021 新見さんに連れられて②

 慌てて旅籠を出れば、新見さんは入り口横の壁に背を預けるようにして立っていた。


「新見さん、あの人誰なんですか!?」


 余裕なく訊ねるも、新見さんは私を視界に捉えることも質問に答えることもなく、またしても無言で歩きだす。

 無視されたことにも腹が立つけれど、ここで置き去りにされるのは困るから、情けないけれど再びそのあとを追う。

 案の定、完全無視を決め込まれるも、突然、前を向いたまま声をかけてきた。


「今日のことは忘れろ」

「え?」

「誰にも言うな。いいな?」

「何でですか? 隠さなきゃいけないようなことなんですか? あの人、いったい誰なんです? 新見さんの知り合いなんですよね?」


 一度にたくさんの質問を投げかけるも、新見さんは一つも答える気はないとでも言うように鼻で笑った。


「バレたら、俺もお前も消されるかもしれんぞ? 命が惜しければ黙ってろ。俺たちはもう同罪だ」


 ……同罪?

 消されるって、殺されるってこと?


 何で。私、何か悪いことをしたの?

 こんなの……。


「納得できません! ちゃんと説明してください! じゃなきゃ……全て土方さんに報告します!」


 その瞬間、新見さんの機嫌が明らかに悪くなるのがわかった。

 舌打ちまで聞こえると、抜刀こそしなかったものの、まるで刀のような鋭い視線に無意識に身体も強ばる。


「どいつもこいつも……。ああ、くそっ! 勝手にしろっ!」


 そう吐き捨てると、新見さんは近くのお店の暖簾を荒々しく上げて入って行く。

 直後、中から新見さんの怒鳴り声が響いた。


「ああ!? この京を守ってる新選組だぞ? 守るにも何かと金がいるんだよ。いいからさっさと出せ!」


 これって……。

 恐喝? 強盗?


 立ち竦む心と身体を無理やり奮い立たせ、急いで新見さんのいるお店の中へ入った。

 そこにいたのは、店主を脅しつけるような新見さんと、怯えながらも毅然とした態度で臨む店主だった。


「新見さん、何してるんですか!? やめて下さい!」

「煩い。金を借りてるだけだ」

「借りてるようには見えません!」


 これのどこが借りているのか!

 なおも説得を試みれば、店主が拒否する姿勢を強めた。さらに苛立った新見さんが、自らの刀に手をかけ声を荒らげる。


「武士に対するその非礼な態度、斬り捨ててくれる!」

「ダメッ!」


 考えるより先に、身体が勝手に動いていた。

 新見さんの腰元に飛びつき、叫ぶ。


「武士なら何をしても許されるんですか!? こんなの間違ってます! 新選組は京の治安を守るんですよね? 新見さんが今しようとしていることは、その真逆です!」


 しがみつく腕をほんの少し緩めて見上げれば、私を見下ろす氷のように冷たいその視線に思わず息を呑む。


「邪魔だ」


 低く冷淡な声が聞こえた直後、腕と足で思いきり蹴飛ばされた。

 勢いよく倒れ込んだ先で、置いてあった家具の端に額の横をぶつけたけれど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。急いで振り返れば、まだ抜刀していない新見さんと視線がぶつかった。

