015 未来の情報

 気がつくと、またしても布団の上だった。

 部屋には行燈が灯り、僅かに開いた障子の隙間から見える外は、ほんの少し明るさを残した黒。

 土方さんの姿を探すけれど見当たらず、おもむろに身体を起こせばすっと襖が開き、無言で入って来た人と目が合った。


「春!? 気がついたのか!?」


 声の主は慌てて駆け寄ると、私の両肩を掴み、随分と心配そうに訊いてくる。


「起きて大丈夫なのか!? どこか痛いところはないか?」

「井上さん……大、丈夫、ですよ?」


 何だかあまり大丈夫には聞こえない、掠れた小さな声だったけれど、優しい井上さんを安心させたくて笑ってみせた。


「大げさですよ。少し気を失っただけですし」

「大げさなもんか! 丸一日、眠ってたんだぞ!?」

「え……」


 ――ええっ!?

 昼過ぎからのたった数時間かと思っていたけれど、そんなに長い時間眠っていたなんて!

 驚くと同時に、私のお腹も激しく自己主張した。鳴り具合からして、どうやら本当らしい。


「おっ。元気になった証拠だな。夕餉はここで食べようか」


 そう言って、私の頭をポンとひと撫でした井上さんは、部屋を出るとすぐに二人分のお膳を持って戻って来た。

 布団を片づけようとする私を制し、掛け布団だけを端に寄せてそこにお膳を置くと、井上さんは布団の隣に置いてあった座布団の上に腰を下ろした。

 一緒にいただきますをするけれど、行燈が点いていたことといい、さっき来たばかりではないことに気がついた。


「もしかして、ずっと看ていてくれたんですか?」

「そんなのは気にしなくていい。とにかく、目が覚めて本当によかった。今朝、歳から春が目を覚まさないって聞いた時は、みんな心配したんだぞ?」

「すみません……」

「色々あったんだ、きっと疲れも溜まっていたんだろう」


 そう言って微笑む井上さんは、相変わらず優しい。


「そういえば、土方さんはいないんですか?」

「十八日の御所警備以来忙しくてな。今日は歳も朝から出てるんだ」


 忙しい時に倒れて、こうして迷惑までかけて……。

 思わずため息をつきそうになれば、井上さんが明るい声で訊いてきた。


「そういえば、春は甘いもの好きか?」

「……はい。好きですが……」

「そうか。じゃあ、今度良いものを買って来てやろうな」


 楽しみにしてるんだぞ、とまた頭をポンと撫でられた。

 そして、夕餉を終えると、井上さんが上洛する前の話をしてくれた。


「試衛館という道場があってな。そこで天然理心流剣術を教わってたんだ」


 そういえば、近藤さんもそんなことを言っていたっけ。

 近藤さんが道場主で、江戸の道場には門弟に沖田さんや山南さんがいたという。他にも食客として、永倉さんや原田さん、藤堂さんに斎藤さんもいたらしい。

 土方さんと井上さんは、多摩にある日野の道場で学んでいたけれど、近藤さんも多摩出身なこともあり、出稽古で行ったり来たりと付き合いは古いらしい。


 そして今年の二月、将軍が上洛するにあたり、その警護のために浪士組として腕に覚えのある人たちが集められた。功績が認められれば幕臣にも取り立ててもらえるとあって、近藤さんや土方さんは特に張り切って参加したらしい。

 けれども京へついてから色々とあり、浪士組は江戸へ戻る人たちと京に残る人たちに分裂、京に残った芹沢さんや近藤さんたちが、新選組の前身である壬生浪士組となったらしい。


 井上さんが一方的に喋るばかりで、私は時々相槌を打ちながら話を聞いているだけだった。

 私が女であることも、未来から来たことも知っているのだから、訊きたいこともあると思うのに。

 結局、私には何も訊かないまま、井上さんは自室へと戻って行った。

 それから少しして、再び襖が開くと今度は疲れた顔の土方さんが入って来た。


「おかえりなさい」

「ん。そこで源さんから聞いた。さっき目ぇ覚めたんだってな」

「はい……すみません。忙しいのにまた……」

「いや、それはいい」


 土方さんは刀を刀掛けに置くと、私が座る布団の横へと腰を下ろした。


「悪かったな。俺が無理やり訊き出そうとしたからだろう?」


 胡座をかき腕を組みながらも、どこか申し訳なさそうな目で私を見ている。

 私が気を失ったのは、自分のせいだと思っているのだろうか。


「土方さんのせいではないです。異変を感じた時点でやめればよかったのに、そうしなかったのは私ですし」


 たとえ悲しい結末だとしても、前もって知らせることで回避出来るかもしれないと思ったから。

 けれど……。


「突然、頭が割れるように痛くなって、息もできなくて、無性に怖くなって……まるで、喋ることは許さないとでも言われているような感じで……。それでも、必死に抵抗したんです。それなのに……」


