087 土方さんと沢庵

 朝餉を食べ終えると、二人分のお茶を淹れてから部屋へ戻る。

 今日の非番は稽古もお休みして、丸一日のんびり過ごすことに決めていた。


「土方さん、お茶淹れましたよ」

「ああ、ありがとな」


 お盆に乗せた土方さんの分のお茶を文机の端に置いてから、自分の分を持って日当たりの良い縁側に移動する。

 喉を潤しホッと一息つけば、土方さんがこちらを一瞥して笑った。


「朝から茶を啜りながら日向ぼっこか。まるで年寄りだな」

「むっ。十九でお年寄りですか? じゃあ、土方さんはすでに仏様ですね」


 満面の笑みで返して差し上げたのに、仏様とは真逆の、悪意に満ちた笑顔で私の側へやってくる。


「うるせぇ、天罰だ」


 おでこへと向かって伸びてくる腕を避けようと、すかさず身体を大きく傾けた。

 そう、毎度毎度大人しくくらいませんよーだ! ……って、持っていたお茶をこぼさないようにと避けたせいで、不覚にも倒れた。

 そんな私を見て、土方さんが勝ち誇ったように笑う。


「ざまぁみろ」


 なっ……鬼かっ!

 倒れたままの私から、土方さんはひょいと湯飲みを取り上げた。


「暇そうだな?」

「暇じゃないです。非番なんです」


 寝転んだまま反論するも、何やら面倒な仕事でも押しつけられそうな予感にゆっくりと起き上がる。そんな私の手に湯飲みを戻しながら、土方さんが言う。


「飲み終えたら支度しろ。出るぞ」

「出るぞって……私、今日は非番なんですけど……」

「知ってる」

「今日は一日のんびりするつもりなんですけど……」

「行くのか? 行かねぇのか?」


 土方さんの顔は、笑顔を浮かべているわりには威圧感の塊みたいで、選択肢を与えられている気が全くしない。

 この流れはきっと、拒んだところで副長命令が飛び出すに違いない。


「……って、なんかズルくないですか?」

「あ?」

「何でもかんでも副長命令出せばいいとか思ってませんか?」

「そう簡単に副長命令なんて出すか、馬鹿野郎。お前は俺を何だと思ってる」

「……鬼の副長?」


 わざとらしく大げさに首を傾げてみせれば、再び湯飲みを取り上げられた。


「ほう。なら望み通り副長命令にしてやる。とっとと支度しろ」

「なっ、さっきはお茶飲んでからって言ったのに!」

「うるせぇ。勝手に決めつけたお前が悪い」

「お、鬼っ!」


 簡単には副長命令なんて出さないって、言ったそばから出してるし!

 仕方がないので日向ぼっこは諦めて、支度を済ませて土方さんと一緒に屯所を出た。


 晴れた空から降り注ぐ日差しは暖かで気持ちがよく、やっぱり縁側でのんびりしたかった、と思わざるを得ない。

 思わずため息をつきそうになれば、隣を歩く土方さんが鼻で笑った。


「お前、富澤さんの送別の宴で俺に負けただろう?」


 負けた? 何を?

 あっ、お座敷遊び……金比羅船々か!


「ばつげえむ……と言っていたな。負けた方が勝った方の言うことを何でも聞くという条件、覚えてるか?」

「一応、覚えてますけど……もしかして、何にするか決まったんですか?」

「ああ。縁側で茶を啜りながら日向ぼっこしてる非番の奴を連れ出すのに使おうと思ったんだがな、副長命令の方がいいと言うから他を考えることにした」

「ちょっと待ってください! それって、私すっごく損してませんか!?」


 とんでもないことをさせられるんじゃないかと思っていたものが、のんびり日向ぼっこ計画が潰れるだけで消化できたかもしれないってことだよね!?


「気のせいだろ」


 全然気のせいじゃない!

 そもそも、行くか行かないかとしか問われなかったのに、罰ゲームの消化だなんて思わないし! ……って、素直に行くと答えていたら、結局消化しなかったんじゃ……!?

 結論――土方さんはズルい。


「ところで、どこに向かってるんですか?」


 お互い隊服も着ていないので、隊務ではない気がするけれど。


「漬物屋だ」

「あれ? お漬物なら、買い足さなくてもまだ残ってましたよ?」

「美味い沢庵が食いたくなった」


 そう話す土方さんとともに漬物屋につけば、土方さんは他の漬物には目もくれず、さっそく沢庵の試食を頬張った。

 一緒になって、私も手渡された沢庵を口にする。


「うん。美味しい」


 ポリポリと小気味良い音を立てれば、隣で軽く瞼を閉じた土方さんも、美味い、とこぼす。

 一足先に食べ終えると、お店の人に勧められるまま、次から次へと試食を受け取り口へと運ぶ。

 いつもより長めの咀嚼を終えた土方さんは、口の中を空にするなり少し険しい顔で、う~ん、と唸った。


「ちげぇ……」

「違う?」

「これはこれで美味いが、俺の求める味とはちげぇ」


 結局、何も買わずに店を出た。


 土方さんの普段の食事の様子や、お茶請けで沢庵を頬張っている姿を見かけたりもするので、沢庵が好きなんだとは思っていたけれど。

 訊けば、多摩にいる時には樽ごと担いで帰ったことがあるほどお気に入りの沢庵があったらしく、無性にその味が恋しくなったらしい。

 つい最近まで富澤さんと会っていたし、故郷の味が懐かしくなってしまったのかな?




