018 井上さんと外出

 朝餉を食べ終わると、部屋で溜まった文や書状の整理に追われている土方さんにお茶を用意した。

 井上さんに火の起こし方を教わって以来、こうしてお茶を頼まれることも増えたのだ。


「土方さん、お茶淹れましたよ」

「ああ、ありがとな」


 お盆に乗せた土方さんの分の熱いお茶を文机の端に置いてから、自分の分を持って日当たりの良い障子の側に移動する。


「今日も天気がいいですね」


 眩しい空を見上げながら湯飲みに口をつければ、突然、土方さんが思い出したように口を開いた。


「そういや、今日は源さんが当番の日だった。お前、行って手伝って来い。というか、今すぐ行け」

「それは構わないのですが、何でそんなに急かすんです? 今、お茶を飲んでるんですが……」

「元々今日はお前を手伝いに回すつもりだったから、その分の人数減らしてあるんだよ。だから今頃、源さん一人で洗濯――」

「行ってきますっ! あっ、私の湯飲みも片付けておいて下さいね!」


 そう言い残し、急いで部屋を出た。

 井戸へ行くと、大量の洗濯物を洗う井上さんがいた。


「井上さん、すみません!」

「お、来たか。そんなに急がなくても大丈夫だぞ」


 そう言って微笑む井上さんは、遅れた理由を問うこともなく、いつもの優しい井上さんだった。

 こうして井上さんが洗濯や料理当番の日は、今後は私も一緒に入ることになったらしい。

 確かに、事情を知っている井上さんとなら安心。……って、そういうことは前もって言っておいてくださいよ、土方さん!


「ここのところ忙しかったから、歳も忘れてたんだろう。責めないでやってくれ。な?」


 土方さんのせいで、危うくこの大量の洗濯物を一人で洗うところだったというのに、本当に優しすぎる。


 ところで、料理に関しては、火の起こし方も教わったのでおそらく大丈夫。

 こう見えても、料理は一通りできる。共働きで忙しい時間の合間を縫っては、出汁のとり方まで教えてくれた母に感謝!


 だがしかし! 洗濯板を使った洗濯までは、さすがに教わったことがない。

 しゃがんだままの作業は意外と重労働で、額に浮かぶ汗を腕で拭いながらひたすらゴシゴシと洗っていく。

 洗いから干す作業までようやく終わると、空に向かって思いきり伸びをした。風になびく大量の洗濯物を見ていると、何だかもの凄い達成感に満ち溢れる。

 うん、頑張ったよ私。ボタン一つで乾燥までしてくれる洗濯機が恋しいよ……。




 昼餉の片づけが終わると、井上さんと夕餉の食材を買いに行くことになった。


「あっ。私、まだ外に出たことないんですけど、いいんでしょうか?」

「そうなのか!? もしかして、歳に出るなと言われてるのか?」


 凄く驚いた様子の井上さんに、以前、危険だから、と土方さんに言われたことを説明した。

 そういうことか、と納得したように見えたけれど、土方さんのところへ行くというのでついていった。

 すると、部屋へつく少し前から大声で土方さんを呼び始めた。


「歳ーー! おーい、歳ーー!!」


 突然の大声に驚いていると、呼ばれた方も驚いたのか、勢いよく襖が開いて土方さんが飛び出した。


「源さんか!? な、何だ?」

「何だじゃない! 春をずっと屯所に閉じ込めてたら可哀想だろう。これから買い出しに行くんだが、一緒につれて行くぞ?」

「何だ、そんなことか」


 一気に表情を崩した土方さんが、どこかばつが悪そうに頭を掻いた。


「いや、閉じ込めてたわけじゃねぇんだが……」

「長州の残党狩りならだいぶ落ちついてきたし、俺も一緒に行くんだ。大丈夫だろう?」

「まぁ、源さんが一緒なら平気か。わかった」

「よし、じゃあ春、支度しておいで。門で待ってるから」

「はい! あ、特にないです。このまま行けますよ?」


 着替える必要もないし、この時代のお金も持っていない。その場を動かない私に向かって、井上さんが自分の左の腰辺りをパンパンと叩いた。

 首を傾げる私に、土方さんが苦笑する。


「これだ」


 そう言って伸ばした手には、八月十八日の御所警備以降、土方さんの刀掛けと並べて置きっぱなしだった、芹沢さんから貰った刀が握られていた。


「え……これ、持って行くんですか?」

「当たり前だ。お前がどう思おうと、傍から見りゃお前も新選組の人間だ。外に出る時は必ず帯刀しろ」

「新選組……」


 どうやら小姓でも見習い隊士でも、やっぱり新選組の隊士に変わりはないらしい。

 何だか凄く不思議な気分だけれど、やっぱり刀を持つのはまだ緊張する。恐る恐る受け取れば、慣れない手つきながらもしっかりと腰に差した。


「行ってきます!」

「おう。気をつけて行ってこい」


 腕を組みながら、笑顔で私たちを送り出してくれたのだった。






 町は閑散としているのかと思いきや、大通りは想像していたよりずっと人が多く賑わっていた。

 再現された映像と、僅かな知識だけでしか知らなかった江戸時代の風景が、今、現実として目の前に広がっている。それは、どこか懐かしいような真新しいような、何とも不思議な感じだった。


