068 日野からの来客

 翌日の昼下がり、昨日に引き続きよく晴れた空を見上げながら、沖田さんと一緒に稽古場へ向かっていた。


「春くん、いい天気ですね~」

「そうですね」

「こんな日にお天道様を仰がないのは、罰当たりだと思いませんか?」

「こんな日に子供たちと遊びたい気持ちはわかりますが、稽古ほっぽりだすと、罰より怖い土方さんの雷が落ちてきますよ?」


 沖田さんのとばっちりで、私まで雷に当たるだなんて勘弁だ。

 とはいえ、気持ちがいいくらい晴れていて暖かいから、勿体ない気はするけれどね。


「春くんだって、本当は外で思いっきり遊びたいでしょう?」

「そうですね。いい天気ですからね」

「なら決まりですね!」


 言うが早いか、沖田さんは私の返事も待たずに手を取ると、半ば引きずる勢いで屯所の外へと方向転換した。


「もう! 土方さんの雷は、沖田さん一人で受けて下さいよっ!?」

「え~嫌ですよ。それに、一人より二人の方が怒りも分散されますよ~」


 分散どころか倍増しそうな気がするのは気のせいか!?

 普段は人一倍稽古に励む沖田さんだけれど、時々、こうしてふらっと遊びに行こうとする。それは思い立ったように突然で、私はいつも巻き込まれる!

 もう、なるようになれ! どうせ怒られるのなら、目一杯遊ぶまで!


 二人で堂々と稽古場とは違う方向に歩いていると、門のところに男性が一人立っていることに気がついた。

 同時に、沖田さんがその人に向かって走り出す。


「富澤さんですか!?」


 沖田さんの知り合いだろうか。

 二人のもとへ追いつく間、聞こえてくる会話は知り合いのそれだったけれど。


「春くん、こちらは富澤忠右衛門とみざわ ちゅうえもんさん。日野連光寺村の名主さんです」

「あ、えっと、琴月春と申しますっ!」


 慌てて頭を下げた。勢いあまって深くしすぎたせいか、富澤さんまで慌ててしまった。


「いやいや、春君、頭を上げて。そんなに畏まられると私まで恐縮してしまうよ。ところで、勇たちはいるかい?」


 顔を上げれば、井上さんよりも少し上、四十歳くらいの人のよさそうな顔で微笑んでいた。

 近藤さんは、今日は会津公に会いに行っているけれど、こんなところで立ち話もなんだから 、と沖田さんが富澤さんを客間に案内している間に、私は土方さんを呼びに行った。

 富澤さんの来訪を知った土方さんが勢いよく客間の襖を開ければ、すぐさま嬉しそうな声が響き渡る。


「おお、歳! しばらく見ない間にまた男前になったな」

「冗談はよしてくれ、富澤さん。それより、今日なら今日って前もって言ってくれりゃあよかったのに。生憎、近藤さんは出掛けてるんだ」

「近いうちに顔を出すと文に書いただろう? 京にはしばらくいることになりそうだからな。勇にもそのうち会えるだろう」


 土方さんと沖田さんは、すぐに富澤さんとの話に花を咲かせ始め、年齢差を感じさせないくらいとても仲がよさそうな雰囲気だった。

 お茶とお茶菓子を出し終え部屋を出ようとすれば、富澤さんに声をかけられた。


「春君だったかな。よかったら一緒にどうだい? 君から見た歳たちの様子を、ぜひ聞かせてくれないか?」

「春くん、富澤さんに鬼の副長の話でも聞かせてあげるといいですよ」

「あ? 総司は黙ってろ」

「二人は相変わらず仲がいいな」

「はあ!?」

「え~!?」


 声を揃えてまで全力で否定し合う二人を見て、私と富澤さんも顔を見合わせて笑うのだった。




 富沢忠右衛門さんは、武蔵国日野領連光寺村の名主で、天然理心流の門人でもあるらしい。

 今の天然理心流は四代目を近藤さんが受け継いだけれど、近藤さんの養父でもある三代目の近藤周斎こんどう しゅうさい先生に剣を習い、近藤さんたちの兄弟子でもあるんだとか。

