067 誕生日と満開の梅

 午後。

 昼餉を終えて部屋へ戻るなり、文机に向かう背中に声をかけた。


「土方さん、京で梅の名所ってどこですか?」

「今の時期なら北野天満宮じゃないか?」

「北野天満宮……。ありがとうございます。ちょっと行ってきます」


 そう言って襖に手をかければ、勢いよく振り返るような鋭い衣擦れの音がした。


「おい、一人で行けんのか?」

「…………」

「……おい」


 一人で北野天満宮へ行ったことはない。だからと言って、梅見を諦めるつもりは全くない。


「道は繋がってるから、何とかなるかと?」


 振り返り告げれば、筆を持ったままの土方さんがやけに大きなため息をついた。


「今日はこの書状で終わりだから少し待ってろ。連れてってやる」

「えっ、いいんですか!?」

「迷子になって、探さなきゃいけなくなる方が面倒だろうが」


 まさか案内してもらえるとは!

 ここはお言葉に甘えて少し待ち、書状を書き終えた土方さんと一緒に屯所を出た。

 そうして二人並んで歩いていると、ふと、あることに気がついた。


「よく考えたら、こうして二人で出掛けるのって、初めてじゃないですか?」


 一緒の部屋で寝起きしているせいか、全くそんな感じがしないけれど。


「そういやそうだな。朝晩顔会わせてるせいか、そんな気がしねぇな」


 どうやら同じ事を思っていたらしい。

 もう半年も土方さんと同じ部屋で寝起きを共にしているわけだけれど、よくよく考えてみると凄いことだと思う。

 だって、あの土方歳三なんだよね? 泣く子も黙る、新選組鬼の副長なんだよね?

 気軽に、土方さん! なんて呼んでいるけれど。




 北野天満宮へつくと、見事に梅が満開だった。 


「わぁ~! 土方さん、凄いですよ! 満開ですよ!」


 返事も待たずに駆け出せば、転ぶんじゃねぇぞ、と後ろから呆れ声がするけれど。土方さんも隣に追いつけば、満開の梅を見ながら感嘆の声を漏らした。


「すげぇな。でも二月だしな、こんなもんだろう」

「だから凄いんじゃないですか! 自分の誕生日にこんなに梅が咲いているのなんて、私、初めて見ました!」


 現代の二月一日は春と呼ぶにはまだ少し早く、梅もこんなには咲いていない。

 もちろん早咲きの梅なら咲いているけれど、自分の誕生日にこんなに満開の梅を見るのは初めてだ。


「ここと私の時代の暦は少し違うんです。私の時代の二月一日は、こっちの暦に直すとたぶん、年も明けるか明けないかの頃だと思います。だから、こんなに梅は咲いていないんですよ」

「そんなんじゃ季節もズレるだろうよ」

「確かに、そういうこともありますね」


 こっちでは、一月から三月が春にあたる。現代でもお正月に新春、迎春なんて言うけれど、実際はまだまだ冬真っ只中だし。


「いつも思うんだが、百五十年先の世は何かと不便そうだよな」

「そんなことないですよ? ここと比べたらもの凄く便利ですからね!」

「どうだかな」


 やれやれという感じで笑っているけれど、この時代の人たちが百五十年後の私の時代に行ったなら、びっくりして腰を抜かすんじゃないだろうか。

 そんな土方さんも見てみたいなぁ……なんて思いながら、しばらく二人で満開の梅を見ていた。


 そういえば、北野天満宮といえば菅原道真すがわらのみちざねだっけ。


「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな」

「菅原道真公か」

「はい。大好きな梅が出てくるので、これだけは覚えてるんです」


 そういえば、歌といえば……。


「土方さん、俳句やるんですか? 年末に、沖田さんがちらっと見せてくれたんですけど……」

「はいく?」

「あれ、俳句じゃなかったでしたっけ? 五・七・五の……」

「そりゃ発句だろう」


 どうやら俳句とは言わないらしい。


「ところで、何て言った?」

「俳句ですか?」

「ちげぇ。そのあとだ」


 さっきまで穏やかな表情で梅を見ていたはずの土方さんの顔が、なぜだかみるみるうちに険しくなっていく。

 私、何かマズイことでも言ったのか?


