148 山南さんの愚痴

 十二月になった。気づけばもう師走。

 夜になると会津本陣へと赴いていた土方さんが、帰って来るなり布団で横になる私のおでこに手をあてがった。


「熱は下がったみてぇだが……お前は留守番だな」

「留守番? どこか行くんですか?」


 昼までは熱っぽかった身体も今は随分楽になっている。体温計なんて便利なものはないけれど、土方さんが言うようにもう熱は下がっていると思う。


「明日、隊士を五十名ほど引き連れて瀬田へ行くことになった」

「瀬田?」

「ああ。やっと声が掛かったと思えば、長州じゃなく瀬田へ行けだとよ。行軍録まで作ったってのにな」


 そういえば、長州征討へ向けていつ呼ばれてもいいようにと、そんなものを作っていたっけ。

 ところで……。


「瀬田って、どこですか?」

「……おい」


 土方さんの眉間にこれでもかと皺が寄るけれど、知らないものは知らないのだから仕方ないじゃない。

 負けじと見つめれば、面倒くさそうに大きなため息をつきながらも教えてくれる。そんなところが土方さんらしいな、とも思う。


 瀬田は大津宿のもう少し先の辺りらしい。

 水戸藩の天狗党と呼ばれる過激な尊王攘夷思想の人たちが、水戸藩第九代藩主徳川斉昭とくがわ なりあき公の息子である一橋慶喜ひとつばし よしのぶ公を通して朝廷へ尊王攘夷の志を伝えようと、京へ向けて進軍しているのだとか。

 これらを阻止するべく会津含む諸藩が出兵することになったけれど、なんと総大将はその一橋慶喜公らしい。禁裏御守衛総督という役職でもあるというし、ある意味当然なのかもしれないけれど……頼みの綱だと思っていた人物が総大将だと知ったらどう思うのだろう。

 とにもかくにも、その一橋慶喜公の出陣を前に新選組も瀬田へ行くことになったらしい。






 翌日の二日、慌ただしくも支度を整えた新選組は、夕刻には瀬田へ向けて出立した。

 私はというと、昨夜には下がっていた熱もあれから上がることはなかったけれど、山南さんや山崎さん、同じように風邪で寝込んでいる数名の隊士らとともに留守番を言い渡されてしまった。

 夕餉をとりに広間へ行こうとすれば、部屋を出たところで二人分の御膳を持った山崎さんに会った。


「春さん、まだ無理はしないでください。食事でしたら部屋でとりましょう」


 もう平気だと伝えてみるものの、みんなも部屋でとっていて広間はがらんとしているらしい。

 そういうことなら、と場所を確保するべく布団を畳もうとするも、山崎さんに制されたあげく再び布団へと追いやられ、その上に御膳まで置かれてしまった。


「熱が下がったとはいえ油断は禁物です。春さんはすぐ無理をしていまいますからね」

「そんなことないですよ。いつも思うんですが、山崎さんって心配性ですよね?」


 だって、いつも過剰なくらい心配してくれるし。今もそんな山崎さんの過保護ぶりに苦笑を返せば、満面の笑みを浮かべてしれっと言い放つ。


「春さんだからですよ。他の人にはここまでしません。放っておけなくて心配になるんです」


 それは例えば、真冬の川に飛び込んだり? ……って、無茶をするからということか!

 とはいえ、山崎さんはこんな格好をしている私でも当たり前のように女扱いをしてくれるので、それが少し擽ったい。ドキッとするような発言をさらりとすることもあるし……。

 おそらく、本人は無自覚なのだと思うけれど。


 監察方として隊務は恐ろしいほどばっちりとこなす山崎さんだけれど、もしかして天然の気があったり?

 ところどころ寝癖で跳ねている山崎さんの短い髪を見ながら、そんなことを思うのだった。






 翌日の昼下がり、そろそろ空気の入れ替えをしようと障子を開けてみれば、案の定開けた側から冷たい風が容赦なく吹き込んだ。

 庭の木の葉はすっかり落ちていて、すかすかの枝は見ているだけで余計に寒くなる。


 持て余した時間を埋めるべく稽古場へ行こうと思っていたけれど、病み上がりで無理をしてぶり返したら大変だし……と、そっと障子を閉めた。

 そのまま炬燵へ直行したところで山南さんがやって来たので、一緒に暖を取ることにした。


 山南さんは、差し入れだといってお茶とお団子を手渡してくれたけれど、そこから先は無言だった。

 その表情はどこか落ち込んでいるようにも見えて、思い切って訊いてみた。


「もしかして……明里さんと何かありましたか?」


 隊士のほとんどは瀬田へ行ってしまい、総長として屯所を預かることになったせいで約束していたデート……逢引が叶わなくて落ち込んでいる……とか?

