032 芹沢さんの覚悟とその結末③
今日は朝から雨が降っていた。
そんななか、隊士総出で角屋に来て大宴会をしている。先月政変時の、御所警備に対する褒賞金が出たらしい。
先月の政変……。確か、八月十八日。
あれはもしかして、八月十八日の政変と呼ばれるものだったのかもしれない。そのような単語を歴史の授業で聞いた気がする……という程度で、内容はよく覚えていないけれど。
隊士たちの他に綺麗な芸妓や舞妓たちもいて、みんなここぞとばかりに飲んでいるのか、まだ夕方にもなっていないのに酔っぱらいが量産されていた。
一緒になってお酒を飲めば気分も晴れるかも……と思わず手を伸ばしそうになるけれど、決まりは決まり、結局は律儀に現代の法律を守っている。
目の前に並んだ食事も屯所のものとは比べ物にならないほど豪華だけれど、なかなか箸は進まなかった。それでも無理やり口へ運んでみたものの、味なんてよくわからなかった。
持て余した時間を埋めるように、隣の沖田さんと斎藤さんにお酌をするけれど、沖田さんが飲んだのは最初の一杯だけで、二杯目は全く減りそうにない。
「沖田さん、お酒はあまり得意じゃないんですか?」
「いいえ。好きだし、普通に飲みますよ~」
「そうなんですか? じゃあ、減ったらまた注ぎますね」
「うん。ありがとう」
いつもの笑顔で返されたけれど、やっぱり全然減りそうになかった。
反対に、斎藤さんには何度も注いでいるのだけれど……。
「斎藤さん、そんなに飲んで大丈夫なんですか?」
「これくらいでは酔わんな」
「これくらい……ですか」
これくらいの範疇なのか甚だ疑問だけれど、確かに酔っているようには見えない。相当強いのだろうと思っていれば、斎藤さんが私のお膳に視線を落とした。
「お前は全く飲んでいないな」
「あー、えーっと、願掛けみたいなものです」
そう言って、二十歳になるまでは飲めないのだと伝えた。
ふと、上座の方に視線を移せば、大坂での険悪な雰囲気は解消できたのか、土方さんが芹沢さんの隣でお酌をしている。
芹沢さんの覚悟は知っている。それでも今まで通りでいたくて、部屋に入る前に一度だけ、飲み過ぎないでください、と伝えた。
相変わらずだな、と笑われたけれど、その笑顔を見たら泣いてしまいそうなほど悲しくなった。
昨日、あんなに泣いたばかりなのに……。
ぼんやりと二人を眺めていたら、土方さんが私のところへやって来た。
「お前、顔色が悪いな。店の者に別の部屋を用意させるからそこで休んでろ」
「え? ちょ、土方さん!?」
土方さんは私を無理やり立たせると、半ば引きずる勢いで部屋の外へと連れ出した。
いくら名前を呼んでも何も答えてはくれず、部屋からだいぶ離れたところでやっと立ち止まった。
「土方さん! 私、具合悪くなんかないですよ!?」
そう訴えれば、土方さんは少しだけ言いにくそうに口を開く。
「芹沢さんが、お前に酌をして欲しいそうだ。女の姿で」
「はい!?」
「悪いが頼まれてくれねぇか? 今日ばかりは、機嫌を損ねるわけにはいかねぇんだ……」
今日ばかり、は……?
