039 沖田さんと特別稽古
翌日、稽古場へ向かう途中で沖田さんを発見した。
「沖田さん、今日もご指導お願いします!」
「みんな僕の稽古は嫌がるんです。春くんくらいですよ~、そうやって頭まで下げてくれるのは」
そりゃそうでしょう……。沖田さんの稽古は、他の人とは比べ物にならないくらい厳し過ぎるから。
沖田さんが得意とする三段突きなんて、一歩踏み込んだかと思えばすでに三度の突きが繰り出されていた、というくらい凄い技だ。そんな技の使い手の指導は、普段の姿からは想像もつかないほど荒っぽく容赦がない。
今日も痣の一つや二つはくだらない……いや、それだけで済めばむしろ御の字……と覚悟を決めていれば、そうだ! と沖田さんが手を打ち鳴らした。
「春くんは毎日頑張っているし、今日は特別稽古にしましょうか」
「……特別? えっと、普段通りの稽古でいいのですが……」
ただでさえ厳しい稽古なのに、さらにあの上をいくとか……想像もしたくない!
「あはは。顔に思いっきり嫌って書いてますね~」
「そ、そんなことないですよ! た、ただ、私にはまだ特別稽古は早いんじゃないかなーって――」
「さっそく行きますよ~」
沖田さんはにっこり微笑むと、私の手を取り走り出した。
「え!? お、沖田さん! 稽古場そっちじゃないですよ!?」
「いいから、いいから~」
首だけを振り向かせた沖田さんは、まるで子供のような笑顔だった。
連れて来られたのは、屯所のすぐ隣にある壬生寺だった。ここには、芹沢さんたちのお墓がある。
「お墓参り……ですか?」
「今日は違います。特別稽古って言ったじゃないですか~」
沖田さんのあとを追って山門をくぐると、境内では数人の子供たちが遊んでいた。そのうちの一人が私たちに気づき、声を上げながら駆け寄ってくればあっというまに全員に囲まれていた。
「こちらは春くんです。みんな仲良くしてあげて下さいね」
沖田さんが子供たちに紹介してくれたので、私も少しだけ屈むようにして、子供たちと目線の高さを合わせてから改めて名乗った。
すると、目の前にいた男の子が私を指さして言い放つ。
「総司兄ちゃん、こいつ弱そや?」
なっ! 指をさすなー、指を!
とはいえ、弱いというのは否定できない……。
「人を見た目で決めつけては駄目ですよ。春くんは凄く強いんです」
「え? お、沖田さん?」
子供たちに嘘を言ってはダメでしょう、と沖田さんを見るも、にっこりと微笑み返された。
何のことかと思えば、鬼ごっこや隠れんぼだった。
確かに足の速さには自信があるので、強いといえば強いのだけれど……。
「沖田さん、特別稽古ってこれですか? 私には遊んでるようにしか思えないんですが……」
「これも立派な稽古ですよ~。それに、僕より楽しんでるじゃないですか~」
「そ、そんなことないですよ!」
だって、沖田さんが稽古と言うのだから、全力でやらないとダメだしねっ!
気がつけば、最初の男の子も他の子も、私のことを春兄ちゃんと呼んでくれて、すっかり仲良くなった。
ところで、子供たちにすらバレない私の男装っていったい……。
何度目かの隠れんぼをしている時だった。本堂の裏手で隠れる場所を探していたら、足元から声がした。
「春くん、こっちこっち」
「ん……沖田さん?」
本堂の下を覗けば、沖田さんと目が合った。
またそんなところに……と思いつつも、一緒に隠れさせてもらうことにした。
「春くん。僕のこと恨んでますか?」
「へ?」
思わず声が裏返った。ただ隠れんぼをしているだけなのに、いったい何?
まさか、沖田さんが鬼の時にあっさり発見されてしまったこと……って、そんなことで恨んだりしないけれど!
