147 原田さんの誤解②

 原田さんとおまさちゃんが、幸せそうに微笑み合っていた。

 おまさちゃんの腕には小さな赤ちゃんがいて、二人を守るように原田さんが両腕で抱きしめている。


 その赤ちゃんはもしかして、二人の――


 そう訊ねようとしたところで、誰かに呼ばれていることに気がついた。

 気がつくと同時に、冷たい水に浸食される時とは逆の、内から全てを吐き出すような息苦しさに襲われた。




 次第にはっきりする意識と視界が、川岸で横たわり水を吐き出したのだと自覚させた。

 咳き込む私の背中をおまさちゃんが泣きながらさすってくれていて、私と同じようにずぶ濡れの原田さんも、傍らで膝をつき心配そうに見下ろしている。

 ようやく咳が治まれば二人分の謝罪が降ってきて、それから……とつけ加えたのは、少しだけ視線を外す原田さんだった。


「水吐かせるのに、その……着物を開いたんだ……。……お前、女だったんだな……」


 ああ……。

 上半身には原田さんの濡れていない羽織が掛けられているけれど、濡れている胸のさらしは、着物同様随分と緩い気がする。

 そういうことか……と納得すれば、原田さんが勢いよく土下座した。


「まさから全部聞いたっ! 俺の勘違いでこんな……危ねえ目に合わせて本当に悪かった! ちなみに、着物を開いたのは俺だがさらしを緩めたのはまさで、俺はそれ以上見てねえし触ってもいねーからっ!」


 そんな必死の訴えに思わず笑みがこぼれると、握った手の中にある固い感触に安堵した。


「原田さん……これを……」


 ある意味命がけで拾った簪を、原田さんに手渡した。


「ちゃんと、おまさちゃんに渡してあげてください」

「けどっ、今の俺にそんな資格――」

「おまさちゃん」


 原田さんの言葉を遮りおまさちゃんを呼べば、いまだ涙を浮かべたまま申し訳なさそうな顔をしている。


「おまさちゃんも、原田さんに渡す物があるでしょう?」

「せやけどっ、こんな――」

「さっきね。二人が幸せそうに寄り添いながら、小さな赤ちゃんを大事そうに抱いて……そんな夢を見てた」


 あれはやっぱり、二人の赤ちゃんだよね。

 もっと夢の話をしたいのに、身体から徐々に体温が失われていく感じがすれば、急激に襲い来る睡魔が意識まで拐っていこうとする。

 危うく瞼を閉じかけるも、どうしても伝えたくて、残った力を振り絞るように続きを口にした。


「さっきのあれ……正夢にならないかなぁ……」


 直後、どっと押し寄せた疲労感には抗えず、そのまま意識を手放した。






 再び目覚めると、いつもの天井が見えた。

 夜も遅いのか障子の向こうの雨戸は閉まっていて、部屋を照らし出す淡い行灯の光が、書状を持つ土方さんの影を壁に大きく映し出している。


「……土方さん」


 集中しているところ少し申し訳なく思いながら呼びかければ、勢いよくその背中が振り向き、すぐにこちらへとやって来る。

 やけに重い身体をゆっくりと起こせば、おでこに乗っていたらしい手拭いが落っこちた。

 布団の脇で片膝をつく土方さんが、片手で私の背中を支えながらもう一方の手をおでこにあてがった。


「まだ熱ぃな」


 言われてみれば確かに熱がある感じがする。真冬の川へ飛び込んだから、風邪でも引いたかな……。

 大きな身震いとともに両腕をさすれば、ゆっくりと身体を倒された。


「ちゃんと布団の中に入ってろ」


 そう言って捲れた布団を肩までしっかりと掛けてくれると、転がったままの手拭いも枕元の桶で濡らし直しておでこへ乗せてくれた。

 冷んやりとした気持ちよさに思わず瞼を閉じかけるも、色々訊きたいことを思い出し、そのまま私を見下ろす土方さんに視線を移した。

 どうやら私の心中を察してくれたようで、どこか呆れ顔で腕を組み訊いてくる。


「もう少しだけ、起きてられるか?」


 はい、と小さく頷けば、私が寝ている間の出来事をゆっくりと語ってくれた。




 ここまで私を運んでくれたのは、やっぱり原田さんとおまさちゃんだった。

 着ている物も髪もびしょ濡れで、一先ず着替えを済ませて布団に寝かせれば、冷え切った身体は徐々に熱を持ち始め、どんどん上昇して今に至るらしい。


 何があったのか、どうしてそうなったのか。土方さんが問いたださずとも二人が全てを話し、原田さんには少々のお説教をしたらしい。そして、絶対に口外しないよう二人には念を押したとも。

 ちなみに、着替えは全ておまさちゃんがしてくれたらしく、心底ホッとしていれば土方さんがため息をついた。


「とうとう左之にもバレちまったか。おまけに、外部の人間にまでバレやがって」

「……すみません。あの……もしかして私、ついに切腹ですか?」


 どこかで冗談なのではと思いながらも、熱のせいか恐怖のせいか、半分涙目で見つめてじっと待った。

 しばしの沈黙のあと、土方さんは組んでいた腕をゆっくりほどいて私の顔へ伸ばした。目を閉じ僅かに身構えるも、あろうことかおでこの手拭いは滑り落ち、馬鹿野郎、という言葉とは裏腹に、その手は存外優しく私のおでこを弾いた。


