136 試衛館と伊東道場

 試衛館へ着いたのは日暮れ間近だった。

 私たちを出迎えてくれたのは近藤さんの奥さんであるおつねさんと、その身体にしがみつき恐る恐る顔だけを覗かせる小さな女の子だった。


「お話は勇さんから伺っております。大したお構いはできませんが、どうぞゆっくりなさってください」

「お久しぶりです。しばらくお世話になります」

「は、初めまして、琴月春と申します! よろしくお願いいたします」


 藤堂さんが丁寧に頭を下げるのに合わせて私も慌ててお辞儀をすれば、おつねさんは女の子を前に押し出した。


「ほら。おたまもちゃんと挨拶なさい」


 私たちの前に押し出された女の子は、驚いたように目を大きく見開き慌てて身体を反転させようとするけれど、どうやらおつねさんがそれを許さないらしい。

 終いには、今にも泣き出しそうな顔で手をバタバタし始めたので、その場にしゃがみ込み目線の高さを合わせた。


「こんばんは」


 突然話しかけられて驚いたのか、バタつかせていた手は動きを止め、今度は固まってしまった。

 その様子があまりにも可愛すぎて、作らなくても自然と笑みがこぼれる。


「おたまちゃんって言うの? 可愛い名前だね」

「…………」

「私はね、春って言うんだよ。これからしばらくよろしくね?」

「…………」


 言葉は発してくれなかったけれど、ほんの少しの間のあとで、こくんと小さく首が縦に動いた。

 そうして再びおつねさんの後ろに隠れれば、様子を見るように顔だけをひょっこりと覗かせる。


 ……か、可愛すぎる。

 思わずぎゅうっとしてしまいたい衝動を押さえつつ、おつねさんが案内してくれる部屋へと向かうのだった。




 あてがわれたのは六畳ほどの部屋で、当然のごとく藤堂さんと相部屋だった。

 さっそく二人で荷物を整理しながら気になっていたことを訊いてみる。


「おたまちゃんって、やっぱり近藤さんの子供ですか?」


 以前、小さな女の子が一人いるという話を聞いた気がする。


「うん。上洛前は確かまだ二歳だったかな。よちよち歩きだったのに、一年半も経てば随分変わるね。オレのことも、すっかり忘れちゃってるみたいだし……」


 ということは、今は三才なのかな。

 けれど、この時代の年齢は数え年だから、正確にはまだ二才くらいかもしれない。

 だとしたら、藤堂さんのことを覚えていなくても仕方がない気がする。


 その後、夕餉もお風呂も早々に済ませれば、この日もすぐさま布団へと潜り込むのだった。






 翌日、朝餉のために藤堂さんと広間へ行けば、すでにお膳の前にちょこんと座っていたおたまちゃんが、私たちを見るなり慌てておつねさんの後ろに隠れた。

 様子を伺うように顔だけをひょっこりと覗かせるその姿に、頬が緩むのを感じながら軽く手を振ってみせる。


「おたまちゃん、おはよう」

「…………」


 人見知りさんなのか相変わらず無言だけれど、少し待てば、こくんと小さく頷いてくれた。

 朝餉の間もちらちらとこちらを見ていて、何度も目が合った。そのたびに微笑んでみせるも、恥ずかしそうに俯いてはおつねさんの後ろに隠れるということを繰り返す。

 食事を終え広間を出る間際、おつねさんの後ろに隠れたままのおたまちゃんに声をかけた。


「おたまちゃん、今度一緒に遊ぼうね!」


 やっぱり返事はなかったけれど、僅かに目を見開きながらもこくんと頷くその姿に、朝から癒されるのだった。




 藤堂さんと試衛館を出ると、天然理心流を近藤さんに譲り、奥さんと四谷で隠居生活を送っているという三代目の近藤周斎こんどう しゅうさい先生を訪ねた。

 玄関先で藤堂さんが声をかければ、中から奥さんが出てきて対応してくれる。お年を召してはいるけれど、綺麗な顔立ちの人だった。


 奥の部屋では七十才くらいのおじいさんと、奥さんよりも随分と若くて綺麗な女性が楽しそうにお酒を飲んでいた。

 藤堂さんが一瞬呆れたような顔をした気がするけれど、揃って腰を下ろせばそれぞれ挨拶と自己紹介をする。

 どうやらおじいさんが周斎先生で、若い女性はお妾さんらしい。


 ……って、家には奥さんがいるのにいいのだろうか……。

 正妻と妾がひとつ屋根の下って、なんだかもの凄い修羅場にしか思えない……。


「平助、随分凛々しくなったじゃないか。新選組の名はここまで聞こえてきてるぞ?」

「おかげさまで。それより、程々にしないとお身体に触りますよ?」

「何言っとる。儂から酒と女を取り上げようだなんて、死ねと言っているようなもんだ」


 ……周斎先生ってこんな人なのか? もっと厳格な人を想像していたのだけれど……。

 二人のやり取りを見ながらそんなことを思っていれば、周斎先生が突然私を見た。


「春といったか。腕はどれくらい立つんだ?」

「わ、私ですか? えっと、まだまだです」


 咄嗟にそう答えるも、藤堂さんが口を挟む。


「何言ってるの。最初こそアレだったけど、今はそんなことないでしょ」


 そう言って、しょっちゅう沖田さんに稽古をつけてもらっていることを藤堂さんが告げれば、周斎先生が感心したように言う。


「ほう。総司のあの稽古に。ならば二人とも、江戸にいる間だけで構わん、時々でいいから門下生らを見てやってくれ。勇不在の間くらい儂が見てやりたかったんだが、生憎この様でな」


