031 芹沢さんの覚悟とその結末②
お梅さんが出て行くのを確認した芹沢さんが、ゆっくりと私に視線を戻す。
「なぁ、春。新選組は、百五十年先の世にも存在するのか?」
なぜ、今そんなことを訊くのだろうか。思えば、芹沢さんが未来のことを訊いてくるのは初めてだ。
少し驚いたけれど、すぐに首を左右に振った。
「……いいえ。ありません」
明治維新の折り、戊辰戦争の終結とともに終わりを迎えたと兄が言っていた。
だから、活動期間そのものも決して長くはないとお思う。
「そうか。だが、お前は知っていたのだな」
「はい……。新選組は、私の時代でもとても有名ですから」
そう伝えると、芹沢さんは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。思わず涙のままつられて微笑み返してしまいそうなほど、穏やかな顔だった。
「なぁ、春。良く聞け。俺はな、これからの新選組を近藤や土方に託す。お前がこの時代に留まっている間だけで構わん。俺の代わりに、新選組の側にいてはくれないか?」
「代わりって……」
「女のお前にとっては、目を覆いたくなるような辛いこともあるかもしれん。酷なことを言っているとも思う。それでも俺は、お前に託したい。あいつらを側で支えてやってくれ」
さっきから、何勝手なことばかり言っているの?
そんなこと、芹沢さんが自分ですればいいだけのこと。他人に、ましてや私に頼むことなんかじゃない!
だって、そのために私は変えようとしているのだから! 芹沢さんがいなくならなくてもすむように、変えようとしているのだから!
頭に血が昇るのがわかった。人の気も知らないで好き勝手言う芹沢さんが許せなくて、思わず、感情のままに怒鳴りかけた時だった。
芹沢さんは取り出した鉄扇を私に向けて真っ直ぐに突きつけると、見たことも聞いたこともないような、真剣な表情と声音ではっきりと告げた。
「良く聞け、春! 新選組の行く末を、その目で、お前自身でしかと見届けろ!」
「なっ、何、勝手なことっ――」
「これは局長命令だ!」
そこまで言うと、芹沢さんは満足したように鉄扇を開き、扇ぎながら豪快に笑い出した。
反論の一つも許してもらえなかったうえに、勝手に局長命令で締めるとか!
「……んで、何で、いつもいつもそんなに自分勝手なんですか!!」
語尾は叫びにも近かった。もう泣いているのか怒っているのか自分でもよくわからなくて、とにかく、目の前の人に腹が立って仕方がなかった。
「何を今さら」
そう言って、芹沢さんは悪びれもせず笑っている。
本当に。何て自分勝手な人なのだろう……。
芹沢さんはいつもこうだ。自分勝手で横暴で、思えば最初に出会った時からそうだった。
芹沢さんは、いつだって芹沢さんのままだったんだ。
「――なら、……局長命令なら、仕方ない、ですね……」
怒りで止まりかけたはずの涙がまた溢れ出す。
けれど、もう拭うこともせず、無理やり作った精一杯の笑顔で芹沢さんを見つめると、一生背負っていかなければならないであろう、短くも重いただ一言を口にした。
「……わかり、ました」
今の私の顔は涙でぐちゃぐちゃで、とんでもなく酷い顔をしていると思う。それでも芹沢さんは、満足そうに微笑み返してくれた。
芹沢さんに死んで欲しくない。その思いは決して変わらないし、今でも助けたい、私の知っている結末を変えたいと思う。
手を伸ばしてくれるなら、迷わずその手を掴み全力で救い出す覚悟がある。
けれど、それは芹沢さんも同じなんだ。
芹沢さんには芹沢さんの覚悟がある。そこには、私の入り込む余地など全くないのだと、気づいてしまった。
おかしいな……。
殺されそうになっている人が目の前にいるのに放っておくなんて、普通に考えたらそんなこと、出来るはずがないのに。
何が正しくて何が間違っているのか、正解なんて全然わからなくて。
もうじきいなくなってしまう武士が、まだ当たり前に存在するこの時代。私の常識や価値観が、必ずしも正しいとは限らなくて。
