117 九条河原へ①

 柴さんの葬儀を終えた翌日、いつも通り帯刀し浅葱色の羽織を羽織って玄関へと向かえば、廊下で沖田さんと藤堂さんに声をかけられた。


「あれ? 春くん、どうして隊服着てるんですか~? 今日は非番じゃなかったです?」

「春、祇園御霊会ぎおんごりょうえ行きたがってたでしょ? ちょうど誘いに来たとこなんだけど」

「非番の予定でしたけど、人手も足りてなさそうだったんで……というか、祇園御霊会はもう終わっちゃったんじゃないですか?」


 私が眠っている間の七日が本番だったはず。今日はもう十四日だ。


「七日は前祭さきのまつりで、まぁ、僕らも行けなかったんですけど、今日は後祭あとのまつりと言ってちゃんと山鉾も巡業するらしいですよ」

「そうだったんですね……。でもすみません、これから巡察なので」


 私の分も楽しんで来てください、と言い置いてその場をあとにした。


 そういえば、沖田さんは本当にただの風邪だったみたいで、熱が下がってからはすっかり体調も良くなった。

 藤堂さんはまだ頭に包帯を巻いているけれど、傷はだいぶよくなり、二人とも揃って明日から隊務に復帰するらしい。


 せっかく誘ってもらったのに申し訳ないという思いも、山鉾を見れなくて少し残念という思いも、巡察が始まればすぐに忘れてしまうくらいただひたすらに目の前の隊務に集中した。

 怪しい人を追えと言われれば追い、捕縛しろと言われれば捕縛して、刀を抜かれればこちらも抜いて相手の刀を落とすように応戦する。

 そうやって隊務をこなしている間は、それ以外の余計なことを考えずに済むから。






 そんな日がしばらく続いたある日、所用で出掛けていた二人の隊士が市中で斬殺されるという事件が起きた。

 まだ犯人は見つかっていないけれど、目撃者らの証言から、池田屋事件の報復だろうということだった。


 あの日、死傷者を出さずに捕縛できていれば、報復なんてことにはならなかったのかもしれない。

 池田屋事件以降も多くの人が亡くなって、柴さんも亡くなったばかりなのに……こうしてまた亡くなる人がいる。

 現代にいた頃は、身近に感じた人の死なんて祖父母の時くらいだった。それに私自身も小さかったから、もっと漠然としていたものだった。

 けれど今は違う。

 幕末に放り出されて、新見さんの切腹に始まり芹沢さんやお梅さん……何人もの人の死を間近で見てきて、今もなお止まることがない。むしろ、ここ最近は増えている。


 “生きている”

 たったそれだけのことが、当たり前のようで当たり前ではないのだと、嫌でも思い知らされる。


 だからこそ、奪うためではなく守るため。想うだけでも願うだけでも叶わないから、そのための術だって受け入れた。

 いけないことだと、許されないことだと恐れていた帯刀も抜刀も、その切っ先を人に向けることすら今の私にはできてしまうのに。


 掬いたい命はいつもこぼれ落ちていく。

 この手はいまだ何も守れない……。






「……月……君。……琴月君?」

「えっ。……あ、すみません、山南さん」


 どうやら何度も呼びかけていたらしく、肩を叩かれ横を見た山南さんの顔は苦笑を浮かべていた。


「さっきから、お茶碗を持ったまま手が止まっているよ。箸も進んでいないようだし、体調でも優れないのかい?」

「……いえ、大丈夫です」


 首を左右に振れば、広間で朝餉をとっていた隊士のほとんどがすでにいないことに気がついた。


「すみません、巡察があるので行って来ますね」


 慌てて手を合わせて立ち上がるも、山南さんに呼び止められた。


「琴月君。ここのところ暑さも厳しくなってきて、体調を崩す人も増えた。しっかりと休息も取らないと、倒れてしまうよ?」

「私なら大丈夫ですよ。それに、何だかじっとしていられなくて。あっ、山南さんこそ無理しないでくださいね? 行ってきます」


 山南さんが言うように、暑くなってからというもの食あたりや夏バテで寝込む隊士が増えている。といっても、夏バテでは通じなくて、みんなは暑気あたりとか夏負けと呼んでいるけれど。




 相変わらず池田屋での残党探索にも追われる日々で、西本願寺周辺に西国の浪士が多数潜伏しているという情報を得れば、急行してそのままそこで一泊、交代しつつ夜通し探索したりもした。

 この西本願寺、長州の人間を匿ったり僧侶に変装させて逃がしたりするという噂もあり、長州よりのお寺なんだとか。すぐ近くには東本願寺があるけれど、こちらは逆に幕府寄りらしい。


