033 芹沢さんの覚悟とその結末④

 外は酷い雨だった。


「酔っぱらいを運ぶのは大変でしょう?」


 突然の声に振り返れば沖田さんが立っていて、芹沢さんたちを駕籠に乗せ終えるなり、一緒に屯所へ帰ることになった。


 八木邸の母屋には、お梅さんの他に二人の綺麗な女性がいた。平山さんの馴染みの吉栄きちえいさんと、平間さんの馴染みの糸里いとさとさんというらしい。

 けれど平山さんは、今日は琴と飲むから帰っていい、と吉栄さんを追い返してしまった。

 せっかく待っていてくれたのに追い返さなくても……と思ったけれど、吉栄さんは怒るでもなく、ほな帰ります、とすぐに帰ってしまった。

 馴染みだと言っていたのにいいのだろうか。バレたら本当にヤバい気がするのだけれど……。


 結局、芹沢さん、土方さん、平山さん、平間さん、お梅さん、糸里さん、そして私の七人で飲んでいた。

 一緒に帰ったはずの沖田さんは、いつのまにかいなくなっていた。

 途中、糸里さんがお酒のおかわりを取りに台所へ向かったので、手伝おうと私もその後を追った。


「好き勝手暴れとったし、きっと今日で終いなんやろうなぁ」


 今日で、終い?

 手際よくお酒のおかわりを用意する糸里さんが、私に向かって呟くけれど、きょとんとした私の反応に少しだけ驚いた顔をした。


「あら? あんたなんも聞いてへんの?」


 逆に訊きたい。糸里さんは何を聞いているのか、と。

 何も知らないのは私だけ?


「な、何でもあらへん。うちが言うたことは忘れてや」


 ただ呆然と見つめ返すだけの私に糸里さんはそう言い残し、随分と慌てた様子で逃げるように台所を出て行った。


 気がつかないふりはもうできそうになかった。

 糸里さんは今日で終いと言い、土方さんも今日だけはと言った。芹沢さんでさえ、最後の我が儘だと言っていた。

 煩く騒ぎだす心臓を押さえつけるように、握りしめた手で胸を押さえていれば、糸里さんが出て行ったところから音もなく土方さんが入って来た。


 喋るなと言われているけれど、今は他に誰もいないから大丈夫だよね……。

 どうしても訊きたいことができたから。このまま知らないことを理由に、逃げたくはなかったから。


「土方さん、もしかして今日……芹沢さん、を?」


 自分から質問しておきながら、返事を待つほんの僅かな間でさえ、この心臓は破裂してしまうんじゃないかと思うほど痛かった。

 そして、耳につく鼓動の合間を縫うように、土方さんの低い声が容赦なく突き刺さる。


「お前には言うつもりも巻き込むつもりもなかったんだがな。バレちまったもんは仕方ねぇな。……ああ、そうだ」


 不思議と涙は出てこなかった。代わりにこぼれたのは、そうですか……のただ一言だった。

 感情なんてそっちのけで、やけに冷静な頭が事実だけを受け止めたみたいに。


「今日は随分と物わかりがいいんだな」


 反論一つしない私に、訝しむ土方さんの視線が遠慮なく向けられる。怯むことなく真っ正面から受け止めれば、お梅さんたちをどうするつもりなのかと訊いた。


 糸里さんと早々に帰った吉栄さんには、途中で帰るようにと金子を持たせてあるらしい。

 おそらく糸里さんは、この後のことにも気がついている。口止め料ってことなのだろう。

 ならばお梅さんは?

