016 斎藤さんと稽古
市中に
八月十八日に長州藩が京を追い出されて以来、新選組は市中警備だけでなく、長州藩士を始めとする過激な尊王攘夷志士の捕縛にも追われているらしい。
「今日は見つかるといいですね。ところで、その桂さんも長州の人なんですか?」
「ああ。素直に国へ帰りゃいいのに、何を企んでるんだかこそこそと逃げ回りやがって……って、おい。敵に
「あ、すみません……。でも、同じ日本人なのに長州ってだけで敵って……」
土方さんの肩がピクリと跳ねた。動きを止め私の方へ向き直ったかと思えば、大げさに腕を組み鋭い視線を寄越す。
「ほう。新選組にいながら長州側の肩を持つか。お前、やっぱり間者か?」
「違いますよ!」
速攻で否定すれば、土方さんが吹き出した。
「冗談だ。お前に間者が務まるなら、今頃新選組は間者だらけだ」
「ちょ。どういう意味ですか!」
土方さんはニヤリと口の端を吊り上げるも、すぐに真顔に戻り、浅葱色の羽織にすっと袖を通す。
「昨夜も言ったが屯所の中なら自由にしていい。ただし、絶対にバレるなよ? バレたらすぐに追い出すからな。それから、今はまだ外に出るな。十八日の件以来、市中もざわついてる。長州の奴らも見つけしだい捕まえちゃいるが、お前が新選組の奴だと知って襲ってくる可能性がないとも言い切れねぇ」
「出ません! 絶体出ません! 大人しくしてますっ!」
何がおかしいのか、そうしとけ、と笑われた。
そして、羽織の裾を翻す背中を、いってらっしゃい、と送り出しながら、ふと、昨夜の土方さんとの会話を思い出していた。
「屯所の中なら自由にしていいぞ」
突然、土方さんがそう言ったのだった。
事情が事情とは言え、信用されていないと思い、できる限りこの部屋で過ごすようにしていたのだけれど……どうやらバレていたらしい。
ばつが悪そうに頭を掻きながらも、土方さんが説明し始める。
初めて私に会った時、とても怪しい奴だと思ったこと。異国の着物に異国の言葉、そのうえ未来から来たなどと馬鹿げたことを言ったわけで。
けれども嘘を吐いているようには見えず、それどころか、見掛けによらず妙に聡いとさえ感じ、どこかの間者では……と疑っていたのだと。
「聡い……私が?」
思わず聞き返す私に、土方さんは視線を逸らすことなく質問を返す。
「芹沢さんに、未来から来たことを今ここで証明してみろと言われて、お前、何て答えたか覚えてるか?」
「……? できませんって言いました」
「違う。
「あ。……はい」
あの時はスマホもバッグも何も持っていなくて、これから起こるであろう出来事を伝えて信じてもらおうとしたんだった。
けれど、結局は思い出せないうえに、思い出せても今すぐの証明にはならないと思い、そう答えたのだった。
「まぁ、新見と源さんは気づいてなさそうだったけどな」
そう言って、土方さんはニヤリと笑ってみせるけれど、この人の目は何でもお見通しなのだと、正直、少し怖いとさえ感じたのだった。
土方さんを見送ったあと、いつもの赤い紐で髪を結ってから稽古場へと向かえば、途中、見知った背中が視界に入り声をかけた。
「斎藤さん!」
ピタリと足を止めた斎藤さんが、ゆっくりと振り返る。その動作は、一切の無駄がないように見えて、とても綺麗だな、と思わず見惚れてしまった。
「琴月か。どうした?」
「あ、えっと。今度時間がある時でいいので、剣術のご指導をお願いしたいなと思って」
慌てて駆け寄りそう告げれば、斎藤さんは少しだけ考えるような素振りを見せるものの、すぐに頷いた。
「隊務まででよければ、今見てやろう」
「本当ですか!? ぜひお願いします!」
勢いよくお辞儀をする私の頭上から、だが……と訝しむような声が聞こえた。
慌てて頭を上げる私の額に、斎藤さんの掌が当てられる。
「っ!?」
「この間も倒れたのだろう? もう大丈夫なのか?」
「だっ、大丈夫ですっ!」
そういえば、井上さんがみんなも心配していたと言っていたっけ。短期間に何度も倒れたら、そりゃ心配させてしまうよね。
もしかしたら、身体が弱いと思われているのかもしれない。滅多に風邪なんか引かないくらい、丈夫なのだけれど。
そんなことより、斎藤さんの手はいつまで私のおでこに!?
この状況は、なんだか妙に恥ずかしいのだけれど!!
「顔が赤いようだが、熱でもあるのか?」
心配そうに私を覗き込む斎藤さんの顔は、その声音とは反対に、どこか笑いを堪えているようにも見える。
私の顔が一瞬にして赤みを帯びたのは、決して体調が悪いからじゃない。
……そして思う。わかっててやっている!?
「さ、斎藤さん!」
その手を退けて下さい!
という意味も込めて名前を呼んでみれば、案の定、くく……と喉を鳴らして笑い出す。
「相変わらず、良い反応だな」
そう言って手を離すと、何事もなかったようにくるりと背を向け歩き始めた。
「も、もう! からかわないで下さい!」
遠ざかる背中を追いかけながら精一杯の抗議をするけれど、首だけを振り向かせると、何のことだ? と涼しい顔でかわされるのだった。
斎藤さんの稽古は沖田さんのものとは全く違っていて、同じレベルを要求されるということはなかった。
かといって、決して手を抜いているわけではなく、的確に見極めて、私の出せる力のほんの少し上を要求するような、そんな指導だった。
付きっきりで見てもらい始めてから最初の鐘の音が聞こえ始めた頃、一人の隊士が斎藤さんを呼びに来た。
「琴月、すまないがここまでだ」
「はい! ありがとうございました!」
手拭いで額の汗を軽く拭いてから、丁寧にお辞儀をする。
片づけておきます、と斎藤さんの木刀を受け取れば、手を見せてみろ、と言われた。二本の木刀を脇に抱えて両手の甲を差し出せば、くるりとひっくり返される。
元々綺麗な手でもないけれど、最近は稽古に明け暮れているせいかマメもできていて、お世辞にも綺麗とは言えない。
まじまじと見つめられるのは恥ずかしくて、引っ込めようとするもぎゅっと掴まれた。
「マメができているな。それも左だけだ」
「……はい、そうなんです」
斎藤さんが指摘したように、マメができているのは左手の中指から小指にかけての付け根の部分だけ。
両手で握っているにもかかわらず、右手は比較的綺麗なままだった。
「片方だけって、やっぱりまだ、握り方すらちゃんとできてないって証拠ですよね……」
私がため息をこぼすより先に、斎藤さんがふっと小さく笑った。
「勘違いしているようだが、ここだけに出来るのは、むしろ出来ている証だぞ?」
そう言って、斎藤さんの掌を見せてくれた。その手は、長年刀を握っていることを物語るように節くれだっていて、全体的に厚みがある。
けれど、私と同じ位置だけが何度もマメができては潰れてを繰り返したのか、一段と皮膚が固くなっていた。
「本当だ……」
「お前は自分が思っているよりもずっと筋が良い。もっと自信を持て」
「っ! ありがとうございます!」
怒られることはあっても、まさか褒められるとは思っていなかったので、驚きよりも嬉しさが勝ってつい頬も緩む。
行ってくる、と言い残して稽古場をあとにする斎藤さんの背中を、笑顔で見送るのだった。
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