「確かに発句は詠む。だが、総司が見せたってのはどういう意味だ? あいつ、何を見せやがった?」

「え、えーっと……確か、豊玉発句集ほうぎょくほっくしゅう? だったかと……」


 あれはもしや、沖田さんへの秘密のプレゼントだったのか?

 けれど、その沖田さんが私に見せてくれたのだけれど。


「おい、何であいつがそれを持ってやがる!?」

「へ? 土方さんが沖田さんにプレゼ……贈ったからじゃないんですか?」

「んなわけねぇだろう! 何で俺がそんなことしなけりゃならねぇんだっ! そもそもあれは、上洛前に置いてきたもんだぞ!」


 あれ? そうなの? じゃあ、なんで沖田さんが?

 というか、そんな大声を出されると、私が怒られているみたいで怖いのだけれど!


「まさか総司の奴、勝手に持ってきやがったのか!」


 置いてきたはずの物がこっちにあるというのなら、きっとそういうことなのだろう。

 何だか沖田さんらしいと思わず笑ってしまえば、すかさず土方さんに睨まれた。

 こ、怖いからっ!

 眉間の皺を一層深くしたかと思えば、土方さんは私との距離を一歩詰める。


「で、どうだった?」

「は、はい? 何がですか?」

「見たんだろう?」


 もしや俳句……いや、発句の出来を訊いている?

 確かに中身は見た。見たけれど……そんな人を脅すような態度で評価を求めるなんておかしいからねっ!


「とっても芸術的でした!」

「そうか。そうだろう」


 うんうんと頷いて、土方さんはどうやらご満悦のようだ。機嫌も直ったみたいでよかった……と思っていたら、突然、土方さんの片眉がぴくりと動いた。


「お前、俺の字は読めねぇのにわかるのか?」

「読めませんが、達筆でミミズのような文字が芸術的だったなぁ~……なんて?」

「誰が蚯蚓だ、誰がっ!」

「それより、せっかくだからこの梅で一句作ってみたらどうですか?」

「うるせぇ! 馬鹿野郎!」


 次の瞬間、デコピンが飛んできた。何だかよくわからないけれど、とばっちりもいいところだよ!

 沖田さんめっ! ……と、おでこを擦りながら心の中で叫ぶのだった。




 思う存分梅を堪能してから、土方さんと一緒に北野天満宮をあとにした。

 途中、土方さんの提案でご飯を食べて帰ることになり、さっそく近くのお店に入ったけれど……店構えからして高級そうな雰囲気が漂っていて、目の前に並べられた料理もやたら豪勢だった。

 これは、土方さんの奢りと思っていいのだろうか。私の手持ちじゃ足りるかどうか不安なのだけれど……。


「気にしねぇで食え。美味いぞ」

「……はい! いただきますっ!」


 すでに食べ始めた土方さんに促され、私も慌てて箸を取る。

 この流れはきっと奢り……だよね? 私の誕生日だし、そうだよね!?

 よし、遠慮なくいただこう!


 並べられた食事はどれも見た目通り美味しくて、とても幸せな気分になった。


「誕生日に満開の梅が見れて、こんなに美味しいご飯までご馳走してもらえて、凄く幸せです。ありがとうございました」

「誰が奢るって言った?」

「……え?」


 ちょ、ちょっと待って! 恥ずかしすぎるっ!

 顔から火が出そうで、穴があったら今すぐ飛び込みたいほど一人あたふたしていると、土方さんが吹き出した。


「冗談だ」

「は!?」


 じょ、冗談じゃないぞ! こっちはもの凄く恥ずかしかったのに!

