085 髪を乾かす①

 富澤さんが帰ってから数日が過ぎたある日。

 午後の巡察を終え屯所へ戻ってくると、非番の沖田さんが縁側に腰掛け串団子を頬張っていた。

 すでにお風呂を済ませたのか肩に手拭いをかけているけれど、おろした髪はちゃんと乾かされていなくて、寝間着代わりの浴衣の背中には染みを作っている。

 風邪でも引いたらどうするのか……。


「沖田さん、お団子食べる前に髪をちゃんと乾かしてください」


 声をかけながら側へ寄れば、沖田さんは新しいお団子を手に取りそれを差し出してきた。


「春くん、巡察お疲れ様です。よかったら食べますか?」

「いいんですか? ありがとうございます」


 膝をついてお団子を受け取ろうと手を伸ばすも、ひょいっと引っ込められてしまった。直後、再び差し出されたのは私の口元だった。


「はい、あーん」

「……え、あ、あーんって。子供じゃないんで自分で食べられます」

「遠慮しない、遠慮しない。ほら、あーん」


 いや、遠慮じゃないから! こんなの恥ずかしいでしょうがっ!

 全く引く気がなさそうな沖田さんの笑顔と、お団子を交互に見つめる……。照れとお団子を天秤にかけてみるけれど、きっとまたからかっているのだと察してお団子は諦めた。


「そんなことより、髪をちゃんと乾かしてください。風邪引いちゃいます」

「ほっといてもそのうち乾くから大丈夫ですよ~。それより、僕の団子は食べられないって言うんですか? あ~あ、悲しいなぁ~」

「なっ! ちゃんと髪を乾かしてくれたら食べますよ!」


 むしろ、早く食べたいくらいなんだから!


「そんなに言うなら、春くんが乾かしてください。僕、団子食べるのに忙しいんです」


 子供の言い訳か! とはいえ、どうやら本当に自分で乾かすつもりはないらしい。

 確かに放っておいても乾くけれど、万が一風邪でも引いてしまったら、沖田さんの場合はそれが命取りにもなり兼ねない。

 仕方ないので沖田さんの背後に移動すると、肩にかかる手拭いを借りて目の前の頭にふわりとかけた。

 細く柔らかい髪を乾かしながら思う。ドライヤーが欲しい。せめてバスタオルを……。


 あらかた乾かし手櫛で髪を整えると、沖田さんの横へ腰を下ろし手拭いを返した。すると、お礼とばかりにとびっきりの笑顔でお団子を差し出してくる。


「はい、あーん」

「いや、自分で――」

「髪を乾かしたら食べてくれるって言いましたよね?」


 そんなこと言ったっけ? まぁ、言ったかもしれない。

 けれど、食べさせてもらうつもりで言ったわけではないし、そもそもその髪を乾かしたのは私だし!


「ああ、これ最後の一本です。いらないなら僕が食べちゃいますよ~?」

「なっ! も、もう!」


 背に腹は変えられない! 思いきってパクリと食べれば途端に沖田さんの笑い声が響く。


「春くん、顔が真っ赤です」

「だれのせいひゃと……」

「あはは。すみません、悪戯が過ぎましたね。髪、ありがとうございました」


 沖田さんは串団子を私に手渡すと、何事もなかったかのように部屋へと帰って行った。

 今さらだけれど、沖田さんって寄ってきたかと思えばふいとどこかへ行ってしまったり、何だか猫みたい……と、その背中を見ながら思うのだった。


 その日の夜。

 縁側の近くを通ると、沖田さんが座っていた場所に武田さんが座っていた。

 月明かりに照らされるその姿は、よく見ると頭も着物も少しだけ濡れているように見えた。






 翌日。

 巡察から戻り縁側を通ると、武田さんが昨夜と同じ場所に座り読書をしていた。

 けれど、頭も着物もまた少し濡れている。不思議に思いながらも挨拶だけはすると、後ろを通り過ぎたところで声をかけられ足を止めた。


「琴月君、巡察ご苦労」

「……いえ。それより、背中まで濡れてますよ」

「……拭いてくれるか?」


 確かに背中は拭きにくいかもしれない、と差し出された手拭いを受け取り、背中側で膝をつき軽く叩くように拭いた。

 さすがに綺麗には拭いきれないので、数回叩いて手拭いを返そうとしたところで、武田さんがかろうじて聞き取れるような声で呟いた。


「髪……」

「え? 髪? 髪がどうかしましたか?」

「ついでに髪も拭いてくれるか?」


 髪……。髪って言ったかな?

