041 間者の粛清
部屋に入ると、中村さんが一人倒れていた。
間に合わなかった! ……と慌てて駆け寄るも、寝ているだけだった。
焦ったじゃないかっ!
同じことを思ったのか、永倉さんがやや乱暴に揺さぶり起こす。
「ん……もう、朝か?」
「中村、落ちついてよく聞け。御倉たちは長州の間者だ。俺らの暗殺を企てている。だが、俺らが計画を知ったことに気づいていないから、このままやり過ごし、朝になったら屯所へ連れて帰る。いいか、それまで気を抜くなよ?」
「わ、わかった……」
どうやら中村さんも、酔いも眠気も一瞬で覚めたらしい。
しばらくすると、四人が戻って来た。御倉さんは片手で後頭部を掻きながら、何食わぬ顔で言う。
「知り合いもここに泊まっていたみたいで、つい話し込んでしまった。いや、すまない」
「気にしないでくれ」
永倉さんが笑顔で返せば、今まで以上に楽しくない宴が再開される。
またしても、両隣を陣取るのは御倉さんと荒木田さんで、しつこくお酒を勧めてくるから逆になみなみと注いであげた。杯が空になるたびに、これでもかと注いであげた。
もちろん、荒木田さんも同様に。
ふと部屋を見渡せば、酔っぱらいが量産されていた……。
そして思う。この人たちは、本当に暗殺する気があるのだろうか、と。
永倉さんもだ。中村さんには気を抜くなと言っていたのに、自分は再びできあがっている。
とにかく早く朝になってくれることを願っていたら、突然、御倉さんがおかしなことを言い出した。
「春。お前、副長とできてるんだろう?」
「は? そんなわけないじゃないですか」
「じゃあ、何で巡察にも出ないのに新選組にいられるんだ? 気に入られてるからだろう?」
「そういえば~、副長は男色だって噂~、聞いたことありますよ~?」
口を挟んだのは、少々呂律の怪しい荒木田さんだった。
副長は男色……例の噂か!? 元凶は私なので、責任を持って火消しをしてみたけれど、さすがは酔っぱらい、発想がぶっ飛んでいた。
「ならさ~、実はお前、女だとか~?」
「なっ、何言ってるんですか!? 女じゃありません! 男です!!」
本当に手に負えない! 相当寄っているのか、荒木田さんは畳に手をつき無遠慮に距離まで詰めてくる。
「じゃあさ~、証明して見せてよ?」
「証明?」
「そ。脱いで」
「……は?」
しばらく、脱げ、脱がないの攻防を続けるも、気づけば壁際まで追い詰められていた。
壁に背をつけたまま立ち上がれば、荒木田さんまで立ち上がる。逃げ出そうとすれば、片手でドンッと進路を塞がれた。
……って、これが俗に言う壁ドンってやつか!?
そうこうしているうちに、荒木田さんはもう一方の手を私の衿へと伸ばしてくる。
けれど、その手が私に届くことはなかった。見かねた永倉さんが、荒木田さんの手を掴んで止めてくれていた。
「嫌がってるんだから、その辺にしとけ」
そう言って、荒木田さんを反転させるなりその背中を押せば、よろよろと反対の壁際まで離れたところで足をもつれさせた。
助けてくれた永倉さんにお礼を告げようとするも、くるりと向き直ったその口は、これでもかと弧を描いていた。
「でも、俺は見ちゃうもんね~」
一瞬の出来事だった。永倉さんの視線は、はだけた衿から覗く胸元のさらしで止まり、その顔からは表情が消えた。
あ……バレた。
そう思った。
長い沈黙に感じたけれど、実際にはほんの一瞬だったようで、永倉さんはすぐに衿を直すとみんなの方へ向き直った。
「俺が確認した。ちゃんと男だったぞ」
壁際だったせいか、ちょうど永倉さんの陰になり、みんなには見えなかったらしい。
それでも納得がいかず、なおも食い下がる荒木田さんを永倉さんが窘めた。
「春が大八車に轢かれたことは知ってるだろう? その時の傷が酷い。だから見せたくなかったんだろう。代表して俺が確認したんだ。もういいだろう!?」
永倉さんが、嘘をついてまで私を庇う理由なんてわからない。
けれど、おかげでそれ以上問いただされることはなかった。
何とも言えない空気が漂い、もう寝ようということになった。
そして、この部屋で全員寝るには狭いから、と御倉さんたちは知り合いの部屋へ行くと言って出て行った。
今、この部屋にいるのは永倉さんと中村さんと私の三人だけ。
中村さんは、刀を脇に置いてじっと座っている。永倉さんは横になっているけれど、眠っているわけではなさそうだった。
私も眠れるわけがなく、窓枠に頬杖をつき、ぼんやりと外を眺めることにした。
風は凪いでいるけれど、さっきよりもさらに気温が下がった気がする。
低い位置にようやく現れたお月様は半分よりもずっと欠けていて、そんな月の輪郭をなぞりながら、さっきのことを思い出していた。
永倉さんは、私が女だと知ってどう思ったのだろう。
どうして、咄嗟に庇ってくれたのだろうか。
「春、どうかした? 何かあったの?」
突然、下の方から藤堂さんの声がした。見下ろせば、藤堂さんと斎藤さんがいる。
「……大丈夫です」
「何かあれば大声で呼べ。いいな?」
斎藤さんの気遣いにも黙って頷き返せば、二人は再び夜の闇に消えて行く。
しばらくして、後ろからすーっと襖の開く音がした。
「あれ、まだ寝てないんですか?」
御倉さんだった。
飲み直しましょう、と他の三人を連れてすぐに戻って来たけれど、もし寝ていたらどうしていたんだ?
