118 九条河原へ②
蒸し暑い日が続くなか、岡山藩に偵察に行っていた隊士が城下で殺された。
どうしてこうも簡単に、あっけなく死んでいくのだろう。私が知ってさえいれば、今とは違う結末になっていたのかな……。
布団の中でそんなことばかり考えていたら、仄かに光り出した障子に気づき、朝が近いのだと思った。
それから数日後の七月十一日。
幕府側は長州軍へ退去要請を出すも拒否された。
長州軍が兵を引かない限りこちら側の警備、警戒は続くわけで、九条河原を警備する新選組だって例外じゃない。
近頃、警備に当たらない時間は宿陣の縁側で過ごすことが増えていた。
この日も足を垂らしうとうとしていたら、松代藩士で洋学者の
現代でも名前くらいは聞いたことがあるその人は、西洋の技術や知識に精通し、熱心に開国攘夷を説いていた人らしい。
現代に比べて情報の伝達方法が乏しいこの時代、過激な尊攘派の目には“西洋かぶれ”とでも映っていたのだろうか。
報復、暗殺、天誅……そんなのばっかりもううんざりだ。
亡くなりました。
殺害されました。
現代でだって時々ニュースで耳にする言葉なのに、心痛や同情なんかじゃなく申し訳なさと罪悪感。無関係ではいられない……そんな感情が大波となって押し寄せる。
それはきっと、私が今いるのは現代でも未来でもなく過去だから。ちゃんと知ってさえいれば変えられるかもしれない過去だから。
それなのに、記憶の片隅にあるのは人名だけとか事件の名称だけ。そして、新選組の一部幹部たちの死に様だけ……。
けれどそれだって、詳しい日時も中身も知らない薄っぺらなもの。
こぼれ落ちていく様をただ見届けるしかできないのなら、こんな中途半端な記憶と知識なんて最初からなければよかった。
あと何回、こんな思いをするのだろう。
漠然とそんなことを考えてみるものの、縁側に垂らした両足が振り子のように眠りの淵へ誘おうとする。抗うことすら億劫で瞼を閉じれば、突然の激しい雨音に邪魔をされた。
ゆっくりと瞼を上げれば、連日の暑さを和らげるような夕立だった。
翌十二日。
薩摩藩兵も京へ到着し、長州に対抗する幕府軍は六万をも越える軍勢となった。
それでも長州側は兵を引く気がないらしく、何度か出した退去要請も突っぱね返されるという始末。
それどころか、長州側が敵視しているのは会津公と会津藩ただ一藩のみという書状を、公家や諸藩に出したらしい。
明くる日の午後、縁側で微睡んでいたら土方さんに邪魔をされた。
「今から一度屯所へ戻る。お前もついて来い」
「……行かないとダメですか?」
できるなら、このままここでうとうとしていたい。
「駄目だ。早く支度しろ」
正直、億劫だ。
けれど反論するのも面倒くさい。反論したところで、どうせ副長命令が飛び出せば結果は同じなのだから。
「……わかりました」
仕方なく重い腰をあげて支度に取りかかる。早くしろと言っていた気がするけれど、気が進まないのだから早くなんてできるわけがない。
文句を言われても聞き流せばいいや。そう思っていたのに、何も言われなかった。
強い陽射しが降り注ぐ中、無駄話の一つもなく足早に歩けば、屯所へつくなり揃って山南さんの部屋へ行った。
土方さんの現状報告を聞き終えた山南さんが、沈痛な面持ちで口を開いた。
「やはり兵を引く気はなさそうだね」
「引くどころか、池田屋の恨みを晴らさんとばかりに、朝廷への嘆願の裏じゃ敵は会津公と会津藩ただ一藩だなどとほざいてやがるさ」
「池田屋……か」
そう呟く山南さんの顔が、ほんの少し曇ったように見えた。土方さんも気がついたのか、私よりも先にその名を口にする。
「山南さん?」
「……ん、あぁ、何でもないよ」
山南さんはゆっくりと首を横に振ってみせると、私と土方さんを見やり、どこか拗ねた子供のような顔で苦笑する。
「それより、私は総長だというのにこんな時ですらみんなと一緒に戦うことができず、申し訳ないと思ってね」
“左腕は今までのようには動かせない”という現実を受け入れた山南さんは、総長という役職も理解し、自分にできることを精一杯努めようとしている。
だから、決して卑下しているわけではないことを私も土方さんもすぐに理解したけれど、土方さんはやけに真面目な顔つきで山南さんを見つめ返した。
「山南さん。誰が何と言おうとあんたは新選組の総長だ。あんただからこそ、こうして屯所を任せられる。あんたがいてくれるからこそ、俺たちはこれから起こるかもしれない戦にも集中できんだ」
「歳……」
屯所内の様子を見てくる、と言い残して部屋を出ていく土方さんの耳は、ほんの少し赤くなっていた。
ストンと襖が閉まると、山南さんもどこか照れたように微笑む。
「歳にあそこまで言わせるなんて、私もまだまだかな」
「でも、私も土方さんと同じ意見です」