 聞き違い……じゃないよね?


 頭に焦点を合わせれば、どうやら髪を伸ばし始めたのか、いつもの坊主頭にはちょびちょびと毛が生えてい……る?

 果たしてこれは、拭くほどのものなのか。


「琴月君?」

「え? あ、えーっと……え?」


 頭を見つめながら言葉に詰まっていたら、武田さんが顔だけを振り向かせた。


「沖田君の髪は拭くのに、私のはできないと?」

「え? いえ、そういうわけでは……」


 沖田さんは風邪を引いたら困るからであって、武田さんの髪を拭く理由は何一つない。

 そもそも、あなたの髪は……。


「なぜ黙る? もしや、沖田君のことを……」

「え?」

「好いているのか?」

「は? いえ、そうではなくて……」


 ああ、もう! 何て面倒くさい人なんだ!


「わかりましたっ!」


 若干投げやりな返事をすれば、前を向いた武田さんの頭に手拭いを乗せた。髪を拭くというより頭を拭く……だろう、これは。

 当然のごとく撫でる程度ですぐに終わるけれど、頭から離そうとした私の手は、なぜか突然伸びてきた武田さんの手に掴まれていた。


「春、この辺も頼む」

「へっ!?」


 指を差して教えてくれればいいからっ! わざわざ私の手を握るもんだから、ビックリしておかしな声が出たじゃないか!

 しかも今、さらっと名前で呼ばなかった?

 気のせい? それとも聞き違い?


「春、次は反対側を……」


 気のせいでも聞き違いでもなかった!

 別に呼び方なんて何でもいいけれど、とにかく手! 手を離してっ!

 手を引っ込めようにも思いのほか強く握られているし、強引に振りほどいて変に機嫌を損ねられても面倒くさい。

 困惑していれば、丁度通りがかった人に声をかけられた。


「琴月。土方さんが呼んでいたぞ」

「あっ、斎藤さんっ!」


 斎藤さんの方に向き直ると同時に、捕まれていた手もパッと離れていった。

 た、助かった!?


「わかりました。すぐに行きます!」


 武田さんに手拭いを返し、斎藤さんにお礼をしてからその場をあとにした。

 わざわざ人を使ってまで呼びつけるなんて、よっぽど急ぎの用事なのかと部屋に入るなり声をかけた。


「土方さん、お呼びですか?」

「あ?」


 ……あ? って。

 自分から呼びつけておいて何て反応だ。


「土方さんが呼んでるって聞いてきたんですけど」

「呼んでねぇぞ」

「あれ?」


 どういうこと? 何か聞き違えたのか?






 翌日、巡察から戻ると、またしても頭と着物を濡らした武田さんが縁側に腰掛けていた。

 今日は放っておこう……そう思うのに。まるで頭から水を被ったかのような濡れ具合に、武田さんよりも濡れている床の方を放っておくことができなかった。


「武田さん……床まで濡れてます。拭い――」

「拭いてくれるか?」


 こちらに顔を向けた武田さんは、さも当たり前のように私の手に手拭いを乗せる。

 いやいやいや。誰も拭くとは言っていない。

 いっそ床の方を拭いてしまおうか!?

 ……なんて、思うだけでやる勇気はないので仕方なく背中側へ移動する。


 今回も頭まで拭かされていれば、またしても武田さんの手が私の手元へと伸びてくる。

 けれど、その手が私に触れることはなかった。昨日と同じく、土方さんが呼んでいるという伝言を斎藤さんが持って来てくれたのだった。


 今日こそは聞き違えていないはず! そう思いながら土方さんのもとへ行くけれど、呼んでいない、という言葉が返ってくるのだった。

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