 今回の大樹公上洛の関係で京入りし、まだしばらくは滞在するのだとも。


 土方さんの鬼っぷりや、沖田さんの稽古の様子などを話して盛り上がっていると、富澤さんから山南さんの名前が出た。

 腕の怪我のことは、文で知っている様子だった。


 山南さんは相変わらず部屋に籠りがちだけれど、富澤さんとは久しぶりの再会だろうし、いい気分転換になるかもしれない。

 ここはぜひ同席してもらおうと、山南さんのもとへ向かった。

 部屋の前で声をかければ、すぐに返事があった。中へ入ると布団の上で身体を起こし、あまり血色のよくない顔で微笑む山南さんがいた。


「今日はあまり体調は優れませんか? 客間に富澤忠右衛門さんがいらしてますが……」

「富澤さんか……懐かしいなぁ。でも、昼過ぎからまた少し熱が出てきたみたいでね。申し訳ないけど、今日は会えそうにないと伝えてくれるかい?」

「わかりました……」


 山南さんが私に声を荒らげたのは、大坂から戻って来たあと、あの日あの一度だけだった。

 あれからも何度か部屋を訪れているけれど、表面上は、今までと変わらず穏やかに接してくれている。

 ただ、山南さんとの間には、見えない透明な壁のようなものができている気がして仕方がなかった。


 客間に戻る途中、隊務を終えた井上さんに会い、富澤さんが来ていることを告げればとても喜んでいて、二人で一緒に客間へと向かった。

 富澤さんに山南さんのことを伝えると、また日を改める、と言いつつとても残念そうにしていた。




 夕暮れも近くなると、少しずつ屯所内が賑やかになってきた。

 ちょうど話も一段落したところで、井上さんが提案する。


「富澤さん、今日はゆっくりできるんだろう? ここはそろそろうるさくなりそうだから、外で酒でも飲みながら話さないか?」


 初対面の私にも気さくに話をしてくれた富澤さんが、私も一緒に、と誘ってくれたけれど、久しぶりの再会で積もる話もあるだろうと、やんわりと辞退し玄関で見送ることにした。


「春君、次はぜひ君も一緒にね」


 富澤さんは杯を傾けるような仕草で微笑んでから、土方さんと沖田さん、そして井上さんと飲みに出掛けて行くのだった。






 夜になり廊下を歩いていると、丁度玄関の戸が開く音が聞こえ、土方さんたちが戻って来たのかと、ひょいっと顔を出してみれば近藤さんだった。


「あっ、近藤さん! おかえりなさい」

「ああ、春か。ただいま、出迎えありがとう」


 近藤さんの笑顔は、なんだかとても疲れているように見えた。朝から出ていたし、お偉いさんと会うのはやっぱり気も使うし疲れるのかもしれない。

 局長って大変そう……なんて思っていたら、胃の辺りを擦っていることに気がついた。


「近藤さん、もしかして胃が痛いんですか?」

「ん、あー……少しだけな。おかげでせっかくの豪勢な料理もほとんど食べられなくてな。勿体ないことをした」


 そう言って苦笑する近藤さんのお腹から、随分と控えめな音がした。


「屯所に帰って来た途端、腹の虫が鳴るとは」

「近藤さん、よければお粥でも作って持っていきましょうか?」


 料理もほとんど食べられなかったほど胃が痛いみたいだし、お粥ならそんなに負担もかからないと思う。

 申し訳なさそうに頷く近藤さんと別れると、急いで台所へ行き、お粥を用意してから近藤さんの部屋へ向かった。


「一応、胃のお薬も持ってきたので、よければ飲んでくださいね」

「春は、本当に気が利くなぁ。ありがとう」

「いえ。器は廊下にでも出しておいてもらえれば、あとで片づけます。ゆっくり休んでください」

「春が女子おなごだったら惚れてしまいそうだな」


 そう言って豪快に笑うけれど、正直、複雑な気分だ。

 男装しただけでバレない私って!

 苦笑いを浮かべながら立ち上がろうとする私を、突然、笑みを消した近藤さんが呼び止めた。


「そういえば、春はどこ出身だったか? ご家族はどうしているのだ?」

「えーっと、両親と兄が一人、東……江戸に――」

「春っ! もしかして記憶が戻ったのかっ!?」


 記憶……? あっ。大八車に轢かれて記憶を失くしたことになっていたんだった。

 うっかり素性がバレかねないこの状況を取り繕うように、申し訳ないと思いつつも慌てて悲しい表情でつけ加える。


「えっと、朧気に覚えているだけで、顔も名前も、正確な場所も覚えてはいないんです……」

「そうか……記憶が戻ったのかとつい大声を出してしまった……すまん」

「い、いえっ。こちらこそすみません。心配していただいているのに」


 私の下手な演技を信じてくれたのか、心から心配してくれる近藤さんを欺くようで本当に心が痛い。

 とはいえ、絶対にバレるなと言われているのでこれだけは死守しないと。さすがに、局長にバレたとなればここにはいられなくなるだろうから。

 一つあることを思い出し、後ろめたさを隠すように話題を変えることにした。


「そういえば、富澤さんが来てました」

「おお、今日だったか。せっかく来てくれたのに悪いことしたなぁ」

「京にはまだしばらくいるみたいです」


 昼間の話をしていれば、いつの間にか食事も終えていた。少しだけ残していて、完食とはいかなかったけれど。


「美味かった。ただ、すまんな……やっぱりまだちょっとな……」


 胃の辺りを擦りながら、近藤さんは眉尻を下げた。

 あまり長居しては休めないし、薬を飲むのを見届けると、お大事に、と器を持って部屋をあとにするのだった。

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