ただ一つわかるのは、きっともう、何を選んでも後悔しか残らないのだということ。
ならばなおさら、この人の想いを、信念を、覚悟を……邪魔をしてはいけないのだと思った。
「すまんな」
芹沢さんの呟きを、少し強くなってきた風が拐っていった。
何て自分勝手な人なのだろう。
込み上げてくる感情が溢れないようにと見上げた空は、灰色の雲が厚く覆っていて、夕焼けどころか太陽がどこにいるのかさえ、もうわからなかった。
明日はきっと雨だ。
芹沢さんの部屋をあとにすると、お使いから戻ったお梅さんに会った。
予想はしていたけれど、その手には買ったばかりのお酒が握られていて、文句の一つでも言いたい光景なのに何も言えなかった。
よっぽど酷い顔をしているのか、お梅さんが心配そうに声をかけてくる。
「そない泣いたら、可愛い顔が台無しや」
言葉が何も出なかった。今はただ、これでいいのかと、ひたすら自問自答を繰り返しているだけだから。
何も喋らず、ただ立ち尽くす私を見かねたのか、お梅さんは片方の手で私の頬を包み込むと、親指の腹でそっと涙を拭った。
「芹沢はんの言う通りやね。真っ直ぐで、自分のことより人のことばっかり心配しはって」
「え……?」
何を言っているの?
芹沢さんの言う通りって、芹沢さんがそんなことを言っていたの?
思わず顔をしかめてしまったけれど、お梅さんは全く気にする様子もなく、優しく微笑みながら言葉を続けた。
「お酒のこともね、『俺のこと本気で心配して、顔色を伺うことなく注意して来るのは春だけだ』って、いつも嬉しそうに言うてるんよ」
「嘘……だって、いつも迷惑そうにしてるじゃないですか!」
「ほら、芹沢はん素直やないから」
そう話すお梅さんは、まるで自分のことのように嬉しそうに笑っている。
そんなの嘘だ。信じられないよ……。
芹沢さんには、自分でもしつこいと思うくらい口煩く言ってきたのだから。鬱陶しそうにされることばっかりで、嬉しそうになんて見えなかったから。
だから、そんなの嘘。嘘だよ……。
芹沢さんが覚悟を決めた以上、おそらくこのまま歴史通りに進んで行き、結末は私が知っているものになってしまうだろう。
それはつまり、今、目の前にいるお梅さんも……。
「お梅さん、あの、その……」
芹沢さんを助けられない分、せめてお梅さんだけでも……。
そう思って言葉を発したはいいけれど、何から話していいのかなんてわからなかった。はっきりと、いつどこでどうやって死ぬとも告げられず、ひたすら言葉を探していれば、お梅さんが微笑んだ。
「芹沢はんは覚悟を決めたんや。せやからうちも同じ。芹沢はんの死ぬ時が、うちの死ぬ時なんよ」
何それ。お梅さんも、全部知ったそのうえで、覚悟を決めたとでも言うの?
どうして自分の命なのに、二人とも誰かのために使おうとするの?
わからないよ……。
お梅さんを真っ直ぐに見ていることができなくなって、気がついたら俯いていた。
そんな私の頭をそっと撫でながら、なおも思いをぶつけてくる。
「うちはどこへも行かへん。帰るとこなんてあらへんしな。せやから最後の最後まであの人の側におる。あの人の行くところがどこであっても、うちはついて行く。あの人のおらん世なんて、考えられへんのや」
そう言い切るお梅さんの声は、清々しいほど凛としていた。迷いなんて少しもないほどに。
まだ、雨は降っていないのに、私の足元の乾いた土には、ぽつりぽつりと小さな黒い染みができた。
「ああ、うちまで泣かせてしもた。でも、悲しい時はいっぱい泣いたらええ。気が済むまで泣いて、泣いて、そしたらまた笑って歩けばええ」
お梅さんはそう言うと、俯いたままの私の頭を自分の肩へそっと引き寄せた。
そして、暗闇を恐れる幼子を宥めるように、私の背中を優しくトントンと叩いた。
芹沢さんの前でもあれだけ泣いたのに、止めどなく溢れる涙は枯れることを知らないみたいに、止まりそうになかった。
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