086 髪を乾かす②
しばらくそんなことが続いたある日。
朝から沖田さんと一緒に壬生寺で子供たちと遊んでいると、突然、雨が降ってきた。
多少の雨ならものともしない子供たちだけれど、今回ばかりは気にせず駆け回れるような雨でもなかった。
仕方なく軒下で雨宿りをしているも、なかなか止みそうになく、むしろ雨足は強くなる一方だった。
そろそろお昼時。お腹が空いたのか、一人が今日は帰ると雨の中を駆け出せば、あとを追うようにみんな飛び出して行く。
わかるよ……雨に濡れるのって、何だかいつもと違って楽しいんだよね。そして、ずぶ濡れで帰って怒られるんだよね。
懐かしい気持ちと苦笑いで見送れば、隣の沖田さんがすっと立ち上がった。
「僕らも帰りましょうか」
子供たちのようにどしゃぶりの中へ飛び出そうとする沖田さんを、慌てて阻止した。
「沖田さんはここで待っててください。屯所から傘を持って来ます」
「そんなことしなくても、一緒に濡れて帰ればいいですよ」
「ダメです! 風邪でも引いたら大変ですから!」
屯所はすぐ目と鼻の先だけれど、この雨足では確実にずぶ濡れだ。沖田さんを濡らすわけにはいかない。
待っていてください、と返事も待たずに駆け出した私の手は、すぐに隣を走る沖田さんに捕まれた。
「沖田さん!? 待っててくださいって言ったのに!」
「これくらいで風邪なんて引きませんよ。ほら、一緒に帰りますよ~」
結局、屯所についた時には揃ってずぶ濡れだった。
とりあえず、着替えだけを済ませて沖田さんのところへいけば、案の定、着替えただけで髪はほどかれてさえいなかった。
半ば強引に座らせて、結われたままの髪を解き肩にかけてあった手拭いを借りた。
「春くんは本当に心配性ですね」
「沖田さんがちゃんとしないからです」
全く、人の気も知らないで。心配もするんだから!
もしも発症してしまったら、ここでは治せないんだからね……。
自分の髪から顔の横にしたたる雫を腕で拭いながら、沖田さんの猫みたいな髪をわしゃわしゃと乾かしていく。
一通り乾かしてから立ち上がれば、沖田さんの顔の前に手拭いを差し出した。
「今度からは、ちゃんと自分でやってくださいね!」
「仕方がないですね~、善処します。でも~……」
突然、手拭いを持った腕ごとグッと引かれてくるりと反転。沖田さんの胸に背中を預けるような格好で、足の間に挟まっていた。
「えっ、お、沖田さん!?」
「春くんも、ちゃんと乾かさないと駄目ですよ~」
「私は自分でできますからっ!」
「いいから、いいから」
反論もむなしく、頭にふわりと手拭いがかけられた。すぐにわしゃわしゃと拭かれれば擽ったくて、抜け出そうと身動ぎするも沖田さんの意地悪な声がする。
「そんなに動くと、僕、もう二度と自分の髪を拭きませんよ~?」
「なっ……それはダメです!」
「じゃあ、じっとしててください」
沖田さんめっ!
抵抗することを諦めれば手拭いが外され、頭のてっぺんに乗っかった手が滑るように髪を撫でていった。
「春くんは本当に素直でいい子ですね。だから髪も、こんなに真っ直ぐで綺麗なんですかね?」
「じゃあ、沖田さんのその猫っ毛は、性格に似ちゃったんですね!」
「あはは。そうかもしれませんね~」
すぐ後ろから、ケラケラと楽しそうに笑う沖田さんの声が聞こえると同時に、再びわしゃわしゃと髪を拭かれるのだった。
部屋に戻れば、朝から出掛けていた土方さんが文机の前で書状を読んでいた。土方さんも雨に濡れて帰って来たのか、解いた髪の先に溜まった雫が、朝とは違う着物の背中に染みを作っている。
「土方さん、髪、ちゃんと乾かさないんですか?」
「これくらい、ほっときゃそのうち乾くだろ。急ぎの書状があんだよ」
「そんなこと言って、風邪引いても知りませんよ? ……あっ、何とかは風邪引かないって言うんでしたっけ」
「お前と一緒にすんじゃねぇ」
本当に急ぎなのか、言葉のわりには全く怒っていない声音だった。
ここの男どもは、肩に手拭いを掛けるだけで乾くとでも思っているのだろうか? いや、そもそも乾かす気がないのか?
