115 明保野亭にて②

 会津本陣から戻って来た柴さんは、随分と落ちつきを取り戻した様子で土方さんの部屋へやって来た。

 どうやら会津公からも職務を遂行しただけなのでお咎めはなしとされ、麻田さんのいる土佐藩邸には医師を送ったらしい。土佐藩側も、麻田さんの行動にも落ち度ありと、どうやら双方納得のうえ収まったとのこと。


「よかったですね!」

「はい。ご心配をおかけしました。この程度で動揺してしまうなんて、お恥ずかしい限りです」

「だから言っただろう? 何はともあれ、元気になったようでよかったよ」


 そう話す土方さんの顔にも安堵が広がり、少し前の緊張感が嘘のように穏やかな雰囲気が部屋を包む。

 けれど……数刻が過ぎた頃に事態が急変。土佐藩が新選組を皆殺しにするという通達が入り、屯所の警備を厳重にするよう指示を出す土方さんに、思わず声を荒らげてしまった。


「解決したのに……何でですか!?」

「土佐も会津と同じく公武合体を支持しちゃいるが、一部には倒幕を目論む勢力もいる。そいつらが騒ぎ立ててるんだろう」


 確かに、池田屋の会合にいたのは長州藩だけじゃなく、土佐藩や肥後藩の人間も多くいた。

 公武合体を掲げて表向きは良好な関係を築いていても、その内部は決して一枚岩ではないということなのかもしれない。




 結局、屯所が襲撃されるということはなかったけれど、翌日、土佐の麻田さんが切腹したという知らせが入った。


「何でですか!?」


 柴さんが部屋に居合わせているにも関わらず、昨日同様、土方さんに声を荒らげてしまったけれど。双方納得して解決したんじゃなかったの?

 一部の人間が騒いだとしても、どうして麻田さんが切腹なんてするのか。


「手傷を負った武士はもはやこれまでと覚悟するもの……土佐の国風なんだと。おまけに後ろ傷だ。まぁ、それが真実ならその心意気は立派だと思うがな。あまり良い状況じゃねぇのは確かだ」

「いい状況じゃないって……」


 全然納得がいかない私の声を拾ったのは、やけに落ちついた様子の柴さんだった。


「あちらは腹まで切ったのに、こちらだけ何のお咎めもなしでは不平等……ということでしょう」


 どうやら柴さんが言うように、土佐藩内でもそういう声が上がっているらしい。

 だからって、素直に頷けるわけがない。


「相手には悪いですけど、一度解決したものを勝手にひっくり返して切腹までして……それで不平等だなんてあんまりです! 会津公だって柴さんに落ち度はないって仰ったんですよね!?」

「落ちつけ。お前がここで騒いでもしょうがねぇだろうが」

「それはそうですけど!」


 不平等を平等にするには、柴さんにも何かしらの処分を下せとそういうことだ。そんなのおかしい。

 全然納得がいかなくて唇を噛めば、畳に視線を落とした柴さんが静に口を開く。


「会津と土佐は、共に公武合体を掲げて良好な関係を築いています。両藩に亀裂を生じさせてしまっては、そこを攘夷派につけ込まれてしまうかもしれない。それに、せっかく新選組のみなさんが池田屋で攘夷派を追い込んでくださったのに、再び勢いづかせることにも成り兼ねません」


 そう言って、顔を上げた柴さんが微笑んでいたことに、とてつもなく違和感を覚えた。


「……柴さん?」


 まさか、自分も何かしらの責任を取ろうとでもいうつもりなの?

 柴さんの言葉も表情も全然納得がいかなくて、再び感情のままに口を開こうとするも、襖の向こうから声がかかった。どうやら柴さんのお兄さんが迎えに来ているらしい。

 仕方なく土方さんとともに玄関先まで見送るけれど、昨日より状況は悪いのに、ずっと落ちついているその様子が引っかかる。


「柴さんは何も悪くないです。だから……」

「琴月さん、ありがとうございます。私は、みなさんのように刀を上手く振るうことはできませんが、それでも武士なのです。自分が犯した過ちは、自分で責任を取るつもりです」

「柴さん? まさか――」


 それから先の言葉はすっと片手で制された。柴さんは、今度は土方さんに向き直る。


「話がここまで大きくなってしまった以上、私も処罰を受けることになるかと思います。そうすると、新選組の応援からも外されるでしょう。短い間でしたが、一緒に仕事ができて嬉しかったです。お世話になりました」


 丁寧に、そして深々とお辞儀をした。そんな柴さんの頭をポンポンと撫でながら、土方さんが冗談めかす。


「何かあったらうちへ来い。お前なら大歓迎だ。どうせ武士じゃねぇやつばっかだからな」

「……はいっ!」


 勢いよく頭が上がれば、その顔はいつも以上にはにかんでいるのだった。




 見送りを終えて部屋へ戻るなり、土方さんに訊いてみた。


「さっき柴さんに言ってたのって、お家取り潰しとか武士の身分じゃなくなったら、新選組で面倒を見るってことですよね? そんなに重い処罰が下ったりするんですか? 謹慎とかじゃダメなんですか?」

「土佐の麻田は切腹しちまった。謹慎程度で土佐が納得すると思うか?」

「それは……でも向こうが勝手に切腹しただけじゃ……え……まさか、柴さんにまで切腹しろって言ったりしませんよね!?」

「……ないとは言い切れねぇ。二人の侍同士の話から、藩同士の話しにまでなっちまってるからな」


 そんなのありえない、おかし過ぎる!

