137 多摩へ

 翌日、伊東さんの道場へ行くという藤堂さんに同行しようとしたら、玄関で袴を引かれていることに気がついた。

 足元に視線を落とせばおたまちゃんと目が合って、慌ててその場にしゃがみ込む。幼い顔が、私を見ながら恥ずかしそうに口を開いた。


「……たまね、ハウと、あしょぶ」


 ハ、ハウ……? もしかして私のことかな?


「あ、あのね、春だよ。ハル」

「うん。ハウ!」


 ……ヤバイ。可愛いからもうハウでいい!

 そんなことより、ずっとおつねさんの後ろに隠れていたおたまちゃんが、自分からこうして話しかけてくれるとは!

 思わず藤堂さんを見上げれば笑っていた。


「遊んであげたら? 伊東さんの勧誘はもう済んでるし、隊士募集の件も、本格的に動き出すのは近藤さんたちが来てからだしいいんじゃない?」

「それじゃあ、お言葉に甘えてもいいですか!?」

「うん」


 藤堂さんが頷いた瞬間、おたまちゃんに向き直りその小さな手を掴んだ。


「おたまちゃん、一緒に遊ぼっか!」

「うんっ!」


 二人で藤堂さんを見送ると、おたまちゃんと道場の敷地内でおいかけっこやかくれんぼ、部屋の中ではお手玉や折り紙をして遊べば人見知りさんはどこへやら、すぐに懐いてくれたのだった。




 次の日、藤堂さんとともに出掛けようとすれば、おたまちゃんが駆け寄ってきた。


「……ハウ」


 そう言って不安げに私の袴を引っ張るもんだから、この日も二人で藤堂さんを見送った。

 さらにその翌日は、すでに玄関で待ち伏せをしているという状態だった。

 そしてこの日から、近藤さんが来るまでの間はおたまちゃん専属の遊び相手となった。


 とはいえまだまだ幼い子供。遊び疲れたら眠ってしまいなかなか起きない。

 おたまちゃんがお昼寝の時間は門下生に混じって稽古をし、起きたおたまちゃんが道場に迎えに来ればまた遊ぶ、という日々を繰り返した。






 九月の中旬。ようやく近藤さん一行が到着した。

 荷物の整理を終えた近藤さんが託された文を配り始めると、なぜか私にも一通手渡した。どうやら送り主は土方さんらしい。

 表の宛名書きは土方さん特有のうにゃうにゃとした文字で、相変わらず全く読めそうにない。これは中身も全然読めないんじゃ……とゆっくり開いてみた。


 “無 事 ニ 帰 つ て 来 い”


 あれ、読めた。

 たった一行の文字だけれど、どうやらいつの間にかミミズの這ったような文字も読めるようになったらしい!

 嬉しくて思わず三回くらい読み返せば、あることに気がついた。


「あれ、ミミズじゃない……?」


 よく見れば、一文字一文字離して書いてあるうえに、難しい書き言葉ではなく話し言葉で書いてある。

 そういえば、以前にそんな話をしたっけなと思い出すも、そんなことを覚えていてくれたんだとなんだかちょっと嬉しくなった。


 とはいえ、短っ!

 出立前にも散々言われた台詞をわざわざ文にも書くだなんて、そんなにフラフラとどこかへ行くような人間に見えるのだろうか。

 脱走扱いにされたらたまったもんじゃないので、ちゃんと帰るのに!






 旅の疲れは何のその、近藤さんの到着は夜だったにも関わらず、この日は門下生も交えそのまま盛大な宴となった。

 おたまちゃんはすでに寝てしまったので、近藤さんとの感動の再会は明日の朝になるのだろう。


 そして宴はすぐに盛り上がった。

 けれどやっぱり武田さんは私を避けているようで、近藤さんや尾形さんとばかり飲んでいる。本当にもう大丈夫そうだ、と思いながら永倉さんと藤堂さんの側でお茶を啜っていれば、そういえば……と永倉さんが語りだした。


「実はな、近藤さんの非行五箇条を挙げた建白書を会津藩に出したんだ」


 池田屋で新選組の名が広まって以来、同志であるはずの自分たちをまるで家来のように扱う増長した態度の近藤さんが許せなかったらしく、斎藤さんや原田さん、島田さんら計六名が切腹覚悟で会津藩へ訴えたらしい。