 どうやら周斎先生は、中風というのを患い半身麻痺していて、もう竹刀を持ったりはできないのだという。

 四代目である近藤さん不在の道場は、天然理心流の門下生でもあり土方さんの義理のお兄さんである佐藤彦五郎さんや、他の人たちが留守を預かっているという状態らしい。

 私はまだ人に教えられる立場にはないけれど、藤堂さんは私の分も了承し、それから少しの会話を交わして周斎先生のもとをあとにした。


「周斎先生は相変わらずだね。あれじゃ身体にも悪いだろうに」

「中風を患ってるって言ってましたね……。って、そんなことより、大丈夫なんですかあの状況は……」


 思わず濁すも、察してくれたらしい藤堂さんが説明してくれる。

 どうやら周斎先生の酒と女好きは昔からで、今の奥さんも実は九人目なのだとか。


「妾を持つことじたいは珍しくもないけど、さすがにあれはオレも驚いたよ」

「と、藤堂さん? 今なんて?」

「驚いたって話?」

「い、いえ、そっちじゃなくて……」


 妾を持つことは珍しくないって言ったように聞こえたのだけれど。

 耳を疑う私に、藤堂さんがさらに驚きの発言をした。


「え、妾は珍しくもないでしょ。近藤さんだって囲ってるし」 

「え……ええっ!?」


 私の驚きぶりに驚いた藤堂さんは、記憶がないせいだね、と勝手に納得をし説明してくれた。

 どうやらこの時代、妾を持つのは男の甲斐性みたいな風潮らしい。そして近藤さんも、現在京で妾を囲っているらしい……。

 屯所とは離れた場所に住まわせているのだと。


「もしかして、藤堂さんもいたりするんですか?」

「春……オレまだ所帯も持ってないんだけど」

「あ……」


 そんな会話をしながら次に向かったのは、藤堂さんが試衛館の食客となる前に通っていたという伊東道場だった。

 今回、藤堂さんが先行して江戸へ来た理由もこれで、ここの道場主である伊東大蔵いとう おおくらさんを新選組に誘うためだ。


 さっそく伊東さんのもとへと案内してもらうと、背が高くてきちっと髷も結い、目元は涼しげで一言でいえば容姿端麗、そんな印象の人だった。


「伊東先生、ご無沙汰しております」

「平助、久しぶりだからってそんなに畏まらなくていい。長旅ご苦労だったね。さっそくだけれど、例の話、よろこんで受けさせてもらうよ」


 どうやらすでに知らせてあったらしく、話はすぐに纏まった。詳しくは近藤さんが来てからということになり、その後は二人昔話に花を咲かせている。

 邪魔をしないよう少し離れて道場を見学していれば、門下生の一人が近づいてきた。


「新選組の方ですよね? よろしければ手合わせ願えませんか?」

「え……私ですか?」


 人懐っこい笑顔を浮かべるその人が、こくんと頷いた。池田屋の一件で、新選組の名前も随分と広まったんだなぁと実感する。

 藤堂さんたちはまだ盛り上がっているみたいだし、手持ち無沙汰にしていたのも事実。


「ご期待に添えるかわかりませんが……」


 そう言って防具をつけると竹刀も手に取った。

 距離を取って一礼し、正眼に構えれば相手も同じような構えを取る。その剣先は、山南さんや藤堂さんのように僅かに揺れていた。


 最初に動いたのは相手だった。勢いよく踏み込み頭上から竹刀が迫る。

 けれどその動きは、自分でも驚くくらいによく見えた。

 竹刀を当て軌道を逸らし、斜め前方へ抜けると同時に相手の胴を抜く。

 そのまましばらく続けるも、私が負けるということはほとんどなかった。

 もしかして、思った以上に上達している?

 手合わせを終えれば、藤堂さんと伊東さんが側へやって来た。


「琴月君と言ったかな。よければ私とも手合わせ願えるかな?」

「はい!」


 勝って気を良くしていたのもあって申し出を受けたけれど、さっきまでとは違ってなかなか当てられない。

 伊東さんの竹刀を目で追うことはできるけれど、身体の方がその速さについていかない。かろうじて避けるばかりで、攻撃に転じる隙もないという状態だった。そして負けた。

 けれどよく考えたら、伊東さんはここの道場主。強くて当然だ。

 それでもやっぱり悔しい。完全に力不足だった。


「ありがとうございました」


 深々とお辞儀をすれば、伊東さんが涼しい顔で微笑んだ。


「私も立場上負けるわけにはいかなくてね、本気でやらせてもらったよ」

「いえ、そう言っていただけて光栄です」

「君は随分と素直な人ですね。太刀筋にも現れていましたよ」


 それはつまり、太刀筋はバレバレ、駆け引きができないということだろうか。

 なんにせよ、京へ帰ったらもっと稽古に励もう……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る