 井上さんの横をきょろきょろしながら歩く私は、きっとどこからどう見てもお上りさんだけれど、呆れることもなく丁寧に案内をしてくれる。

 そして、一軒の店の前で足を止めた。


「必要な物は揃ったし、甘味でも食べてから帰ろうか」

「はいっ!」


 外の縁台に並んで腰かければ、井上さんが微笑んだ。


「好きなもの頼んでいいぞ」

「ありがとうございます!」


 どれも美味しそうであれもこれもと悩むけれど、店を出て来た人の手元にある串団子がとても美味しそうで、同じものをお願いした。


 さっそく運ばれてきた串団子を頬張れば、遠慮しなくて良かったんだぞ、と井上さんが苦笑する。

 とはいえ本当に美味しそうだったし、実際に美味しいので大満足。二本目の串団子にも手を伸ばすと、突然、井上さんが謝ってきた。


「すまんな。女子おなごなのにこんな格好させたり、行く当てがないとはいえ、あんなむさ苦しいところにおいて」

「そんなことないです! 袴だって慣れましたし、何だかんだでみんな良くしてくれますし」

「無理はしなくていいからな? 辛い時は、事情を知ってる俺や歳を頼っていいんだからな? 帰る家がないのは辛いだろう……」


 私の帰りたい場所はここにはないし、帰り方もわからない。だからこそ、あまり考えないようにしているけれど。

 そんな風に言ってくれる井上さんも、今はタイムスリップなんておとぎ話みたいなこと、信じてくれているのかな?

 恐る恐る訊いてみれば、少しばつが悪そうな顔をした。


「本音を言えばまだ半信半疑……かな。百五十年以上も先の世ってのが、全く想像つかなくてな」

「……ですよね」

「あっ、こら、落ち込むんじゃない! 春を疑ってるとかそういうことじゃないんだ! 何だ、その……どこから来ようと春は春だしなっ!」


 慌てる井上さんを見るのは初めてで、失礼だとは思いつつもくすっと笑ってしまえば、いつもの優しい笑顔で私の頭をポンポンと撫でてくれるのだった。




 串団子を食べ終えると、向かいのお店から出て来た男性が、井上さんの姿を見つけるなり真っ直ぐに駆け寄って来た。


「源さん、丁度ええところに!」


 どうやら井上さんに用があるようで、少しの間、私はこのまま待つことになった。


「春、悪いんだが団子食べながら待っててくれ。すぐ戻る」


 そう言うと、井上さんは串団子を二本も追加注文してから、向かいのお店へと入って行った。

 すぐに串団子と、おかわりのお茶が運ばれて来る。


「井上さんは、私を太らせるつもり?」


 思わずぽつりと呟くけれど、こっちに来て甘いものを食べたのなんて、今日の串団子とこの間の大福くらい。稽古だって頑張っているのだから、たぶん大丈夫……だと思う。

 そう言い聞かせてから手を伸ばせば、私の後ろに誰かが座り、トンっと背中が軽くぶつかった。


「ねぇ、君。琴月春さん?」

「え? そうですけど……」


 突然、名前を呼ばれたことに驚き振り返れば、そこには今しがた背中がぶつかった男性しかいない。私の名前を呼んだのは、おそらくこの人だ。

 けれど、身体を軽く捻りこちらを見ているその人は、笠を目深に被っているせいで顔が見えない。


「失礼ですが、どちら様ですか?」

「今は内緒。君が僕のところに来てくれるなら、教えてあげる」

「へ? ……いや、結構です」


 変な人に絡まれた。もしかして、江戸時代流のナンパ?

 何時代にせよ、ナンパをするような輩に興味はない。以降、完全無視を決め込んで正面に向き直ると、串団子の続きを食べ始めた。


「残念。でも、会えて嬉しいよ」


 脈なしだと感じ取ったのか、男性はすぐに立ち上がるけれど、なぜか私の目の前に立った。

 まだ何か? と串団子を頬張ったまま睨むように見上げるも、全く動じる様子のないその人は、笠を僅かに持ち上げ微笑んだ。


「またね」


 再び笠を目深に被り去って行くけれど、遠ざかる背中を目で追いながら、ふと気付く。

 今の私は男の格好をしているのだけれど? ま、まさかあの人、男に興味が!?

 愛の形なんて色々だし、別に否定もしないけれど。私じゃお役に立てそうにないのでこれで良かったのだろう。

 そんなことを考えていたら、井上さんが戻って来た。


「お待たせ。って、どうかしたのか? そんな渋い顔して」

「え? いえ、何でもないです」


 男性と間違われてナンパされました、なんてわざわざ言うことじゃないだろう。

 いつのまにか最後の一口になっていた串団子を頬張ってから、井上さんと一緒に屯所へと帰るのだった。

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