結局、再開された宴はたいして盛り上がらず、誰も寝ないまま朝を迎えたのだった。
今朝はやたら霧が濃くて、視界が悪いなかみんなで屯所へと帰った。
道中、私たちに向けられた御倉さんたちの視線は、ただの寝不足とはいいがたいほど鋭かった。
屯所につけば、みんな自分の部屋へ戻る。
永倉さんだけは、報告があるからと私と一緒に行くけれど、部屋に入るも黙ったままで、訝しむ土方さんの眉根に皺が寄り始めた頃、ようやく口を開くいた
その口調は、問い詰めているように聞こえた。
「土方さんは、春が女だとわかっててここにおいてるのか?」
大きく見開かれた土方さんの目は、細まると同時に突き刺すような視線だけを私に寄越した。
到底受け止めることなどできず、逃げるようにして俯くけれど、それ以上の追及はされなかった。
「新八、詳しくはあとで必ず話す。今は、琴月のことは黙っててくれねぇか?」
「何か事情がありそうだな。わかった」
永倉さんが納得したことで、一旦この話は保留になった。
今はそんなことよりも、長州間者たちのことが最優先だった。
三人で近藤さんの部屋へ行けば、すでにほとんどの幹部たちが集まっていて、私たちの詳細な報告を待っている状態だった。
そして、永倉さんが昨夜のことを話せば、真っ先に藤堂さんが訊いてきた。
「結局さ、どうして春だけ生かしたまま拐おうとしてたの? 普通、口封じするなら一緒に始末するでしょ」
藤堂さんの疑問はもっともだ。
おそらく、桂さんは私が女であることも、未来から来たことにも気づいている。利用価値があると思い、御倉さんたちを使って探りを入れていたのだと思う。
そして、あの状況では私の扱いに困り連れ去ることにした。そんなところだろう。
けれど、それを説明するには私の秘密も話さなければならない。
すでに永倉さんにもバレてしまった以上、隠す意味はないのかもしれないけれど、それでも、言葉を紡げず俯いた。
すると、隣に座る永倉さんの、どこか気の抜けた声が響き渡った。
「あー、それなぁ、それとなく探ってみたんだが、土方さんに男色の噂があっただろう? 部屋が一緒の春を使えば、土方さんを脅せるかもしれないとか、そんなくだらない話っぽかったぞ」
思わず隣を見れば、苦笑する永倉さんと目が合った。
「あの噂は本当だったのか?」
口の端を吊り上げる斎藤さんの声に、ほんの少しだけ場が和む。
「ちげぇよ!」
「違います!」
咄嗟に否定するも、見事に土方さんと被った。
「ぷっ。息もぴったり、お似合いですね~」
沖田さんのその一言に、真実を知っている井上さんが吹き出せば、無言で井上さんを睨みつける土方さんを宥めるように、原田さんがフォローに入る。
「そうムキになるなって。土方さんが男にゃ興味ねーことくらい、みんな知ってるさ」
「当たり前だっ!」
土方さんは咳払いを一つして、逸れてしまった話を元に戻した。
実は、近藤さんをはじめ土方さんと山南さんは、彼らが長州の間者であることに気づいていたらしい。
あえて泳がすことで、長州側の情報を得ようと考えていたのだとも。
話の終わり、山南さんは悲しげな顔で小さなため息をついた。
「彼らが明らかな敵意を見せてしまった以上、もうこのままというわけにはいかないね……」
その続きを引き取るように、近藤さんが決断する。
「致し方あるまい……。これより、隊内に蔓延る間者どもを粛清する!」
近藤さんの言葉通り、長州間者たちの粛清はすぐに行われた。
長州の人間の仕業だとしていた、芹沢さんら暗殺の濡れ衣を着せるというおまけつきで。
その間、何もできない私は部屋の障子を開け放ち、朝より一層濃くなった外の霧を眺めていた。
部屋には土方さんもいて、次々と入る報告は嫌でも耳に入った。
御倉さんと荒木田さんは、縁側で髪結いに月代を剃ってもらっているところを背後から。
松井さんと越後さんは、危険を察知したようで窓を蹴破り逃走。
これより隊内に蔓延る間者どもを粛清する! と沖田さんが抜き身の刀を片手に叫べば、さらに二人の隊士が慌てて飛び出したらしい。
うち一人に一太刀浴びせるも、傷は浅くそのまま逃走。もう一人は、屯所の外へ出たところで斬られたらしい。
また身近な人が亡くなった。たとえ御倉さんたちが長州の間者でなかったとしても、仲間の命を狙ってしまった以上、このままというわけにはいかないことくらいわかる。
現代の価値観では測れない、通用しない、それもわかっている。
けれど、どこか冷静な頭とは裏腹に、心がついていかない……。
もしも彼らのことを知っていたなら、助けることができたのだろうか。
今となってはもう、どうしようもないけれど。
ぐちゃぐちゃの感情が、突然あふれそうになるから急いで部屋を飛び出した。
後ろ手で襖を閉めたその直後、拭う間もなく顎まで伝った涙が一滴、音もなく足下の床に落ちたのだった。
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