123 元治甲子戦争③
銃を手にした隊士たちが敵へ向けて発砲すれば、間近で響く乾いた爆発音に嫌でも心臓が早鐘を打つ。
長州側の敗北は明らかなのだから、無駄な抵抗はせずさっさと逃げるなり倒されるなりすればいいのに。
抵抗する敵、何もできない自分、目の前の光景に苛立ちを覚えながら戦況を見守っていれば、弾を込め終えた近くの隊士が敵に向けて銃を構えた時だった。
その頬に、一筋の赤い線が走った。
「……あ」
私が撃たれたわけでもないのに、まるで銃弾で胸を撃ち抜かれたかのような衝撃に息が詰まった。
警笛を鳴らすかのごとくけたたましく鼓動する心臓がうるさくて、痛くて、息ができずに苦しくなる……。
赤以外の全ては色を失ってしまったかのように世界は灰色に包まれて、やがて内側から涌き出た鮮やかな赤はその頬につーっと新たな線を描いた。
――新選組は、私がちゃんと守りますから――
屯所を出る時、沖田さんに伝えた言葉が脳裏によみがえる。
沖田さんの分まで戦って来ると言ったのに。守ると約束したはずなのに。
どうしてまた血が流れているのだろう。
痛くて苦しくて、咄嗟に胸の辺りをぎゅっと強く握れば、すぐ近くから痛みを堪えるような声がした。
「っく……こなくそっ!」
「……え?」
ゆっくりと声のした方を振り向けば、銃を下ろして壁に背を預け、片手で肩を押さえる原田さんがいた。
「っ……はら、だ、さん?」
「ん、大丈夫だ。ちょっとかすっちまっただけだ」
その顔は苦痛に歪んでいて、押さえた掌からはみ出す着物がじわじわと濡れていくのがわかる。
「……春?」
こんなのは望んでいない。
このままじゃ、私はまた何も守れない。
目の前の敵。無力な自分。
怒りの矛先がどこを向いているのかなんて、鼓動と銃声がうるさすぎてもうどっちでもよかった。
「おい、春!?」
弾かれたようにその場を飛び出せば、腹の底から叫びながら無我夢中で走った。
一斉に向けられるたくさんの銃口。止まることなく刀を抜き放ち、その中の一つに狙いを定めて怯むことなく猛進する。
複数の銃声がほぼ同時に鳴り響いたその直後。
――――世界が、揺れた――――
瞬時に銃弾が迫っているのだと理解するものの、頭の片隅では銃弾でも発動するのかと今さらながら思う。
私を捉える銃弾は一つではないのか、連続した激しい揺れに危うく転びそうになるけれど、地につけた片手で堪えそのまま走り続ければ、何事もなかったようにすぐさま辺りは騒がしくなった
射程距離が長いうえに直線でしか迫ってこない銃弾なんて、避けるだけなら刀より容易い。
あっという間に敵との距離を縮めれば、一際大きな発砲音とともに再び世界が揺れた。
正面には煙を吐き出す銃口と、その少し先で光を反射して輝く小さな銃弾が一つ。
真っ直ぐに、だけどゆっくりと私へ向かってくる。
そうやって好きなだけ私を狙えばいい。どうせ私は死なないから。
でもね。
私が守りたいものを、これ以上傷つけることだけは許さない。
足を止め、両手で刀を振り上げた。ためらうことなく振り下ろせば、世界は途端に喧騒を取り戻し、二つに斬れた銃弾が私の両側を鋭く抜けていく。
銃口を下げ、驚いた顔で私を見つめる敵に向かってゆっくりと足を踏み出せば、刀の切っ先を引きずりながら、一歩、また一歩とその距離を詰めて行く。
銃弾をかわすたびに増していくふらつきなんて気づかないふりをして、前方の敵を冷ややかに睨みつけた。
奪うつもりで引き金を引いていたんでしょう?
だったら。
奪われる覚悟があって引いていたんでしょう?
刀の間合いに入る頃には怯えたように短い悲鳴を上げながら、弾切れした引き金を憐れなほど何度も何度も引いている。
未然に防ぐことができない私には、できることなんてそう多くない。知っていれば……と、いつも後悔するばかりだった。
あの時倒していれば……そんな取り返しのつかない後悔なんかしたくない。
もう、これ以上苦しい思いなんてしたくない。
“新選組は俺のヒーロー”
口癖のように言っていた兄の言葉が過る。
きっと、滅び行くヒーローは儚くも美しい。潔く散るその姿に人々は魅了され、同情、哀れみ、そんな涙を流す。でもそれで終わり。所詮は他人事。
けれど……。
新選組の隊士となった今、私はもう無関係じゃない。
正義のヒーローは何があっても必ず最後に勝つ。それが定石だ。複雑で悲しい結末なんていらない。
私はヒーローなんかじゃないけれど、ハッピーエンドを目指すには倒さなきゃいけない。そうでしょう?
――――だって、敵なんだから。
朦朧とし始めた頭では、もう考えることも面倒になって、敵を見下ろしながらゆっくりと刀を振り上げた。
怖いのなんてきっと最初の一人目だけ。
ここにいる全員を斬り伏せる頃には、もう何も感じなくなっていると思う。
頭上の刀を強く握れば、それまで必死に私へ向けていた銃を力なく下ろした眼下の敵が、全てを諦めたように薄く笑った。
「殺れよ」
うん。言われなくてもそうするつもり。
だから。
そんな顔しないでよ。
「さっさと殺ってくれ」
うるさいな。
わかってるから。
もう黙っててよ。
――――今、
この腕を振り下ろせば、目を閉じた名前も知らないこの敵の物語は閉幕する。
幕引きするのは私。
息を止めて、頭上の刀をぎゅっと握りしめた。
――――けれど。
刀を持つ私の手はどうしようもないほど震えていて、それを認識した途端、渇いた口から勝手に言葉がこぼれた。
「……なん、で」
どうして、どうしてこの手は動いてくれないの!!
正義のため。守るため。
戦争だから。敵だから。
理由ならいくらでも見つかるのに。
後悔したくない。
苦しみたくない。
だからこのまま斬ってしまいたいとさえ思うのに。
どんな理由をどれだけ並べてみても、やっぱり私には――――
振り上げた刀を下ろすこともできないまま肩で大きく息をしていれば、新たな敵が目の前にやって来て手にした銃を私に向けた。
「……どうしてっ」
どうして躊躇わないの?
その手は何人殺したの?
こんな感情狂っている……そう思うのに。
迷わず引き金を引けることが羨ましいと、そう思った。
衝動的に振り下ろしていればよかったと、そう思った。
結局私は守りたいものを……新選組を傷つけようとする敵を目の前にしても、こうしてまた後悔するだけ。
そんな自分が嫌で、嫌で、堪らなく悔しくて、どうしようもなく苛立った。
そんなどうしようもない苛立ちをぶつけるように、間近で突きつけられた銃身を叩き斬った。
「ひ、ひぃ……ば、化け物めっ!」
逃げるように去って行く背中を見送れば、視界の端に映る他の敵たちが、ありったけの殺意を込めてその引き金を引いていく。
さすがにこの距離ではそのほとんどが正確に私を捉えていて、危うく飛ばしそうになる意識をギリギリのところで繋ぎ止めては避けた。
そして、溢れる感情を抑えることもせず、全てぶつけるようにその銃身を叩き斬っていった。
「いっそ化け物だったら、どんなによかったか」
そうしたら、何一つ躊躇も後悔もせず、思うままに終わらせられただろうから――
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