 五箇条のうち一つでも正当性を説明できれば自分たちが切腹をする。ただし、一つもできないのであれば近藤さんに切腹を申しつけてください、と。


 近藤さんに対してそんな風に感じたことはなかったけれど、つき合いの長い永倉さんたちだからこそ、思うところがあったのかもしれない。

 その後、会津公の取り計らいで和解となったけれど、最後まで頑強に抗議をした葛山かづらやま武八郎たけはちろうさんが切腹したらしい。

 そんなことがあったのなら、二人の仲はぎくしゃくしているのではと心配したけれど、永倉さん曰くそうでもないらしい。


「近藤さんは良くも悪くもああいう人だからな。腹を割って和解となれば、いつまでも引きずるような人じゃない」

「それは新八さんもでしょ」

「まぁな。じゃなきゃ、一緒にここへは来てないさ」


 そう言って、永倉さんは手にした杯を一気に飲み干すのだった。






 翌朝、感動の再開を期待した近藤さんがおたまちゃんの目の前で両腕を広げるも、猛ダッシュで私の後ろに隠れるというとんでもない事件が起きた。


「た、たま? 父上だぞ?」


 近藤さんは何度もそう訴えるけれど、おたまちゃんは私の後ろでぶんぶんと首を振るばかり……。

 まだ幼いうちに上洛してしまったから、近藤さんのことをお父さんだと認識していないのかもしれない。


 今日は全員で会津藩邸へ行くはずが、私にしがみついたままとうとう玄関先で泣き出してしまい、その泣き顔に耐えきれなかった近藤さんが私に世話係を言い渡した。

 おかげで近藤さん一行が到着したというのに、私は隊務に関わるよりもおたまちゃんと過ごす時間の方が圧倒的に多くなった。

 近藤さんはといえば、老中やお偉いさんと面談したり多摩へ足を運んだりと、なかなか家族との時間も持てず忙しそうにしていた。


 とはいえ、私だってただ遊んでいたわけじゃない。

 ちょっとばかり可愛そうな近藤さんのために、池田屋での奮闘ぶりや局長として格好良くみんなをまとめているという話を、わかりやすく丁寧に根気強く説明したりしていた。






 十月の初め。

 今日も遊びの合間に近藤さんの武勇伝を力説していれば、突然、おたまちゃんがその幼い顔には不釣り合いな真剣な表情を浮かべた。


「ハウ……。ちちうえ、しゅき?」

「もちろん! おたまちゃんの父上は強くて格好よくて、私も大好きだよ!」


 何かを一生懸命考えているらしいその顔が、ぱぁっと花開くように笑顔を咲かせた。


「ハウのしゅき、たまもしゅき!」


 そう言って私の手を掴んだかと思えば、小さな身体が近藤さんの部屋へと私をいざなう。

 ついさっき帰って来たばかりの近藤さんは、突然部屋に押しかけてきた愛娘と私を見て、驚いたような嬉しいような、どこか不安そうな顔をした。


「た、たま? どうした?」


 見上げてくるおたまちゃんに一つ頷き返せば、すぐに小さな手は私のもとを離れていった。もちろん、向かう先は目の前の近藤さんだ。

 飛び込んできたおたまちゃんをしっかりと受け止めた近藤さんが、腕の中の我が子を見つめ驚いたように言う。


「た、たま。どうした?」

「たま、ちちうえ、しゅき!」




 しばらく近藤さんの腕の中にいたおたまちゃんは、いつの間にかすやすやと穏やかな寝息を立てている。

 そんな我が子の頬を撫でながら、近藤さんは私にも穏やかな笑みを向けた。


「春。ありがとう」

「無事、親子感動の再会ができてよかったです」


 そう言って部屋を出ようとすれば、少しだけ真面目な声音で引き止められた。


「何か思い出せたか?」


 きっと、私の家族に関する記憶のことを言っているのだろう。

 嘘に嘘を重ねるのは心苦しいけれど、ただ黙って首を横に振ってみせれば、そうか、と近藤さんが悲しげに眉尻を下げた。


「明日、多摩の日野宿へ行くが春も一緒にどうだ? 富澤さんも会いたがっている」

「っ! 多摩……行きたいです!」


 笑顔で答えれば、近藤さんは両頬に笑窪を作るのだった。






 翌日、近藤さんと揃って後ろ髪を引かれる思いで出発し、日野宿にある日野宿本陣へとやって来た。

 日野宿本陣は、日野宿の名主であり土方さんの義理のお兄さんでもある佐藤彦五郎さんのお屋敷で、敷地内には道場まである。

 その彦五郎さんと、土方さんの実の姉でもある奥さんのおのぶさんが出迎えてくれた。


「君が春君だね。勇さんやみんなから話は聞いているよ」

「は、初めまして。琴月春と申します」


 慌てて自己紹介をすれば、彦五郎さんの隣に立つおのぶさんが微笑んだ。


「歳が迷惑かけてない? あの子いくつになっても子供みたいで、変に意地張って素直じゃないとこあるから」


 思わず頷きかけるけれど、ここは副長の威厳を保つためにも、そんなことないです、と堪えた。




 この日は富澤さんに捨助さん、そして、土方さんの実のお兄さんである為次郎ためじろうさんらたくさんの人が集まり、大宴会となった。

 こんなに偉くなって、と近藤さんの周りにはたくさんの人が集まっている。

 一応新選組隊士でもある私の周りにも、富澤さんや捨助さんを中心に人が集まっていて、京の情勢やら池田屋での奮闘の様子など質問攻めにあっていた。


「ほらほら、みんな落ちつけ。春君が困ってるだろう」


 そう言って間に入ってくれる富澤さんの顔は、まるで自分のことのように嬉しそうで、ここに土方さんがいたならきっと、もっとみんな喜んだに違いない。

 ふと、捨助さんが杯片手にじっと私を見ていることに気がついた。


「春、俺はまだ新選組に入ることを諦めたわけじゃねえ。けど、しばらくは約束通り多摩を守っておいてやる。だから、またいつでも来い」

「っ! ……はいっ!」


 嬉しい言葉に微笑み返せば、捨助さんは杯をぐいっと一気に飲み干すのだった。



 

 宴会は夜通し続いていて、少し夜風に当たって眠気を覚まそうと賑わう広間を出て縁側へ向かえば、そこには為次郎さんがいた。

 年は五十を超えているそうで、土方さんとは兄弟というより親子という感じもする。私が声をかけるより先に気がついたようで、ここへ来なさい、と床をとんとんと叩いている。

 促されるまま隣に座れば、為次郎さんが顔だけをこちらに向けた。

 けれど、その瞳は正確に私を捉えてはいない。十代後半に患った病のせいで、目が不自由なのだという。


「琴月春。お前はいったい何者だ?」

「……え」


 月のない夜。星明りが照らし出す為次郎さんの目は、どこか土方さんに似ている……と、そう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る