034 芹沢さんの覚悟とその結末⑤

 まだ宴会は続いている。平然とした顔で戻って来た土方さんは、芹沢さんを中心に、ご機嫌を取るようにお酌をして回っていた。


 芹沢さんとお梅さんはとても穏やかな顔で飲んでいて、普段からそうやって静かに飲んでいれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに……と今さら言ってもどうしようもないことばかりが、頭の中をグルグル回っている。

 目が合うたびに二人とも優しげな微笑みを返してくれて、まるで、何も心配はいらないとでも言われているようで胸が苦しくなる。


 平間さんは糸里さんと楽しげに会話をしているけれど、あまりたくさんは飲んでいないみたいだった。

 平山さんのお酌は主に私がしているけれど、喋れない分どんどん注いでいたせいか、完全に潰れてしまい、いくら揺すっても起きなくなっていた。


「そろそろ、お開きにしますか」


 土方さんはそう言うと、衝立や布団を三組用意し始めた。

 芹沢さんはお梅さんと、平間さんは糸里さんと、そして私は……土方さんに引きずられて先に布団に入った、平山さんの隣に横になることになった。

 こういう展開は予想していなくて焦ったけれど、心配する必要もないくらい、平山さんは大きなイビキをかいて眠っていた。


 土方さんが帰って行けば、各々が布団へと入っていくなかで、芹沢さんが私の頭をポンと叩いた。


「頼んだぞ」


 ただ一言それだけを言い残すと、芹沢さんは返事も待たずに自分の布団へと入っていく。

 まるで、おやすみとでも言うかのような一瞬の出来事に、すでに横になったその背中に、小さく頷き返すのが精一杯だった。

 本当に、最後の最後まで自分勝手な人……。




 どれくらいの時間が過ぎたのかもわからなかった。これから起こることに頭がいっぱいで、時間の感覚すらもよくわからない。

 人の動く気配がしてそっと確認をすれば、どうやら糸里さんが部屋を出て行くところだった。慌てて私もあとを追い、玄関についたところで肩を叩く。


「ひっ!? あ、あんたか、脅かさんといて。うちはこのまま出て行く。あんたも早う逃げた方がええよ」


 そう言い置いて、静かに玄関の扉を開けて出て行った。

 糸里さんはこれできっと大丈夫。閉じた扉を見つめながら小さく頷けば、安堵と同時に一つの疑問が浮かび上がる。

 平山さんと平間さんはどうするのだろうか……と。同じように、逃げるように伝えてあるのだろうか。


 いや、腰巾着の二人に伝えてあるとは思えない。金子を握らせたのか、二人には手を出さずに芹沢さんだけを狙うのか、色々な可能性を考えるけれど……。

 同時に嫌な予感もしていた。新見さんの時のように、私が知らないだけで、と。

 けれど、今はあまり考えている時間はない。まずは、お梅さんの説得が先だ。


 気持ちを切り替えて、踵を返そうとした時だった。

 突然、背後から伸びてきた手が私の口元を押さえた。


「しーっ。大きな声出したら、みんな起きてまうよ?」


 ひんやりとした手と、鈴を転がしたような声は……間違いなくお梅さんだ。

 私の緊張が解けたことに気づいたお梅さんは、押さえていた手を離して静かに言った。


「あんたも早う行き」


 無言で首を左右に振りながら、お梅さんの両腕を軽く掴むと、外へ連れ出すべく玄関の方へと引っ張った。

 勢いで一歩は踏み出したものの、すぐに動きを止めてしまい、もう歩いてはくれなかった。


「言うたやろ? うちは行かへんて。行くとこなんて、芹沢はんの側以外にあらへんのや。せやさかい、うちのことは気にせんでええ。お春ちゃん一人で行き」


 思わずお梅さんの顔をじっと見た。だいぶ目が慣れてきたのか、かろうじて表情が読み取れる暗さの中で、お梅さんは微笑んでいた。


「最初から気づいとったよ? それにな、女の子やいうことも、ほんまは随分前から知っとったんよ」


 突然すぎる告白に、返す言葉が見つからない。驚きでただじっと見つめていたら、私が不安になったと勘違いさせてしまったのか、お梅さんは慌てたように言葉を続けた。


「安心してや? 誰にも言うてへん。せやけどこないに可愛いんや、男の格好しとくなんて勿体ないよ?」


 女であることを隠しているとか、今はそんなことどうだっていい。私の正体がバレてしまっている以上、そんなことを押し問答する時間は無意味だ。


「私と一緒に来てください」


 ただ一言、簡潔に伝えた。

 けれど、お梅さんは動くこともなければ、首を縦に振ることもない。


