126 戦のあと

 怖い夢を見た。真っ暗闇から伸びてくるたくさんの手。赤い手、黒い手、必死で逃げる私――


 目が覚めると、なぜか大坂の京屋だった。


「春……。気がついたか」


 声のした方を見ると、井上さんが心配そうな顔で私を見下ろしていた。

 どうやら酷くうなされていたようで、濡らした手拭いで額の汗を拭ってくれていたらしい。


「あの……私、どうして大坂に? 天王山は……みんなはどうしたんですか?」


 意識がはっきりしてくるにつれ、天王山での記憶もよみがえる。こんなところで寝ている場合ではないと、身体を起こして井上さんに詰め寄った。


「ちゃんと説明する。とりあえず落ちつけ」

「……はい、すみません」


 小さく深呼吸をすると、手渡された手拭いを握りながら井上さんの話を聞いた。


 天王山にいた敗残兵は真木和泉含む十七名で、全員切腹したあと小屋に火を放って自害したらしい。あの爆発は、小屋内にあった火薬に引火したせいだと。


「腹を切ってもすぐには死ねないからな……。火をつけて介錯の代わりとしたんだろう。近藤さんたちも、敵ながら見事な最期だと言ってたよ」


 爆風で飛ばされ死にきれなかった人たちの介錯を、新選組がしたとも教えてくれた。

 そういえば、私の目の前に飛ばされてきた人は、斎藤さんが介錯をしてくれたっけ。見たわけじゃないけれど……。

 たとえ視覚を遮断されていても、音、熱気、におい、身体を震わす感覚全てからその壮絶さは伝わってきた。


「春? 顔色が悪い。まだ横になってた方がいい」

「……大丈夫です。続きを……」


 天王山を下山すると、新選組は敗残兵を掃討するため大坂へ向かい、夜にはここ京屋に入ったらしい。

 一夜開けた今日は、大坂の長州屋敷を焼き討ちするため、今はみんな出払っているという状況だった。


「ということは、私はほぼ一日眠ってたんですね……」

「気にしなくていい。斎藤が春を抱えて下りて来た時は、何があったのかと本当に心配したんだぞ?」

「……すみません」

「こら、落ち込むな」


 俯く私の頭を、井上さんの手がわざとらしくくしゃくしゃっと撫でた。


「そうだ。腹減ってないか? 何が食べたい? すぐに買ってきてやろう」


 正直お腹は空いていない。

 けれど、それを言ってしまったら井上さんをさらに心配させてしまう気がして、上手く言い出せないでいた。


「鰻はどうだ? いや、甘味でもいいぞ? そうだ、暑いし心太なんてどうだ? こっちのは江戸と違って醤油じゃなく砂糖がかかってるんだが、甘いのもなかなか美味いんだ。よし、すぐ買ってくるからちょっと待っててくれ」


 返事をする間もなく捲し立てた井上さんは、言うが早いかさっさと部屋を出ていこうとするので慌てて呼び止めた。


「井上さんっ! あの、私も一緒に行っていいですか?」

「それは構わないが、起きたばっかりで平気か?」

「はい。少し、外の空気を吸いたいので……」

「わかった。なら一緒に行こうか」


 すぐに支度に取りかかるけれど、想像以上に時間がかかってしまった。それでも井上さんは、急かすことなく待ってくれていた。

 宿を出ると空は雲一つない快晴で、降り注ぐ日差しは眩しく、肌を焦がすように暑い。


「ちょうど日陰だし、ここで座って待っててくれ」


 目当ての店へつくなり井上さんは私を縁台に座らせて、一人店の中へと入っていった。

 待っている間、行き交う人の流れをただぼーっと眺めていると、賑やかで活気溢れるそのなかに見知った顔を見つけた。


「今のって……」


 思わず立ち上がりそのままあとを追いかけた。

 けれど、すぐに追いつくつもりがなかなか追いつけず、気がつけば閑散とした川岸まで来てしまった。

 人目を避けるような足取りといい確信は得たけれど、これ以上は追いつけそうになくて若干息の上がった声で呼び止めた。


「桂さんっ!」


 ぴたりと足を止めたその人は、ゆっくりと振り返るなり私の姿を見て一瞬大きく目を見開いた。


「……春」


 やっぱり桂さん……桂小五郎だった。

 問い詰めるべくすぐさま駆け寄り、その顔を見上げた。


「どうしてあんな……戦なんてしたんですか」


 自分でも驚くくらいの小さな声は、問うというよりまるで独り言だった。


「あんな強引なやり方、僕だって反対だったんだ。だけど、池田屋……。あれで仲間がたくさん殺されたからね、弔合戦とばかりに、僕じゃもう止められなかった」

「池田、屋……」


 それってつまり……。

 池田屋がなければ、せめてただの捕縛で済んでいれば、こんなことにはならなかったってこと?


