066 誹謗中傷の高札

 二月一日、快晴。

 今日は私の本来の誕生日だ。誰に祝ってもらえるわけでもないけれど、まるで遠足前日の子供みたいに、昨夜から一人そわそわしていたのだった。


 ちょうど非番でもあったので、朝餉を終えると炬燵に入り、お茶をすすりながら今日一日の過ごし方を考える。

 やっぱり梅見は外せないし、ケーキ代わりの甘味も外せない。

 あれもこれもと誕生日っぽいことを頭の中にあげてみるも、ふと気づく。祝うのも祝われるのも私一人じゃん……と。


 それならシンプルでいいか。午後から梅を見に行って、その帰りに甘味屋に寄れば十分。よし、そうしよう。

 そうと決まれば午前中はのんびりすることにした。非番を目一杯謳歌しようと、両手を前に伸ばして炬燵に突っ伏してみる。

 ふと、隣の文机で仕事をする土方さんから、少しばかり鋭い視線を向けられていることに気づき、先手必勝とばかりに口を開いた。


「今日の私は非番なんです。だから、のんびりしててもいいじゃないですか?」

「まだ何も言ってねぇだろうが」

「目が言ってるんです。目がっ!」


 しかも、まだって言ったからね!


「さっき、四条大橋に会津や新選組を誹謗した高札が掲げられてると山崎から報告が入ったんだが……暇なら斎藤と一緒に行って外して来い」


 ほら、やっぱり言った!


「お言葉ですが土方さん。私は非番なのであって、暇をしているわけではないのですが」

「屁理屈はいい。行くのか? 行かねぇのか?」

「一ついいですか……。選択肢を与えられている気がこれっぽっちもしないんですが」


 威圧感の塊みたいな土方さんに、右手の親指と人差し指で“これっぽっち”を表現してみせるも、すかさずニヤリとした笑みが返ってくる。


「気のせいだろ」


 なっ……気のせいじゃないでしょうがっ!

 拒否しようものならお得意の副長命令が飛び出しそうで、どうしたって行くの一択しかなさそうじゃないか!


「……ちなみにですけど、その高札を外すだけでいいんですよね?」


 どうせやらなければいけないのなら、とっとと終わらせて帰ってきたい。


「だけってな……。逆に訊くが、外したあとお前はその高札をどうするつもりなんだ?」

「……置いておけば持ち主が回収しに来てくれたり?」

「馬鹿野郎! 置いてきたらまた掲げられるかもしれねぇだろうが! ちゃんと処分しとけ!」


 土方さんは斎藤さんを部屋に呼び、たった今私に話した内容を伝えた。斎藤さんは迷わず首を縦に振り、立ち上がりながら私に向かって声をかける。


「琴月、行くぞ」


 やっぱり私も行くらしい。

 ええい、どこの誰がそんなものを掲げたのか知らないけれど、とっとと処分して午後からは梅を見に行くんだから!






 二人で肩を並べながら四条大橋へと向かえば、不機嫌さが滲み出ていたのか、斎藤さんが前を向いたまま小さく笑った。


「不満が駄々漏れだな」


 駄々漏れ……滲み出ているどころじゃないらしい。


「非番が潰れたのがそんなに不満か?」

「そりゃそうですよ。斎藤さんは違うんですか?」

「俺は元々非番ではなかったからな。仕事が少々増えた程度だ」


 非番が潰れるよりはマシかもしれないけれど、仕事が増えるというのもそれはそれで面倒くさいと思う。

 とはいえ、斎藤さんからは不満の欠片も見えないけれど。


「お前との仕事なら楽しめそうだからな」

「仕事なんだから、誰とだろうと同じですよ」


 相変わらず心を読まれた気がするけれど、斎藤さんのペースに呑まれないよう、至って平静を装った。


「今日は俺とお前の二人だけだ。逢瀬みたいだな」

「お、逢瀬って……。そうやって、すぐにからかわないでください!」

「まだ、からかったつもりはないんだがな」


 まだ……? これからからかうつもりなのか!?


 斎藤さんの横顔を見上げれば、その唇が弧を描いた瞬間、片手で腰をぐいっと引き寄せられた。


「へっ!? あの、さ、斎藤さんっ!?」

「何だ?」

「な、何だじゃないです! 何してるんですか!?」


 こちらを向いた斎藤さんが、楽しげに私を見下ろしている。

 距離が近いせいで顔も近いから! 恥ずかしいからっ!

