080 山崎さんと潜入捜査①

 商家へつくと、挨拶もそこそこにさっそくそれぞれの仕事についた。

 山崎さんは店へ、私は他の女中たちに教えてもらいながら屋敷の掃除に取りかかる。一階が店、二回が居住スペース等で、敷地の奥には蔵まであるらしく、掃除一つであっという間に時間が過ぎていった。


 夕餉の支度前に庭の掃き掃除をしていると、敷地の奥に離れがあることに気がついた。

 近づいてみれば中から咳をする音が聞こえ、ここも掃除をした方がいいのかと戸に手をかけた時だった。


「お琴さんっ!」


 突然、名前を呼ばれて振り向けば、商家のご主人が立っていた。


「そろそろ、夕餉の支度を頼んでええか?」

「はい。あの、ここは……」

「そこは……何もせんでええ。ここにはあまり近づかん方がええ」


 少し困ったような顔でそう話すご主人は、理由を訊く間もなく屋敷の中へと戻ってしまい、仕方なく私もそのあとに続くのだった。




 夜になり、私たちはあてがわれた二階の端にある部屋に入った。総面積からしたら小さく感じる四畳半ほどの部屋だけれど、急遽決まったことだし、短い期間なのでこんなものだろう。


 二組の布団を敷きながら、報告も兼ねて山崎さんに昼間のことを話すと、病人を隔離しているのだろうとのこと。

 言われてみれば、確かにどこか病的な咳だったかもしれない……。


「では、私は他の場所で寝ます」


 そう言って、山崎さんは襖に手をかけている。


「他って、どこですか?」

「屋根の上でも、蔵でも……適当に探します」

「や、屋根!? 何でそんなとこでっ!? ちゃんとお布団で寝てください!」

「いえ……」


 どうやらいくら任務とはいえ、嫁入り前の女性と布団を並べて寝るのは申し訳ない……ということらしい。

 そりゃ、普通に考えたら飛んでもないことなのだけれど……。


「お気遣いはありがたいですが、私、普段から土方さんと同じ部屋で寝てるんです。正直、今さらなので気にしないでください」

「しかし……」

「風邪でも引いて任務に支障が出たら大変です。それに、夫婦役ですよね? 旦那様を屋根の上で寝かせるわけには……」

「あー……うーん……。そうですね、わかりました。すみません」


 山崎さんは布団に潜り込むと、すぐに背中を向けて寝始めるのだった。




 気がつけば朝だった。気を遣ってくれた山崎さんには申し訳ないと思うほど、どこででも寝られてしまう自分に少し呆れた。

 気を取り直して、今日も女中の仕事をこなしていくなか、用があって離れの近くを通るとまた咳をする音が聞こえた。山崎さんが言っていたとおり、病人が隔離されているみたいだった。


 隔離……きっと仕方のないことなのだと思う。

 気持ちを切り替え離れに背を向ければ、今までのそれとは違う、激しく苦しそうな咳に変わった。

 万が一、生死にかかわる状態では放っておくわけにはいかない。中を確認するべく戸に手をかけた時だった。


「そこは入らない方がいい」


 振り返ると、同い年くらいの男性が一人立っていた。思わず訝しむ私を察してか、自ら名乗ってくれる。


「俺は木村耕吉きむら こうきちだ。ここの主人には世話になっている代わりに、用心棒のようなことをしている」

「私は……昨日から数日だけここで働くことになりました、琴と申します」

「お琴さん、ここには近づかない方がいい。ここにいるのは労咳ろうがいの患者だ」


 ろうがい?

