038 鬼の副長と局中法度

 芹沢さんの葬儀が終わってから、数日が過ぎた。

 あまりの無力さに一度は逃げ出そうとすらしたけれど、それでも私はここにいる。そして、もう逃げないと、たとえ悲しい結末をこの目で見届けることになろうとも、二度と目を逸らさないと決めた。

 それは、芹沢さんに託されたことであると同時に、新選組のみんなを助けたいと願う、私の覚悟の形でもあるから。


 もちろん、ただ黙って悲しい結末を受け入れるつもりなんてない。

 知っていることはほんの僅かでも、全力で変えてみせる。たとえそれが、歴史を変え、未来を変えることになってしまっても。

 今、私の目の前で生きている人たちを、これ以上見捨てるなんてできないから。






 新選組の局長は近藤さん一人になり、接待や会合で屯所を空けることも増えた。

 必然的に隊を仕切るのは副長となり、主に土方さんが中心となって取りまとめ、こちらもまた忙しそうにしている。


「おい」


 二人分の布団を敷き終えたところで、背後から土方さんの声がした。

 振り返れば、先ほどまで筆を走らせていた一枚の紙を持ち、どこか満足げな顔で広げている。


「これを見てみろ」

「何ですか、それ」

「いいから読んでみろ」

「…………」


 沈黙する私に、土方さんが不満そうに眉根を寄せた。


「声に出して読め」

「やっぱり字なんですよね? それ」

「は? お前、字が読めねぇのか?」

「バカにしないで下さい。字くらい普通に読めますよ」

「じゃあ、何でこれが読めねぇんだ!」


 冷静に反論するも、なぜか怒鳴られた。

 きちんと義務教育を受けてきたので、よっぽど難しい文字や特殊な文字でない限り、普通に字は読める。

 読めるはずなのだけれど、土方さんが持っているその紙に書かれた文字は、どう頑張っても読めそうにない。


 この時代の人たちは、どうも話し言葉と書き言葉が違いすぎて、それだけでも解読は難しいというのに、筆を使い墨で書くから余計に読みづらい。

 そのうえ、土方さんのこの字体ときたもんだ。


「あのですね、こう、うにゃうにゃしたミミズみたいな字は……達筆すぎて全く読めません!」

「誰が蚯蚓だ、誰がっ! 読めねぇからって人のせいにすんじゃねぇ!」


 何だかちょっとムカついたので、無言で土方さんの持つ紙を指差した。


「馬鹿野郎!」


 間髪入れずに怒鳴られた。


「お前、どんな生活してたんだよ……まさか、百五十年先の世には字がねぇのか?」


 さっきまで元気に怒鳴り散らしていたくせに、急に未来を憂うような感じになり、文字はちゃんと存在するけれど話し言葉と大差ないことや、普通は一文字一文字離して書くのだと教えてあげた。


「だから、決して字が読めないわけじゃないんですよ!」

「でも、これは読めねぇんだろ?」

「だから、ミミズの――」


 私の言葉はそこで途切れた。だって、思いきり睨んでいるんだもの!

 ここはとっとと話題を変えてしまうが吉と、その手にしたものは何なのか訊いてみた。


「あ? ああ、そうだった。お前のせいで話が逸れた」

「人のせいにしないでください!」

「うるせぇ。これはな、局中法度きょくちゅうはっとだ」


 局中法度……?


「ああっ!!」


 叫んでしまったせいか、土方さんの肩が少しだけ驚いたように跳ねた。

 けれどもすぐに、平静を装い訊いてくる。


「な、何だ、知ってるのか?」

「いえ、詳しくは知りませんが、その名前は聞いたことがあります。何でもかんでもとにかく切腹! ……みたいなやつでしたっけ?」


 法度を犯して切腹させられた隊士がたくさんいる、と聞いたことがある。


「お前……今すぐ切腹申しつけてやろうか」

「えっ!? 遠慮しておきます!」

「ったく、知ってるのか知らんのかはっきりしろ……」


 どうやら元々あった隊規を局中法度として、今後厳格化していくつもりらしい。

 芹沢さんの言っていた、土方さんが鬼になるための第一歩……的なものなのかな。


「それで、何て書いてあるんですか?」


 土方さんはわざとらしく咳払いを一つすると、局中法度を読み上げた。


「一.士道ニ背キ間敷事

 二.局ヲ脱スルヲ不許

 三.勝手ニ金策致不可

 四.勝手ニ訴訟取扱不可

 五.私ノ闘争ヲ不許

 

