020 新見さんに連れられて①

 巡察へ行く土方さんを見送ると、この日の午前中は沖田さんに稽古をつけてもらっていた。

 当然の如く一方的にやられっぱなしで、反撃など一つも叶わなかったけれど。


 悔しいので、昼餉のあとも一番乗りで稽古場へ行き、隅で素振りを開始する。

 余計なことは考えず、丁寧に同じ動作を繰り返せば、額にうっすらと汗が浮かび始める頃、そこはもう自分一人の世界になる――


「おいっ!」

「え? ……って、うわぁ!」


 人の声がして後ろを振り返れば、そこにいたのは新見さんで、まさしく飛び上がるほどに驚いた。


「貴様、その大げさな驚き方はわざとか?」

「い、いえ! 突然、声をかけられたので驚いてしまって。すみません……」


 この人は、何度も私に真剣を振り下ろしてきた人だ。

 自分を殺そうとした人に背後から声をかけられたら、驚くに決まっている!

 ……なんて、口にはしないけれど。ついうっかりで、その腰にささる刀を抜かれては嫌だもの!


「私に何かご用ですか?」


 気を失って以来、新見さんとはまともに会話をしていない。いや、元々まともな会話すら交わした記憶がないけれど。

 まさか、また私を斬りに来た!?

 思わず身構えるも、新見さんはふんと鼻で笑った。


「ついて来い」

「へ? どこ行くんですか?」


 慌てて訊ねるも、反転した背中は返事をするどころか一切振り返りもせず、稽古場を出て行った。


 いったい何なの?

 逆上されては面倒なので、急いで木刀を片づけあとを追うけれど。屯所の入り口に立っていた新見さんは、駆け寄る私を無視して再び歩きだす。

 けれど、これ以上黙ってついていくわけには行かない。だって、新見さんが行こうとしているのは明らかに屯所の外だ。


「新見さん! ちょっと待って下さい! どこに行くんですか? 勝手に外へ出たら、私、たぶん怒られます!」 


 その瞬間、新見さんは足を止め振り返ったけれど、その表情も動作も凄く苛立っていた。


「土方にか? あいつの言うことは聞くのに、俺の言うことは聞けないというのか?」

「それは……」


 土方さんにはかなりお世話になっているのだから、理不尽な言いつけでもない限り守るのは当然だ。

 けれど、新見さんは違う。この人は私の事情を知ってもなお、手を貸すどころか隙あらば斬ろうとしたくらいだ。

 そんな人の言うことなんて、簡単に聞けるはずがない。


 私を外へつれ出す理由は全く見当もつかないけれど、手に負える状況でないことだけはわかる。

 まだ、巡察から戻っているかわからないけれど、土方さんに指示を仰ぐべきだろう。


「と、とにかく、外に行くのなら確認してきます!」


 そう言って、逃げるように踵を返した時だった。

 背後から舌打ちが聞こると同時に、突然、手首を強く掴まれ引っ張られた。


「いいから、黙ってついて来い!」


 今にも抜刀しそうな鋭い視線に怯んでしまい、結局、半ば引きずられる形で強引に外へとつれ出されるのだった。




「離してください!」

「煩い。黙ってついて来い」


 何度そんな会話を繰り返したかわからない。離してと言ってもどこへ行くのかと訊いても、全て煩いと一蹴されてしまう。

 気がつけば、賑わう町中にまでつれて来られていて、すでに一人で帰れる自信もなければ掴まれた手の痛みも限界だった。


「新見さん。手、痛いです。ちゃんとついて行くので離してもらえませんか?」


 掴んだ手はすでに抵抗する力も入っていないことに気づいたのか、ようやく解放してくれた。白んで痺れていた手は一瞬にして血液が指先まで行き渡り、じわじわと変な感覚がする。

 まだ痛む手首を摩りながら、黙って新見さんの背中について行った。


 とある旅籠の前で足を止めた新見さんは、辺りを見渡すようにしてから中へと入り、階段を上がって最奥の座敷の前で襖の向こうに声をかける。

 そして、ためらう私を強引に部屋へと押し込めた。


 部屋の中には総髪で髷を結い、キリッとした顔つきの男性が一人。閉めきった障子を背に座り、私を見るなり手にした杯を軽く持ち上げ微笑んだ。


「やぁ。また会えたね」


 ……誰?

 急いで記憶をたどる私とは反対に、男性の顔には悪戯っ子のような笑みが広がる。


「君が僕のところに来てくれるなら、教えてあげる」

「あっ! え!? あ、あの時の!?」

「覚えててくれたんだ? 嬉しいよ」


 井上さんと買い出しに行った日、甘味屋で男装をした私をナンパして来た人だ!

 何であの人がここに?


「えっと、状況がよく呑み込めないのですが……この方は、新見さんのお知り合いなんですか?」


 新見さんの方を向き直り訊いてみるけれど、こちらを見ることもなく冷たく吐き捨てる。


「貴様と話がしたいそうだ」

「はい? 意味がわかりま――」

「表で待つ。終わったら出て来い」


 面倒くさそうに言い捨てると、そのまま本当に出て行ってしまった。

 人の話を最後まで聞かないうえに質問にも答えず、さらには放置するとか何なの!