 聞きなれない病名に一瞬首を傾げるけれど、幸いにもすぐに思い出した。


 労咳……今でいう結核だ。現代ではBCGと呼ばれる結核予防のワクチンを幼いうちに接種もするし、発病したとしても、医療機関で適切な治療を行えば治る病気だ。

 けれど、結核菌が発見されるのは確か明治になってから……。つまり、現時点で結核は不治の病。


 原因がわかれば、なおさら放っておくなんてできなくなった。

 木村さんの制止を振り切り離れの中へ入れば、奥の部屋で乱れた布団の上に横たわる老人が一人。脇に置かれた桶には、喀血したのか鮮血が溜まっている。


 老人が再び咳をし始めると、すぐに激しさを増し喀血した。瞬間的に悟ったのは、もう永くはないのであろうこと。

 骨と皮だけになりながらも激しく揺らすその背中を、たださすることしかできなかった。

 しばらくして状態が落ちつくと、痩せ細った身体を横たえながら、老人が細い声で言う。


「外で聞いたやろう? 儂は労咳じゃ。お前さんみたいな若いもんに移してもうたら、死んでも死にきれん。ほっといてくれ」

「……桶を、綺麗にしてきます」


 鮮血の溜まった桶を持ち外へ出ると、木村さんが立っていた。


「死にたいのか?」

「違います! あんなに苦しんでるのに、放っておけるわけないじゃないですか!」

「労咳は死病だ。移ればあんたもあの患者と同じ末路だぞ」

「私は死にません」


 現代から来た私は、おそらくこの時代で一番結核にかかりにくい人間だと思う。

 木村さんの呆れ声を無視して桶を綺麗にすると、濡らした手拭いも用意して戻り、顔や身体を拭ける範囲だけでも拭いてあげた。

 最初は驚いていた老人も、私がやめないことを悟ったのか、呆れながらも時折穏やかな表情を見せてくれた。そして、私が部屋をあとにする時には、ありがとう、とも言ってくれた。




 その日の夜、山崎さんが真剣な面持ちで私の前に座った。


「離れの中へ入ったのですか?」

「はい。苦しそうにしていたので」

「離れにいるのは労咳の患者だそうです。もう、あそこへは近づかないでください」


 山崎さんまでそんなこと……。

 わかっている。この時代の人たちにとっては恐ろしい病気で、山崎さんは私を心配してくれていることも。

 大丈夫な理由を説明できない以上、ここで反論しても余計に心配させてしまうだけな気がして、心の中で謝りつつ黙って頷いた。




 翌日も、手が空いた時には離れに入り、老人の世話をした。

 商家のご主人に見つかり怒られたけれど、決して迷惑はかけないと食い下がれば、ご主人の方がおれたのだった。

 けれども木村さんは、自ら進んで出入りする私を不思議がり、理解できないとばかりに声を荒らげた。


「どうして赤の他人にそこまでする!?」

「苦しんでいる人を助けるのに、他人も身内も関係ないです。私は、私にできることをしているだけです」


 一瞬だけ驚いた表情を見せた木村さんが、ぽつりと呟いた。


「親父みたいなことを言うんだな……。あんたも、嫁ぐ前は医者の家系だったのか?」

「え? えっと、まぁ、一応そう……です」


 煮え切らない私の返事を訝しみながらも、そうか、と頷いた。

 ……あれ? あんた


「もしかして、木村さんのお父様はお医者様なんですか?」

「ああ。実はな、俺も親父の下で医術を学んでいたんだが、些細なことで口論となり、カッとなって家を飛び出した」


 と、飛び出したって、家出か!


「すぐに帰るのは癪でな、飲み屋で酒をあおっていたら、『ならば、この国のために尽くそうじゃないか』と、そこで意気投合した奴らとともにその日のうちに藩を出た。どうせ小さな町医者だ。俺がいなくなっても何も変わらない」


 は、藩を出た!? ちょっと待って。近場で家出した程度かと思ったら、とんでもなかった!

 徒歩が主流のこの時代、いったいどこからここまで家出してきたのか気になり訊いてみた。


「……水戸だ」

「み、水戸!?」


 水戸って言ったら茨城? また随分と遠くから……。

 この時代の人たちって、やることが大胆というか行動力がありすぎる。


 けれど、よくよく話を聞いてみれば後悔もしている様子だった。

 そもそもこの人の場合、攘夷志士のように志があって上洛したわけじゃない。家出のあとに、国のためだなんて大層な言い訳を取ってつけただけっぽいし……。

 そのくせ、喧嘩腰で飛び出してきたので戻るに戻れないとか、どうせここまで来たのだから名を残したいとか、聞けば聞くほど一貫性がなくて、何がしたいの? という感じだった。

 思いつきと勢いだけでここまで来たその行動力には感心するけれど、後先考えない無鉄砲さに呆れながら、つい思ったことを口にしていた。


「きっかけは何であれ、国に尽くしたいという志は立派だと思います。でも、国は民がいてこそ成り立つものです。その民が病に苦しんだ時、助けて上げられるのは医者ではないですか? 国のために尽くそうとすることも、その国に住まう人々を病から救うことも、どちらが大きいとか小さいとかじゃなくて、どちらも素晴らしいことだと思います。木村さんには医術の心得があるのだから、それを活かしたらどうですか?」