 このままでは、確実にお梅さんも芹沢さんと一緒に殺されてしまう。


「あいつは商売女じゃねぇからな……金子を持たせたところで頷くとは思えねぇ。だから、直前まで黙ってるつもりだ。先に教えて、芹沢さんに告げ口されても面倒だからな」


 淡々と答える土方さんに、動揺は一つも見られない。このままではきっと、私の知っている結末を迎えてしまうだろう。


 覚悟を決めてしまった芹沢さんを救うことは、たぶんもう難しい。

 けれど、本来ここにいるはずのない私になら、お梅さんだけは救うことが出来るかもしれない。芹沢さんを救えなかった分、せめてお梅さんだけでも助けたい。

 そう思ったら、何の迷いもなくすらりと言葉が出た。


「お梅さんの説得、私にやらせてくれませんか?」


 目を見開く土方さんと私の間に、深い深い沈黙が落ちた。

 真意を探ろうとする鋭い視線が痛いほど突き刺さるけれど、ここで引いてはきっと後悔する。他意はないのだと、必死に食い下がった。

 すると、渋る土方さんの背後から、この場には似つかわしくない緊張感のない声がした。


「良いんじゃないですか~? こんな面倒な役、折角買って出てくれてるんですから、頼んじゃえば~」

「っ!? 総司! お前いつからそこに!?」 


 慌てて振り返る土方さんの肩越しに視線を移せば、腕を組み、入り口に寄りかかるようにして立つ沖田さんがいた。


「気づかないなんて、土方さんらしくないですね~」


 笑顔を浮かべる沖田さんに向かって、うるせぇ、と土方さんが舌打ちした。


「まぁ、今回はしっかり気配を消してましたけどね」


 そう得意気に話す沖田さんは、さらに笑みを深くする。


「僕は頼んでいいと思いますよ? 僕らより、見た目だけでも女性の方が、説得に応じるかもしれませんし。ね? 春くん」

「っ!」


 どうやら沖田さんは、私の正体に気づいているらしい。


「総司、こいつは琴月じゃねぇ。琴だ」


 土方さんは慌てて否定するけれど、やっぱりその名前は失敗だったのでは……と心の中で呟いた。

 焦る土方さんとは反対に、沖田さんはどこまでも軽口を叩くような姿勢を崩そうとしない。


「嫌だなぁ、どっからどうみても春くんじゃないですか~。ここまで女装が似合うのには驚きましたけど。それに、お琴さんは口が聞けなかったはずでは?」


 もう言い訳のしようがなかった。土方さんは舌打ちを返すと私に向き直り、仕方ねぇ、と一つため息をついた。


「お梅のことはお前に頼む。ただし、余計な真似はするな。無理だと思ったらあとは俺たちに任せろ。いいな?」

「ありがとうございます。やれるだけやってみます」


 少しだけ望みが繋がったことに安堵していると、沖田さんが笑顔を浮かべたまま、けれども冷ややかな声音で嘲けるように言い放った。


「無理だったらあとは俺たちに任せろ、ですか。それは説得ですか~? それとも――」

「総司っ!」


 土方さんが制止しなくても、沖田さんが何を言おうとしたのかなんてわかっている。

 絶対にさせない。何としても、お梅さんだけは助けてみせる。


 雨が激しさを増したのか、打ちつける雨音がより一層強くなった。

 部屋から私を呼ぶ平山さんの声が聞こえて、慌ててこの場を後にしようと沖田さんの横を通り過ぎれば、呼び止められたわけでもないのに勝手に足が止まった。

 沖田さんの視線に、まとう雰囲気に、足が竦んだのだ。


 以前にも似たような感覚を味わったけれど、あの時とは明らかに違う。今回ばかりは、決して冗談ではないのだとわかる。

 天才剣士沖田総司は、冷たい瞳で私を捉えると、ためらいもせずはっきりと言い放った。


「春くん、僕らの邪魔だけはしないでくださいね。もし邪魔をするなら、たとえあなたでも容赦なく斬ります」

「わ、わかってます……」






 * * * * *






 総司が琴月の背中を見送ったまま、いつもの調子で言い放つ。


「土方さんも人が悪いですね~」


 そんな総司を睨みつければ、俺の好意的ではない視線を感じているにもかかわらず、無邪気とも呼べる笑顔を浮かべて振り向いた。


「まさか、本当に春くんに任せちゃうとは思いませんでしたよ」


 こいつ……。

 総司が何を言おうと、最終的に決断したのは俺だ。だから、何かあっても総司を責めるつもりはねぇ。

 ……が、それでも今は、その態度が癇に障る。


「あ? お前が言ったんだろうが」

「まぁ、言い出しっぺは僕ですけどね。だって、今回のことは限られた人しか知らないはずなのに、土方さんてば春くんに言っちゃったみたいですし~? 知っちゃった以上、ちゃんと働いてもらった方がいいじゃないですか~」


 はっ……何とも総司らしい。

 思わず鼻で笑えば、総司は無邪気な笑顔を僅かに冷たくして言った。


「正直、春くんが知っていようがいまいが、僕にとってはどうでもいいです。近藤さんの邪魔をするなら、彼ごと斬るだけですし。いいですよね?」

「総司……」

「土方さんもそのつもりなんでしょう? そもそもお梅さんの説得も無理だろうって、最初からするつもりもなかったじゃないですか」

「総司! 殺さずに済むなら、それにこしたことはねぇだろうが。それにあいつは、琴月は、俺達の邪魔をするつもりはねぇよ」


 あいつの目を見てわかった。今のあいつは、今さら芹沢さんをどうこうしようとは思ってねぇ。諦めとも覚悟とも言い切れねぇ不安定さを含んではいたが、純粋にお梅を助けようとしていただけだ。

 あんなにも芹沢さんを救おうとしていた奴に、何があったのかは知らねぇ。

 ただ、あいつの目は嘘をついてはいなかった。


「あ~あ、春くん相当傷つきますよ~。お梅さんを助けられなかったのは自分のせいだって、ね」

「……かもしれねぇな」

「土方さんて、時々、平気な顔して残酷なことしますよね。怖いな~」


 いくら未来を知っているからとはいえ、あいつに背負わせるべきではなかったのかもしれない。

 ヘラヘラといつまでも笑みを浮かべる総司を睨みつけながら、俺は感情を殺すこともせずすれ違い様に吐き捨てた。


「総司。その台詞、お前にだけは言われたくねぇよ」


 怖いな~、とどこまでもふざけた声音を背中で受けながら、俺は芹沢さんたちのいる部屋へ戻るのだった。

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