近頃、人の髪を乾かしてばかりなせいか放っておけなくて、土方さんの肩にかかった手拭いをそっと頭に移動させた。
少し驚かれた気がしたけれど、文句を言われることも払い除けられることもなかったので、邪魔をしないよう丁寧に拭いていった。
「土方さんも濡れて帰って来たんですか?」
「ん。出る時は降りそうになかったんだけどな。突然降ってきやがった」
「朝は晴れてましたもんね。私もさっき濡れて帰って来ました」
あらかた乾かし終わると、冷えた身体を温めるべくお茶を淹れに行くことにした。
湯飲みを二つ乗せたお盆を手に台所をあとにすれば、降り続ける雨音に混じって玄関先から物音がした。
誰か帰って来たのかと覗いてみるも、そこにいたのは着物の裾を絞る武田さんで、目まで合ってしまって酷く後悔した。
無言で踵を返すわけにもいかず、平静を装い挨拶だけはするものの、当たり前にように手拭いを差し出された。
「春」
いやいや、私はあなたの小間使いかっ! そんなことをしていたら、せっかくのお茶が冷めてしまう!
しばし無言の抵抗を試みるも、痺れを切らせた武田さんが再び無遠慮に私の名前を呼べば、ほぼ同時に、後ろからも私を呼ぶ声がした。
「土方さんが呼んでいるぞ」
斎藤さんだった。
僅かな沈黙のあと、今度は斎藤さんと武田さんが見つめ合うけれど、その視線はやけに鋭く、まるで睨み合っているようにも見える。
「琴月。早く行け」
「あっ、はい!」
斎藤さんに促され、逃げるようにして部屋へ戻った。
「土方さん呼びました? お茶なら淹れて来ましたけど……」
「ついさっき茶を淹れに行くと言って出て行ったばかりの奴を、わざわざ呼びつけるほど急ぎの用はねぇぞ」
「……ですよね?」
訝しむ土方さんの視線を受けながら、今までの斎藤さんの伝言は、私を助けるための嘘だったのだと気がついた。
うんうんと一人頷く私に、土方さんのいまだ納得がいかない視線が降り注ぐ。仕方がないので、一連の出来事を話した。
その日のうちに、髪ぐらい自分で拭け! という副長命令が出たのは言うまでもない。
武田さんに頭を拭かされることもなくなったある日の夜。
お風呂上がりらしい斎藤さんと縁側ですれ違うと、いいことを思いついた。さっそく実行するべく、少しばかり強引に斎藤さんを縁側に座らせる。
「ちょっと借りますね」
返事を訊く前に斎藤さんの肩にかかった手拭いを取れば、その頭にふわりとかける。動かそうとした手はすぐにやんわりと捕まれ、同時に少し焦ったような声がする。
「琴月? 俺は自分でできるからいい」
「助けてくれたお礼です。今回くらいは、土方さんだって目を瞑ってくれますよ」
「いや、そうではない……」
「あっ、もしかして照れてるんですか?」
何だか普段と様子の違う斎藤さんを茶化しつつ、その手を無視して髪を乾かしていく。しばらくすると、斎藤さんは諦めたように手を下ろし、黙ってされるがままになった。
もかして、本当に照れている? 普段はあんなにもからかってくるのに!?
珍しいこともあるもんだ、と思わずクスリと笑ってしまえば、斎藤さんの不服そうな呟きが聞こえる。
「照れているわけではない……人に髪を触られるのは擽ったいだけだ」
「はい。そういうことにしておきます」
「……琴月」
「何ですか?」
おもむろに斎藤さんが振り返った。
「覚悟しておけ」
欠けた月が照らし出すその顔は、まるで悪戯を画策する子供のような顔だった。
マズイ。これは意地悪の倍返しをされる気がする。いや、倍返しで済めばマシという気さえする……。
「な、何のことですか?」
とぼけたふりでやや強引に斎藤さんを正面に向かせれば、再び真っ直ぐで綺麗な髪を乾かしていく。
髪はこんなにも癖がなくて真っ直ぐなのに……何て思ったら、やっぱりおかしくなって再び笑みがこぼれるのだった。
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