040 長州の間者

 一日の稽古を終えて部屋へ戻る途中、視界の先に御倉さんと荒木田さんの姿が見えた。

 咄嗟に迂回しようと思うもすでに気づかれていたらしく、私の名前を呼びながらやって来るので諦めて頭を下げた。


「お疲れ様です」

「春、今日こそつき合えよ」


 御倉さんが腕を組みながら言った。

 やっぱりその話か……とため息の代わりに謝罪と断りを口にするけれど、そう簡単に引く気はないらしい。

 行く、行かないの平行線を辿るなか、今回もタイミングよく沖田さんが現れてくれることを願っていれば、門をくぐり帰って来る隊士の姿が四人。その中には永倉さんもいて、私たちに気づくなり側へ来てくれた。


「お前ら、こんなところで何やってんだ?」

「ああ、永倉さん。実は、春のつき合い悪くて困ってるんですよ」


 御倉さんは片手で頭の後ろを掻きながら、困り顔で苦笑して見せた。

 変わり身早っ! その顔は絶対に演技だと思う!


「あー、春は二十歳まで酒が飲めないらしいからなぁ。許してやってくれ」


 ありがたいことに永倉さんが擁護してくれるも、負けじと荒木田さんまで悲しげな表情を浮かべてみせた。


「ご飯だけでもいいって言ってるんですよ? それなのに、毎回断るんです」

「何!? 春、いくらなんでもそりゃないだろう」

「え……」

「俺らも報告が終わったら飲みに行くところだったんだが、調度いい。春、お前も一緒に来い。みんなで飲みに行くぞ!」

「ええっ!?」


 いつのまにか、形勢逆転しているし!

 焦る私などお構いなしに、永倉さんは笑顔で言い放つ。


「稽古に励むのもいいが、たまにはこういう息抜きも大事だぞ? 土方さんには報告ついでに伝えておくから、先に行っとけ」

「えっ、私はっ……」


 永倉さんを味方につけた御倉さんと荒木田さんが、私の抵抗も無視して門の外へと連れ出した。

 報告を終えた永倉さんもすぐに合流するけれど、結局、祇園にある一力というお茶屋へ連れて行かれたのだった。


 試衛館出身の永倉さんが一緒なので、土方さんの言い付けには反していない。

 が、問題はそこじゃない!

 永倉さんはともかく、御倉さんと荒木田さんとなんて楽しい時間を過ごせる気がしないし、一緒に飲む約束をしていたという中村金吾なかむら きんごさん、松井竜三郎まつい りゅうざぶろうさん、越後三郎えちご さぶろうさんに至っては、ほとんど喋ったことすらない。


 ……ええい、もうこうなったら、誰の奢りか知らないけれどいっぱい食べてやるんだから!






 楽しい時間はあっというまに過ぎて行くと言うけれど、楽しくない時間の進みの遅いこと!

 料理を口にする私の両隣には、御倉さんと荒木田さんが陣取っていて、杯片手に案の定詮索紛いの質問攻めをしてくる。


「すみません、記憶がなくて……」


 私はどこぞの政治家か? もうほぼ全ての質問にそう答えているけれど、二人は懲りもせず似たような質問を繰り返すばかり。

 酔い潰して黙らせてやろうかとお酌のペースを上げてみるも、さらに饒舌になり余計に手に負えない。

 窓越しに見える空はすでに真っ暗で、お腹も満たされたし早く帰って寝たいのに!


 しばらくして、厠へ行くという永倉さんに便乗して私も部屋を出ると、その背中に向かって訊いてみた。


「いつ帰るんですか?」

「ん~? 今日はもう遅いし帰らんぞ~?」

「え……」

「土方さんにも泊まるかもしれんとは伝えてあるから、大丈夫だぞ~」


 全然大丈夫じゃない!

 こうなったら一人で帰ろうと思うものの、なぜかここは幕末。真っ暗闇のなか提灯の灯りを頼りに帰るとか……お化け屋敷どころの騒ぎじゃない。

 そもそも帰り道がわからない……。


 がっくりと肩を落とし、厠から出てきた永倉さんの背中にため息をつきながら、とぼとぼと部屋へ戻る。

 途中、どこからか永倉、中村、と口にする御倉さんの声が聞こえた。


 本人がいないところで呼び捨てだなんて、悪口でも言っているのか?

 永倉さんも聞こえたのか、くるりと振り返ったその姿は、弧を描く口元で人差し指を立てていて、すぐに隣の部屋を指差した。


 どうやら盗み聞きするらしく、さっそく襖に耳を当てて中の様子を伺っている。

 あからさまなその姿に、つい吹き出しそうになるけれど、私も永倉さんに倣って襖に耳を当ててみた。

 だ、だって気になるし!


 けれどもよく考えたら、私たちの部屋はもっと奥のはず。御倉さんはなぜ違う部屋に?