 心打たれたように感動し始めた木村さんを見て、この人きっと流されやすい人だ……と思った。

 私自身も行き当たりばったりなところがあるけれど、自覚があるだけまだマシだと思う。




 その日の夜、温厚な山崎さんが声を荒らげるのを初めて見ることになった。


「労咳患者の看病は、仕事には含まれていないはずです」

「ちゃんと女中としての仕事もしています。それに、ここのご主人の許可も得ました」

「問題はそこじゃない! 言いましたよね? 労咳は移るんです! わかってますか!? 死ぬんですよ! 死病なんですよ!!」

「山……喜介さん、私は大丈夫です。労咳にはならないので安心してください」


 と言っても、もちろん納得なんてしてくれない……。

 お互い譲ることもないまま時だけが過ぎれば、理由も告げず、ただ大丈夫の一点張りな私に、山崎さんが少しずつ苛立ちを募らせていくのがわかった。


「琴! 琴は何のためにここへ来たんですか!? 労咳患者の世話をするためではないはずです! おそらくあの患者はもう永くはない。琴にできることは何もないんです!」


 琴、琴、琴って。

 新選組として潜入していることをあえて強調するかのような口ぶりに、私まで苛立ちを募らせていった。


 任務でここへ来ていることも、老人が永くないことも、言われなくても全部わかっている。未来から来たと言ったって、知識のない私には治せないことも。

 それでも、未来から来た私にしかできないこともある!


「側に寄り添うくらいはできます! 誰も、家族ですら近づこうとせず、たった一人で苦しんでいるんです。放っておくなんてできません!」

「それが労咳なんです! でなければ、琴が苦しむ側になってしまうかもしれないんです! 仕方がないことなんです!」


 仕方がない……わけない!

 だって、私はこの時代で一番労咳になりにくい人間なのだから!


「琴!!」


 もう、いい!

 頭の中で何かが弾けるような音がすると、一つ大きく深呼吸をした。


「私は労咳……結核にはならないです」

「……けっかく?」

「はい、結核です。今から百五十年以上も先の時代では、労咳のことを結核と呼びます」

「……春さん? 何を言って――」

「私はこの時代の人間ではないんです。百五十年以上も先の未来から来ました。私の時代では、結核を発症しても治せます。不治の病ではないんです。それに、私は幼い時に結核菌をわざと体内に入れてあります。だから、たとえ結核菌が体内に入ってきても、発症しにくいんですよ」


 山崎さんは、ただ呆然と私を見つめている。頭がおかしくなったとでも思っているのかもしれない。


「別に信じてくれなくてもいいです。こんな馬鹿げた話、証拠もなしに信じろなんて無理な話ですから。でも事実です。だから、私のことは心配しないでください」


 しばらくの沈黙のあと、山崎さんが小さく笑みをこぼした。


「副長がおっしゃってた通りの人ですね、春さんは」

「……はい?」

「私も白状します。今回は、副長からも別命を受けていました。あなたを絶対に危険に晒さないようにと。目の前で困っている人がいたら、自分の危険も省みず手を差し述べるような人だからと」


 土方さんの目に、私はそんな風に映っていたのか。

 こっそりそんなことを山崎さんに頼んでいたなんて、これじゃまるで、本当にお父さんみたいだ……。


「今の話は、春さんにとって重要な秘密なのではないですか? それを、たった一人の老人のために明かしてしまうだなんて」

「自分にできることがあるのに、見て見ぬふりはしたくないんです」


 山崎さんが信じてくれたかはわからないけれど、もうそれ以上、離れに行かないようにとは言われなかった。


 眠る間際、木村さんのことを後先考えない無鉄砲な人だと思ったことを思い出したけれど、私も似たようなもんだな……と掛け布団を引き上げ自嘲した。


 女とバレただけなら、今までは怒られるだけで済んだ。

 けれど、今回は違う。性別よりも重大な秘密を自らバラしてしまった。

 さすがに今回ばかりは、本当に新選組を追い出されるかもしれない。新選組を追い出されるのは嫌だけれど……それでも、今回のことを後悔するつもりはなかった。

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