「そうか、ありがとう。それなら私は、皆が帰って来るこの場所を、しっかり守っておかなければいけないね」
迷いなく微笑む山南さんに、はい、と力強く頷けば、文机に積み上げられた書状が目に入り、仕事の邪魔をしないよう自分の部屋へ戻ることにした。
少しだけ埃っぽくなっていたその部屋は、たったの半月ぶりなのに妙に懐かしく、誘われるように縁側に腰を下ろした。
青い空の端には夏の雲、容赦なく照りつける陽射しは庭の雑草をじりじりと焦がし、どこからともなく聞こえるたくさんの蝉の声が暑さをこれでもかと煽る。
「もうすぐ一年……」
現代に帰れるのか帰れないのか、それすらもわからないまま過ごして来たここでの生活は、あと一月もすれば丁度一年を迎える。
無我夢中で駆け抜けて来た日々がまるで走馬灯のように瞼の裏に映し出されるけれど、それは思い出を辿っていたのか夢を見ていただけなのか、微睡むなかでは区別もつかないまま、次に瞼を開けるのは土方さんに肩を揺すられてからだった。
「そろそろ戻るぞ」
いつの間にか、空は茜色に染まり始めていた。
来た時と同じように黙って歩いていれば、突然土方さんが沈黙を破った。
「総司の奴が夏負けかもしれねぇ」
「……え」
沖田さんが? 私としたことが、全然気がつかなかった……。
「明日にでも総司と一緒に屯所へ戻れ」
「わかりました。ちゃんと送り届けます」
「いや、お前もそのまま休め」
「……え?」
どういうこと? 私は体調を崩していないし休む理由もない。
「お前、近頃ろくに飯も食わねぇうえに、夜もちゃんと寝てねぇだろう。病人みてぇな顔してるぞ」
「そんなことないですよ。大丈夫です」
「そうか。なら、副長命令だ」
「なっ……」
ついでに総司を見張っとけ、と土方さんは勝手に締めくくるのだった。
翌日、午前中のうちに沖田さんとともに屯所へ戻った。
沖田さんの状態は労咳や風邪というよりも、土方さんが言っていたように単なる夏負けみたいで少しだけほっとした。
けれど、夏負けだろうと体力が落ちて発病……なんてことにもなりかねないので、しっかり休息をとってもらわないといけない。
それなのに、屯所へつくなりふらりとどこかへ行こうとするもんだから、慌てて着物の袖を掴んで呼び止めた。
「沖田さん、どこ行くんですか?」
「久しぶりに戻って来たんで、壬生寺にでも行こうかな~と」
「なっ、ダメですよ!」
夏負けしている人が、この炎天下に子供たちと遊ぶだなんて何を考えているのか。
「ちゃんと身体を休めてください。そのために帰って来たんですから」
「これくらいで大げさなんですよ~。だいたい、こんなに暑いと休めないですよ……」
じっとしているだけで汗が出てくると文句を言っているけれど、そんな暑さのなか、外へ遊びに行こうとしていたのはどこの誰だ……。
けれど、文句を言いつつも強行突破はしない沖田さんが、何やら閃いたとばかりに手をぽんっと打ち鳴らした。
「仕方ないので部屋で大人しくします。その代わり、この間のアレ作ってください」
「……アレ?」
首を傾げれば、沖田さんは口元で手首をぐいっと傾ける仕草をした。
「……お酒?」
「それもいいですけど、今はお酒より池田屋の日に作ってくれたアレがいいです」
ああ、あれか。どうやら池田屋で倒れた時に作ってあげた、自家製経口補水液のことを言っているらしい。
普段から飲むものではないけれど、夏負け中の沖田さんには丁度いいかもしれない。何より、それで部屋で大人しくしてくれるというのだから。
「わかりました。部屋で待っててください」
湯飲み数杯分の自家製経口補水液を作って沖田さんの部屋へ行けば、布団も敷かずに縁側で仰向けになり、団扇でゆっくりと扇ぐ沖田さんがいた。
「……沖田さん? 大丈夫ですか?」
「うん」
首だけをこちらに向けたその顔は、暑さのせいかどこか気だるそうに見える。こうして素直に帰って来たくらいだし、平気そうに振る舞っているだけで、やっぱりあまり調子は良くないのかもしれない。
ゆっくりと起き上がる沖田さんの側へ行き湯飲みに注いで差し出せば、受け取るなりすぐに口に含んだ。
「うん、やっぱり美味しい」
「お布団も敷いておくので、ちゃんと休んでくださいね」
すぐに布団を敷けば、沖田さんが敷き布団の上に転がった。
「ありがとうございます。今回は僕も大人しくしておくんで、春くんもちゃんと休んでください。近頃の春くんは元気なくて、僕なんかよりよっぽど具合悪そうですよ~?」
「そうですか? いつもと変わらないし、私なら大丈夫です。自分の部屋にいるんで、何かあったら呼んでください」
そう言い置いて、沖田さんの部屋をあとにするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます