081 山崎さんと潜入捜査②

 翌日の午後。

 仕事が一区切りついたところで離れへ向かうも、やけに静かだった。近くを通ると漏れ聞こえていた咳の音も、今は何も聞こえない。


 嫌な予感がして慌てて部屋の襖を開ければ、老人は痩せ細った身体を布団に横たえていた。

 けれどもただ一つ、昨日と違っていたのは、もう呼吸をしていなかったこと……。




 葬儀はその日の夜にひっそりと行われた。商家のご主人の遠縁にあたる人だったらしい。


 葬儀を終え部屋に戻ると、山崎さんが教えてくれた。

 労咳は家族内感染が多いから、この時代では家系的なものと思う人が多いこと。当然のようにそれはやがて差別を生み、酷いと縁談等にも影響がある。

 ここも大きな商家だからこそ、老人は人目のつかない離れで一人隔離され、葬儀も内々に行われたのだろうと。


 この家の人間でもこの時代の人間でもない私には、理解できない事情があるのかもしれない。

 それでも、葬儀の最中、親族たちの見せる悲しみの表情の中に、僅かに滲ませた安堵の意味を理解して無性に悲しくなった。


 私には労咳を治すことはできないし、あの老人が永くないこともわかっていた。

 わかっていたからこそ、せめて……。


「最期くらい、一人にはしたくなかったです……」

「末期の労咳患者でした。誰にも看取られず亡くなることは、珍しいことではないです」


 労咳は不治の病ではないと言った私に、山崎さんは慎重に言葉を選んで話しているように思えた。






 長いような短いような五日間だった。

 結局、当初の目的である長州人の特定は、全くといっていいほどできなかったらしい。

 朝餉の後、商家のご主人に挨拶をしてから屯所への帰路につくと、山崎さんがため息をこぼした。


「情報は確かで、春さんに協力までしていただいて潜入したのに特定できなかった……私の失態です」

「そんなことないですよ! 追われる方は必死ですから、そう簡単には見つからないと思います」


 慰めたつもりだけれど、山崎さんに苦笑された。

 二人並んで歩いていると、商家から少し離れた道の先に木村さんが立っていた。

 実はこの日、木村さんも用心棒を辞めたらしく、私たちより少しだけ早く商家を出ていた。理由は知らないけれど、水戸へ帰る決心でもついたのかな?


 ゆっくり挨拶もできなかったので、改めてお別れの挨拶をしようと小走りで駆け寄れば、少しだけ話がしたいと言われた。

 次の瞬間、後ろから来た山崎さんに引き寄せられた。


「妻に何か用か?」


 つ、妻っ!? ああ、そうか。お互い商家を出た身とはいえ、すぐに夫婦じゃないことがバレるのはマズイのか。


「あぁ、いや、別にあんたの女房に何かしようってわけじゃないんだ。ただ、礼が言いたいんだ」

「礼?」

「ああ。お琴さんのおかげで帰る決心がついたんだ」


 そう言うと、訝しむ山崎さんから私に視線を落とした。


「自分は労咳にはならないのだと、強い心を持ち看病にあたるその姿勢に心を打たれた。俺も、お琴さんのような人になりたいと思ったんだ。だから、親父の下で再び医術を学ぼうと思う」

「では、水戸へ帰るのですね」

「あ、いや……実は水戸ではないんだ。……大きな声では言えないのだが、長州へ帰る」

「あら……水戸じゃなかったんですね」


 長州って言ったら山口県?

 どっちにしろ遠い……って、長州っ!?


「ええっ!!」


 隣で一緒に驚いた山崎さんは、一瞬のうちに木村さんを縛り上げた。

 突然の告白に私たちも驚いたけれど、いきなり縛り上げられた木村さんは、それ以上に驚いたことだろう。

 そして山崎さんは、追い討ちをかけるようにネタばらしをする。


「私たちは新選組だ。屯所で詳しく話を訊かせてもらう」


 木村さんが、バッと驚いたように私の顔を見た。


「……本当です。何だか騙すような形になってしまってすみません……」

「で、でも、あんたら夫婦なんじゃ……」


 山崎さんはどこか挑発的な笑みを浮かべると、再び私をグッと引き寄せ片腕の中にすっぽりと収めた。


「本物の夫婦ならよかったんだが、残念ながら偽装夫婦だ。ついでにいうと、“琴”はこんなに可愛いが男だ」


 こ、これはいったいどういう状況?

 偽装夫婦と言いながら抱きしめられてるのだけれど?

 男と言いながら可愛いなんて言っているのだけれど?

 どういうわけか山崎さんは、しばらく私を片腕に収めたまま歩いていた。

 や、山崎さーん!?






