127 夢の中へ①

 三日間に渡り延焼したどんどん焼け。

 屯所は被害を免れたけれど、北は丸太町通、南は七条通、東は寺町、西は東堀川にまで至り、京の町は広範囲が焼け野原となり、随分と様変わりしてしまった。


 それでも巡察はいつも通り行われ、戦から戻ってきた隊士たち含め、屯所内は徐々に日常を取り戻しつつあった。

 けれど、新選組の象徴でもある浅葱色の羽織を羽織る人は、もう一人もいない。


 池田屋事件以降、羽織を羽織る人は私や斎藤さんら数えるほどしかいなかったうえに、今回の戦でどうにもならないほど汚れてしまったから。

 そして、大火の原因は会津藩や新選組が放った火が原因だとか、六角獄舎の斬首刑は新選組の仕業だとか、あることないこと不満や怒りの矛先を、会津藩や新選組へ向ける人が多いせいだった。


 会津藩や新選組、諸藩が追討を行う中で、敵が潜んでいると思われる場所への砲撃や、時に炙り出すため火が放たれることもあったのは事実だ。

 もともと長州贔屓の京の町。中には敗残兵を匿う人たちもいて、そういった人たちの屋敷や施設に火が放たれることもあった。


 ここは現代じゃない、百五十年以上も前の過去。これがこの時代のやり方だから仕方がない……。そうやって無理やり納得させたりもしたけれど、同じく火を放ったはずの長州藩には、朝敵となった今でも同情の声が上がっている。

 そんななか浅葱色の羽織を翻し闊歩していたらどうなるか……想像に難くないわけで。


 みんなに比べて綺麗なままだった私の羽織も、煤や血で酷く汚れてしまったし、きっともう袖を通すこともないと思う。

 ……そもそも、巡察にも出られないまま一日のほとんどを寝て過ごす、という日々が続いていた。


 山崎さん曰く、栄養も休息も全く足りていないらしい。おまけに発熱までしていて、表向きは夏負けということになっている。


 早く隊務に復帰しなければ……と思ってはいるものの、頭も身体も思うように動かなくて、見ないふりをしてきた悩みや葛藤もいまだ手つかずのまま夢のなかへ逃げ込む……そんなことを繰り返している。

 このままじゃいけないことも、いつまでも続けられないこともわかってはいるけれど、何も見ず、何も考えなくていい夢のなかは心地よかった。


 それに、私がいなくても誰も困らない。隊務に支障がでるわけでもなく、巡察が滞るわけでもない。

 みんなを守れない私なんて、いてもいなくても同じ……ううん、足をひっぱるだけだ。


 私がいても何も変わらない。どうせ、何も変えられない。

 ……そう思ったら、何だか少し疲れた。






 朧気に瞼を開けると、山崎さんが私の腕を取り脈を計っているところだった。

 禁門の変以降忙しくしている土方さんは、巡察以外でも昼夜関係なく部屋を空けることが増え、こうして隊務の合間を縫っては山崎さんが様子を見に来てくれていた。


「すみません、起こしてしまいましたね」

「……大丈夫です」


 申し訳なさそうにする山崎さんに首を緩く振ってみせるも、落ちてくる瞼には抗うことができず、再び眠りのなかへ逃げようとするも山崎さんに阻止された。


「起きたついでに、少しだけでもいいので食べましょう」

「今は……いいです……」

「春さん。少しでもいいですから、滋養のあるものを食べてください。このままでは死んでしまいます」


 そんなこと言われても、食欲なんてこれっぽっちもない。

 かろうじて開けていた目を再び閉じようとすれば、突然背中に片腕を差し込まれ、頭を山崎さんの胸へ預けるような形で抱き起こされた。


「山崎さん?」

「すみません。でも、こうでもしないと起きてもらえそうにないので。たまごふわふわを作って来たんです。口を開けてください」


 たまごふわふわとは、味付けしただし汁に泡立つほどよく混ぜた溶き卵を流し入れ、蓋をして蒸らしたものらしい。


「実は、局長もこれが好きなんですよ」


 作り方の説明からそこまで教えてくれると、私の口元にはすでに匙で掬ったたまごふわふわが差し出されていた。

 この時代、玉子は高価な食材だ。それをわざわざ私なんかのために……。


「春さん。副長からも、ちゃんと食べさせるようにと言付かっています。このまま食べていただけないと、私が副長に叱られてしまいます」


 そう言って、山崎さんは少し悪戯っぽく微笑んだ。

 私のせいで山崎さんが怒られてしまうのは申し訳ない。仕方がないので口を開ければ、ゆっくりと匙が差し込まれた。


「どうですか?」


 正直、今は何を食べても味なんてわからない。

 けれどふわふわとした優しい食感は、するっと喉の奥へと吸い込まれていくので無言のまま一つ頷いた。

 よかったです、と微笑む山崎さんは、ゆっくりとした私の咀嚼を急かすことなく、何度か匙を運んでくれた。


 食事の適度な疲労感は更に眠りの淵へと誘うから、次第に飲み込むのも辛くなってくる。完食とは程遠いけれど、山崎さんは匙を下ろして微笑んだ。


「まだ身体も熱いですね……このまま眠ってください。すぐ横になって、吐いてしまってはいけないので」


 このまま……いまだ山崎さんにもたれるように、抱き起こされた状態なのだけれど……。忙しい山崎さんに、そんなことまでさせられない。

 大丈夫です、と布団に戻ろうとするも離してはもらえなかった。


 すでに眠気は限界で、それ以上抗う力もなく、優しく髪を撫でられるような感覚を確かめることも叶わないまま、眠りへと落ちていくのだった。






 次に目を開けた時は、山南さんが側で読者をしていた。


「驚かせてしまってすまないね。少し話がしたくて勝手に待たせてもらったよ。……もう目は覚めたかい?」


 一つ頷いて身体を起こそうとすれば、すぐさま本を畳に置いた山南さんが、そのままでいい、と片手で私の肩を軽く押し戻した。


「琴月君。望んだところには辿り着けたかい?」

「望んだ、ところ……」


 私が望んだこと……。

 みんなを守りたい。守るために敵を倒す。そう決めて屯所を出たんだっけ。

 ……結局、何一つできなかったけれど。


 情けなさに思わず口を引き結び、逃れるように視線を外せば、すまない、と山南さんが小さく呟いた。


「今の訊き方は、少し意地悪だったね」


 その一言に、僅かに強ばっていた身体の力も抜けた。

 山南さんは、気づいているのだとわかってしまったから……。望んだところには、ちっとも辿り着けなかったことを。


 ゆっくりと視線を戻せば、いつもの優しい笑顔が受け止めてくれる。そうして山南さんは、一つ小さく頷いた。


「足を止めることは、決して悪いことなんかじゃない。もちろん、引き返すことも、ね。迷いのなかで無理に進み続けても、いずれ引き返すことはおろか、立ち止まることさえできなくなってしまうから……」


 そう話す山南さんの顔は、どうしてか酷く儚く見えた。

 それと同時に、おそらく山南さんは、私が屯所を出る前からこうなることをわかっていたのだろう……と、そんな気がした。


 不意に、視界の端からゆっくりと伸びてきた片手がまるで私の瞼を下ろすように目元を覆い、視界を閉ざした。


「今はゆっくり休んで。君は、私みたいに……」


 最後の言葉は上手く聞き取ることができなかった。

 自身の不甲斐なさから目を背けるように、目元にあてがわれた暖かな手に誘われるまま、眠りの中へと落ちてしまったから……。

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