030 芹沢さんの覚悟とその結末①

 山南さんと別れたあと、その足で芹沢さんのもとへ向かった。

 ひんやりとした湿っぽい風が、稽古上がりの火照った頬を撫でていく。思わず立ち止まり空を見上げれば、灰色の薄い雲が、傾いた太陽を覆い始めていた。

 もしかしたら、天気が崩れるのかもしれない。


 いつものように庭から部屋を覗けば、縁側で胡座をかいた芹沢さんがお酒を飲んでいた。その隣には、寄り添うようにお梅さんもいる。


「芹沢さん……。また飲んでるんですか」


 開口一番お決まりの台詞が口を衝けば、芹沢さんはいつものように軽くあしらおうとする。


「お前も飽きないな。俺は聞き飽きたぞ」

「じゃあ、お酒やめて下さい」


 挨拶を交わしただけのような、何度目かもわからない会話。

 そんな私たちを、お梅さんは微笑ましいものでも見るように、優しい笑顔を浮かべて見守っている。


 土方さんから新見さんの切腹を聞かされた夜、芹沢さん暗殺の命令が下ったことも聞かされた。それがいつなのかは知らないけれど、諦めたくはない。

 死ぬとわかっているのに、放っておくなんてやっぱりできない。


 いつもなら迷惑そうに追い払おうとするはずなのに、なぜか今日は違っていた。

 私たちの間に降りた沈黙に妙な胸騒ぎを覚えながらも、どうにか説得を試みようと口を開こうとした時だった。


「なぁ、春。新見も死んだ。そろそろ俺か?」


 不意に投げかけられた予想もしない質問に、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。


「な、何のことですか?」


 動揺を悟られないよう咄嗟にとぼけるも、短いその言葉はうわずり、震えそうになるのを押さえつけるのがやっとだった。


「誰が殺りに来る? やはり土方か?」


 そう言って、私を見つめる芹沢さんの表情は酷く穏やかで、なおさら私を追い詰める。開いた口から吐き出されるのは掠れた息だけで、言葉が出てこなかった。何も……。

 こんなの、肯定したも同じだ。


「お、お酒やめましょう!」


 慌てて取り繕うも、芹沢さんは呆れたように鼻を鳴らした。


「相変わらず、嘘のつけない奴だな」


 思わず視線を外して両手をぎゅっと握りしめれば、まるで幼子を諭すような、ゆったりとした声音が響く。


「春。俺はな、今さら酒をやめたところでそう永くは生きられん。自分の身体だ、自分が一番良くわかっている」

「……え。それって、どういう……」


 まさか、病気か何かなの?

 答えを訊こうとしたけれど、私の疑問は芹沢さんの言葉によって遮られた。


「なぁ、春。お前がどう思っていようが俺は武士だ。だから死ぬのが怖いとは思わん。ただ、その死は意味のあるものでありたいと思う」


 芹沢さんは何を言っているの?

 死ぬのは怖くないとか、意味のあるものでありたいとか。まるで、自分の死を受け入れたような言い方だ。


 今はそんな話なんかして欲しくない。そんなことを聞くために、ここへ来たわけじゃないのだから!

 けれど、私の気持ちなんて無視するかのように、芹沢さんはなおも喋り続ける。


「新選組は今後、少しずつ隊士も増えて行くだろう。だが、皆が皆、尽忠報国の志ある者ばかりとは限らん。金が欲しい者、力を振るいたい者、名をあげたい者。腹の底までは見えんからな、隊規こそあれど、厳格に行使しているわけでもない。それで烏合の衆がまとまると思うか?」

「……いえ」

「だからな、これからの新選組には奴らをまとめ上げる“鬼”が必要になる。だからといって、局長の近藤が鬼になればいいというわけではない。その辺はあの男、土方ならよくわかっているだろう。あとは、奴が鬼になりきれるか否か」


 鬼……。

 芹沢さんは、土方さんを鬼にしようとしているの? 新選組のために? 


 確かに、新選組の土方歳三は、現代でも“鬼の副長”と語り継がれてはいるけれど。だからって、芹沢さんには関係のないことだ。


「どうせ永くはない命だ。酒に狂いただ死を待つのもいいが、最後くらい新選組のために使ってやるのも悪くなかろう?」


 そう言って、芹沢さんは似合いもしない、無邪気な笑顔を浮かべてから杯をあおった。


「芹沢さん……もう、やめてください……」


 私は今、何をやめて欲しいと願ったのだろうか。

 今日もずっと飲み続けるお酒? それとも、淡々と語られる胸の内?

 ……わからない。ただ、嫌な予感だけがじわじわと私の心を埋め尽くしていく。


「まぁ、土壇場でためらうような甘っちょろい覚悟で来ようものなら、容赦なく返り討ちにしてくれるがな」


 今度はさっきと違って、まるで悪戯っ子のような笑顔だった。

 そんな、芹沢さんには似合いもしないその笑顔を見て、気づいてしまった。

 芹沢さんは、わかっているのだと。新選組が……土方さんが……、自分を消しに来ることを。


 それなのに、どうして笑っていられるの?

 たとえ残り少ない命だとしても、少しでも永く生きたいとは思わないの?

 どうして抗うどころか、自分以外の何かのために、自ら差し出そうとさえするの?

 わからない。わからないよ……。理解できないし、したくない。


「その涙は俺のためか?」

「……え?」

「お前の長い髪を切らせた張本人だというのに、相変わらずどこまでもお人好しだな、お前は」

「あ、あれ。涙が、勝手に……」


 芹沢さんの呆れ声に、泣いていたのだと気づかされた。

 一度決壊した涙はとどまることを知らず、拭っても拭っても溢れてくる。泣きたくなんかないのに、声を上げないようにするので精一杯だった。


 そんな私を見かねたように、お梅さんがすっと立ち上がり私の側へ来ようとした。

 けれど、芹沢さんがそれを制するようにお使いを頼めば、お梅さんは優しい笑顔で頷き返し、そのまま静かに部屋を出て行った。

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