 そんななか、長州が軍を率いて大坂へと上陸してきたらしく、屯所内はもちろん市中でも戦が始まるんじゃないかという噂で持ちきりだった。

 戦……戦争……。平和な日本に生まれた私は経験したこともないけれど、多大な犠牲を伴うことは知っている。多くの人が命を落とし、いつだって犠牲になるのは武器を持たない弱い人たちだということも。


 当然のごとく新選組にも出動要請がきた。

 会津藩兵らとともに、京への南の玄関口である竹田街道の九条河原に出陣すれば、近くの東九条村の農家に分宿しつつ交代で長州軍の上洛に備える。

 偵察に行っている山崎さんら監察方の報告はもちろんのこと、会津藩からの報告も逐一入ってくるなか、気づけば数日が経過した。


 長州は去年の政変時に京を追いやられ、今現在も入京は許されていない。なので、朝廷の許しを得て入京の許可と以前のような復権、そして、攘夷を国是としたいという嘆願書を朝廷に奉上したらしい。

 ぞくぞくと仲間を集結させていく長州軍は、京の都を取り囲むように布陣。いよいよ戦が始まるのかと隊士たちの士気もより一層高まると同時に、警戒を強めながら九条河原にて七月を迎えるのだった。






 宿として使わせてもらっている屋敷の一室で、義兄宛への文を書き終えた土方さんが、額に浮かぶ汗を手の甲でさっと拭いながら呟いた。


「暑いな……」

「京の夏は暑いって言いますしね」


 四方を山に囲まれた盆地のせいか、風が通らず暑さが籠ってジメジメと蒸し暑い。それに、七月と言えども新暦に直せばおそらく八月くらい。夏真っ盛りなのだから暑くて当然だ。


「冬は散々寒い寒いうるさかったわりには、夏はあんまり騒がねぇんだな?」

「そんなに騒いだ覚えはないですけど……。まぁ、暑いことは暑いですけど、大騒ぎするほどではないかな……と」

「お前、意外と暑さには強ぇんだな」


 確かに、寒いのに比べれば暑い方が遥かに我慢はできる。けれど一番の理由はそこじゃなくて、現代の夏ほど暑くない気がするというのが本音だった。

 第一、文句を言ったところでどうにもならないのだから、騒ぐだけ無意味だ。


「現代の夏はもっと暑いんです。その代わり、涼む手段も色々と豊富なんですけどね」

「現代、か……」

「……? あー、どんな生活してたんだって思いますか? 至って普通の生活ですよ」


 と言ったところで、その普通が想像つかないのか何か言いたげな顔で見つめてくるけれど、遠くから私を呼ぶ声と足音が近づいてきて、開け放ったままの障子からひょっこりと顔を覗かせたのは沖田さんだった。


「やっぱりここにいましたか~。春くんもそろそろ交代ですよね? 一緒に行きましょう」

「えっ、もうそんな時刻でしたか。すみません、急いで支度します」


 支度を済ませ沖田さんと一緒に九条河原へ向かえば、交代する予定の永倉さんが苛立っていた。


「長州は何を考えてるんだ!」


 永倉さん曰く、八月十八日の政変で長州が京を追われることになったのも、元はと言えば、攘夷を渋る幕府を追い込むために朝廷を利用しようとしたことが原因なのだとか。


「帝を欺いておきながら許しを請うのに挙兵するとは何事だ!? おかしいだろう!」


 永倉さんは、兵を率いてやって来た長州に随分と腹を立てている様子だった。

 この時代の政治のことはよくわからないし、永倉さんの説明も、幕府側に立った一方的な見方でもの凄くざっくりとしたものだとは思う。

 それでも、自分たちの意見を通すのに兵を挙げるというのは、やっぱり少し違うと思う。


「これじゃまるで……威嚇や脅しですよね……」

「おう。春もそう思うか!」

「……はい」


 自分の理想を叶えたいのは誰だって同じだ。

 けれど、そのために誰かを欺いたり排除したり、力でねじ伏せようとするのが正しいことだとは思えない。

 私が同調したことが嬉しかったのか、永倉さんはさらに興奮して捲し立てた。


「だいたい、俺らはいつまでここでこうしてればいいんだ!? 向こうから来ないのなら、こっちから仕掛けて蹴散らしちまえばいいのによ!」


 な? と同意を求めると同時に背中をバンと叩かれた沖田さんは、新八さんらしいですね、と苦笑した。


「なあに言ってんだ、総司。お前だって暴れたくてうずうずしてるんだろう?」

「え~、まぁ、否定はしませんけど」

「ははっ、総司らしいな。んじゃ、あとはよろしくな」


 そう言って、今度は沖田さんの肩をポンと叩き、宿陣へ戻って行くのだった。

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