「無茶しやがって」


 目を開ければ、土方さんはその声音同様、優しく微笑みながら手拭いをおでこへと戻してくれる。


「前にも言ったが、試衛館の奴らにバレるのは時間の問題だと思ってたからな。ある意味、一年以上もバレなかったのが不思議だ」


 そういえば、前にもそんなことを言っていたっけ。


「何度も言ってるが、近藤さんと総司にだけはバレるなよ……」

「……はい。でもたぶん、もうその二人しか……」


 同時に沈黙するも、すぐに土方さんの大きなため息が響く。

 沖田さんはともかく……いや、きっと今以上にからかわれそうな気がするけれど、それ以上にバレちゃいけないのは局長の近藤さんだ。それだけは絶対に避けたい。


 何はともあれ、どうやら今回も切腹はしなくて済みそうだと思う半面、“試衛館の奴ら”ではないおまさちゃんにまでバレてしまったことに不安が過る。よく考えたら、おまさちゃんにバレてしまったことも伝え忘れていたし……。

 お咎めはなくとも、もう今まで通りというわけにはいかないだろう。

 目を閉じため息までこぼしそうになれば、ポンと叩くように頭を撫でられた。


「おまさと言ったか。嬉しかったんだろう? ここへ来てからずっと、野郎ばかりに囲まれてたからな」

「それは……」


 小さくも正直に頷けば、土方さんは全部お見通しとばかりに吹き出した。


「隊士の交友関係まで管理できるほど、俺は暇じゃねぇよ」

「それって……」

「まぁ、男の成りしてる以上、左之みてぇに勘違いする奴もいるってことは頭の片隅にでも入れておけ」

「……はいっ」


 そろそろ寝とけ、と掌で視界を閉ざされた。

 今後もおまさちゃんと友だちでいられるという安堵と、掌の温かな安心感に誘われ眠りにつくのだった。






 翌日。

 お汁粉を持ってお見舞いに来てくれた沖田さんが、布団の横に腰を下ろすなり胡座の上で頬杖をついて微笑んだ。


「春くん。こんな寒い中、左之さんと川遊びしたらしいじゃないですか〜」

「川遊び……」


 詳細を語るには色々面倒で言えないことも多いから、きっとそういうことになっているのだろう。

 だからって、こんな真冬に川遊び……。風邪まで引いてこうして寝込んでいるのだから、とんだおバカじゃないか。


 とはいえ、今思えばよく飛び込めたなぁと不思議に思いながら、せっかくだから差し入れのお汁粉をいただこうとまだ少し熱っぽい身体を起こした。

 島田さんがお汁粉を作っていたらしく、二人分お裾分けをしてもらったらしい。


「ふーふーしてあげましょうか〜?」

「なっ、大丈夫ですっ!」

「遠慮しなくていいのに~」


 楽しそうな沖田さんからお汁粉を受け取り匙で掬ってみれば、相当甘いのか糸を引いている。

 息を吹きかけ冷ましていれば、一足先に食べた沖田さんが動きを止めた。


「……あ、甘過ぎる……」


 どうやら甘党の沖田さんがお椀を置くほど甘いらしい。

 恐る恐る私も口に運んでみるけれど、甘みどころか味がしなかった。続けざまに二口三口と運んでみるものの、風邪の影響で味覚が機能していないのか全く味がしない。


「よく食べられますね……。さすがの僕でもこれはちょっと……」

「残したら勿体ないですよ」


 そう言って半ば呆れ顔の沖田さんを横目に食べていれば、朝から出ていた土方さんが帰って来た。

 沖田さんは自身のお椀を手に取ると、匙とともに差し出ししれっと言い放つ。


「お帰りなさい、土方さん。外は寒かったでしょう? お疲れでしょう? そろそろ戻って来る頃だと思って、土方さんの分も持って来てたんですよ〜。はい、どーぞ」

「お、汁粉か? 何だ、珍しく気が利くじゃねぇか」


 どこか嬉しそうにお汁粉を掻き込んだ土方さんは、次の瞬間、沖田さんの顔めがけて勢いよく吹き出した。


「わっ、土方さん……汚いじゃないですか!」

「あ!? てめぇ何の嫌がらせだ! こんな甘いもん食えるかっ!」


 お互い懐から手拭いを取り出しながらも、どうやら言い合いは続けるらしい。


「お汁粉なんだから甘いに決まってるじゃないですか〜。せっかく島田さんが作ってくれたのにケチつけるだなんて、酷いな〜」

「限度ってもんがあるだろうがっ! なら、てめぇも食ってみやがれ!」

「僕はもう頂いたんでいいです」

「お前まさか……一口食って俺に押しつけやがったな!?」

「あれ〜、バレちゃいました?」

「おい、総司!」


 まるで兄弟喧嘩のような光景を横目に完食すれば、ごちそうさまでした、と手を合わせる。今にも取っ組み合いしそうな二人が何か言いたげに私を見た。


「……何ですか?」


 そんなに甘いのか?

 思わず喧嘩を中断してしまい、揃いも揃って信じられない、という目をしてしまうほど甘いのか?

 私はただ、残したら勿体ないという思いで味もわからないまま食べただけなのだけれど。


「春くん……」

「全部食ったのか……」

「味がよくわからないので……」


 だから、揃いも揃ってそんな目で見るのはやめて欲しいのだけれど!

 島田さんのお汁粉は、いったいどれだけ甘いのかっ!

 味覚が戻ったら、改めて食べてみたいと思うのだった。

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