014 警告

 翌日。

 昼餉を食べ終えると、刀を抱え、芹沢さんがいる八木邸へと向かった。

 庭を覗けばちょうど縁側に座っていたけれど、その手には杯が握られている。


「芹沢さん、何してるんですか……」

「春か。何って、見ればわかるだろう?」

「何でこんな昼間から飲んでるんですか」

「昼から飲んではいけないのか?」


 すでに酔っているのか?

 質問しているのは私なのに、ことごとく質問で返される。太陽だってまだ高い位置にいるのに、この人はいったいいつから飲んでいるのだろうか。


「刀なんぞ持ってどうした。俺を斬りに来たのか?」

「違います! 返しに来たんです」


 芹沢さんとの距離を詰めて抱えていた刀を差し出すも、興味なさそうに視線を逸らされた。


「それはくれてやる。新選組隊士である以上、刀の一振りくらいは持っておけ」

「隊士? 私、ただの小姓ですよね?」

「同じことだろう」


 そりゃ、御所の警備にもついて行ってしまったし、新選組に属する時点で隊士ということになるのかもしれないけれど……。


「不満なら出て行くか? 行く当てがあるのならな」

「……ない、ですけど」

「ここを出たところで、新見のような者に斬られて終いだろうな」


 その表情も言い方も自分勝手さにも腹が立つけれど、何より悔しいのは、否定しきれないこと……。

 未来から来たなんて信じてもらえるわけがないし、下手をしたら、変な疑いをかけられて殺されかねない。

 それより、突然飛び出した新見さんの名前に、“心眼”と言われたことを思い出し芹沢さんにも告げてみた。


「殺気、か」

「はい。沖田さんが言ってました」


 芹沢さんは一気に杯を空にすると、それを貸せ、と私の手から刀を奪い取る。そして、素足のまま庭へ下り立つと、刀身を引き抜きその切っ先を私に突きつけた。


「なっ……せ、芹沢さん!?」


 にやりとしたのは一瞬で、すぐに表情が消え去った。本能的に後ずさるも、鋭い視線は冷たく私を捉え、光を反射して煌めく刀が振り下ろされる。

 けれど、その速度は驚くほどに遅い。大きく避けて芹沢さんを睨んだ。


「……今、本気で斬ろうとしましたよね?」

「ああ。殺気を感じると遅く見えるというのは、どうやら本当のようだな」

「っ! たっ、試さないで下さい! もし避けていなかったら、私、死んでますよね!?」

「殺すつもりで振るったからな」


 なっ……!

 絶句する私のことなんて見向きもせず、芹沢さんは縁側に転がる鞘を拾い上げると、丁寧に刀身を納めた。

 そして、たった今振り下ろしたばかりの刀を再び私に押しつけて、何事もなかったように縁側に座り、足の裏についた土を落とし始める。


「酔ってるんですか? 相当酔ってますよね? 正気の沙汰とは思えません!」


 原田さんも言っていたけれど、この人、お酒が入ったら本当に何をしでかすかわからない。

 いきなり斬りかかるとか普通じゃないから!


 そんなんだから、暗殺されちゃうんだよ……。


 ――芹沢鴨せりざわ かも

 お酒を飲んでやりたい放題暴れて、暗殺されちゃうんじゃなかったっけ? それも酔わされたうえで。何とも皮肉な話だ。


 片手間に兄の話を聞きながら、そんなの自業自得じゃん、と言った記憶がよみがえる。

 けれど、あの時と今では全く状況が違う。理由なんてわからないけれど、私はここにいる。死ぬとわかっている人が、目の前にいる。

 それなのに、このまま黙って見過ごすなんてできるわけがない。


 芹沢さんが殺されてしまうのはいつなのか。

 詳しいことは知らないけれど、飲みすぎが暗殺を招いたのならその原因を断ち切ればいい。


 何もしなければ、きっと結末は変わらない。刀を扱えない私には、できることも限られている。だからこそやれることを。

 一つ頷いて、真っ直ぐに見つめた。


「芹沢さん、お酒やめて下さい」


 けれど、それなりに勇気を振り絞った言葉はあっけなく無視され、杯にはなみなみとお酒が注がれていく。


「芹沢さん!」

「煩い。消えろ」


 抑揚のない冷ややかな視線と声音に、若干の後悔とともに怯みかける。

 それでも、見て見ぬふりはできないから。


「やめるって約束してくれるまで、帰りません!」


 抱えた刀を強く握りしめ、震えそうな声に力を込めた。

 けれど……たったの一口で空になった杯はまたすぐに満たされて、お酒越しに私を映すその瞳は、人の気も知らないで嘲笑っていた。


「芹沢さん! こんなことしてたらっ……この、まま、じゃっ……――ッ!?」


 殺されちゃいます!

