042 謝罪と感謝
夜になり、ようやく屯所内も落ちつきを取り戻しつつあった。
間者の粛清。そんな信じがたい出来事を目の当たりにしたせいか、寝不足で凄く疲れているはずなのに、不思議と全く眠気が起きなかった。
永倉さんに、女だとバレてしまったことも気がかりだし……。
思わずため息をつきそうになれば、部屋の襖が静かに開いて、入ってきた土方さんが無言のまま私の目の前に腰を下ろす。
すぐさま腕を組んだその姿に、告げられるであろう言葉はわかっているけれど、受け止める自信なんかなくて、気づけば下を向き、睫毛まで伏せていた。
心臓の音が、やけに大きく耳の奥で響いている。
「新八に、女だとバレたんだな」
「……はい」
大きく息を吸い込んだわりには、吐息混じりの掠れた返事だった。
そっと瞼を上げるも視線は畳を見つめたまま、昨日あったことを包み隠さず話した。
黙って聞いてくれていた土方さんが、記憶を辿るように口を開く。
「以前、お前に何度か近づいて来た男は、桂小五郎と名乗ったんだよな? やはり、桂は新見からお前のことを聞いていたんだろう。だが、新見は死んだ。だから、今度は間者だった御倉たちを使って、お前のことを探らせていたんだろうな」
「……はい」
「まぁ、仕方ねぇな。あんな状況だったんだ、むしろ新八だけで済んでよかったさ」
「……ごめんなさい」
「悪いと思うなら、次からは気をつけろよ」
「……はい」
……え? 次からは?
ここを追い出される私には、もう次なんてないと思うのだけれど。
それってつまり……。
「私、ここにいてもいいんですか? 追い出さないんですか?」
「正直、試衛館の奴らにバレるのは時間の問題だと思ってたからな」
「……じゃあ、本当に――」
「出て行きてぇなら止めねぇぞ?」
土方さんは、ニヤリとしながら私の言葉を遮った。
全部見透かしたような表情は少し悔しいけれど、そんな土方さんを裏切ることなく本音を告げる。
「ここにいさせて下さい!」
「なら、これから新八に説明する。ただし、未来から来たことだけは黙ってろ」
「わかりました!」
しばらくすると、永倉さんが部屋にやって来た。
そして、永倉さんが腰をおろすなり、土方さんはすぐに軽く頭を下げる。
「黙っていてすまなかった。新八が言うように、こいつは女だ」
「ああ」
「新八も知ってると思うが、こいつは大八車に轢かれて記憶を失い、屯所の近くで倒れているところを芹沢さんが拾った。その芹沢さんが、男に成りすまして新選組にいろと言った。始まりは、芹沢さんの気まぐれだったんだ」
永倉さんは、全く疑っていなかった。芹沢さんの気まぐれと言われて疑わないなんて、芹沢さんは、本当に色々やらかしていたのだろうな……。
芹沢さんが亡くなったのはつい先日なのに、悲しみより、何だか妙に懐かしいような不思議な感じがした。
「春はそれでいいのか? いくら芹沢さんが言ったこととはいえ、その芹沢さんはもういない。無理してここに留まる必要はないんじゃないか? 新選組なんて、女の子がいるようなとこじゃないだろ。……その、今日みたいなことだってあるしな……」
永倉さんにしては珍しく、最後の方は声も小さく言いにくそうにしていた。
それでも、私の答えはもう決まっている。永倉さんに向き直ると、居住まいを正してしっかりとその顔を見つめた。
「確かに、最初は芹沢さんの気まぐれだったかもしれません。でも、今は違います。私は、私の意思でここにいます。だからお願いします。どうか、このまま新選組にいさせて下さい!」
「待て待て、頭上げてくれっ!」
勢いよく下げた頭の上から、永倉さんの焦った声が降ってくる。ゆっくりと頭を上げれば、本当に焦った様子の永倉さんと目が合った。
「俺はさ、春がしたいようにすればいいと思うぞ。ここにいたいのなら、そうすればいいと思う」
「永倉さん……ありがとうございます!」
「だから、頭上げろって!」
再び下げた頭に、またしても永倉さんの焦った声が降ってくるのだった。
新選組に留まることを拒否されたらどうしようとか、私自身について深く追及されたらどうしようとか、そんなことは考えるだけ無駄だった。
永倉さんは、私が女であることを心配してはいたけれど、ここにいたいという意思を尊重してくれた。
本当にありがたい。
「ところで、近藤さんはこのこと知ってるのか?」
永倉さんの疑問に、土方さんが真面目な顔になる。
「近藤さんは知らねぇ。世話好きなあの人のことだ、自分で面倒見ると言い出しそうだろう? そうすると、新選組にいたいというこいつの願いは叶わなくなる。だから、こいつのことは新八の胸のうちに留めておいてくれねぇか?」
「永倉さん、お願いします!」
下げそうになった頭を慌てて上げて、永倉さんの目をじっと見つめた。
「さっきも言ったが、俺は春が望むようにしたらいいと思ってる。だから誰にも言わない。約束する。ただ……何だか土方さんらしくないな」
