125 元治甲子戦争⑤
翌日、敗残兵が逃げ込んだという天王山へ、会津藩らとともに新選組も乗り込むことが決まった。
伏見で一泊してから向かうらしく、午後には伏見奉行所の辺りまで下り、夜になると山崎さんら監察方も合流した。
月が高く昇った頃。
隊士たちは障子を開け放った部屋で明日に備えて早々に雑魚寝をするけれど、なかなか寝つけなかった私は刀を持って外廊下へ出ると、膝と一緒に抱えて座り込んだ。
考えなければならないことはたくさんある。
けれど、整理がつかない感情は矛盾だらけで無理やり押し込め蓋をした。
これ以上明確な答えを出してしまったら、もう私は刀を持つことさえできなくなる……そんな気がしたから。
おもむろに刀を引き出してみれば、僅かに露出した刀身が月明かりを反射する。
寒々しくも白いその輝きは、綺麗だとも思う。
この刀を手にしたあの日、私は新選組のみんなを、死に行く人たちを救いたいと思った。
それなのに……。
結末を知っていながら芹沢さんの覚悟を、その死を受け入れた。
だから私は、芹沢さんから託された願いや想いをこんなところで放り出すわけにはいかない。
峰打ちだろうが何だろうが、刀を振るえなければ守ることはおろか、ここにいることさえできなくなる。それだけは絶対にダメだから。
「立ち止まってなんかいられない……」
言い聞かせるように呟けば、夜の
「まだ起きてたのか」
振り向かなくてもわかる。声の主は、今まで軍議をしていたのであろう土方さんだ。
忙しいこともあって、あれからまともに会話もしていないけれど。
「どうせまだ寝ねぇんだろ。少しでいい、面貸せ」
かちりと音を立てて鞘に納めれば、刀を手にしたまま土方さんのあとを追いかけた。
着いた先は敷地内の広い庭の真ん中で、土方さんは足を止めるなり振り返ることなく腕を組んだ。
「明日の天王山だが、新選組は近藤さんと俺で二手に別れることになった。俺は麓を固め、近藤さんは先鋒を務め山頂を目指す」
「先鋒、ですか……」
「ああ。お前は近藤さんについて行け」
「はい」
先鋒なんて、戦闘になれば最前線だ。麓待機なんて言われたら意地でも近藤さんについて行くつもりだったので、願ってもないこと。
「俺が何を言ったって、今のお前は先陣を切るだろうからな。その場で駄々を捏ねられるくらいなら、最初から最前線に送り出してやる」
「……はい」
「ただし……」
そこまで言うと、土方さんはゆっくりと身体を反転させた。
「自棄糞で刀を振るうんじゃねぇ。自分を見失ったまま人を斬ろうとするんじゃねぇ」
「見失ってなんか……」
「だいたい、お前に人は斬れねぇだろうが」
「そんなことっ……」
確かに以前、人は斬れないし斬らないとは言ったけれど……。それでも、今回は斬ろうとした。あの感情に嘘偽りはない。もうあの頃の私とは違う。
手にした刀に視線を落とし強く握りしめれば、土方さんがふっと小さく笑った。
「俺は鬼だからな。進んで戦場に来といて土壇場で尻尾巻いて逃げ出すような奴なら、たとえお前だろうが俺がその場で叩き斬ってやる。だがな、もとより隊士の一人も無駄死にさせるつもりはねぇんだよ。だから、自分を見失ったりするんじゃねぇ」
徐々に真剣さを増していく声音に思わず顔を上げるも、月明かりが邪魔をして、その表情までは読み取ることができなかった。
翌日の早朝、予定通り天王山へ向け出発し、麓へつくなり二手に別れた。
山頂へ向かうのは近藤さんや永倉さん、斎藤さんら多数の隊士と私で、残りは土方さんの指揮のもと山下を固めている。
山の中腹辺りまで登ると、前方に十数名の男たちが現れた。
その内の一人、金色の采配を手にした年配の男は金の烏帽子に錦の直垂という出で立ちで、歩み出るなり突然大声で叫んだ。
「我は毛利家家臣の
まるで戦国時代を思わせるかのような呼びかけに辺りはざわつくけれど、それをすっと納めた近藤さんが前へ出た。
「我は幕府配下の新選組局長、近藤勇である」
すると真木は朗々と詩を吟じ始め、終わるなり手にした金色の采配を掲げ勝どきを上げた。
直後、それが合図といわんばかりに控えていた十数名の兵が銃口を私たちに向け、一斉に発砲するなりそのまま山頂へと駆け上がっていった。
それまで呆気にとられていたせいで、突然のことに騒然となりながらみんな右往左往に辺りの木々に身を隠す。よく見ると、何人かの隊士が被弾してしまっていた。
「何で……」
これじゃ、前回の二の舞もいいところだ。
痛いほど早鐘を打つ心臓は、瞬く間に頭部に血液を集めるようなそんな錯覚さえ起こさせる。
山頂を睨みつけながら足を踏み出せば、突然後ろから腕を捕まれた。
「一人で突っ込む気か」