 そんな勝手な妄想をしてみるも、山南さんはそういう人ではないな……と心の中で謝った。


「おかげさまで、明里とはあれ以来仲良くさせてもらってるよ」

「それはよかったです」

「二人にはまんまとしてやられたけどね」


 苦笑しか返せない私に向かって、山南さんはどこか悪戯っ子のような笑みを浮かべながらも、感謝している、と言ってくれた。

 それから少し会話も弾んだけれど、やっぱり時折浮かないような顔をして、ついには細く長いため息までついた。そして、どこか重そうに口を開いた。


「溜め込まず、話して欲しいと言ってくれたね?」

「はい」

「少しだけ、愚痴をこぼしてもいいかい? いや、独り言だと思って聞き流してくれて構わない。むしろ、そうしてくれるとありがたい」

「……わかりました」


 炬燵の中できちんと座り直して山南さんの方へ向き直れば、そんなに畏まらないでいい、と笑われてしまったけれど、そのまま山南さんの次の言葉をじっと待った。


葛山かずらやま君が切腹したことは知っているかい?」

「……はい」


 私が藤堂さんと先行して江戸へ行っている間、永倉さんら数名が、近藤さんの増長した態度を非行五箇条として書き記した建白書を会津藩に出した。

 結果、会津公の計らいで双方のわだかまりは解消できたけれど、葛山武八郎たけはちろうさんだけは最後まで頑強に抗議し切腹したと聞いた。


「中心となって騒動を起こした永倉君を始め、全員謹慎の処分が下ったことは?」

「いえ、そこまでは知りませんでした」


 永倉さんは近藤さんと一緒に江戸へ来たから、その前に謹慎をしていたということなのだろう。


「私はね、葛山君の切腹には反対したんだ。もちろん、会津公のご配慮を汲まず、葛山君一人が最後まで頑なに抗議していたのは事実だ。彼の罰が重くなるのは当然だろう。ただね、永倉君が謹慎ならば、全員謹慎でいいじゃないかと言ったんだ」


 謹慎の日数は、騒動を中心となって起こした永倉さんが一番長かったらしく、同じように日数で差別化を図るよう提案したらしい。

 山南さんは淡々と話しているけれど、その顔はどこか辛そうに見えた。


 ここまで聞いてなんとなく思ったのは、いくら批判されたとはいえ、近藤さんも土方さんも江戸からずっと一緒にやってきた仲間を失いたくなかったんじゃないのかな……ということだった。

 それと同時に、葛山さんだけが切腹になったのは、今後こういった局長批判を起こさせないための見せしめの意味も含まれていたのかな……と。


 前の私だったらきっと、そんなのありえない、おかしいと、すぐさまそう抗議していたかもしれない。

 もちろん、今でも半分はそう思うけれど、もう半分は……。


 新選組は、局中法度を見てもわかるように規律がとんでもなく厳しい。

 けれど、それにはちゃんと理由がある。

 脱藩して浪士となった人も多いけれど、近藤さんや土方さんのようにもともと武士の出ですらない人もいる。そんな烏合の衆をまとめようと思ったら、厳しい規律で縛るしかないから。


 それが正しいのか間違っているのか……ううん、きっと正しくはなくて、間違いなのかもしれないけれど。

 そうせざるを得ないと、どこかで思ってしまう自分がいるのも事実だった。


「琴月君」

「……え?」


 考え耽っていたらしく、慌てて顔を上げれば山南さんは自分の眉間の辺りを指でトントンと叩いていた。


「歳みたいな顔になってるよ」


 そう言って苦笑するけれど、やっぱりその顔はどこか苦しげだった。


「すまないね。琴月君にそんな顔をさせるつもりはなかったんだ……」

「いえ! 私の方こそすみません。一人で考え込んでしまって……」

「私はね、これでも総長という立場だ。上に立つ者として、それなりに理解はしているつもりなんだ。歳の考え方はもちろん、歳の作った局中法度にしても、それがなければこの新選組は成り立たないだろうということもね」

「……はい」


 ただね…… 、と山南さんは小さなため息混じりに微笑んだ。


「隊士一人も救えず、総長とはいったい何なんだろうね……」


 総長は局長に次ぐ役職で、副長よりも上だ。

 つまり、“総長”としての葛山さんの切腹反対は、聞き入れられなかったということになる。


 静かな部屋に、障子の向こうで風が落ち葉を舞い上げる音が聞こえた。

 障子は締め切ったままだけれど、どこか遠くを見つめるような山南さんの顔は、酷く儚く見えたのだった。

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