 それに、中には御倉さんだけではなく、そこそこの人数がいそうな雰囲気だ。不思議に思っていたら、中から荒木田さんの声まで聞こえてきた。


「永倉と中村はだいぶ酔ってましたね」


 荒木田さんまで呼び捨てっ!

 永倉さんと中村さんの悪口大会か!


「ああ、だが永倉の剣の腕は相当だ。もっと酔わせた方がいいだろう」

「春はどうします? 記憶がないんじゃ何も訊き出せませんよ。一緒に始末しちゃいますか?」

「それは駄目だ。桂さんには春の身辺を調査しろと言われたが、絶対に傷つけるなとも厳命されている」


 ちょっと待って。もっと酔わせるとか始末するとか……その物騒な単語は何!?

 それに、私の名前と一緒に桂という名前が出た。やっぱり、あの桂小五郎のことだろうか。


 全くもって、悪口大会なんて可愛らしいものじゃない。

 嫌な鼓動を刻み始める心臓が、どくどくと音を立てて暴れ出す。永倉さんも、酔いなど一瞬で醒めてしまったのか、神妙な顔つきになっていた。

 そんな私たちに気づいてもいないのか、中では物騒な会話が続けられていく。


「永倉たちは賊に殺られたことにするとしても、春を生かしたまま帰せば今度は俺たちが危ないですよ。だいたい、桂さんも何で春のこと調べたりしてるんですかね?」

「理由など俺も知らん。ただ、新見の剣を避けるほどの腕がありながら、いまだ巡察にも出されず近藤一派に可愛がられている。奴には何かあるのかもしれない、とでも考えたんじゃないか?」

「何か……って、何ですかね」

「そんなものは俺も知らん」


 御倉さんと荒木田さんが、やけに私に絡んでいたのは桂さんの指示だったということ?

 会話の内容からして、二人は私の秘密までは知らなそうだけれど、何かしら疑われているのは確実だ……。


「もう、いっそ拐ってしまうのはどうだ?」


 拐う? まさか私を?

 ……って、今の声は松井さん!?


「だよな。そのまま返したら俺らが危ねえってのに、一緒に始末するのも駄目だってんなら、連れ帰ってあとは桂さんに任せればいいんじゃねえか?」


 今度は越後さんの声!

 急な展開に全然頭がついていかない。彼らはいったい何者なの?


 思わず頭を抱えそうになれば、永倉さんに腕を捕まれた。

 驚いて顔を上げると、自身の口元でしーっとした人差し指をすぐに外へ続く廊下の先へと向ける。黙ったまま頷き返し、そのまま一緒に外へ出た。




 今夜の空は、まだ月が出ていなくて暗い。

 近頃は昼でも随分寒くなってきたから、夜はそれ以上に冷える。

 けれど今は、その寒さのおかげで少しだけ冷静になれた。


「桂って、やっぱり桂小五郎……ですよね?」

「ああ、おそらくそうだろうな。つまりあいつらは、長州の間者だったってわけだ」


 長州の間者……。

 御倉さんや荒木田さんが私に近づいてきたことは全部偽りで、永倉さんと中村さんの暗殺を企てているうえに、私を桂さんの元へ拐って行こうとしている。


 落ち込んでいる場合ではないけれど、永倉さんの表情も酷く沈んでいる。

 当然だよね。仲間だと思っていた人たちが間者で、自分の命を狙っているのだから……。


 けれど、私が知っている永倉さんは暗殺なんてされないと思う。

 確か長生きをして本を出したとかで、兄がもの凄く感謝している人だったと思うから。


 不意に、近づいてくる複数の足音が聞こえた。

 どうやら巡察中の隊士たちで、その中には斎藤さんと藤堂さんの姿もあった。

 私たちに気づいた斎藤さんが、他の隊士たちに巡察を続けるよう指示を出し、藤堂さんと一緒に側へやって来る。すぐさま永倉さんが二人に報告した。


 御倉、荒木田、松井、越後の四名は長州の間者であること。

 今夜、永倉さんと中村さんの暗殺を企てていて、その混乱に乗じて、私を連れ去ろうとしていることを。


 ところが、暗殺計画のことは知らないふりをして、このまま朝まで過ごすことになった。

 今下手に動いては、部屋に残してきた中村さんが危ないうえに、バレたとなれば何をしでかすかわからず、逃げられてしまう可能性もある。

 だから、このまま泳がせつつ未遂に終わらせて、早朝、彼らを屯所へ連れて帰るということになった。


「永倉さんがいるから大丈夫だとは思うが、万が一何かあったら大声で呼べ。なるべくこの辺りを中心に巡察をしている」

「土方さんにはオレたちから報告しておくから、朝には絶対に屯所へ帰って来て」


 二人が巡察へ戻って行くと同時に、私たちも中村さんを残してきた部屋へと急いで戻るのだった。

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