「春くんは、芹沢さんに恩義を感じてたんですよね?」
何のことかと思えば、芹沢さんのことだった。芹沢さんを手にかけたことを言っているのだろうか。
確かに芹沢さんには恩がある。自分勝手に振り回されたとはいえ、未来から来たと知っても利用することもせず、右も左もわからない私をここへ置いてくれたから。
もしもあの時、あのまま放り出されていたら……当てもなく、今頃のたれ死んでいたかもしれないから。
けれど、芹沢さんのことで沖田さんを恨んでなんかいない。沖田さんだけじゃない、かかわった人たち全員を恨んでなんかいない。
恨むとすれば、知っていたのに助けることができなかった自分自身だけだ。
「沖田さんは命令に従っただけじゃないですか。だから、恨んでなんかいません。他の誰も恨んでませんよ」
「僕は、近藤さんや新選組の邪魔をする人たちを許せないんです。だから、命令なんてなくても斬ってたかもしれませんよ?」
「……だとしても、です」
それが史実で知っていたとしたら……。きっと、そうなる前に阻止すると思う。阻止できなかったとしたら、やっぱりそれは私のせいだ。
「面白い人ですね」
「面白くはないです」
おかしそうに笑い出す沖田さんは、笑みを消すことなく真っ直ぐに私を見た。
「春くん、あなたは僕らの邪魔をする敵ですか?」
笑顔だけれど笑顔じゃない、そんな顔。
少し冷たい風が、頬にかかる私の髪と沖田さんの柔らかい髪を揺らしていく。色づき始めた草木が葉擦れの音を立てれば、すでに枝を離れた黄色い葉が、地面の上を転がっていく音がした。
「私、は……」
「なんてね。冗談ですよ。春くんが僕らの敵なら、あの土方さんが側に置いておくはずがないです。だから春くんは敵じゃない。そうでしょう?」
「……はい」
その瞬間、張り詰めていた空気が嘘のように和らいだ。いつもの人懐っこい笑顔を浮かべた沖田さんが、にこやかに言う。
「それじゃあ、改めまして。春くん、これからもよろしくお願いします」
未来から来たことも女であることも言えないけれど、それでも沖田さんは、私を信用してくれたような気がした。
だからこそ、そんな沖田さんに負けないくらいの笑顔を浮かべてから言った。
「――はいっ!」
その瞬間、私たちを覗き込む幼い顔が現れた。
「あっ! 総司兄ちゃん、春兄ちゃん、みーつけたっ!」
思わず沖田さんと顔を見合わせれば、同時に吹き出すのだった。
それからも、時間なんて忘れて遊べば……いや、稽古に励めば、気づけば空はすっかり夕焼け色に染まっていた。
「総司! 琴月!」
子供たちとは明らかに違う声に振り返れば、そこにいたのは土方さんだった。境内の入口から、こちらへ向かって歩いて来る。
何かあったのかと、私も土方さんのところへ駆け寄った。
「どうかしたんですか?」
「どうもこうもねぇ。やっぱりここで遊んでやがったか」
「遊んでるわけじゃありませんよ。特別稽古です!」
「何が特別稽古だ! 遊んでるだけじゃねぇか!」
怒鳴られると同時に、デコピンが飛んできた!
痛むおでこを押さえながら沖田さんに助けを求めるけれど、あからさまに目を逸らされた。
って、やっぱりただの遊びだったのか!?
「ほら、そろそろ日が暮れるからみんなお家に帰りましょうか~」
私を無視する沖田さんが、慣れた様子で子供たちに帰宅を促せば、遊び疲れた子もまだまだ遊び足りない子も、みんなまた遊んでねと言い残し仲良く帰って行く。
小さな背中がさらに小さくなり、見えなくなるまでその場から見送った。
最後の最後、私たち三人も並んで屯所へと向かって歩き出せば、土方さんが呆れたように言い放つ。
「ったく、最近真面目に稽古してたかと思えば、琴月まで連れ出すとはな」
「春くんは毎日人一倍頑張ってるんです。たまにはこういうのもいいじゃないですか~」
私には特別稽古だと言った沖田さんが、悪びれもせず遊びだと認める発言をした。
沖田さんめっ。また怒鳴られるんじゃ? と僅かに身構えてみたものの、土方さんの口から発せられた言葉は意外なものだった。
「……まぁな」
つい、沖田さんと揃って真ん中を歩く土方さんを見つめれば、あっというまにその眉間には皺が寄る。それでやめておけばいいのに、沖田さんはいつものように土方さんをさらに煽った。
「あれ~? 何だか土方さんらしくないですね~」
「あ? 何か言ったか?」
「土方さんも、たまには一緒に遊んだら楽しいですよ~って言ったんです」
沖田さんは、相も変わらず飄々と言ってのける。
けれど、確かに沖田さんが言うことも一理ある気がして、私も乗っかることにした。
「お仕事ばっかりじゃ息も詰まりますし、次はぜひ、土方さんも一緒に遊びましょう!」
「そしたら、土方さんはずっと鬼でお願いしますね~。なんせ鬼の副長らしいですからね。そうでしたよね、春くん?」
「お、沖田さん?」
せっかく沖田さんに同調する発言をしたというのに、それさえも煽るとか!
しかも、さらっと私のせいにしているし!
「言ってくれるじゃねぇか、てめぇら!」
ほら! 案の定怒ってるし!
けれど、鬼の副長って最初に言ったのは、土方さん本人だからねっ!?
「春くん、鬼がお怒りみたいなんで逃げますよ!」
「ええ!?」
逃げますよって誘ってくれたわりには、すでに遥か前方を走っているのだけれど!
私も慌ててそのあとを追うも、屯所はすぐ目と鼻の先なので逃げ道はもうあまりない。おまけに、私は土方さんと同じ部屋なわけで!
「おい、てめぇら待ちやがれ!」
「そんな形相で待てだなんて、待つわけないじゃないですか~。ねぇ、春くん?」
「へっ!?」
そこで私に振るとか! あとで私だけ怒られるなんて、勘弁なんだからね!
「おい、総司! 琴月!」
綺麗に赤く染まった空の下を駆けて行けば、土方さんの怒鳴り声が響き渡る。
明日もいい天気そうだ。
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