 記憶をたどっているだけなのに、指先が震えていた。

 咄嗟に手を握り合わせれば、土方さんの低い声が静かに響く。


「もう、未来のことは口にするな」

「え……」

「おそらく、お前が知っているという俺たちの死に様を言おうとすると、ああなるんだろう。新選組のことは平気そうだったからな」


 ……確かに。

 どちらも彼らにとっては未来のことを口にしたにもかかわらず、拝命する前に新選組のことを話すのは平気だった。

 やっぱり、結末だけは語らせない、ということなのだろう。


「そうだとしても、私が伝えることで、悪い結末を回避することができると思いませんか?」


 私が未来から来たことを信じてくれた土方さんなら、一緒に回避しようとしてくれる気がする。

 けれど、土方さんの顔は険しかった。


「……また、あんな苦しい思いをしてまでか?」


 思わず息を呑んだ。

 刀を突きつけられたことなんて、たいしたことじゃないと思えるほど怖い。

 けれど、死に行く人たちを見過ごすなんてできないし、彼らには死んで欲しくない。死なせたくない。

 だから、必死で気持ちを奮い立たせた。


「私なら大丈夫です」


 どんなに痛くて苦しくて怖くても、それで誰かを助けられるのなら、いくらでも我慢する。


「馬鹿言ってんじゃねぇ。また長い時間寝られても迷惑なんだよ」


 ほんの少し眉をひそめて吐き捨てる土方さんに、思わず肩を竦めて謝った。

 そんな私を見て小さく舌打ちをすると、土方さんは腕を組み直して話を続ける。


「たとえ明日死ぬと言われてもな、俺たちがやるべきことは何も変わらねぇんだよ。だったら先のことなんて訊いても意味ねぇだろ? だから、お前はもう未来のことなんざ喋らなくていい」

「でもっ!」

「あのな、お前にとっちゃここは過去かもしれねぇが、俺たちにとっちゃ今で、こっから先は未来なんだよ。こんな時世だ。お前の持ってる未来の情報を欲しがる奴なんざいくらでもいる。特に、今回の長州の奴らからしたら、喉から手が出るほど欲しいだろうよ」

「でも、私が知ってることは偏り過ぎてて、大して役になんか……」


 自分の無知と無力さに、思わず両手を強く握りしめた。


「んなこと関係ねぇよ。お前が未来から来たと知れば、些細なことだろうが、どんな手を使ってでも吐かせようとする奴はいるさ。長州だけじゃねぇ、幕府だって、その辺の商人だって、情報を欲しがる奴なんざいくらでもいるんだ。そいつらがそれを欲したら、実際に手にしたらどうなる?」

「それは……」

「お前の存在はな、世の中に混乱を招きかねねぇんだよ」


 確かに、私の存在は危ういのかもしれない。本来、ここにいてはいけない人間だから。

 そんな人間が新選組にいたら、きっと、今以上に迷惑をかけることになるだけだし、彼らを助けるだけなら、外からだってできるはず……。

 一度だけ深呼吸をして、しっかりと土方さんを見た。


「今すぐここを出て行けばいいですか? ……あ、でももう暗いので、せめて朝までは置いてもらえるとありがたいのですが……」


 よりどころもなしにこんな時代を生きるだなんて、不安しかないけれど。誰にも知られずのたれ死ぬのは嫌なので、どうにかこうにか生きていくしかない。

 こんな時こそ、持ち前の楽観主義を活かさないと!


 少しずつ決意を固めながら土方さんの返事を待つけれど、呆気にとられたような顔をしたままだった。

 沈黙だけが流れていくなかで、つられて私もぽかんと首を傾ければ、突然、我に返ったように目を見開く土方さんから、なぜかデコピンが飛んできた。


「イタッ!」

「馬鹿か? 誰がいつ出て行けと言った?」

「だって、京都……京の治安を守るはずの新選組に、私みたいな人間がいたって邪魔なだけじゃないですか! さっき、いろんな人が私の情報を欲しがるっていいましたよね? それなら本当は、土方さんだって知りたいんじゃないですか!? その情報を得るためにここに置いているのならわかります! でも、土方さんは私に喋るなって……。そんなんじゃ、何の役にも立てないうえに、ただのお荷物にしかならないじゃないですか! そんなの嫌です!」


 一気に吐ききった。

 土方さんは黙って最後まで聞いてくれていたけれど、必死に訴えた私に向かって、わざとらしく大きなため息をついた。


「あのな、ただのお荷物かどうかはお前が決めることじゃねぇ。それでも気になるっていうなら、新選組の役に立て。もちろん情報以外でだ」

「情報以外?」

「芹沢さんじゃねぇが、ここにいる以上まずは自分の身くらい自分で守れるくらいの力をつけろ。いくら心眼とやらがあってもな、避け続けるだけじゃこの間みてぇに自滅するだけだ。……いや、女のお前にそんなこというのも酷か……」


 謝りかける土方さんを遮るように反論する。


「女とか男とか、そんなのは関係ないです。ここにいる以上、私だって役に立ちたい。何もせず、ただ守られているだけなんて嫌です」


 最低でも、自分の身は自分で守れるようにしたい。

 それに、少しでも剣を扱えるようになれば、新選組のみんなを守るために役立つかもしれない。


「そういや、すでに役立ってることが一つだけあるぞ」


 表情を和らげた土方さんが、少しだけ可笑しそうに言う。


「総司の稽古だ。お前が一緒なら、稽古ほっぽり出して遊び歩かないで済みそうだしな」

「なるほど……」


 普段は人一倍稽古に励むという沖田さんは、時々ふらっと稽古そっちのけで遊びに行ってしまうらしい。

 そういうことなら……と、明日からたくさん稽古に励み、強くなろうと心に誓うのだった。

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