 右条々相背候者切腹申付ベク候也」


 簡単に言ってしまうと……。


 一.武士道に反することをしてはいけない

 二.新選組を脱することは許さない

 三.勝手に金策をしてはいけない

 四.勝手に訴訟を取り扱ってはいけない

 五.私事での争いをしてはいけない


 右の条項に背く者は切腹を申し付ける


 ……ということらしい。


「新選組に入ったら脱退できないうえに、逃げ出したら切腹ってことですか? そんなんじゃ、新しい人誰も入って来ないと思うんですが……」

「んなわけねぇだろ。ちゃんとした理由があって、認められれば脱退できるさ。理由もなしに脱走した奴は切腹だがな」


 脱走というその単語に、ふと、山南さんの顔が浮かんだ。


「局中法度なんて、なくてもいいじゃないですか?」

「何言ってんだ。ただでさえ血の気の多い奴らばかりなんだぞ。今までが緩すぎたんだよ。厳しくしねぇと、好き勝手やる連中も出てきちまうだろうが」

「だからって、切腹までしなくても……」

「あのな、新選組は腕に自信さえありゃ出自は問わねぇ。だから国を出た浪人や、次男、三男で家を継ぐ必要がねぇ奴がたくさんいる。そんな奴らが差し出せるもんなんて、てめぇの命くらいだろうが」


 土方さんの言いたいことはわかる。この烏合の衆をまとめるには、それくらい厳しくしなければいけないことも。

 けれど、私の記憶が正しければ山南さんは……いや、山南さんだけじゃない。たくさんの人が、この局中法度で亡くなっているはず。

 それに、切腹を言い渡すであろう局長や副長も、辛い思いをすることになると思う。だって、人に死ねと言うのと同じだから。


「本当にいいんですか?」


 それだけしか言えなかったのに、土方さんは質問の意図を読み取ったかのように、覚悟なんてとうにできていると言わんばかりの顔でにやりとした。


「言っただろう? 俺は鬼になってやるって」

「そう、ですけど……」


 思わず視線を落としかければ、だからな……と土方さんがほんの少し真面目な表情をみせる。


「よく聞け。たとえお前だろうと、これを破れば切腹させる」

「に、逃げません。逃げずに受け止めるって、私も決めましたから!」

「そうか」


 そうしとけ、とも言って表情を緩めるのだった。




 翌朝。

 土方さんはみんなの前で紙を広げ、局中法度を披露した。

 元々あった規律を改めて発表しただけにすぎないので、特に混乱することはなかったけれど、土方さんの覚悟は伝わったんじゃないのかな……伝わっていて欲しいと思う。そして、法度を破る人が出ないことを願った。


 いつも通り稽古場へ行けば、御倉伊勢武みくら いせたけさんと荒木田左馬之介あらきだ さまのすけさんが側へやって来て、一緒に稽古をすることになった。

 二人は仲がいいらしくいつも一緒にいて、ここ最近は、二人に話しかけられることが増えた。

 新選組にいる以上は隊士たちと仲良くしたいし、向こうから話しかけてくれるのはとても嬉しい。嬉しいのだけれど、この二人に関してだけは素直に喜べなかったりする……。


 仲良くなるために、相手をよく知りたいと思うのは普通のことだと思う。

 けれど、この二人は必要以上に私のことを訊いてくるので、何だか詮索されているような感じがして正直苦手だ。


 最初のうちは答えられる範囲で丁寧に返していたけれど、最近はもっぱら“記憶がなくて”で大半の返事を済ませてしまう。

 大八車に轢かれて記憶喪失設定! 何て便利なんだろう!

 とはいえ、案の定、今日も稽古が終わるなり飲みに行こうと誘われた。


「すみません、二十歳までは飲めないので」


 毎度同じ断りを入れるけれど、今日の二人は引いてくれるどころか、どこか苛立たしげに荒木田さんが突っかかってきた。


「そうやってさ、毎回毎回先輩の誘いを断るのはどうなの?」

「すみません……」

「飲めないなら、飯だけでもいいって言ってるよな?」


 そう言って、御倉さんまで私との距離を一歩詰めた。


 この二人と食事なんて、全然楽しめる気がしない!

 そもそも、外へ出る時は試衛館出身の人を連れて行くよう言われている!


 嫌な空気が流れるなか、なおも二人が私との距離を詰めようとした時だった。


「ひと~つ、私の闘争を許さず。こんなところで喧嘩なんてしてたら、さっそく土方さんに切腹申しつけられちゃうかもしれませんよ~?」


 声のした方を振り返れば、巡察帰りの沖田さんが立っていた。


「べ、別に争っていたわけじゃない。まぁいい、春、次はつき合えよ?」


 御倉さんはそう言い残すと、荒木田さんとともにそそくさとどこかへ行ってしまった。あまりの変わり身の早さに、笑いそうになるのを堪えながら沖田さんの元へと駆け寄った。


「沖田さん、ありがとうございました! あんなにあっさり引いてくれるなんて、鬼の副長の名は伊達じゃないですね」

「鬼の副長? 春くん、面白いこと言いますね。確かに、土方さんの怒った顔なんて鬼みたいですしね。よし、今度から鬼の副長って呼んであげましょうか」

「そ、そうですねー」


 沖田さんなら、あっというまに広めてしまいそうな気がする!

 けれど、鬼の副長様だ! と自分でも言っていたくらいだし……ま、いっか。

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