 呆然と閉じた襖を見つめれば、背後から宥めるような声がした。


「呼びつけてごめんね。とりあえず、ここ座って」


 振り向くと、対面に座布団を一つ置き、そこをポンポンと叩いている。

 そして、動かない私の警戒心を見透かすように、笑顔を崩そうとはしない。


「そんなに警戒しないで。本当に話がしたいだけなんだ」


 このまま部屋を出たところで、怒った新見さんにつれ戻されるのがオチだろう。いや、下手したら斬られかねない。

 だったら、さっさと話を終わらせて出よう。相手は一人、少しでも怪しい動きをしたら、すぐに逃げればいい。

 わかりました、と座布団を無視して襖の近くに腰をおろした。


「警戒されちゃったかな」


 そう言って男性は苦笑するけれど、名前も教えてくれないのだから文句を言われる筋合いはない。


 まだ外は明るいのに、障子を閉めきっているせいで部屋の中は薄暗い。ましてや今日の空模様では、障子越しに届く光も僅かしかない。

 何も言わずに屯所を出たきたことが気がかりだった。同時に、土方さんの怒った顔まで頭に浮かぶから、早くここを去りたい一心で話を促した。


「お話って何ですか?」

「君と話したいことはたくさんあるんだけどね。訊きたいこともたくさんあるんだけど……まずは君のことを知りたい。だから、君の意見を訊かせて欲しいかな」


 勿体ぶるような口調で、さらに一呼吸おいた。


「今の日本をどう思う?」

「……は?」


 何を訊かれるかと思えば、今の日本のこと?

 そんなこと私に訊いて何の意味があるのか。そもそも私はこの時代の人間じゃないので、答えようがない。


「難しく考えなくていいよ。どんな答えだろうと、君の考えを咎めたりしない。だから、思ったままを話して欲しいかな」


 その表情と柔らかな物言いは優しさを感じさせるのに、私を映すその瞳だけは、不釣り合いなほど鋭く光っている。

 不思議と、従わざるを得ない気にさせられる。


 沈黙が支配するなか慎重に言葉を探すも、目の前の人は一向に笑顔を崩すことなく、私を見つめたままだった。

 とりあえず、何か喋った方がよさそう……。


「ええっと、みんな仲良くやればいいのにって思います。長州だ会津だと言ったって、みんな同じ日本人なんですから。それと、攘夷でしたっけ。黒船に怯えてるのかもしれませんが、だったらなおのこと、国内で争ってないで手を取り合えばいいのにって思います。でも……」


 つい喋りすぎたと焦るも、私を見つめる表情は変わらず笑顔のままだった。

 続きを促すように一つ小さく頷かれ、再び口を開く。


「怖いと思うのは、相手をよく知らないからですよね? 知ろうともせず、ただ怯えて追い払うなんて勿体ないです。日本に素晴らしい物や文化がたくさんあるように、同じように異国にだってあります。だから、何でもかんでも追い払うんじゃなくて、良いと思うところは取り入れながら、みんなで仲良くすればもっと良くなるのにって思います」


 だって、私が住んでいた日本はそうだったから。

 日本の物や文化は大事にしながら、海外のそれもたくさん取り入れている。ただ取り入れるだけでなく、さらに良くする努力だってする。

 そのおかげで、便利な生活を送ることが出来ていたんだもの。

 それは、ここへ来てしみじみ感じたことだった。


 気づくと、目の前の人から笑みが消えていた。

 そして、初めて聞くような真剣な声音が部屋に響く。


「まるで、そんな日本を知っているみたいに言うんだね」

「え、あっ、あの――」

「君さ、やっぱり僕のところへおいでよ。君みたいな子が新選組にいるなんて間違ってる」

「えっと……な、名前も教えてくれない怪しい人については行けません!」


 喋りすぎたかな!?

 こんな得体の知れない人に、未来から来たなんてバレるのはマズイ気がする。

 バクバクと嫌な音を立てる心臓を押さえるように、強く握りしめた片手で胸を押さえた。

 そんな私の焦りを知ってか知らずか、男性は深い笑みを浮かべると、まるで拗ねた子供のような口調で言う。


「つれないね。来てくれたら教えてあげるって言ってるのに」

「行きません!」


 この人はいったい何者なの!?

 ただのナンパかと思えば今の日本について意見を求めたり、頑なに名乗るのを拒んだり。

 とにかく、ちゃんと答えたのだからもういいはず……と部屋を出ようと立ち上がった時だった。


「君の思想も、その物怖じしない態度も気に入ったよ。絶対に君を手に入れてみせる」

「て、手に入れるって……わけわかんないこと言うのやめて下さい! もういいですよね? 帰りますっ!」


 そう言い置いて、飛び出すように部屋を出た。


「残念。またね、


 閉めた襖の向こうから、そんな声が聞こえたけれど……。

 何で? 私のこと、男だと思ってるんじゃなかったの!?

 とにかく、早くここを出よう!


 妙な不安から逃れるように、足早に階段をおりて行くのだった。

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