 その後も片っ端から漬物屋を巡るも、これじゃない……と、なかなか気に入ったものには出会えなかったみたいだ。

 まだ探すつもりなのか、今度も店を出るなり次の店へ向かおうとする土方さんの着物の袖を、慌てて引っ張った。


「土方さん、私もうお腹一杯です……」


 だって、気前よく勧められるままに試食をしていたせいで、土方さんよりも遥かに多くを食べている……。


「そりゃ、あんだけ食ってりゃ腹も膨れるだろうよ」

「お腹もそうなんですけど、すっごく喉が乾きました……」

「ったく、仕方のねぇ奴だな」


 そう言って小さく笑う土方さんは、呆れながらも方向転換をして、近くのお茶屋の縁台に腰かけお茶を二つ頼んだ。

 並んで隣に座れば、すぐに運ばれてきた温かいお茶を啜って一息つく。


「ふぅ……。温かいお茶ってホッとしますよね」

「お前、中身は以外と年寄りだな」

「そんなことないですよ? 私はまだ十代ですから」


 途端に眉間に皺を寄せる土方さんから視線を外せば、近くで美味しそうに大福を頬張る人が目にとまった。

 じっと見ていたつもりはないけれど、気がつけば土方さんに笑いながらおでこを弾かれた。


「イタッ! 何するんですか!」

「ったく、そんな物欲しそうな目で見てんじゃねぇ。餓鬼か」


 そう言って勝手に大福を注文すれば、運ばれてくるなり、ほら、と私の掌に乗せてくる。


「食べてもいいんですか?」

「そのために注文したんだろうが。いらねぇなら――」

「いえ! ありがとうございます! いただきます!」


 遠慮なくかぶりつくも、土方さんがずっと私を見ていることに気がついた。


「いつも思うんだが、本当に美味そうに食うよな」

「だって美味しいですし」

「腹一杯なんじゃなかったのか?」

「甘い物は別腹です」


 呆れたように吹き出す土方さんを無視して、残りも頬張った。


「そういえば、結局、罰ゲームどうするんですか? 何もないならないで、もうお終いでもいいですよ?」

「負けたお前がそれを言うか」

「なら今すぐ決めてください」


 時間をかけたらかけた分だけ、とんでもないことを思いつきそうで怖い。毎日そんなものに怯えながら過ごすなんて嫌だ。

 ……まぁ、今朝のやり取りまで、すっかり忘れていたのだけれど。


「浮かばねぇな」

「あのですね、そもそも罰ゲームなんて、その場でパッとやってハイお終い! っていうものなんですからね?」

「例えばどういうのだ?」


 例えば? その場ですぐにできる簡単なもの……。


「……三回まわってワン! ……とか?」

「どうやるんだ?」


 こういうのは口で説明するよりも実践した方がわかりやすい。立ち上がり、その場でくるくると三回まわって犬のポーズを取って見せる。


「ワンッ!」


 途端に土方さんが吹き出した。

 そんなに面白いのか? 自分でやっておいてアレだけれど、吹き出すほど面白いとは思えない。

 若干呆れ顔で土方さんを見つめれば、それ以上に呆れた視線が返ってきた。


「お前、馬鹿だろう」

「はい?」

「たった今、三回まわってワンがどういうものかを見た俺が、改めてお前にそれを要求すると思うか?」

「え……ああ! じゃあ、今ので消化したってことで!」

「却下だな。お前が勝手にやっただけじゃねぇか」


 く……。すっごく損した気分だ! 今日は朝からこんなのばっかりだ!

 そんなことを思っていれば、お店の人が持ってきた紙包みを受け取った土方さんが、すぐさま私に手渡した。


「どうせまだ食えるんだろう? 屯所へ帰ってからでも食え」


 どうやら、さっきの物とは別に大福を包んでくれていたらしい!


「あ、ありがとうございます!」

「礼はいらねぇ。頼んだのは俺だが勘定はお前だからな」

「へ!?」

「冗談だ。非番を半日潰しちまった礼だ」


 なっ……何なのさっ!


「お前、くるくる表情が変わって見てて飽きねぇな」

「誰のせいですか!」


 必死に訴えながら店をあとにすれば、僅かに先を歩く土方さんが振り返る。


「今日はありがとな。ま、美味い沢庵はまだしばらくお預けになっちまったが」

「そんなに食べたいなら、まだこのあとも探せばいいじゃないですか」


 一休みしたのでこのまま沢庵探しを提案したけれど、どうやら午後までには戻らないといけないらしい。


「なら、また次回一緒に探しますよ。あ、その時は罰ゲーム消化ってことで」

「却下だな。じっくり考えてやるから覚悟して待ってろ」


 だから覚悟って何!

 屯所につくまでの間の猛抗議もむなしく、終始笑顔であしらわれるのだった。

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