擽ったさに思わず首を竦めれば、山崎さんがおかしそうに小さく笑った。
「少しだけ我慢してください。すぐに慣れますから」
山崎さんの過保護ぶりに苦笑を返すも、確かに擽ったさはすぐになくなった。
むしろ気持ちよさに変わり、徐々に眩しさを増す西日に目を閉じれば、危うく眠りかけるほどだった。
賑やかな中庭に合流すれば、今年の締めもやっぱり胴上げをするらしく、すでに“誰だ、誰だ”という雰囲気が漂っている。
去年は土方さんのせいでまんまと餌食になったので、今年は隅でひっそりしていようと顔もあげずに下ばかり見ていれば、突然耳元で声がした。
「今年も舞うのか?」
「え、遠慮しますっ!」
驚いてつい大声で訴えれば、巡察から戻ってきたばかりという格好の斎藤さんだった。
「斎藤さん! がやったらいいじゃないですか!」
仕返しとばかりに名前の部分を若干強調してみせるも、斎藤さんは動じるどころか僅かに口の端をつり上げる。
「俺はこんな格好だから無理だな。それより、注目を集めたみたいだぞ?」
そう言われて辺りを見渡してみれば、確かにさっきまではなかったはずの視線が突き刺さっている……。
せっかく目立たないようにしていたのに!
徐々に隊士たちが取り囲み始めたので、斎藤さんの後ろに隠れようとするも、着替えてくる、とかわされてしまった。
「さ、斎藤さんっ!」
肩を揺らして立ち去るその背中を見送れば、仕方ないですね〜、とケラケラと楽しそうな笑い声が隣から聞こえた。
私の代わりに舞ってくれるのかと期待を込めて見上げれば、沖田さんがぐるりとみんなを見渡して言う。
「せっかく江戸からたくさんの人が来てくれたんですから、その方たちがいいんじゃないですか〜?」
それもそうかという雰囲気に変わり、自然と江戸から来た人たちに視線が集中する。中でもより注目を集めたのは、やっぱり伊東さんだった。
私はいいですよ、とにこやかに辞退を申し出るも、そんなことはお構いなしに宙を舞う。
助けてもらったことにお礼を言いつつ伊東さんを見ていれば、空高く舞っているにも関わらず、その顔はどこか嬉しそうだった。
同じように隣で見ていた沖田さんが、そんな伊東さんを見ながら笑顔で言い放つ。
「あのまま、落っこちちゃえばいいのに」
えっと、表情と台詞が全く合っていないのだけれど。
もしかして……。
「沖田さん。伊東さんのこと嫌いなんですか?」
「うん」
間髪入れず迷いのない返事をした沖田さんが、笑顔のまま私を見下ろした。
「春くんも、でしょう?」
「私は別に……」
「なら、好きなんですか?」
「いえ。好き、ではないですけ――」
「じゃあ、嫌いになっちゃえばいいですよ~」
そう言って、満面の笑みを浮かべながら私の頭をよしよしと撫でるのだった。
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