 

「説明せねばわからんのか? 俺がお前の腰を抱き寄――」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 言葉にしたら余計に恥ずかしいからやめてくださいっ! そもそも、そういうことを訊いてるんじゃないですっ!」

「だろうな」

「なっ! 斎藤さんっ!!」


 くくっと笑いながら、斎藤さんは私の腰を解放した。


「足元に気をつけろ。お前が歩こうとしていた場所に馬糞が落ちてた」


 ば、馬糞っ!?

 慌てて後ろを振り返れば、確かに落ちていた。斎藤さんが引いてくれなければ、おそらく踏んでいたであろう位置に……。


「あ、ありがとうございます……」


 だからって、言葉で言ってくれればわかるからね!? 私の反応を楽しんでいるようにしか見えないからね!?

 どうして斎藤さんは、いつも私のことをからかうんだか!


「楽しいからな」

「っ!?」


 何も喋っていないのに、何でわかるのか!


「前にも言っただろう? ここに書いてあるからな」


 そう言うと、斎藤さんの掌が私の頬を片方だけ包んだ。


「か、書いてませんから! 勝手に人の心を読むのはやめてください! ついでに私で遊ぶのもやめてください!」

「怒った顔も可愛いぞ?」

「わ、私の話聞いてますか!?」

「もちろん、お前のこの口から発せられた言葉なら、一言一句漏らさず聞いている」


 そう言うと、斎藤さんの親指の腹が私の下唇をつーっとなぞった。


「あ、あっ……さ、さ、さっ……」

「お前には刺激が強過ぎたか。まるで真っ赤な金魚だな」

「斎藤さんっ!!」


 誰のせいだ、誰のっ! もう、金魚なんて可愛いものじゃなく、鯉並みに大きな口になってるからっ!

 そんな私の心の叫びなどつゆ知らず、斎藤さんは楽しげに肩を揺らしながら先へ行ってしまった。


 もうこれ以上はからかわせない! と警戒しながら歩いていたら、いつの間にか四条大橋についていて、高札もすぐに見つかった。

 斎藤さんが言うには、報告通り会津藩と新選組の誹謗中傷が書き綴られているらしい。

 押し借りだの辻斬りだの、京の治安を守るどころか乱すようなことばかりしていると。


「何でこんなこと書かれなきゃいけないんですか……」


 思わず発した言葉は、独り言みたいに小さかった。

 斎藤さんは何も答えないし何も言わなかったけれど、下ろしていた手をぐっと握りしめるのが見えた。

 その手はすぐに開かれて、私を宥めるかのようにポンと頭を一撫でする。


「ほら、さっさと外すぞ」

「……はい」


 外した高札は、屯所まで持ち帰ってすぐに庭で燃やした。こんなもの、他の隊士たちに見つかる前にとっとと処分してしまえばいい。

 背筋良く立つ斎藤さんの横でしゃがみ込み、一緒に燃える高札を見ていた。悔しくて悔しくて、言いたいことはたくさんあるけれど、それをここで吐き出すのは何だか癪で、唇を噛んでじっと見ていた。


 気がつけば、燃え尽きて僅かに燻る高札を斎藤さんが踏んでいた。私も井戸から水を汲んできて、勢いよくかけた。

 何も解決はしていないけれど、思い切りかけたら少しだけすっきりした。


「京の人間には長州贔屓が多いからな。俺たちは所詮、あづまから来た余所者の田舎侍だ。そんな余所者が去年、長州を京から追い出した。俺たちに対する風向きなんて、こんなものだろう」

「それでも、私は悔しいです」


 その余所者が、時には命がけでこの京の治安を守っている。間近で見て知っているからこそ、余計に悔しい。悔しいよ……。


「言いたい奴には言わせておけばいい。いちいち気にするな」


 斎藤さんの手が、私の頭の上でポンポンと優しく跳ねた。


「さっさと忘れて、残りの非番を楽しむ方がよっぽど有益だぞ」

「っ! そう、ですね……。はい、そうします!」

「ああ。では、俺は仕事に戻る」


 そういえば、斎藤さんは非番ではないと言っていたっけ。

 すでにくるりと反転して歩くその背中に、いってらっしゃい、と告げた。


 せっかくの誕生日、ここで一人悔しがっていても仕方がない。斎藤さんが言ったように、残りの非番を謳歌するほうがよっぽどいい!

 そう気持ちを切り替え、任務終了の報告をするため部屋へ戻るのだった。

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