「……春?」


 ああ……まただ……。知ってさえいれば……。

 結局、過去のことをちゃんと知らない私のせいだ。


 落ちついたはずの息がまた上がり、心臓の辺りをぎゅっと握り締めているにもかかわらず、まるで耳のすぐ近くに移動してしまったみたいにうるさい。

 照りつける太陽が視界を揺らし、その眩しさから逃れるように瞼を閉じれば、バランスを失いかけた身体は突然引かれ、どういうわけか私は桂さんの腕の中にいた。


「っ……桂、さん?」

「春、僕が前に言ったこと覚えてる? 新選組が君を泣かせるなら、次は無理やりにでも連れて行くって」

「……私、泣いてなんかいません」


 こっそり泣くこともあったけれど、いつからかそれすらもなくなった。だからもう、泣いてなんかいない。

 抜け出そうと身動ぎすれば、私を捕らえた腕の力は強まり、どこか辛そうな声が聞こえた。


「じゃあ、どうしてこんなにぼろぼろなの。今にも消えちゃいそうだよ……。僕は君が苦しむ姿なんて見たくない。……だからね、僕が君を、新選組から救ってあげる」

「……私を、救う?」


 言葉の意味を探ろうと見上げれば、私を見下ろす桂さんの顔が苦しそうに微笑んだ。


「うん。今から君を、拐おうと思う」

「え……何、言って――」

「ごめんね」


 そう呟いた桂さんの腕から解放された途端、鳩尾に激しい痛みが走った。

 ゆっくりと視線を落とせば、刀の柄を押し込まれたのだと理解した……。同時に背後から土方さんに呼ばれた気がしたけれど、確かめることはおろか、それ以上薄れていく意識を繋ぎ止めることさえできなかった。






 * * * * *






 長州屋敷の焼き討ちを終え宿へ戻る途中、青い顔で町中を走る源さんを見かけた。まるで誰かを探すようなその素振りに、ある程度の想像がついた俺は、近藤さんにあとを任せて源さんに合流した。