嫌な予感がした。鼓動が少しずつ大きくなるにつれ、手足の先から急激に冷えていく感覚がしてピリピリと痛い。
けれど、嫌な予感の正体を突き止めることはせず、わかりました……とただ頷いた。
正体を知ったところで、今さら何が変わるわけでもない。それならば、芹沢さんの望むことをしよう。
「すまねぇな。店の者には俺から事情を話すから、支度が出来たら呼べ。部屋の外で待つ」
土方さんと入れ替わりに入って来た年配の女性が、綺麗な着物を着付けてくれて、短くなった頭には
女性が出て行くと同時に、襖の向こうで待機している土方さんに声をかけた。
「……えらい化けたな」
「化けたって……えらい言い草ですね」
「相変わらず、口の減らねぇ奴だな」
土方さんは小さく笑いながらこつんと私の頭を小突くけれど、その表情はすぐに硬くなり、声で他の隊士たちにバレるといけないから喋るなと言った。
「どうせ、京言葉も廓言葉も話せねぇだろう?」
「そ、そんなことありまへんで?」
「却下だな」
何とも間抜けな響きに、土方さんの提案を呑むことにした。
土方さんのあとに続いて部屋へ戻ると、真っ先に斎藤さんと目が合った。
手酌で飲んでいるようだけれど、やっぱり酔ってはいなそうだった。
軽く部屋を見渡せば、寝始めた人もいるくらいみんな酔っていて、私が来たことにも気がついていない人がほとんどだ。
芸妓や舞妓は他にも何人かいるし、お化粧も肌を白く塗っている。照明だって明るくはないから、たぶん、黙っていればバレない気がした。
「ほう。こりゃまた随分と……」
芹沢さんの隣に腰を下ろせば、そんな第一声が投げかけられた。
ええ、ええ、化けましたとも!
心の中でふて腐れながら、差し出された杯にゆっくりとお酒を注いでいく。
「まさか、着飾ったお前にこうして酌をしてもらえるとはな」
満足そうに微笑む芹沢さんとは反対に、私の心中は複雑だった。ついこの間までお酒を止めさせようとしていた人に、こうやってお酌をしているのだから。
「俺にもいいか?」
声のした方へ顔を向けると、近くに座る平山さんが、私に向かって杯を持ち上げる仕草をしている。断るのもおかしな気がして、一杯だけ注いですぐに戻るつもりで平山さんのところへ行った。
こぼさないようにと慎重に注いでいれば、なぜか顔を覗き込む勢いでまじまじと見つめられ、バレやしないかと手元が狂いそうになった。
「良い女だな。名前は?」
突然の誉め言葉に本当に溢しかけた。
な、名前……? ここで本名を名乗るわけにもいかないし、そもそも喋るなと言われているわけで。
平山さんの片目に射竦められたように固まっていると、土方さんが助け船を出してくれた。
「そいつは喋れねぇんだ。見目は良いがそのせいで太夫にはなれねぇらしい。名前は……あー……琴だ」
こ、琴っ!?
思わず声を出して突っ込みそうになった。いくらなんでも安易すぎじゃ!?
なんだかバレそうで怖いのだけれど!
喋るなと言われているので、冷ややかな視線だけを土方さんに送れば、頭を掻きながら逸らされた。
よし、バレたら全部土方さんのせいにしよう。そう思いつつ、平山さんから逃げるように芹沢さんのところへ戻った。
他愛もない話に頷きながら芹沢さんにお酌をしていれば、再び平山さんにも呼ばれたりと、結局二人の間を行ったり来たりしていた。
どうやら平山さんは、琴を相当気に入ってしまったらしい。もし私と……春と同一人物だとバレたりしたら、ただじゃ済まない気がする。
雨の降り続く外もだいぶ暗くなって来た頃、土方さんが屯所で飲み直そうと芹沢さんを誘った。
同じく平山さんと平間さんも誘うと、なぜか平山さんがとんでもないことを言い出した。
「琴も連れていく」
な、何だって?
土方さんが慌てて止めるけれど、琴が行かないのなら俺も行かんと駄々をこね始めた。おそらく、すでに相当酔っている。飲ませ過ぎたかもしれない。
このままここに転が……寝かせておいてもいいんじゃないかと思っていたら、珍しく、芹沢さんがため息をつきながら土方さんを見た。
「仕方ない、琴も連れて行く。良いだろう?」
「……仕方ねぇ。わかった」
えっ、ちょっと土方さん!? 私にまだこの格好を続けろと?
着物も
駕籠を呼びに行く土方さんの背中に視線で訴えるも、開いた鉄扇で口元を隠す芹沢さんが、私の耳元で囁いた。
「すまんな、春。俺の最後の我儘だと思って、もう少しだけつき合ってくれ」
「っ!」
勢いよく芹沢さんの顔を見つめれば、まるで悪戯っ子のような顔で笑っている。
すまんって何? 最後って何?
芹沢さんにそんな顔は、似合わないんだから!
反論しそうな言葉もこぼれそうな涙も、両手で着物をぎゅっと握りしめ、堪えるしかできなかった。
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