 五日ぶりの屯所へ帰ると、さっそく男装に戻った。

 うん、やっぱり袴の方が動きやすい……と思った私は、どんどん女らしさが低下しているのかもしれない。


 私たちの報告を受けた土方さんが、山崎さんとともにさっそく取り調べに入るけれど、日が落ちても戻って来なかった。

 部屋で一人じっとしていることができず、ふらりと廊下を歩いていれば、星明かりに照らされた沖田さんが縁側に腰かけていた。

 すぐに私に気がつき、声をかけてくれる。


「春くん。潜入捜査してたそうですね。お疲れ様でした」


 沖田さんに促され、私も隣に腰を下ろした。


「私は山崎さんについていっただけなので、何もしてません」

「でも、長州人を炙り出して捕まえて来たじゃないですか」

「あれは……偶然です」


 炙り出したわけではなく、なぜか自分からバラしてくれただけだから……。


 苦笑する私に、沖田さんがおかしそうに笑う。

 そして、ふと思い出す。沖田さんは……新選組の沖田総司は労咳で亡くなることを。

 私でもその名くらいは知っていた人なのに、その最期は若くして、誰にも看取られずに亡くなってしまうことを……。


 沖田さんが……?

 いつも冗談ばかり言って、ニコニコしているこの人が……?


 結核菌は、保有していたとしても免疫力が高ければ発症はしない。

 沖田さんがすでに結核菌を保有しているかどうかはわからないけれど、どちらにしろ労咳で亡くなるというのなら、発症させないようにするしかない。

 それでも、もし……もし、その時がきてしまうのなら……。


「絶対に、一人になんかしない……」

「……春くん? どうかしましたか?」

「いえ、何でもないです」


 沖田さんが亡くなるのはいつなのだろう。

 こんなに元気な沖田さんが労咳で亡くなるなんて、全く想像もつかないけれど。

 冗談を言っては隣でケラケラと笑う沖田さんを見ていると、私の記憶違いならいいのに……と、そう思うのだった。






 結局、木村さんの取り調べは夜遅くまで続いたけれど、その供述は私に話した内容と変わらないものだったらしい。

 唯一違うことと言えば、私に名乗ったのは偽名だったことくらい。


 京で何かよからぬことをしようとしているのではなく、単なる家出……一緒に入京した人たちのこともよくわからないらしい。

 飲み屋で意気投合したと言っていたくらいだしね……木村さんと似たような人たちな気がするけれど。


 翌日、木村さんの身柄は会津藩に引き渡すことになった。動機も動機なので、おそらく長州に送り帰されるだろうと言っていた。

 土方さんと山崎さんが護送に付き添うというので、私も同行させてもらうことにした。


「本当に男だったんだな……」


 道中、木村さんが私を見てぽつりと呟いた。

 男装しただけなのに、その納得ぶりに納得がいかないけれど!


「だが、あんたの行動に心打たれたのは事実だ。いくら仕事とはいえ、そう簡単にあそこまでできるもんじゃないだろう」

「長州に帰ったら、これからは医者として、病に苦しむ人たちを救ってあげて下さい。あと、行動力も大事ですけど、一旦落ちついてよく考えることも大事だと思います」


 横から土方さんと山崎さんの、お前がそれを言うか!? という視線を感じたけれど、気のせいということにしておいた。




 その日の夜、やっとまとまった時間が取れた土方さんにもの凄く怒られた。

 山崎さんに、未来から来たことをバラしてしまったこと。その理由が、労咳の患者を世話したいというものだったこと。


 けれど、新選組を出て行けとは言われなかった。

 もの凄く怒られると同時に、もの凄く心配もされて、何だかちょっと申し訳ない気になった。


「お前なりの信念を貫いた末の行動だろうから、これ以上とやかく言いたくはねぇがな、もう少し自分の立場を理解しろっ!」

「はい……すみません」

「まぁ、山崎なら大丈夫だと思うが、これ以上誰かにバラしたら……今度こそ切腹させるからな」


 あ、あれ……? 追い出されるだけじゃ済まなくなっている!?

 どんどん、追放から切腹にシフトしている!?


「追放して敵の手に落ちたんじゃ笑えねぇからな」

「切腹はちょっと……」

「ほう。自分で自分の腹も切れねぇってんなら、俺がその首落としてやる」

「なっ! それじゃ斬首じゃないですか! もっと遠慮します!」


 どっちにしろ死んでしまう!

 土方さんの唇は若干弧を描いているけれど、目が笑っていない……。


「あっ! もういっそ、全部ぶちまけちゃうとか! そうすればバレる心配もなくな――」

「馬鹿野郎っ!」


 とびきり痛いデコピンが飛んできた。

 とやかく言いたくはないと言っていたわりには、この後もしばらく土方さんのお説教が続き、この日は長い長い夜となったのだった。

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