 平謝りする源さんを宥めて手分けすれば、すぐに川沿いへ向かう。川縁に佇み一人空を見上げる……そんなあいつの姿が浮かんだんだ。


 案の定あいつはすぐに見つかったが、一人じゃなかった。

 嫌な予感に駆け寄りながらその名を呼ぶも、力を失くしたあいつの身体は目の前の男の腕の中に崩れ落ちた。


 何が起きたのかはすぐに理解した。

 それと同時に、あいつの意識を奪ったのが誰なのかも理解した。

 俺は迷わず刀を抜き奴の前に突きつけた。


「桂っ! てめぇ何しやがる! 今すぐそいつを放せっ!!」


 だが桂は慌てる様子もなく、片手であいつを抱き留めたまま俺を見た。


「……土方、か。君は側にいるくせに、こんなに傷ついたこの子を見て何とも思わないの?」

「あ? 散々京の町を引っ掻き回した奴がそれを言うか」


 こいつが心を痛めるのは自分のことなんかじゃねぇ。いつだって、他人のことなんだよ。


「……そうだね。でも、僕は強引な手段は好きじゃないんだ。だから色々と反対はしてたんだけどね」

「はっ、目の前でこいつを拐かそうとした奴がよく言う。笑わせんじゃねぇよ」

「……うん、それもそうか。でもこの子がこんなに傷ついてるのは、僕らだけのせいじゃないよ」

「てめぇ、何が言いてぇ……」

「君たち新選組だって、この子を苦しめてる。ねぇ、この子を新選組から解放してあげてよ」

「うるせぇ。ふざけたこと抜かしてねぇで、とっととそいつをこっちへ寄越せ! 斬られてぇのか!」


 てめぇなんかに言われなくてもわかってる。新選組にいるせいでこいつが悩み苦しみ、どれだけ傷ついているかなんざ、そんなのは側で見てりゃわかんだよ。

 だからって、てめぇらに渡せばどうなる? いいように利用するだけだろうが。


 一戦交える覚悟で刀を握り直せば、桂は深いため息をついてから動かない琴月に向かって呟いた。


「……ごめんね。ここで捕まるわけにはいかないんだ」


 それからゆっくりと、琴月の身体をその場に横たえた。

 いくら逃げ足のはええ桂でも、琴月を抱えたまま逃げ切れるとは思っちゃいねぇらしい。ならば俺を倒してから、か。

 だが桂は刀を抜くどころか、琴月に視線を落としたまま片手でその頬を撫でる。

 何のつもりだ、と思わず顔をしかめて舌打ちするも、桂は俺の方など見向きもせず問いかけてきた。


「知ってる? 近頃この辺りは追い剥ぎが出るらしいよ」

「は? それがどうしたっ……って、おい! 桂てめぇまさかっ!」


 言うが早いか桂は羽織を翻し、一目散に逃げて行った。


「待ちやがれっ!!」


 そう叫ぶも桂が止まるはずもなく、俺もその場を動けずにいた。


 夕暮れの川沿いは、涼をとる人もなく前に来た時よりも閑散としていて、追い剥ぎが出るというのも強ち嘘じゃねぇらしい。

 意識があるならまだしも、こんな状態で置いていけるわけねぇじゃねぇか!


「くそっ!」


 少々荒っぽく刀を納めてから、琴月の側で膝をつく。その身体を起こせば、随分と後ろの方から俺を呼ぶ源さんの声がした。




「どうせなら一寸早く来て欲しかったよ」


 全力で駆け寄って来た源さんを苦笑で迎えるも、嫌味とも気づかず動かない琴月を見て焦り出した。


「春!? 春に何があった!?」

「源さん落ちつけって。怪我はしてねぇ。気を失ってるだけだ」

「だけって……何があった? いや、まぁ俺が目を離したのがいけないんだが……」


 肩を落とす源さんに手短に説明すれば、一先ず無事で良かったと胸を撫で下ろすもすぐに表情を曇らせた。


「やっぱり、こっちへ連れてこないで屯所へ帰した方が良かったんじゃないか?」

「……いや。屯所に戻したところで、今のこいつは目覚めた途端、一人ででも追いかけて来ちまうさ」

「……そうか。とりあえず、ほら」


 そう言うと、源さんは背中を向けて俺たちの前にしゃがみ込んだ。琴月を背中に乗せろってことらしい。


「いや、源さんは走って疲れただろ。このまま俺が運ぶ」


 返事も待たず、空いた腕を琴月の膝裏に差し入れ抱き上げる。そのまま立ち上がるも、思わずその顔を覗き込んだ。


 いくらなんでも軽過ぎだろう……。

 何が死なねぇだ。このままじゃ死んじまうぞ。

 こんな小せぇ身体で、何もかも背負い込もうとしてんじゃねぇよ。馬鹿野郎が。






 * * * * *






 ゆらゆらと、ゆりかごに揺られる夢を見た。

 辺りは真っ暗闇で何も見えないけれど、暖かくて心地よくて、ずっとこのままでいたいと思えるそんな夢だった。


 目覚めると再び京屋で、井上さんから事の顛末を聞かされた。

 気を失う間際で聞いた声は、やっぱり土方さんだった。


 戦場で気を失うだけじゃなく拐われかけるだなんて……こんなんじゃ、無力で役に立たないどころかただの足手まといだ。

 私はいったい、何のためにここにいるのか……。

 そんな疑問が浮かぶも、翌日には新選組本隊とともに屯所へ帰営した。




 長州軍の敗走という形で終結した今回の戦は、激戦を極めた蛤御門の名を取って、“蛤御門の変”とか“禁門の変”などと呼ばれた。

 たとえ長州軍の狙いが会津藩、会津公だったとしても、御所へ向けて弓を引いたという事実に変わりはなく、朝廷からは長州追討の勅命が出され、長州藩は朝敵となった。


 あの日、鷹司邸や長州藩邸から上がった火は風の影響で広範囲に渡り延焼し、三日も燃え続けたことで京の町はおよそ半分が焦土と化した。東本願寺や本能寺、お正月にお詣りに行った六角堂も焼け落ちた。

 火の手が瞬く間に広がったその様に、“どんどん焼け”とか“鉄砲焼け”なんて呼ばれている。鉄砲の音が鳴り響いていたから、と。


 結局、京の町は火に包まれた。

 池田屋で重症を負った隊士二名も、今回の戦の間に傷が悪化し亡くなってしまった。

 古高俊太郎を始め六角獄舎に収容されていた人たちも、火災に乗じて逃走されては困ると、役人の独断で全員斬首に処されてしまったらしい。


 池田屋事件さえなければ……死者を出さずに捕縛できていれば、こんな戦は起きなかったかもしれない。

 そうしたら、大火なんて起きなかった。人がたくさん死ぬこともなかったんだ……。

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