僅かに怒気を含んだその声に、負けじと鋭い視線のまま振り返る。
「斎藤さん、放してください」
「断る」
「斎藤さんっ!」
「言っただろう。無茶をしようとすれば止めると」
「でもっ!!」
このまま山頂へ行けば、また銃撃戦になる可能性が高い。銃弾から全員を守りきるなんて不可能だ。
私が先に行って敵を……、銃を破壊してしまえばいい。そのまま戦意を奪ってしまえばいい。
たとえ意識が途切れたとしても、斬り合いにさえ持ち込めれば剣術に長けた新選組にとっては有利になるはずだ。
押し問答をする間にも近藤さんが隊を纏めつつあり、進軍を再開するのは時間の問題だった。
なかなか振りほどけない手を反対の手で無理やり剥がそうとすれば、伸びてきた斎藤さんのもう一方の手が私の左頬に触れた。
「俺にまで手を上げさせる気か」
微かに震えるその手と声音はこの上なく不機嫌で、思わず息を呑む。
それでも、感情を抑えることもせず、叩かれることも覚悟して斎藤さんを睨みつけたその時だった。
「斎藤! 春! 二人とも行くぞ!」
「あっ……」
近藤さんに呼ばれ、体勢が整ってしまったことに気がついた。
斎藤さんに腕を捕まれたまま、半ば引きずられるようにして列に合流すれば近藤さんが声を上げる。
「俺に続けっ!!」
このままじゃ、またみんなが危険に晒されてしまう!
進軍を再開すると同時に、ほんの一瞬腕を掴む力が弱まった。その隙をついて勢いよく振りほどき、山頂へ向かってひた走る。
近藤さんと斎藤さんが呼び止めるのも無視して、とにかく全力で走った。
銃弾の雨を覚悟していたにもかかわらず、山頂へついても何も起きなかった。
見渡せど敵は一人も見当たらないし、隠れている様子もない。そこにあるのは燃え盛る小屋だけだった。
「どういうこと……。また火を放って逃げたの?」
息を整えつつ辺りを警戒しながら小屋へ近づけば、突然爆発し、爆風に耐えきれず勢いよく倒れた。
すぐさま上体を起こして確認するも、小屋は原型を留めずより一層炎を上げ、私のすぐ目の前には飛んできた家屋の破片が転がっていた……けれど、黒く焼け焦げたそれは家屋の一部などではなく、人……だった。
衣服も皮膚も黒く焼け焦げていて、よく見れば腹部は裂け大量に出血している。地を這うように伸ばした手で私の羽織の裾を掴まえると、血と煤で真っ黒になった顔を私に向け、声にならない声を発した。
「たの、む……」
何、を……?
何なの、これ……。逃げたんじゃなかったの……?
まさか飛び散った大きな破片は全部、人……?
辺りを見渡してから燃え続ける小屋に視線を移せば、炎の中にも人のような黒い影がいくつか見えた。真っ黒な烏帽子姿の人影も見えた気がして、全員自害したのだと理解した。
「……殺、し……くれッ」
私の浅葱色の羽織を赤黒く汚すその人は、殺してくれとすがるように私に訴えてくる。
現代の医学をもってしても、この人はきっともう助からない。痛みと苦しみのなかで、ただ死を待つだけ……。
理想のために手段を選ばず勝手に戦まで始めたくせに、こんな無惨な姿になって……何なの。
武士だから? これが武士の責任の取り方だから?
……意味わかんないよ。何でこんなに簡単に死んでいくの。敵も、味方も……。
何で。
「たの……む……」
お願いだからそんな顔で見ないで。私に求めないで。やめて。
だって私には――
「琴月!! そのままでいろっ!」
後ろから斎藤さんの声が聞こえると同時に、私の視界は突然浅葱色に覆われた。
羽織を掛けられたのだと気がつくも、研ぎ澄まされた耳に届くのは、もう何度となく聞いた金属のすれる冷たい音。そして、落ちついた斎藤さんの低い声だった。
「その役目、俺が引き受けた」
「かた……じけ、な……い」
風を斬る音。
酷く鈍い音。
次の瞬間、私を覆う羽織に散ったしぶきが、目の前の浅葱色を真紅に染め上げた。
斎藤さんが介錯をしたのだと気がつくのに、時間はかからなかった。
音を立てて身体中を駆け巡る血は早くてうるさくて、少しだけ冷たくて……私の呼吸を邪魔しようとする。
徐々に遠退いていく意識のなか、たった一人赤く染まった世界に取り残されてしまうような気がして、慌てて羽織を引き剥がした。
「見るなっ!」
朦朧とする頭は斎藤さんの胸に強く押しつけられてしまい、開けたはずの視界は再び遮られた。
「お前は見なくていい」
身動ぎすらさせてもらえないほど、さらにきつく抱きしめられた。
もう意識も身体も自分で支えることすらままならなくなって、全部斎藤さんに預けるように手放した。
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