 ……怒りに任せて出かけたそんな言葉は、最後まで続かず頭を抱えてその場に崩れ落ちた。

 肩で大きく息をしながら、全身の毛が逆立っていることに気づく。


 頭が割れるように痛かった。

 空気が無くなったように息が出来なかった。

 得体の知れない恐怖に包まれたような、そんな感覚さえあった。


 いったいこれは何? 何なの?


 まだ震える身体を摩るように抱きしめると、肩を上下させながら必死に酸素を取り込む。

 不意に、誰かが私の背中を撫で、鈴を転がしたような涼やかな声が耳の近くで響いた。


「どないしたん? えらい顔色悪いけど」


 声のした方を見ると、綺麗な女性が私を覗き込むように屈んでいた。その腕には、買ってきたばかりであろうお酒が抱えられている。

 心配そうに私に声をかけながらも、時折、芹沢さんを見つめるその横顔に、そのお酒が誰のためのものなのかわかってしまった。

 この人はただ、お使いを頼まれただけかもしれない。そう思いながらも、大丈夫です、のただ一言は冷たく棘まみれだった。

 初対面の、ましてや自分を心配してくれている人に対してのものとは思えないほど……。


「春、顔色も悪い。もう戻れ」

「で、でもっ……」

「今日はこれを空にしたら終いにする。だからもう行け」


 予想外の言葉だった。ついさっきまで、冷たく嘲るように飲んでいた人の言葉とは思えない。

 もしかしたら、お酒をやめてくれる日が来るかもしれない。そんな期待を胸に、今はただ芹沢さんを信じて頷いた。






 部屋へ戻ると、話がある、と言わんばかりに土方さんが私の正面に座り、腕を組んだ。


「なぁ。お前は俺らのこと、新選組のことをどれくらい知ってるんだ?」


 はっきりとは口にしなくても、未来から来たことを信じてくれているとわかる口ぶりだった。

 だから、私も正直に話した。

 新選組が関わった出来事は、ほとんど知らないこと。

 知っているのは、一部隊士の死に様だけなのだと。


 兄の話をちゃんと聞いておけばよかった……と思わずため息をつけば、土方さんがどこか意地悪な笑みを浮かべた。


「俺の最期も知ってるのか?」

「え……?」


 偉そうに腕を組んでいるにもかかわらず、その表情と声音は、まるで大人を困らせて楽しんでいる悪ガキみたいだ。


 だいたい質問が直球すぎる……。

 芹沢さんには勢いだけで言いそうになってしまったけれど、こんな風に改まって訊かれたら言えない。

 だって土方さんは、戊辰戦争終結間近の北海道で、銃弾を受けて亡くなるから……。


 そんな死刑宣告みたいなことはできなくて、思わず視線を逸らしてしまえば、土方さんはますます楽しげに私を追い詰める。


「知ってんだろ? 怒ったりしねぇから言ってみろ」

「言ってみろって、そんな簡単に言えるわけないじゃないですか!」

「そうか。なら、副長命令だ、言え」

「何ですか、副長命令って! そんなのズ――ッ!?」


 急に顎を掴まれたせいで言葉は途切れ、強制的に合わさった視線に何事かと目を見開いた。


「良いこと教えてやる。副長命令はな、絶対なんだよ。だから言え。……な?」


 怒られているわけじゃない。

 睨まれているわけでもない。

 表情は悪戯をする子供のそれなのに、どうしてかその視線には逆らえそうにない。


「……土方さん」

「ん」

「土方さんは……死にますよ……」

「そりゃ、人間生きてりゃいつかは死ぬだろうよ」


 嘘ではない真実を告げたのに、あっさりとかわされてしまった。


「で。いつ、どうやって死ぬんだ?」


 どうやら見逃す気はないらしい。

 動きを封じられたままで、ごくりと喉が鳴る。

 ……もう、どうにでもなれっ!


「土方さんは、北海っ……道、で――ッ!?」


 頭が痛い。

 息が出来ない。

 怖い。


 まるで、痛みや恐怖が全身に絡みついたかのように、全身の毛が逆立ち寒くもないのに震え出す。

 芹沢さんの時と同じ。

 そして確信する――


 これは警告なのだと。

 誰のどんな力が働いているかもわからないけれど、決して結末は語らせないという警告なのだと。


 異変を感じ取った土方さんが、私を解放して心配そうに声をかけている。

 このまま諦めるのは簡単だけれど、唯一知っている彼らの最期を口にすることもできないんじゃ、結末を変えることなんて、できない!

 喉を、胸を、掻きむしるように全身で抗いながら、肺に残った僅かな空気で、声にならない声を必死の思いで吐き出していく。


「北、海……どッ、……じゅ――ッ!!」


 暗転する視界と途切れる意識。

 暗く底の見えない深海に、一気に引きずり込まれるようなそんな感覚だった。

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