116 本物の武士

 翌日、頭上には夏の青空が広がっていた。随分と気温も高く、あちらこちらからたくさんの蝉の声も聞こえてくる。

 そんななか行われた巡察は、柴さんのことが気がかりで全然集中できなかった。


 空が茜色に染まり始める頃、今日の巡察と残党探索を終え屯所へ戻れば、幾度となく浮かんでは否定した嫌な予感をここでも振り払いながら、真っ直ぐに部屋へと走る。

 つい勢いよく襖を開ければ、明らかにいつもとは違う神妙な面持ちをした土方さんと目が合った。

 騒ぐ鼓動を押さえつけながら後ろ手で襖を閉め、乾いた口内から声を絞り出す。


「何か……あったんですか?」


 言い様のない空気に思わずゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込めば、土方さんがゆっくりと口を開いた。


「柴が……切腹した」

「……え?」


 今、何て言ったの? 柴さんが、切腹した……?

 言葉の意味を理解するにつれ、怒りにも似た感情が沸き起こり、口をつく言葉は微かに震えていた。


「……何でですか? 昨日、切腹を申しつける名分はないって、会津公も仰ってたじゃないですか!」

「ああ、そうだ」

「だったらなんで……。まさか、やっぱり藩のために死ねって、そう言ったんですか!?」

「口を慎め、琴月!」


 武士にとって主君の命令は絶対だ。

 土佐が切腹したのなら会津も……両成敗で手っ取り早く万事解決……そんなバカな話があってたまるか! そんなの間違ってる!!

 震える唇を噛みしめたまま、無言で反転すれば土方さんに呼び止められた。


「会津公のところへ行くつもりか?」

「……そうですよ。こんなの間違ってる……」

「文句でも言うのか? 今度こそ首が飛ぶかもしれねぇぞ?」


 文句を言ったって、もう柴さんは戻って来ない。だからって、このまま黙っているなんてできそうにない。

 首だけで振り返り土方さんを見下ろせば、嘲笑うように吐き捨てた。


「大丈夫ですよ、私には心眼がありますから。一国の主だろうが、どんな悪態をついたって誰にも私を殺せませんよ」


 正面に向き直り襖に手をかければ、土方さんが再び私を呼び止める。


「やめとけ。そんなことしても柴は喜ばねぇよ」

「喜ぶも何も、もう柴さんはいないじゃないですかっ!!」


 どこまでも冷静な土方さんにも腹が立って、振り返り様に思い切り睨んでいた。

 けれど、私の目に飛び込んできたその顔は、怒りなのか悲しみなのか冷静とは程遠い表情で、絞り出される声はやるせなさに満ちていた。


「……誰の命でもねぇんだよ。柴が……あいつが自分で選んだんだ」

「そん、な……」


 どうして……なんて言葉は出てこなかった。

 むしろ、柴さんらしいな……なんて思ってしまった。

 襖に片手をついたままずるずるとその場にへたり込めば、身体を支えることすら億劫で額を襖に預けた。


「自分のせいで、今、土佐と会津の関係を崩すわけにはいかねぇからと。何より、自分のことで主君のお心を煩わせるわけにはいかねぇと、会津公の心痛を悟った柴が自ら腹を切ったそうだ」

「そう、ですか……」


 あんなにも怒りに満ちていた心は、まるで空気の抜けた風船みたいに萎んでからっぽになった。

 からっぽになっちゃったせいか、涙すら出てこなかった。






 柴さんの葬儀は翌日に行われ、たくさんの会津藩士に混じって新選組からは土方さん、井上さん、武田さんらが参列し、近藤さんを始め香典もたくさん預かった。

 そして、一緒に仕事をした私も参列した。


 私と年もそんなに変わらないまだ数えで二十一才の青年が、藩のため、国のため、主君のため、潔くその命を差し出す姿勢たるや見事なものだと褒め称えながら、みんな一様に嗚咽をこぼす。

 新選組の面々も、柴さんの遺体に触れ涙を流しながら別れを惜しめば、普段の土方さんからは想像もつかないけれど、少しだけ取り乱し井上さんに宥められるという場面があった。


 私も、柴さんの手に自分の手をそっと重ねれば、ふと、はにかんだ顔が脳裏によみがえる。

 この手で真剣を交えたことはないのだと、本物の武器を振り回し闘う新選組は凄いと、武士らしいと言っていたっけ。

 私の場合は最初から望んでそうなったわけじゃないし、ここにいるにはそうしなければならなかったのと、そうしなければ救えない場面が多かったから。ただそれだけだけれど……。


 この時代、新選組にいる以上、戦う術を持っていなければ守りたいものも守れない……ということを知ってしまったから。

 だからこそ、刀を振るう覚悟をしたはずだった。はずだったのに……柴さんを救うことはできなかった。


 私が最初に麻田さんを追っていれば、もっと早くに槍を逸らせていれば……。

 ああしていれば、こうしていれば……そんなことばかりがぐるぐると頭の中を支配するけれど、結局、どれも行きつく答えは同じだった。

 この事件のことを知っていれば、今とは違う結末になっていたはずなのに……と。


「ごめんなさい……」


 思わず口からこぼれた呟きは、柴さんを取り囲む人々の嗚咽によって掻き消された。そして、白く冷たいその手をゆっくりと離した。




 葬儀が終わると、新選組は遺族の方々とともに墓所まで見送りにも行った。

 途中、参列者の心を写し出すかのような激しい夕立に見舞われたけれど、誰一人傘をさすことなく、俯くこともなく、柴さんが埋葬される様を真っ直ぐに見守った。


 みんなの頬を伝うのは、きっと雨だけじゃない。

 今なら泣いても隠してくれる……そう思うのに。どうしてか私の頬を涙が伝うことはなく、空を見上げるふりして隣の土方さんを見やった。

 私の視線を感じ取った土方さんが、前を見たままゆっくりと口を開く。


「柴は……そんじょそこらのただ刀を二本差しただけの武士とは違う。あいつこそ本物の武士だ。そんなあいつが、俺たちを武士らしいなんて言ったんだ……」

「……はい」

「俺たちはまだ本物の武士じゃねぇ。だが、武士よりも武士らしく……あいつに恥じねぇように生きねぇとな」


 そう呟く土方さんの横顔は、雨に頬を濡らしながらも固い決意に満ちていた。


 今度こそ止まない空に視線を移せば、激しい雨粒が私の顔をしきりに叩いて落ちる。

 けれど、私の頬を伝うのは冷たい雨ばかりで、やっぱり涙が流れることはなかった。

 どうやら涙も出ないほど、私の心はからっぽになってしまったらしい。

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