124 元治甲子戦争④
気づけば敵は蜘蛛の子を散らしたように敗走していて、朦朧とする意識のなか荒い呼吸で肩を揺らしていれば、勝どきを上げる大勢の隊士に囲まれていた。
凄い。やるじゃないか。お前のおかげだ。
そう言って誉めては頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。
凄くなんかない。何もできなかった。何も。
お願いだから、誉めたりなんかしないで。
口を開けば八つ当たりしてしまいそうで、唇を噛んで俯いた。
そんな私の足元に影を落としたのは、隊士たちを雑に掻き分ける私以上に不機嫌な土方さんだった。
「この馬鹿っ! 死にてぇのか!」
「……死にませんよ、私は」
死にたいんじゃない。
死なせたくない、だ。
顔も上げずにぼそりと呟きながら、いまだ手の中にある刀をしまった。
「ああ!? だからって飛び道具相手に一人突っ込む馬鹿がいるか!! 勝手なことすんじゃねぇ、馬鹿野郎!」
そんなこと言ったって、あのままじゃ負傷者を増やしていたかもしれない。どうせ何を言ったって怒鳴られる気がして、反論するのも面倒で黙っていた。
そんな私の態度が気に入らなかったのか、まぁまぁ、と宥める近藤さんを無視して、土方さんは片手で私の肩を強く揺さぶりなおも声を荒らげる。
「おい、聞いてんのか!? この馬鹿っ!!」
ああ、もう。バカバカってうるさいなぁ。
言われなくてもわかっている。そんなバカに一番苛ついているのは私自身なのだから。
まだふらつく頭を上げて、視界の真ん中に土方さんを捉え焦点を合わせる。
まるで鬼みたいに怖い顔は、本気で怒っているのだと容易に想像がついた。
「さっきから何でそんなに怒ってるんですか? あー……ちゃんと止めを刺さなかったからですか? そうですよね、じゃないとまた来るかもしれないですしね」
こんなことが言いたいわけじゃない。
けれど、うっかり口を開いてしまったら、もう止まらなかった。
渦巻く感情の抑え方もやりどころもわからなくて、とにかく身体の中から追い出してしまいたかった。
「は? お前、何言って――」
「大丈夫ですよ。もしまた来たら、次も私が責任もって追い払いますから。だからもういいじゃないですか、今回はとりあえず勝ったんだか――」
パシンと乾いた音が鳴り響き、私の言葉は強制的に止められた。
酷く痛む左頬も、私に手を上げた土方さんも、驚いて息を飲む周りの空気も、何もかも無視して落ちた視線の先にある小石をただ見つめた。
叩かれたのはじんじんと脈打つ頬のはずなのに、何だか頬以外のあちこちが悲鳴を上げているみたいで視線も声も上げられずにいたら、井上さんが私と土方さんの肩に手を置いた。
「二人とも落ちつけ。怪我をした奴らの手当てもしたいから、一度宿陣へ戻ろう」
ほら、と井上さんが私たちの背中を押すようにトンと叩くも、土方さんはこのまま追討を続けると言い、近藤さんたちとともに負傷していない隊士を率いてこの場を離れて行った。
「春、行こうか。左之も他のみんなも自力で歩けるか?」
そうだ、原田さんは?
恐る恐るその姿を見れば、私の不安を悟ってか満面の笑みが返ってきた。
「何て顔してんだよ。かすっただけだって言っただろ? 血も止まったし、骨も筋も問題ねーよ。ほら」
そう言って、手拭いで押さえたままの肩を二、三回軽く回してみせるものの、やっぱり無理をしているのか僅かに笑顔をひきつらせた。
宿陣につくと、井上さんと二人で負傷者の手当てをした。幸いにも緊急を要するような重傷者はおらず、原田さんの傷もどうやら本当にかすっただけのようで、一先ずは消毒、薬、包帯と、私たちの簡易な手当てで済んだ。
けれど、手当ての間もずっと頭の中は申し訳なさで一杯で、包帯を巻き終えると同時に視線を逸らしてしまった。
「すみません……」
「何で春が謝るんだ? んなことより、いきなり飛び出してくから驚いたぞ」
「……すみません」
それも結局、何もできなかったから。
思わず俯けば、後頭部に原田さんの手がポンと乗っかり豪快な笑い声が響く。
「だから何で謝るんだって。むしろ、もっと誇っていいと思うぞ? お前、やっぱすげーよ」
そのまま頭をぐしゃぐしゃに撫でられるけれど、その手の下で、小さくかぶりを振ることしかできなかった。
部屋へ戻ると、いつものように縁側に腰かけた。
強い日差しを遮ろうと目元へかざした手は途中で動きを止め、くるりと掌を向けたまま力なく足の上に落ちた。
この手で人を斬ろうとした。
でも、できなかった。
あのまま斬っていたら後悔していたのかな。結局、斬らなくてもこうして後悔しているけれど。
どうせ後悔するのなら、やっぱり斬ってしまえばよかったのかな。
「わかんないよ……」
ただ一つわかるのは、斬らなくてよかった……とは思っていない自分がいること。
それが少し、怖い。
容赦なく照りつける日差しから逃れるように、膝を抱えて顔も埋めた。
「春、いるか?」
襖の向こうから聞こえた井上さんの声に返事をすれば、入るぞ、という声とともに襖の開く音がした。
「ここの主人に分けてもらったんだ。春は甘いもの好きだろう? 一つだけだが食べたら元気も出るぞ、ほら」
そう言って隣に腰を下ろす衣擦れの音と、湯飲みとお皿を置く音がした。
「……今は、いりません。井上さんどうぞ」
とことん可愛くない。
呆れられて当然なのに、井上さんは咎めることもせず、まるで幼子を宥めるように、ただ黙って丸める背中を何度も何度も優しくさすってくれた。
いくらか日も傾いた頃、そんな井上さんの優しさに根負けして、持って来てくれた甘味を半分にした。
小さなお饅頭で、半分は井上さんに渡してぬるくなってしまったお茶と一緒に流し込んだ。
「何はともあれ、まずは食だ。食わなきゃ生きていけないしな。難しいことはそのあとでいいじゃないか。な?」
そう言って、私の頭をポンと撫でた。
しばらくすると、追討をしていた隊士が何人か戻って来た。
本隊は追討を終え御所へ向かっていて、そのまま今夜は御所の警備にあたるらしく、井上さんと私も合流するようにとのことだった。
井上さんにはこのままここにいてもいいと言われたけれど、原田さんを含め他の隊士たちも全員御所へ行くと言い出し、結局全員で向かうのだった。
御所へつくと、新選組は唐御門前の警備を命じられたらしく、私もそこへ合流した。すぐ側には会津藩が守っていた蛤御門があり、生々しく残る激戦の跡は嫌でも目に入る。
これが戦、戦争なのだと思い知らされながら、ふと思い出す。
いずれ起きるであろう戊辰戦争もこんな感じなのか、これ以上なのか……と。
新選組は戊辰戦争でなくなってしまったと、兄が言っていた。
ろくに戦にも向き合えない今の私が、そんな歴史に抗い救うことなんてできるのかな……。
思わず目を閉じれば、すぐ近くから声がした。
「天女のように舞ってみせたかと思えば、修羅の如く銃を一刀両断とは。お前は本当に不思議な奴だな」
ゆっくりと瞼を上げれば、目の前には私を見下ろす斎藤さんが立っていて、頬にかかる髪を払うように私の左頬をさっと一撫でした。
「……斎藤さん。……もしかして、叱りに来たんですか?」
きっと、銃弾が飛び交うなかを後先考えず飛び出して行ったことを怒っているに違いない。
「そうだな、すぐにでも叱り飛ばしてやるつもりだったが……。あの土方さんがあそこまでしたんだ。俺まで叱る必要はないだろう」
「……そう、ですか」
「何だ、叱って欲しいのか?」
首を左右に振って答えた。声に出さなかったのは、自信がなかったから。
私はこんなにも中途半端で無力なのに、こんな風に、みんないつもと変わらず接してくれる。申し訳なさ過ぎて、いっそ強く責め立てられた方が楽になれるような気がしたから……。
「叱られたところで、お前は懲りもせず突き進むのだろう?」
「それは……」
「ならば俺は、お前が無茶をしたその時に叱る。当然、その前に止めるつもりだがな」
未然に防ぐことができない私には、できることなんて限られている。何か起きてからしか動けないのだから、止まってなんかいられない。全力でやる以外の選択肢なんてない。
だからこそ、斎藤さんが心配してくれるのはありがたいけれど、同時に申し訳ないとも思うのだった。
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