 思わず土方さんを睨みつければ、その顔はさらに笑みを深くする。


「お前、素直過ぎんだろ」

「ふ、普通です! 土方さんがひねくれてるだけなんじゃないですか!? せっかくの誕生日なのに、皿洗いして帰らなきゃいけなくなるのかと焦ったじゃないですか」


 ところで皿洗いは許されるのか? 金策をしてはいけないという法度に触れるのか? 触れないのか?

 皿洗いをしたうえに切腹だなんて、洒落にならないからね!

 真剣にそんなことを考えていれば、笑みを消した土方さんがやけに真面目な顔で訊いてきた。


「なぁ、誕生日ってそんなに特別か?」

「だって、自分が生まれた記念すべき日じゃないですか」


 同じ国でも時代が違うというだけで、誕生日一つがこうも違うのかと驚くけれど。

 私の時代では、自分の誕生日に一つ年を取ること、その日は家族や友人、大切な人がご馳走や贈り物をしてくれたりして、おめでとうと祝ってくれることが多いのだと教えた。


「何か欲しいもんでもあるか?」


 私の話を真剣に聞いていた土方さんが、突然そんなことを口にした。贈り物の話をしたから、気を使わせてしまったのかもしれない。

 土方さんらしい気遣いは嬉しくもあるけれど、同時に何だか少し申し訳ない。

 だって贈り物なんてなくても、午前中の嫌な思いをはね飛ばすほどの幸せな時間を過ごせたのだから。


「満開の梅に美味しいご飯までいただけたので、これで十分です。ありがとうございます」

「そんなもんか?」

「そんなもんです」


 土方さんは納得いかないような顔をしながらも、そうか、と締めくくった。




 食事を終え店を出ようとすれば、紙包みを持った仲居の一人が土方さんに歩み寄った。

 恋文だけじゃなく、贈り物までもらうなんてよっぽどモテるらしい。……なんて思いながら、二人の邪魔をしないよう一足先に外へ出た。

 すっかり暗くなってしまった空に月はなく、代わりにたくさんの星が輝いている。


「待たせたな」

「いえ、ご馳走さまでした。美味しかったです」


 思いのほか早く出てきた土方さんにお辞儀をして頭を上げれば、ほら、と私の目の前には紙包みが差し出されていた。


「持て……ってことですか? もちろん、ご馳走になったので荷物持ちくらい喜んでしますけど……」


 どう見ても、ついさっき仲居が土方さんに贈った物にしか見えない。

 恋文を他の誰かに見せたり、贈り物をこうやって他の誰かに持たせたり、モテるくせに意外とデリカシーないな……と思っていたら、妙に不満げな声が降ってきた。


「出る頃には店も開いてねぇと思ったから、仲居に頼んで用意させといたんだが。いらねぇか?」

「へ? これ、私にですか?」

「平助が、お前は大福が好きだって言ってたのを思い出してな。いらねぇなら屯所に置いておけ。誰か食うだろ」


 これは、まさかまさかのサプライズプレゼント!?


「あのっ、ありがとうございます! 帰ったらさっそくいただきますっ!」

「おう」


 思わずはしゃぎながら帰る夜道は、転ぶんじゃねぇぞ、という土方さんの呆れ声が何度も聞こえるのだった。




 部屋でさっそく開けてみれば、いくつかの大福に混じって、梅の形をした練り切りが一つだけ入っていた。

 土方さんてば、なんて粋なことをしてくれるんだろう!


「大福一つもらうぞ」


 言うが早いか、土方さんがひょいっと摘まんだ大福は、すでにその口に入っていた。


「っ! この梅はダメですからね! これはもう私のですっ!」

「馬鹿。取らねぇよ、ゆっくり食え」

「はい!」

「ああ、それと……おめでとう、だったか」

「あ……ありがとうございますっ!」

「おう」

 

 食べるのが勿体ないくらい素敵な練り切りだけれど、とっておくわけにもいかないので一口一口味わって食べた。

 舌の上に広がる上品な甘さが、心の中まで満たしてくれるようで、幸せな気分になるのだった。

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