 直後、新見さんの目が僅かに見開かれた。


「くそっ!」


 そう吐き捨てるなり、荒々しく店を出て行く新見さんを追いかけた。

 けれど、丁度、店に入って来た人とぶつかってしまい、腕を掴まれたあげく頭上からは聞き覚えのある声まで降ってきた。


「大丈夫か?」

「え? 斎藤さん!? わ、私は大丈夫です。それより新見さん――」

「今は人のことより自分の心配をしろ!」


 斎藤さんは強い口調で言いながら、懐から取り出した手拭いを私の額に押し当てた。そのまま受け取り手拭いを見てみれば、鮮やかな赤に染まっている。

 どうりで痛いわけだ……。




 そこからは、斎藤さんにつれられて屯所へと帰った。

 無茶をするなとか顔に傷なんか作るなとか、もの凄く怒られながら屯所につくと、斎藤さんはすぐに土方さんの部屋へ向かった。


 この部屋に居候させてもらっているのだから、遅かれ早かれここに戻ることにかわりはないけれど、自分の意思でないとはいえ、無断で外に出たことがやっぱり後ろめたい。

 新見さんの言っていたことも気がかりだった。


 まだ巡察から戻って来ていませんように……という淡い期待も、斎藤さんに容赦なく部屋へ引き入れられたことであっけなく消えた。

 斎藤さんだけではなく、私も一緒にいることに気づいた土方さんが、表情を瞬時に一変させる。


「お前、稽古場にいなかったな。今までどこに行ってた?」

「え、えーっと、その……」


 手拭いを持っていた手に力がこもれば、血がついていることに気づいた土方さんの目が大きく見開かれた。


「おい、何があった!?」


 勢いよくやって来るその様に思わず半歩後ろへ下がるも、すぐ後ろにある襖がそれ以上の退路を断つ。

 何から話せばいいかわからず言葉に詰まり視線を逸らすと、今度は手拭いを押さえていた腕を掴まれた。


「この手首の痣もどうした!?」

「え? うわっ……」


 土方さんに掴まれた方の手首を見て驚いた。そこには赤くくっきりと、強く握られてできたであろう指の後がついていた。


 その瞬間、張り詰めていた気持ちが切れたように、何だか全てがどうでもいいような気になった。

 新見さんにつけられたこの痣も、額の傷も。今日のことがバレたら殺されるかもしれないと言われたことさえ、もうどうでもよくなった。


 突然、放り出された知らない時代、知らない土地。帰る方法もわからなければ、私がここに存在する理由すらわからない。

 何も知らないまま、何もわからないまま、ただ理不尽に死んでいくかもしれないことさえ、もうどうでもいいと思った。


 どうでもいいはずなのに、少しずつ滲んでいく視界が悔しくて、強く唇を噛んで堪えていれば、隣に立つ斎藤さんが一部始終を詳細に語り始めた。

 新見さんが同罪だと言ったことまで知っていて、驚いて斎藤さんを見つめるけれど、一度だけこちらを見て頷かれただけだった。


 どうして斎藤さんが知っているの?

 もしかして、斎藤さんはずっと私のあとをつけていた? 見張られていたってこと?


 驚いたせいで涙もどこかへ引っ込んだ。

 斎藤さんの話が終わった途端、土方さんが険しい顔で私に訊いてくる。


「その旅籠で、誰かに会ったのか?」

「……はい。でも、名前はわからないです。何度訊いても教えてはもらえなくて」

「何を話した?」

「えっと……今の日本をどう思うかって訊かれました」


 いったい何者だったのか。

 土方さんは、眉間に深い皺を刻みながら斎藤さんを見た。


「引き続き、監察方の奴らと監視を続けてくれ」


 監視って……。


「もしかして、私って見張られてるんですか?」


 実は、本気で間者だと思っているとか……。


「馬鹿か。お前じゃねぇよ」

「それじゃあ、まさか……」

「今回はもう仕方ねぇが、外へ出る時は試衛館出身の奴を連れて出ろ。絶対に一人で出るな。それから……金輪際、新見には近づくんじゃねぇ。わかったか?」

「はい……」


 言われなくても自分から新見さんに近づくことはないと思う。これ以上新見さんに振り回されるのはごめんだ。

 あの人にかかわっていたら、本当に命がいくつあっても足りない。


 今頃になって、抜刀しようとしている人間に飛び込んだのだと思い知る。

 迫り上がる恐怖を誤魔化すように、赤く染まった手拭いを両手でぎゅっと握りしめるのだった。

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