 麻田さんが切腹したからって、柴さんにまで同じことを迫るなんて納得できない!

 ふと、柴さんのはにかんだ顔とともにその言葉が脳裏を過った。


 ――自分が犯した過ちは、自分で責任を取るつもりです――


 万が一切腹を言い渡されたら……今の柴さんは、甘んじてそれを受け入れるかもしれない。

 それが武士としては正しいことだとしても、私は納得なんてできない。


 気づけば居ても立ってもいられなくなって、土方さんの制止も振り切り部屋を飛び出した。

 向かう先は金戒光明寺。会津藩が藩邸代わりに陣を敷いているお寺だ。

 柴さんに切腹を申し付けるとしたら、それはきっと柴さんの主君、会津藩藩主である松平容保かたもり公だ!




 無我夢中で走って会津本陣へやって来れば、息を整える時間も惜しむように門番らしき人に声をかけた。


「すみません! 新選組の琴月と申します! あのっ……会津公にお目通り願いたいのですが……」

「何だお前は……」

「ですから、新選組の琴月と申しますっ!」


 しばしの沈黙のあと、奇異なものでも見るような目でしっしとあしらわれた。

 これぞまさしく門前払い!


 確かに後先考えず勢いだけで来てしまったけれど!

 何の伝もなしに突然やって来て、一国の主に会いたいだなんて無茶かもしれないけれど!

 それでもこのまま引き返すなんて選択肢はなくて、ひたすら門番に食い下がった。

 しばらく門番との攻防を続けていると、突然後ろからぐっと肩を引かれ、驚いて振り返れば罵声が降ってきた。


「この馬鹿っ! 一人で突っ走るんじゃねぇと何度言えばわかんだ、お前はっ!」

「えっ……土方さん!? どうしてここに?」


 土方さんは私の質問に答えることなく、どうやら顔見知りらしい門番と軽く挨拶を交わすと私を引きずって歩き出す。


「離してください! このままじゃ柴さんが!」

「あのな、今のお前に何ができる? たった一人でこんなとこまで来て、何するつもりだ?」

「あ、会津公に直談判ですっ!」


 土方さんを見上げてはっきりと告げれば、途端に伸びてきた指が私のおでこを容赦なく弾いた。


「猪じゃねぇなら少しはその小せぇ頭を使って考えろ! いいか、お前一人でいきなり乗り込んで、会津公に会えると思うか?」

「そ、それは……」

「門番が気の短ぇ奴だったら、今頃ぼたん鍋になってたぞ」

「なっ……さっきから猪、猪って……」


 腹立たしいけれど、こんなところに来てまで土方さんと言い合いなんてしている時間はない。


「私は……何もしないで諦めたくはないんです! だから止めないでください!」


 思わず睨みつけるように力をこめれば、再び伸びてきた手が今度は私の左耳を容赦なく引っ張った。


「うるせぇ、この耳は飾りか!? 誰も止めるなんて言ってねぇだろうが!」

「さっきから痛いですっ! って、え、あれ? じゃあ、行ってもいいんですか?」

「いいんですか? じゃねぇよ馬鹿! 人の話しは最後までちゃんと聞け! 一緒に行ってやるって言ってんだよ、この馬鹿っ!」

「えっ、あ、ありがとうございますっ!」


 土方さんの手を振りほどくように勢いよく頭を下げれば、その大きな手が私の後頭部にポンと乗っかった。


「柴を救いたいと思うのはな、何もお前だけじゃねぇんだよ」

「……はい」

「すぐに近藤さんと新八も来る。そしたら行くぞ」

「……はいっ!」




 それからしばらくして、近藤さんと永倉さんもやって来た。永倉さんは、私の顔を見るなり頭をポンポンと叩いて苦笑する。


「いつもにもまして真っ直ぐだな。ま、春のそういう男勝りなとこ、俺は嫌いじゃないぞ」


 猪突猛進……さっき猪と言われたせいかそんな言葉が頭に浮かぶけれど、それを掻き消すように、今度は近藤さんの大きな手が私の肩に乗っかった。


「男勝りとはあんまりじゃないか。確かに春は女子のような顔をしているが、中身は立派な男子だぞ。なぁ?」

「え、えっと、はい、もちろんですっ!」


 力強く頷けば、しまったという顔をする永倉さんの横で、土方さんが小さく吹き出した。

 全然笑い事じゃないのだけれど……。私の女らしさ、本当になくなりそうだからねっ!?




 極度の緊張からか、正直そこからの記憶はあまりない……。

 初めて会津本陣に足を踏み入れたこと、突然押し掛けたにも関わらず、会津公御本人が病身を押して謁見なさってくれたこと……。


 柴さんに対してすでに無罪を言い渡した以上、今さらそれを覆すことも、ましてや腹を切れなどと命じる名分もないというようなことを仰っていた。

 けれどもそのお姿は、酷く苦慮しているようにも見えた……。


 会津本陣をあとにすると奉行所へ足を運び、柴さんの正当性の主張やあらゆる可能性を考え助命嘆願もした。

 局長が自ら動き、新選組として、今の私たちにできることは可能な限りやったつもりだ。

 あとは上の人たちの判断に委ねるしかないけれど、藩同士の面子だなんてくだらない理由のために、柴さんが犠牲になることだけはないように……と願うのだった。

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