そう言って永倉さんは苦笑すれば、釣られたように土方さんも苦笑した。
「芹沢さんの忘れ形見みたいになっちまったからな。無下に追い出すわけにもいかねぇだろ」
「それもそうだな」
笑い合う二人を見て、バレたのが永倉さんで良かったと心から思った。
けれど、そんな永倉さんの表情が少しだけ強ばった。
「春の想いはわかった。乗りかかった船だしな、俺もできる限り協力はする。だが……いつまでも春だけ特別扱いというわけにもいかないんじゃないか?」
どこか言いにくそうにしながらも、いつもの永倉さんらしく、はっきりと感じていることを口にしてくれた。
それは、最近隊士たちの中には、私のことをあまり良く思っていない人もいるということだった。
新見さんの剣を避けるほどの腕がありながら、巡察にも出ず。土方さんの小姓かと思いきや、お茶を淹れるくらいしかしていない。
それでも新選組にいられるのは、亡くなった芹沢さんだけでなく、局長や副長、試衛館出身の幹部たちに気に入られているからじゃないのか、と。
それだけでなく、幹部は気に入った人だけを特別扱いするのか、と穿った見方をする人もいるという話だった。
「そうすると、必然的に今回の御倉たちのように、春には何かあるんじゃないかと疑う奴も出てくる。実際、御倉たちを通して桂にも目をつけられてたわけだろう?」
おそらく、御倉さんたちが私に近づいて来たのは桂さんからの指示が先だ。
けれど永倉さんは、私を疑った御倉さんたちから桂さんに伝わり、そこから目をつけられたと思っているようだった。
申し訳ないけれど、ここは訂正せずにこのままでいよう。土方さんもそのつもりらしく、ああ、と肯定しただけだった。
けれど、永倉さんの言っていることはもっともだ。ましてや、私は土方さんの部屋で寝起きしているのだから、なおさら特別扱いと思われても仕方がない。
土方さんは自ら鬼になってまで新選組をまとめようとしているのに、私のせいで信用を失くしては意味がない。土方さんだけじゃない、試衛館出身の幹部たちの信用すら失いかねない状況なんだ……。
腕を組んで考え込む土方さんに向き直り、行灯の淡い灯りが照らすその顔をじっと見た。
「土方さん、永倉さんが言うように、このままでは私だけ特別扱いだと思われても仕方ないです。実際、そうだと思いますし……。このままでは、新選組全体の信用にもかかわってきます。だから……私も他の隊士たちと同じように扱ってもらえませんか?」
「同じように、だと?」
「はい」
「お前、それがどういう意味か本当にわかってて言ってるのか?」
そう問う土方さんの目は、思わず逸らしてしまいたくなるほど鋭い。今の言葉を取り消せ、と脅されているような気にさえなる。
けれど、やっぱり根は優しい人なのだと思う。だって……わかった、の一言で簡単に済む話なのだから。
相変わらず土方さんの視線は鋭いままだけれど、私だってもう逃げないと決めた。
それに、新選組のみんなを救いたいし、芹沢さんとの約束だって果たしたい。
そのためには、このまま特別扱いなんて許されていいはずがないから、私のすべきことを言葉にする。
「……わかってます。だから私も、巡察に行かせてください」
「遊びじゃねぇんだ。斬り合いになることだってあるんだぞ。本当にわかってるのか?」
「はい。このまま私だけ何もしないなんて、ダメだと思うんです」
本当は怖いし、刀を抜いた自分の姿なんて想像もつかない。
それでも、奪うためではなく守るため。人を斬ることができない私に、山南さんが教えてくれた峰打ちという戦法。
そして、沖田さんが名づけてくれた不思議な力――
「私には……心眼がありますから」
「本当にいいのか?」
「はい」
わずかな沈黙のあと、土方さんは一つ大きなため息をついた。
「……わかった」
「あ……ありがとうございます!」
これでもかと頭を下げていたら、それまで黙って見ていた永倉さんが、そういえば……と呟いた。
「最近、源さんが料理当番の日は春が一緒に入ってるんだよな?」
「そうですけど……」
もしかして、口に合わなかったのかな?
そんな不安に駆られるなか、永倉さんは土方さんに向かって笑顔を見せた。
「それがさ、源さんが当番の日の飯がさらに旨くなったって、隊士たちの間でも評判なんだ。それでだ、これは俺の希望なんだが、二人を別の日に入れてくれないか? 旨い飯を食える日は、多いに越したことはないからさ」
どうやら誉められているらしい?
ちょうど、他の隊士たちと同じように扱うと決まったばかりだし、永倉さんの提案を拒む理由はない。
今後は、井上さん以外の人とも当番になるし、外出時は試衛館出身の人と一緒、という決まりもなくなったのだった。
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