「うちは行かへんよ。芹沢はんを一人でなんて逝かせられへん」

「そんな……」


 こんなにも救いたいと思うのに。生きて欲しいと願うのに。

 芹沢さんもお梅さんも、まるで掬い上げた砂が指の間をすり抜けていくように、さらさらとこぼれ落ちてしまう。


 悔しくて……とうとう我慢していた涙が頬を伝った。

 同時にぎゅっと力強く抱き締められて、お梅さんの鈴を転がしたような声が、少しだけ申し訳なさそうな色を帯びながら耳の近くで響く。


「お春ちゃんが気に病むことやあらへん。なんも気にせんでええ、うちのためになんか泣かんでええ。そない泣いたら、可愛い顔が台無しや」


 ああ……。芹沢さんと同じ。

 この人の覚悟も、本物なんだ。

 私の背中を撫でる掌は酷く優しいのに、決して揺るぎはしないのだと、痛いほどに伝わってくる。


「ごめん、なさい……」


 やっとの思いで吐き出した言葉は、雨音と自らの嗚咽に掻き消されてしまいそうなほど小さかった。

 こんな言葉を望んでいないことはわかっている。それでも、消え行く命とわかっていながら救えなかったことに、ただただ謝ることしかできなかった。


 しばらくそうしてから、涙を止めることも、一人立ち去ることも出来ずにいる私に、お梅さんはどこか困ったように呟いた。


「仕方あらへんなぁ」


 私を抱きしめていた腕をほどくと、ほんの少し身体を離して懐から何かを取り出した。


「どないな形であろうと、芹沢はんが逝ったらこうやって、うちもすぐにあとを追うつもりやったんよ。それが、うちの願いでもあるんや。ずっと側におるってな」


 そう言うと、今の今まで優しく抱きしめてくれていたその手で、私を勢いよく突き飛ばした。

 何が起きたのかもよくわからず、尻餅をついた体制のままお梅さんを見上げれば、手にしていたものを開けるような仕種と同時にカサカサと折り畳まれた紙を開くような音が響く。

 そしてそれは、口元へと運ばれていく――


 そこでようやく気がついた。それは毒なのだと。

 服毒しようとしているのだと!


「ダ、ダメッ!!」


 慌てて立ち上がり止めようとしたけれど、もう何もかもが遅かった……。

 伸ばした手はお梅さんに届くことはなく、目の前の絶望的な光景に、その場に崩れ落ちるように膝をついた。


「ほら、早う、行って……。うちの願いを、叶え、て……」


 壁に寄りかかるようにして、お梅さんは息も絶え絶えそう言った。


 私のせいだ。

 芹沢さんを救えなかった贖罪のごとく、せめてお梅さんだけはと、お梅さんを生かせれば、芹沢さんの死を受け入れた自分が赦されるのではないかと、勝手に思い込んでいた。

 そんな私の身勝手さが、お梅さんにここまでさせてしまったんだ。


「かんにんな……」


 お梅さんは掠れた声を絞り出すと、背を向けフラフラと芹沢さんのもとへと戻って行く。

 それ以上何も言えず、何も言う資格もなくて、逃げるようにして玄関を飛び出した。


 傘もささずに門のところまで走ると、二人の人影があった。暗くて誰なのか、すぐにはわからなかった。


「糸里が出て行くのは見た。お梅はどうなった?」


 土方さんの声だった。


「お前、泣いてるのか?」

「泣いてなんかいません……。雨ですよ」


 今の私に泣く資格なんてない。


「そんなことより、早く行ってあげてください。お梅さんは、おそらく毒を飲みました……だから、早く……」

「わかった。急いで総司たちを呼びに行ってから行く! 源さん、こいつを頼む」


 そう言うと、土方さんは持っていた傘を私に押しつけ走り出した。

 私は井上さんに連れられて、雨の中を角屋へと戻るのだった。




 土砂降りだった。

 傘に打ちつける雨音がうるさくて、うるさくて、うるさくて……。気がつけば、手からするりと落ちていた。

 うるさい雨音から解放されれば、今度は地面を叩きつける音が、ぬかるみに沈む足音さえうるさくて、歩くことをやめた。


 落ちた視線の先では、頬を打ちつける冷たい雨と、頬を伝い落ちる温かな雫が、足下の水溜まりで跳ねている。

 視界の端に井上さんの下駄が入り込めば、私の頭上には、再び傘を打ちつけるうるさい雨音が鳴り響いた。

 放っておいてくれたらよかったのに、井上さんが自分の傘を傾けていた。


 そのあとのことはよく覚えていない。

 もう何もかもが、うるさいとしか思えなかった。

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